『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

息を使う その2

2023-02-28 23:27:04 | 気付き
やはりブログは忘備録として書いておくもので、書くことで、より心身、深層意識に刷り込まれて、それが次の気付きの土壌になることが多いです。

一昨日は「息を使う・・腕」

昨日は「息を使う・・舌とアンブシュア」という言わば「その2」

眠りに入る前のうつらうつらした時に気付いたのは舌のこと。
以前は明け方にお告げみたいに気付くことが多かったけれど、最近は何故か眠る前。

腕同様に、舌も息を深くゆっくり吸いながら腕と一緒に動かし始めるといいね、というもの。

もう半世紀以上、こんなことはしていなくて、構えてから、「ハイ、タンギングの準備ですよ~」とやっていたので、腕よりも、この所作を身に付けるのに少し難儀しているけれど、アンブシュア周辺の力みの取れ具合が断然違う。結果、第一音目が確実に決まる。
それまで確実じゃあなかったのか?と言われれば、はいまあ、というか、やはり色々と微調整して無理やり「決める」に寄せていたと言わざるを得ない。

ようやく、本日これも何気に出来るようになった。
腕と舌が息のスイッチで同時に動き始めることで、音も、より生き物っぽくなった感じ。
お話しながらのコンサートの時の練習は、話も曲の一部というか流れの一部なので、舞台に出てお辞儀して、マイクを持って、お話しして、楽器を構えて最初の音を出すという練習も。


アンブシュアに関しては、他の楽器の方から助言を求められる機会があることが役に立ってきたと思う。
だからこそ、今回の舌に関しても気付くことが出来たのではないかなと。

先月のレッスンが終わった後で気付いたので、まだ本人にはお伝えしていないけれど、サックスのことを考えていて気付いたことも、今回の気付きのベースになっている。
これも就寝前の気付きだった。

金管楽器やフルートと異なって、リード楽器やリコーダー等の咥える楽器、というのは、その咥え方で、その後が大きく違うよね、というもの。

思えば、これが「息を使う」の最初の気付きだったか・・

その時は、咥える楽器だけの問題だと思っていましたが、金管でも、そしてフルートでも、アンブシュアを作るという意味では、同様だったなあ、ということに今日気付く。

それも、直接ではないけれど、トランペットの方の悩みを間接的に聞き、もし助言するなら・・と考えて思いついたもの。

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「口開けの儀式」
というのが古代エジプトであった。

2019年4月のエジプト旅行以来、エジプトマイブームは続いていて、写真集や文献など読むのが趣味となっている。

死者の書や、ツタンカーメン王墓の壁画等に描かれている「口開けの儀式」

ミイラの口に神官がちょうなを当て、その後、目、鼻、耳、と各器官を開いて、死後の世界でも五感を使って生前と同じ様に暮らせるようにするための大切な儀式。

これはミイラだけでなく、彫像、神像に魂を入れる時の儀式でもあったらしい。

最初に「口」というのも面白い。
食いしん坊なので、昔は、「まず、ごはんを食べるため?」と思っていたけれど・・

そうかもしれないけれど、いや、そうじゃないだろう。

口開けの儀式によって、おそらくその口からまずは眠っていた息が吐き出されたのではないかと。

ちょうなによって、甦らされ息を吐く。その息は深く長い。

古代エジプトに限らず、古今東西全ての民族の信仰や物語の中で、息と霊魂は密接に結びついている。

こんなのも見つけてしまいました。
https://www.gokokuji.jp/houai/conventions/202003.html

そのどれもが、「口から吐く息」?ということに遅ればせながら今気付く。

神様が土くれで造ったアダムの鼻に「命の息を吹き入れた」のも、きっと口からの息だろう・・と思う。

ネットで調べただけなので、定かなことは言えないけれど、鼻から鼻へ吹きいれる、というのはどうにもイメージしにくいし。

シランクスのムーレの詩も
「パンが葦の管に命の息吹を送ると」

日常の意識されない息は鼻でしているけれど、口から吐く息は一種特別な意味を持つのか?とも思う。

口から出される息は、一種「呪」なのだろう。






豊作!

2023-02-27 08:16:36 | 手作り
一昨年は20個以上、去年は5個、そして今年は25個の豊作。

何もしていないので、全くの自然任せですが、このフキノトウも、ライムも、紫陽花も一年おきの収穫となっています。

裏の年、表の年とも言うのだそう。
去年ハ、フキノトウだけでなく、ライムも紫陽花も全くだめでした。

沢山実った翌年は休んで体力の回復温存をしているのかもしれません。

忙しくしていて、うっかり収穫時期が遅くなり、かなり開いてしまいましたが、しっかり洗ってみじん切り。

半分はフキミソ、もう半分はベーコン、キノコと一緒にパスタにしました。



息を使う

2023-02-24 21:44:16 | 気付き
フルートなんだから、息を使うのは当たり前の話ではあるのですが・・

甲野先生に最初にお会いしたのは2003年3月27日(木)。

新宿の朝日カルチャーセンターでした。

全く息の乱れがないままに、相手を崩していることに驚き、恐る恐る質問したのは

「その時、息はどうなっておいでなのですか?」

答えは・・

まだ自分如きが息について語ることはできない。
息は意識すると、とたんに変質してしまいます。
子供や野生動物みたいなもので、息は恥ずかしがりやなんですよ。
唯一言えるのは、息は身体の動きに付随するものだ、ということです。


というものだった。
先生の美しい動きと、この言葉に感銘を受けて、「この方だ!」と心に定め追いかけ始めた。

お陰で、以前からは考えられない程の進展があり今もフツフツと変質中で、本当に面白い。

なので、息を何かに利用する、という発想は全くなかったのですが・・・
「ここしかない右手」に気付いて、それを予めの所作なしで、舞台上で同じ状況にする構え方などやっている中で、いつの間にか、息がスイッチになっていることに気が付いた。

「息を使って何かしてやろう」ではなく、結果として気が付いたのだから、これはこれで良いのではとも思うけれど、気が付いてしまったことで、変質してしまったか??
などと、また悩んだりもして、ややこしい。

とはいえ、やはり、これはどう考えても、最初のスイッチを息で入れている、ということになる。

腕と楽器を消すことで、かなり重さの不可は減ったけれど、それも、消すことに集中している時の「息」がポイントだったのかな?とついつい分析してしまうのは悪い癖か。

ここに来て、初めて意識的に息をスイッチとして使うことになった、というのも感慨深い。

・・・・・
音楽家講座参加者の皆様へのBCCでは2月で20年目と書いてしまいましたが、いつの間にか記憶が編集されてしまって間違えておりました。
失礼いたしました。とほほ。


リペア

2023-02-23 15:33:37 | 音楽・フルート
「両腕と楽器を消す」となりまだ数日ですが、急にロット達が鳴らなくなった。

といっても、故障という訳ではなく、キィを押さえる指の圧がぐんと減ったので、微妙な塞がり具合が変化したため。

力を少し加えれば、鳴るけれど、そうなると、せっかくの響きが損なわれる・・といっても先週までは、それで吹いてたのにね。

ということで、急遽SOSでリペアマン・綾部真樹さんにお願いしました。

幸い祝日の本日、都合を付けていただけることとなりました。

最初は私が川口のご自宅までうかがう予定だったのですが、横浜までお越しいただけるとのことで、感謝!

お互いの都合が付かない時は何日かお預けして、となるのですが、本番8日前、となると、こうして調整し、その場で吹いて、また調整し、を繰り返すことができるのは、本当にありがたい。

こうした微細な調整をしていただいているからこその、ヴィンテージ楽器。

ちゃんと吹いてやらないといけないね、と改めて、心も引き締まります。

ピピはとても綾部さんに懐いていて、大歓迎。

コルクのおもちゃももらって、ご機嫌です。








今2時間10分かけて、初代のリペアが終わりましたが、素晴らしい仕上がりです。

・・全然違う!!💓💓💓



第126回 音楽家講座~甲野善紀先生を迎えて~ in鶴見 2023年2月20日(月)

2023-02-22 12:09:14 | 音楽家講座・甲野善紀先生を迎えて
この日は開始前に事前に雑誌『剣道日本』の取材の方が御二人いらして、先生への取材。

実際に先生と立ち会われて、とても驚いていらしたのが印象的でした。

先生に「いつ発売ですか?」とうかがうと、

「さあ、どうでしょうねえ。記事にならないかもしれないですねえ。」

あまりにも現代剣道の常識からはかけ離れているので、とのことでした。

(平田寺での講座に寄せた先生の挨拶文)
(前略)
今回、この思いもよらなかった基本の間違いに気付いた事から、現在「あたりまえ」「当然」「常識」と言われているものの中に、根本的な問題があるものがかなり含まれているのではないかという気がしています。何しろ私が11月初めに得た気付きは、現代剣道等はもちろん、古流の剣術においても当然と思われている常識の否定ですから、今の私は武道・武術の世界で剣を稽古している人達の99.9%の人々に向かってダメ出しをしているような事なのです。(後略・引用終わり)

それにしても、74歳という年齢を考えると本当になんとお元気なことか、と驚かされます。

今回は初参加の方がとても多い回となりました。

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(お話)
「正しい剣道」などという言葉を使う様になったその結果、剣道界が下火になってしまった。

ここ最近の刀の持ち方から、如何に常識が本質的な進展を妨げられているかということがわかった。
刀は両手で持つ。片てより両手の方が持ちやすい。
片手だけでもだめ。

左を指揮官とするか、従っているだけとするかというのも、またそれで変わってくるだろうけれど、とても大事だけれど、直接使われてはいけない。

左右が協力した方がラクと思っちゃう。でも違う。
剣道は根本的に99.99%間違い。
これを『剣道日本』に載せるかどうか・・?

(現在の感染対策に触れ)身体の感覚がいい加減と思われていて、あやふやは論外というおかしなことになってきている。

(昨年11月に気付き変化した刀の持ち方の方が)圧倒的に使える。
手を離して持つ時は右で左はただついているだけ。
手を寄せて持つ時は左で、右はついているだけ。

『願立剣術物語』に
大将は一人がよく、「なかんずく左の手を働かせること莫大なる非なり」とある。

実感が大事とは言うが、素朴な実感に頼るのもだめ。

感覚とは何か(と深く問い追求することが)あらゆる技芸の世界において重要。

レベルの凄い差はどう表れるか?
「やってもいけないけれど、やらなくてもいけない」
という禅の公案みたいなものである。
ものの妙である。

1978年に独立して今年2023年で45年となるが、今回のものが、一番大きい気付き。とてもわかりにくい。

(実演)
袋竹刀での打ち合い。
(相手が)がんばると先読みできる。
しかし、(抜刀術の応用で)「斬る」「斬れている」斬れるかどうかの動きは読むことができない。
右が助けようとするのを如何に消すか。
バランスをとるのをやめる。消し去る。
自分の中に集中して、何気なくしたことに、相手は反応できない。
やろうとしていないのにしていく。

(音楽でも)微妙に予測を外して。心地良い外され方に感動。
自分自身でも気付かない無欲の。
パッとその世界に入れるか。

「斬る」は予測できない。
「斬る」と「押す」の違い。

全ての技芸の上達を阻んでいる原因は・・
「君が前押せ、僕は後押す」という左右の協力体勢。これが本当にダメ。
協力すると、もっと協力したくなる。
「天才が流儀を滅ぼす」

武術の世界でも、実際の技と教え方が両立していたのは上泉伊勢守くらい。

言語というのは「Aの時B]というようにある程度並んでの判断。
触覚は瞬間。
禅の公案・・矛盾した表現を実感。

「病気が治る」ということはない。
(元に戻るのではなく)次の状態にどんどん変化していくということ。

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(個別指導)
1.歌
先生の術理を応用して声を出したい。

脇紐で深みが増す。
結び目を前にするとより変化。クリアさが増す。
紐なしでも内観的感覚であるようにする。


2.コンサーティーナ(ミニアコーディオン)
ジャバラを戻す時が大変。小指が大変で、左人差し指も痛くなる。肩と背中が痛む。

指紐で響きが増し、指の動きもよくなる。
    「指の動きは結構、緊張と関係します。」と先生。

肩と背中の痛みには紐で四方襷。音がまろやかになる。
    「身体の連動が旨く使えるようになります。理由は・・・わからない。」




3.カタカムナ(ヒーラー)
より人に伝え、人に響くようにしたい。

太刀祓いで歌はもとより、通常に会話している声も響くように。


4.キーボード
独学でやってきていて、好きにやって、という時はよいがフォーマットにはまりすぎてしまうと心がすぐ散ってしまう。

ペダルを踏むのを右足ではなく交差させて左足で。
別の楽器になったかのように響きがまとまる。頭に紐も。
感想:「コアが出来たような感じ」
立体的立ち上がりとなり、響きが深まる。

先生「(所謂一般的な)ピアノには聴こえなかった。あなたは、ちょっとずらすことで色々面白いものを引き寄せてくる才能があるので、絶えず、ずれたところが正解。自分が上手く行っていないと思っている時の方が絶対良い。普通に整えてどうこうという平凡な世界ではなく、ポーンと爆発する世界。これはトラウマを抱えた人に力を与えることが出来る音楽になる。」


5.演歌
先生の術理を応用して声を出したい。

四方襷で響きが増す。

6.アイリッシュフルート
自覚症状として、胸元の緊張が抜け切れず、楽器を鳴らしきれていない。脱力のヒントが欲しい。

四方襷で重心が腹に落ち、響きが増す。


7.ピアノ
左側の筋肉の炎症があり、肘も骨折し、肩、背中、小指、薬指にしびれがある。

「それだけの音を出されているのだから、そのご自身の音を使って治せばいいのでは?
その音に従ってご自分の身体を調整する。自分の持っているもので、解決するのが一番です。出した音が第七頸椎から入って左に流れていくのを感じる。自分の音楽で自分を調整する。」その後、祓い太刀

別人のように深い響き、指の動きとなる。


8.ムビラ(ジンバブエの親指ピアノ、カリンバ)
ジンバブエで教わった師が亡くなってしまい、その師からも「とにかくやり続けろ」としか言われておらず、どうやってこの先まなんで行けば良いか悩んでいる。何か指標が欲しい。

「山の中に入って、鳥が寄ってくるような、自然に溶け込む音を探すのが良い。様々な自然の音がする中で演奏する。自然から教わり、自然に感応する。そうすれば、明確に湧き上がってくるものがある。水滴の滴り。」

(アフターはなし。)


9.アラブ音楽のヴァイオリン
左肩が五十肩なのか痛む。今日も本番だったが、痛い。

祓い太刀で、クリアで深い響きに。

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今回最も印象に残ったのは先生の言葉で

「斬ると押すの違い」

これは、触覚による瞬間と、言葉による時系列、ある程度並んでからの判断との違いにも通じるな、と。

指も舌も目も、耳も、何もかもがメソード、つまり言葉を介して教わり学ぶことで、みな「ある程度の並んでからの判断」になっていないか?など、考えさせられました。

そういう意味で、「自分を飛ばす」「片手を消す」というのは言葉、つまり脳の出しゃばりを押さえる手立てにもなるのかな?等々。

先日から使っている「両腕を消す」に効果があるのも、器用で第二の脳ともいえる手指、腕を封じることで、「押すから斬る」になるのかな??

と?だらけに。

参加された皆様個々の変化、反応もとても感銘を受けました。

左の足でペダル、というのは誰にでも通じるものではないかもしれませんが、300年前のクープランが残した言葉を思い出した。
クラヴサンの教本なので、ペダルはないのですが・・

フランス語の訳文で「幾分右足を外側に向けて」。
この「幾分」は「しっかり」とという意味で使われることもあり、どちらを選ぶかで大違いなのだけれど。通常の解釈では「鍵盤にしがみつかず、お客さんの方を見るくらいにして」というあたりだが、通常まあ、スルーされている箇所。

右足を下げ、左足でペダルを踏む姿勢は、この右側を開く身体感覚にも繋がるのかも?
とちょっと考えた。

あと、以前先生が仰っていた「普段とは反対の動きをしてシャッフルさせる」というのも思い出してみた。

実は数日前から、何故か寝る前に、手を頭の横に挙げて枕を鍵盤に見立ててチューリップが弾けるかな?などとやっている。何故かは不明。
でもこれをやると指や首、頭の疲れが取れる気もする。ちょっと似た感覚があるかも。

コンサーティーナの愛らしい響き、水滴の滴りのようなムビラ、不思議なカタカムナの世界、というのも初めて知った世界で楽しかった。

フルートだけ吹いていたのではおそらく出会うことのない、様々な音と響きに触れることができ、本当に感謝しております。

楽屋で先生の最新技を受けたのですが、かつてないもの。
ドスンという言葉では長すぎるけれど、瞬時に長い柱が身体の中央部に打ち込まれて消えて行った、というような不思議な感覚。
20年、先生の技を味わってきましたが、こんなものは本当に初めてで、不思議です。この新たにいただいた深部感覚の種が、今後自分の中でどう育ってくるのか・・・

今回、希望者が多く、個別指導受講が叶わなかった皆様、申し訳ございませんでした。
次回お申し込みの際に、その旨お書きくだされば、最優先とさせていただきます。

参加された皆様、甲野先生、スタッフの五十嵐忍者、杖の鈴木さん、会場スタッフの皆様、本当にありがとうございました!

次回は同じ鶴見サルビアH.3F音楽ホールにて3月22日(水)です。
どうぞよろしくお願いいたします。