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『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

内旋・外旋他

2025-05-03 21:18:50 | 気付き
久しぶりの気付きメモ。

レッスンは大好きで、かつ本当に有難い。

師・植村泰一先生もよく仰っていらした。

「人間、自分の事はわからなくても、人の事はよくわかるからね。」

今回も思わず「いやあ、興味深いですねえ・・」と呟いてしまった出来事がありました。

一度、私のレッスンを受けてみたいといらした方で、長年やりこまれていて、素晴らしい音を出すことが出来るのに指がバタついて動きが悪いままの生徒さん。

大人になってから始めたから、指のための練習時間が少ないから、ということが主な原因と思われているし、世間でもそういうことになっているので、本人もそう思ってしまっていることがある。

でも、私のこの頃の感覚では、誤解を招くのを承知で言えば、指はそんなに練習しなくても「ある程度は」まわる。ということ。

あくまでもある程度であって、長難易度の高い楽曲などは、もちろん除外しておいていただきたい。

この「ある程度」すら動かすことが大変そうで、沢山さらえば、そこだけはなんとかなるけれど、それがその先にあまり繋がらない、という症状。

「興味深い」と思ったのは、左手の状態に関して。

薬指と小指が伸びきったままで、届いてはいるけれどキィの端っこに。
このタイプはとても多い。

なので、「含胸抜背」の構をお教えして、自然に左手首が入るようにするのだけれど、それでも、なんだか、フルートと左手の関係性がよそよそしいし、違和感が。

それは左人差し指の第2関節の位置が、かなり埋まってしまった状態だった。

なので、その当て位置を修正していただいたとたん、薬指と小指もちゃんと丸まって、キィの真ん中に置かれるように。
音もさらに響くように。

指もバタつかず動く様になり、16分音符レベルでの動きにも普通に対応できるようになりました。
たったこれだけのことで。

そして我が身を振り返り、そして自身の生徒さん達のことを考える。

第2関節はもちろん、ちゃんとフルートの上に来る様になっているけれど、果たしてそれはベストな位置か?

特に不自由はなかったので、そこが「普通」になっていたけれど、それはベターであるだけで、ベストではなかったかも?

と試してみたらその通りで、よりマシな場所を見つけることができました。

これに付随して右手も。
右手親指に関しては、本当に彷徨っていて、なかなかこれだ、というのがなく、とりあえずは、ということで伸ばして側面を使っていたのだけれど、これも大きく変化。左手が以前の場所だったら、出来なかったことが、今はこちらの方が馴染むというのが不思議で面白い。

両脇や肘は無理に上げるのではなく(肩が上がるから)内旋をかけているのだけれど、そのまま手指も対応していたための位置だった。

それを内旋の後、肘から先はむしろ外旋を加えることで、より薬指、小指が楽器と仲良くなり、親指人、差し指の出しゃばりは減る。
中指は、その都度の動きに応じてバランスを取る役目。

そして、これらの所作の結果、フルートは骨に当てて持つような感覚に。



含胸抜背 ・ポニョ・エイ

2025-03-16 22:05:30 | 気付き
本当に大きな気付きだったのに、なんというか隠しておきたいという深層心理が働いたせいか、カテゴリー「気付き」ではなく「日常」の一つのエピソードとしてしか書き残していなかった「含胸抜背」。

あくまでも、自分にとっての、フルートの構方としてのものなので、「それは違う」という武術方面からの突っ込みはあるかもしれませんが、御容赦を。

この四文字熟語の効果、威力だけでも、かなりの効果はある人にはあるのではないか?と思う。
漢字って凄い。

2月7日に韓氏意拳を嗜まれている方がご遠方からフルートを習いにいらしてくださったお陰。

私の演奏する姿と、それに至る構え方をお教えしたところ、「それは、まさに含胸抜背ですね!」と仰ったのだった。

その後フルート体で「鶴瓶の原理」で楽器を構える折に、上下のバランス、つまり「下がるから上がる」は気にしていたけれど、前後、フルートと身体との関係性、つまり身体とフルートの距離の変化がおろそかだったことに気付き、それを踏まえて、フルートが身体に近付く折に、重心もまた少し上にリリースするようにしたところ、本当に大きな変化が。

この構えにすると、前後左右、何処から力を加えられてもぐらつかず、安定している。それなのに、自身は力を入れて踏ん張っている訳でもなんでもない、というおよそ実感からは程遠い不思議な感覚。

昨年7月の軟口蓋の気付きよりもはるかに大きな変化がドンと来ていて、あっけにとられているのだけれど、それもまあ、軟口蓋の気付きがあればこその変化だったのかもしれません。

更に言えば、1月28日の前回の音楽家講座の折にうかがった甲野先生のとても不思議なお話によって、改めて自分自身を見つめ直すことが出来、より感情が奥底に沈んだというか、落ち着いたということが大きかったのかもしれません。
沈むといっても、暗くなるとか、そういうのではなく、何かですぐにかき回されて濁ってしまう湖の底の泥が、ずっと水底に変わらずある、というような感じでもある?
単なる年の功かもしれず、このあたりはよくわからない。

もうこれだけでも、大満足で、より吹くことが楽しくて仕方なくなっていたのですが、今朝練習していて、新たなポニョの気付きが。

これは崖の上のポニョが人間の女の子に変身する様子をTV画面で見ていて、「そうだよな、元は胸鰭だったんだよなあ」と自分の手を見つめたのが最初の気付きで、もうかなり昔。

そのお陰で、指の動きが変質し、バッハタッチなどとの共通点にも気付き、と大きな収穫があったのだけれど、本日は、それを使っていない、主に右手になるけれど、そちらで、行うことに気付いた。

やはりTVでシーラカンスの番組を観たことも影響していたかも。

ちょっと不思議な感じだけれど、つまりは「休むな」「動きを止めるな」ということなんだと思う。

以前は「使っていない指を脱力してしまうと、そこが死んでしまって響かなくなりますよ」と言って、一定の圧、テンションをかけるようにして、効果があったのだけれど、それよりもずっと音がのびやかになる。

胸鰭なんだから、動きっぱなしにしていた方が良い。

午後のレッスンで、早速生徒さんに試してみたところ、やはり驚くほどの変化に。一緒にアルテスのデュオなどすると部屋の全ての壁、天井がこれまでにない響き方をして、本当に驚きました。

そしてデュエットしながら気付いた。
胸鰭、手指は手首、肘、肩、肩甲骨と繋がっているじゃない?
ということで、最終的には、鳩尾あたりが起点になってそこからしなやかに動く感覚に。ということで、「エイ」。




小首の傾げ方

2024-12-21 22:42:20 | 気付き
「小首を傾げる」とはよく言われる言葉だけれど、その傾げ方に関しての詳細な解説、説明というのは聞いたことがない。

そんなものが必要ないくらいに、誰もがすぐに出来るし、やっている動作だから。

それをそのままフルートで行っていたからいけなかったんだ・・ということにようやく気付いた本日。

先日の四足歩行的身体性を活用した左腕と手首の気付きに付随して気が付くことが出来ました。

でも、何より、ずっと今回のコンサートのチラシに掲載させていただいた川崎優先生の演奏時の写真をずっと見ていたからこそだと思う。

チラシが出来たのは3月で、それからずっと部屋の壁に貼っていて、毎日見るともなしに見ていた。

フルートを構えた時、どうしても顔は右に傾くようになる。
もちろん、適当な事が連ねられている教則本などに書かれているような90度なんかではないにせよ、多少の個人差はあるにせよ、右に傾く。

これを写真で見ると、普通に首を右に傾けているように見える。

実際のコンサートでも正面から見ることになるので、同様。

でも右に・・と思うからいけなかった。

そうではなく、結果として右に傾いた様に見える、ということで。

右に小首を傾げるのではなく視線の運び方で、そのように見える頭の位置になる。

決して首をダイレクトに操作してはいけない。

・・ということはもし将来教則本的なものを書くとしたら、書いておいても良い数少ない助言かもしれません。まあ、書くこともないだろうけれど。

更に、譜面台の正面に立った時、最初に斜め45度程右を向いて立って、先日の左腕、手首の取り扱いと、今回の視線の取り扱いによる小首の傾げ方をすると、結果真正面に向くようになり、見た目は、もちろん、フルートを構えているのだけれど、体幹部分はただそこに立っているだけのような爽やかで自由な感覚が訪れる。

もちろん、その結果出てくる音は過去最高を更新してくれるものになる。

こんなことは初めてで、まだまだ残っていた左肩手首、右首筋の滞りが激減したからこその感覚ではないかと思う。

というか、こんなにまだまだガジガジがくっついてたのね、としみじみ。

本当に「幾度も病をおびき出し打ち砕き」の連続です。

このチラシの写真は2019年、還暦記念?の王子ホールでのリサイタルのものだけれど、腕でフルートを不用意に持ち上げているのも、自分で首を右に傾げているのも、左手首にテンションがかかりすぎなのも、今だからこそ、アリアリと判る。

そして、川崎先生の構え方との違いも歴然。

なんて言っているうちに、いよいよ1週間後となりました。

お陰様で師走のお忙しい時期にも関わらず、沢山の方がいらしてくださることになりました。

とはいえ300人キャパの会場ですので、当日券も沢山ございます。
どうぞお越しくださいませ!





四足歩行的身体性  左腕と左手首

2024-12-15 15:02:03 | 気付き
12月8日に出演させていただいたガルバスタジオのコンサートでは、足指を使っての音の処理と共に、もう一つ大きな気付きがありました。

元々、譜面台はかなり低い位置。

でも、リハの時に使おうとした譜面台が故障していて、いつもよりも低く、その修正が出来ず、2本目にトライしたものの、こちらもだめ。

リハの時間も限られていたので、もうこれでいいや、とその低い譜面台で吹いたところ、かつてない程、口元の緊張が減っていることに気付きました。

?これは良いかも・・?

本番は通常の高さに調整された譜面台が置かれていたのですが、それをサクっと低くして、楽譜置台の処はより倒して演奏しましたが、色々なことが自由に出来たのは、このお陰が大きかったかもしれません。

ここで思い出したのは、かつて四足歩行マイブームだった頃のこと。
ウォーミングアップに四足歩行で歩き回っていたこともある。

当時は首を回すには、この四足歩行的身体の方が、ガキっとならずゆるやかに出来るという気付きで、どうしてもある程度首を左にまわさなくてはならないフルートにとっては、とても大きな気付きでした。

当時は某楽器店で古武術奏法クラスというのをやっていて、ヴァイオリにスト数名にもお教えしてとても喜ばれたものでした。

今回、軟口蓋を上げるようになっての初めての本番でしたが、首の緩やかさに加え、譜面台が下だと、顎周辺がとても楽になり自然に上下の歯の位置が揃っていることに気付いたのでした。

以前は気付かなかった、というか、多分軟口蓋も下がったままだったし、ここまで下を向いたことはなかったので、そうなっていなかったのではと思います。

この本番の数日前に、トイレでの気付き第二弾、というのがあったことも影響していた。

・・軟口蓋の時もそうだったけれど、何故にトイレ・・?

おそらく、とてもリラックスしているからではなかろうか・・

立ち上がる時にはトイレに限らず、上半身を前に倒してから立ち上がるのがもう習い性となっているのですが、上半身をグッと前傾させたとき顔も下に向き、その折に、下顎が降り出されて、上下のかみ合わせが同じ位置になっていることに気付いたのでした。

この時、「ああ、四足歩行の身体性を残したままであれば、軟口蓋も上がるのだなあ」としみじみしていたのですが、それっきりに。

それが今回、偶然リハでとても低い譜面台を使ったことで、フルートにも応用できることとなりました。\(^o^)/

そして、昨日、左腕と左手首の長年の疑問の答えがようやく見つかりました。
ボーっと「題名のない音楽会」を流し見していて、東フィル?のフルートセクションを見ていて。詳しくはややこしいし、私が感じるレベルでの良し悪しをここで述べるのも僭越なことなので、まあ、これくらいはたまには企業秘密としたい。

これも、そもそものきっかけは、以前よりも代講などで多くの生徒さんを観ることとなったお陰かも。

みな、左手のグリップが定まらず苦労されている方が多かった。
結果手、特に右小指に力が入ってしまって、色々と悪影響が。

過去、右手に関する可動域には敏感で、良い場所をみつけられていたのに自身の左腕に関しては、「まあ、身体の近くだしね。これでいいんじゃない?」くらいのものだった。

でも、それが大間違いで、これだけ、色々と振り捨ててきて、通常メソードとは180度違うことをやってきているのに、左腕だけは、過去に培ったものそのままでやっていて、それがとても邪魔していることに半世紀以上経ってようやく気が付いたという訳で。

そして、すぐに思い出したのは20年前、甲野先生と出会ってすぐの頃、ロシア武術・システマ指導者の一人者のお一人である北川貴英さんが駅のホームで雑談していた時にしてくださったご助言。

当時は北川さんもまだシステマに出会う前で、さてこれから何をしていこうかな?という感じの、とても明るい陽気な若者だった。

「ああ・・フルートだったら、こうやって構えればいいんじゃない?」とググーっと・・・やってくださったのだけれど、それが今まさに私がようやくたどり着いた左腕の取り扱い方。

・・ああっ!!・・_| ̄|○

当時は(今も?)とにかく甲野先生しか目に入らなかったので、「この人何言ってるんだろう?」ぐらいにしか思わず、「ありがとうございます。」と軽くスルーしてしまったのだけど、まあ、今の心身だからこそ、ようやく理解出来たということなのだろう。

このやり方で、左腕の位置も手首の具合も一気に良い状態となる。

「フルートは横に構えちゃだめなんです」ともうずっと言い続けてきたというのに、左腕だけはまだまだ横に構えようとして、他の様々な動きを阻害していたんだなあ・・

この病をおびき出し打ち砕くことが出来たお陰で、さらに自由に吹けるようになり、よりフルートが楽しくなりました。

こうしたことを以前は植村先生に喜々としてご報告出来ていたことが懐かしい。
大概先生は「うん。僕はずっとそうなの。」と仰るのが常だったけれど。



カラとミ

2024-10-31 23:07:10 | 気付き
大きな変化の基となったのは、やはり7月2日の口腔内の気付きだったけれど、それはほんの前兆というか、ここに至る過程に過ぎなかったことを感じています。

陰陽、強弱、白黒、善悪、表裏、といった対照的な事柄を現す熟語はどれも正反対ではあるけれど、みな同じ前提条件のもとに規定されたもの。

何故、このような発想になったのかは不明だけれど、「吹く、吸う」のも同じかも?とふと練習している時に思ったのでした。

口腔内の気付きの時に感じた、小腸との連動が思い出させてくれだのは

「個体発生は系統発生を繰り返す」という三木成夫の言葉。

そんなこともあり、久しぶりに『胎児の世界』を読み返してみたのもおそらく刺激になったのだと思います。

更には、甲野先生も出席された某所での講演会。

20年前に『身体から革命を起こす』が企画された時に、インタビューしてくださり原稿を書いてくださったライター・田中聡さんの「むし」に関するお話を、これまた、アエラに甲野先生の記事を書くためにと、私にインタビューしてくださったライターのユンさんが聞き手となって、というもの。
(結局私のインタビューはアエラには掲載されなかったのですが、ユンさんからは色々と若い頃の甲野先生のお話も聞けて楽しかった。)

この御二人の講演の内容に関してはまた別途・・
「むし」とは言っても昆虫ではなく、「疳の虫」とか「腹の虫」とか色々そんな話で、むちゃくちゃ面白かった!

ともあれ、その中で、カニの話に。

そもそも、昔「カラダ」というのは死体を現す言葉であって、現代通常使われている生きている「身体」にあたる言葉は「身(ミ)」と言っていたのだそう。

そして、それはカニで言えば、カラとミ。

外側は殻(カラ)で、内側は(ミ)。

カニだととても分かりやすい!

その時に、「フルートはカラではなくミで吹く楽器だ!」と思ったのでした。
それはもちろん、

「全ての楽器はカラではなくミで演奏されるものだ」ということではないかと。

もっと言うと、「全ての技芸は・・」となっても可?



カニは甲殻類だけれど、人も猫も哺乳類。

哺乳類という言葉はただのジャンル分けの言葉としか認識してこなかったけれど、正に読んで字の如く、「おっぱいを吸う生き物」。

私達の身体はそれに適合するように進化したもので、遺伝子の中に組み込まれた動きだからこそ、生まれてすぐの赤ちゃんは誰から教わる訳でもなく、沢山練習して会得したからでもなく、すぐにおっぱいを吸うことが出来る訳で。

ピピのフミフミを歩行に利用するようになったのも要因の一つかも。
あれも母猫の乳の出を促すための本能的な子猫の動作だから。

この身体(まあ、本当はミだけど、ややこしくなるので、とりあえず・・)に備わった機能を、そのまま使えば良いのでは?

とやってみたら、これがもう大当たり。

「唇というのは、不思議なもので、顔の周囲の皮膚と繋がっているのに、とたんに質感が変わりますね」と20年前、甲野先生が仰っていたことが思い出されました。

更に内側の粘膜の部分は、口腔内と言って良く、「ミ」。

唇もミが露出した部分ともいえるけれど、外気と接しているという意味では「カラ」と分類しても良いかと思う。

通常のアンブシュアの説明はみな、この「カラ」の部分で行われている。
口角ひっぱって、とか口輪筋を鍛えて、とか。

いや、そうじゃなくて、「ミ」でしょうに・・なんてことを考えている。

これによって変化するのは外側の「カラ」ではなく「ミ」の部分。
目に見えやすいカラの動きというのは、ミの動きに付随しているだけではないかしら?

・・カニだと固いカラだからそんなこともないのにね・・

特に頸椎1,2番周辺、そしてその周辺の耳から下の生え際に沿った部分。
全て、ミ、つまり内側から変化するし、これらは皆、腹と繋がっている。

これは先日の音楽家講座で甲野先生にも検証していただき、やはり嬉しい感想をいただきました。

加えて、御教えいただいた、労宮をへこませた効果を持続するためのやり方とも通じていた。

でもこれらの変化は、7月2日以降だからこそで、あの気付きがなかったら、一生わからなかったのでは、とも思います。

相乗効果として、更に肩が下がり、肘を折りたたむだけの構なので、より当て位置が下がりました。普通に吹いたら、去年の私であれば鳴らなかっただろうな、という場所に。

それがむしろより効率よくちゃんと鳴るというのは、ミからの操作でより口腔内、首周辺が使えるようになったからなのかなと思います。

何かを付け足すのではなく、その動きを阻害していたものをおびき出し取り去る、という古の武術の教えの様に、阻害していた「カラ」での操作を取り外していかねばならないなあ、とツラツラ考えているところです。

求める意識の変容は、その暁に起きるのか、はたまた起きないか・・・?