植村泰一先生のレッスンでした。
今年は、結局、先生の体調、スケジュール、私の体調などのこともあり、毎月という訳にはいかなかったのですが、そのたびに、大きな感動と教えを授かっていることに感謝です。
先生に師事して、もう20年になるけれど、常に進化していらして、その魅力は最早、仙人レベル。
その先生のお部屋からは、メトロノームのカチカチという音に合わせて、アルテスの第1巻の練習曲のメロディーが聞こえてきました。
フルートを始めてすぐにやる初心者用の練習曲です。
「これは、とっても役に立つよ。あれから反省して、アルテス先生の言うことをちゃんと聞いてみようと思ってね」
と先生。
あれから?つまりは、あの奇跡の演奏のことを?
「まだまだ吹き過ぎていたんだよ。」
とのこと。
今後の先生の演奏はどんなことになるのだろう??
先生は、姿勢を考え直したことや、左手の親指のモデルチェンジのことなどもお話してくださった。
それは今まで伸ばしていたものを丸めて使うようにした、とのこと。
私は最初からまるめる派ではあるけれど、こうしたことに絶対というものはないので、
「本当にわからないですよね。何が良いかなんて。『裏の裏はまた表』ということもありますし・・」
としか師匠の変化に関してはコメントのしようがない。
圧倒的なあの演奏が、のびた親指で成されていたのであれば、もうそれはそれで良いのではないか、というのが正直なところです。
この日は五代目の銀のロットで「祈り」を聞いていただきました。
「・・この曲は、どこまで心の底から祈ることができているか、つまり一音一音に魂を込めることができるか・・川崎先生が、何を考え、どう感じて、この音を書かれたかを想像して・・」
つまりは楽曲、作曲者へのオマージュ。
先日、砂原さん、山本さんとお話したことと同じ。
「オマージュ」
他者の尊重と尊敬。
心の底から、それがなされているかどうか、というのは、最早人間性の本質や、哲学に関わってくる問題なのだろう。
最後に、
「フルートの音は出せるようになったな。」
以前の自分から比べれば、という話ではあるけれど、実際、技術に関しては、信じられないくらいの進展が続いている。
この言葉は嬉しい、といえば嬉しいけれど、それよりも、これからが、本当の辛苦の道の始まりなのか、と感じた記念日となりました。