ミュージカル『ルドルフ RUDOLF The Last Kiss』はさておき、1889年のマイヤーリンク事件にまつわる映画・お芝居・バレエはみな『うたかたの恋』、と邦題がつけられていますね。皇太子ルドルフと年若い下級貴族令嬢の恋、「うたかたの=泡のように儚い」という言葉がぴったりだ、ということでしょうか。・・・が、たぶんこの言葉は前の記事で触れたルードウィヒ王のシュタルンベルク湖での溺死(1886)に材料を得た森鷗外の『うたかたの記』からとったんじゃないかな、と思います。
この時代のミュンヘンにはすでにたくさんの日本人留学生が訪れていて、「国王の溺死」というショッキングなニュースを現地で見聞した青年たちのなかに、24才の軍医・森鷗外がいました。
19世紀半ばに、精神医学がヨーロッパで学問として定着し始めたということですが、その「最新の」医学がくだした「パラノイア(偏執狂)」という診断により、ルードウィヒはシュタルンベルク湖畔のベルク宮に護送され、事実上の退位となりました。そして翌日、ルードウィヒとともに遺体で発見されたのは、お抱えの精神科医グッデン。医師・森鷗外にとって非常に衝撃的な事件であったようです。
ルードウィヒの従姉であるオーストリア皇妃エリザベートが、ベルク宮対岸のポッセンホーフェンで、自分を深く慕うこの従弟を救出しようと画策し失敗したという噂も残されているそうです。その三年後、息子ルドルフも生涯を閉じようとは、彼女も思っていなかったことでしょう。「うたかたの」という言葉とは裏腹に、残された者の傷はどんなに深く重かったでしょうか。
この時代のミュンヘンにはすでにたくさんの日本人留学生が訪れていて、「国王の溺死」というショッキングなニュースを現地で見聞した青年たちのなかに、24才の軍医・森鷗外がいました。
19世紀半ばに、精神医学がヨーロッパで学問として定着し始めたということですが、その「最新の」医学がくだした「パラノイア(偏執狂)」という診断により、ルードウィヒはシュタルンベルク湖畔のベルク宮に護送され、事実上の退位となりました。そして翌日、ルードウィヒとともに遺体で発見されたのは、お抱えの精神科医グッデン。医師・森鷗外にとって非常に衝撃的な事件であったようです。
ルードウィヒの従姉であるオーストリア皇妃エリザベートが、ベルク宮対岸のポッセンホーフェンで、自分を深く慕うこの従弟を救出しようと画策し失敗したという噂も残されているそうです。その三年後、息子ルドルフも生涯を閉じようとは、彼女も思っていなかったことでしょう。「うたかたの」という言葉とは裏腹に、残された者の傷はどんなに深く重かったでしょうか。