Gの魂

GEN的男学の咆哮

つわものどもが 夢の跡

2023-04-07 | 日本史

ナイター観戦当日の昼間は時間があったので鎌倉経由で江ノ電に乗り、腰越に行きました。

江ノ島の片瀬海岸はサーファーがたくさんいますがその目の前に位置する漁師町が腰越です。

そして腰越駅近くの満福寺へ。

 

ここは義経と弁慶ゆかりのお寺です。

腰越状を知ってますか?

源義経が兄である頼朝に宛てた手紙だそうです。

 

頼朝の怒りを買った義経が鎌倉入りを拒まれ弁慶と共に腰越に留まった時のこと。

この満福寺にて義経が今の心情を綴ったものだと伝えられてます。


そして満福寺には当時義経が書いた書状の下書きが残されてますがなんとこれ、原本だそうです!

約800年前のものにも関わらず保存状態も良好だとのこと、ちょっと驚きました。

 

といいつつ

 

実はこのお寺に来たきっかけは猫なんです。

こちらには弁慶ちゃんという猫が住み着いているそうでして。

 

発見。

ここに入ったぞ。

 

いた。

 

こんにちは~ 可愛いねぇ。

 

😺

 

義経は実の兄である頼朝の圧力を受けそして奥州にて最期を迎えるわけですが。

この場面は昨年のNHK大河でも演じられてましたね、弁慶の仁王立ちも含め。

さぞや無念だったことでしょう。

 

 

この日も腰越海岸は静かな波が打ち寄せてました。

干してあるのはたたみイワシか。

遠くに逗子葉山が見えます。

 

古戦場でもある腰越

先人たちの熱い魂の息吹が聴こえてくるようです。

 

押忍

コメント

2023お正月

2023-01-02 | 日本史

皆様あけましておめでとうございます!

本年もよろしくお願い致しますm(_ _)m

 

皆さんはどんなお正月をお過ごしですか?

ぼくは録画済の大河ドラマ、鎌倉殿の13人総集編1章~4章までを全部見てました。

1年間48話の作品を4時間強に凝縮してあるので内容が濃かったですね~。

 

周囲の影響で見始めた時は既に最終回も近く。

だから普通に見ているだけで全てを理解するのは難しく、何度も一時停止をしまして

名前や相関図を調べて納得した上で再生と視聴を繰り返しました。

頭で考えながら見るのは結構消耗しますね。

最後まで見終えるのに倍以上時間を要しました。

 

でもやっぱりおもしろかった!

子供の頃に歴史の授業で先生がこの鎌倉時代をどんな風に解説していたのかが気になります。

もっと真面目に聞いておけば良かったなぁ。

 

 

■正月のおまけ画像

 

毎年購入しているココイチカレー福袋

実は隠れココイチなのでした。

 

押忍

コメント

年の瀬の鶴岡八幡宮

2022-12-28 | 日本史

今年も残すところあとわずか。

という事で横浜の自宅に年末帰省しました☆

 

早速少し早めの初詣に鎌倉の鶴岡八幡宮へ。

 

相変わらずたくさんの人でした、鎌倉はだいたいいつもこんな感じなのですが

それでもやっぱり大河ドラマの影響でしょうか。

 

📺

 

あっ!ほらほら

やってますなぁ

 

奥に見えるのが源実朝が北条政子の孫の公暁に暗殺された鶴岡八幡宮の階段です。

大河では実朝役の柿澤勇人が斬られてましたが今までそんな史実は知りませんでした。

 

 

ぼくの子供の頃は初詣と言えば鶴岡八幡宮。

高校生の頃いち度だけ大晦日の深夜この場所に初詣に来ました、しかも1人で。

そして大勢の参拝客に混ざってこの階段を午前3時頃から何時間もかけて並んだのです。

今考えると若気の至りというか○ホですよね。

不要な情報かもしれませんが20代の頃の彼女の職場がここ鶴岡八幡宮でした。

 

ま、何かと思い入れのある場所ではあります。

 

押忍

コメント

いにしえの宿場町

2021-06-02 | 日本史

先週末は仕事を終えてから横浜の自宅に帰り室内の改造にいそしんでいたのですが。

ひと段落ついたところで気分転換に散策に出かけようと思いまして。

 

 

ちょいと大磯まで行ってきました。

 

 

皆さんは大磯と聞いてどんなイメージをお持ちですか。

そもそもさほど知られていないのでは。

人口も約3万人程だそうで街の規模もそう大きくはありませんけれど

 

実は海水浴場発祥の地だそうです。

駅前にこんな看板が。

個人的には藤沢-辻堂-茅ヶ崎-平塚-大磯までが湘南エリアだと認識しています。

 

 

昔は富裕層の別荘地として有名だったらしく

格として軽井沢をも上回っていたそうです。 

確かに旧吉田茂邸や旧伊藤博文邸もありますね。

 

そんな高級別荘地だったとはぼくも最近まで知りませんでしたが

なるほど確かに海があり山も近く静かで温暖で適度にひなびております。

 

そして駅から少し歩くと

 

旧島崎藤村の邸宅がありました。

晩年休養で大磯に立ち寄った藤村はこの地を大変気に入ったとの事で

移住を決意した藤村は亡くなるまでの約2年半をこの大磯で過ごしたそうです。

 

亡くなる直前に藤村は庭を見ながら

涼しい風だね

という最期の言葉をを残し永眠したそうです。

 

 

子供の頃の持ちネタで島崎藤村のことをフジムラトウソンと読んでみたり、

島崎か藤村かどっちなんだとか言ってましたが

皆さんも言いませんでした?(←求む同類)

 

さらに海側に向かって歩くと

 

国道沿いに見事な松の木が立ち並んでおります。

 

この道も昔若気の至りで夜な夜な車で走りました。

 

古くは東海道の宿場町として栄えた大磯。

江戸時代に幕府がこの松並木や一里塚、宿場を設置し交通の便を良くしたそうです。

当時何度も通り過ぎた道なのに気付かなかったというか何も感じませんでした。

 

若い頃は感性が乏しくて歴史の価値が理解できなかったのでしょうね。

ま、今でもわかってないのかもしれませんけど。 (^o^)ゞ

 

■今日のおまけ画像

 

湘南発祥の地・大磯の碑。

いろいろ発祥してますなぁ。

 

押忍

コメント

開国の街

2020-07-03 | 日本史

先日ちょいと用事があり、久しぶりに浦賀に立ち寄ってきました。

 

 

京急浦賀駅で下車すると間もなく左手にかつての造船所、浦賀ドックがあります。

塀越しにですが当時使用されていたクレーンを見る事ができるんですよね。

 

そのまま海方面に歩いていくと

 

船着き場が見えてきます。

 

 

対岸までの渡し船は今時分趣がありますね。

 

 

太平洋戦争終結後に軍人らはここ浦賀港を引揚指定港とし、中部太平洋や南方諸地域、中国大陸などから約56万人を受け入れたのだとか。

 

そしてこちらの碑文によりますと

 

引揚船内では栄養失調や疫病で倒れる者が続出しコレラも発生、その後も続々と感染者を乗せた船が入港し、浦賀検疫所では大防疫が実施されたそうです。

 

終戦にも関わらず祖国を目前に多くの人々が感染病で亡くなったという史実。

疫病の歴史を振り返ると感慨深いです。

 

さらに歩き

 

岬に着くと燈明堂(とうみょうどう)の跡地が。

燈明堂とはかつてこの地にあった灯台の名称だそうです。

 

対岸の房総半島が結構近くに見えます。

 

 

逗子葉山、鎌倉そして横須賀から三浦半島そしてこの浦賀。

このエリアは昔から友人や親戚が住んでいたのでよく車で走ってました。

でも歩いた記憶はあまりないんです。

 

歩かないと見えないもの

歩いて初めて気付くもの

 

知っている街なのになぜか新鮮で懐かしい。

ほんの少しノスタルジックな時間でした。

 

 

押忍

コメント