『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

甲野陽紀先生の個別講座 8回目

2022-12-23 21:03:01 | 甲野陽紀先生の個別講座
前回は8月末だったので、ほぼ4カ月ぶりとなりましたが、今回も充実の講座でした。

今回の一番の質問は、やはりなんといっても、音楽家講座でお父様・甲野善紀先生が話された片手の話。

そのきっかけの一つとして陽紀先生との木刀での立ち合いの話をされていたので、そのあたりをうかがいたかった。

そして、「片手」の話も。

陽紀先生のそもそもの気付きは、またお父様のものとは異なっていて、簡単に言えば(まあ、そう簡単ではないのですが)磁石のN極とS極、+と-のような状態にする、というもの。一種、サークルとも言えるか?

根本原理は「一動作一注意」で、その上で、片腕フックに触れたところを動かす、というもの。

これは、浪の下でもすぐに実践でき、誰でもすぐに出来るのが凄い。
実感なく、崩れる相手。
また重い鞄を持つ時にも、嘘の様に軽くなる。


・・・そしてフルートも!?


今回、こうして記述するのは、これだけでは、何のことやら?なので。
最近の中では、最も大きな奏法の気付きだった「ここしかない手」がいわば、その片腕フックとして機能している、と仰っていただけ、フフフ・・!

今回、御教えいただいた方法で、さらに響くようになりました。
また、左右、上下の圧に関してのご助言もとても役に立ちました。

レッスン前に試しましたが、ついつい偏りがちだった重心も整い、息も深まる。

本当に、身体というのは、不思議で面白いものです。


【11/30特別企画_西園美彌×小磯直樹×甲野陽紀の三者語り場~継続を経て得た身体からの学び~】

2022-12-01 10:13:56 | 甲野陽紀先生の個別講座
【11/30特別企画_西園美彌×小磯直樹×甲野陽紀の三者語り場~継続を経て得た身体からの学び~】

駒込で開催された特別企画に参加してきました。

最初に自己紹介を兼ねて、ということで、三者三様のレクチャー。

もうこの数分だけでも来た甲斐があった。

美彌先生は「丹田」、小磯さんは「今ある身体で出来る事」、陽紀先生は「一動作一注意」。

詳細はぜひ、夫々の講座で。


特に美彌先生の骨盤に関する動きは、途端に呼吸が深まり・・!?・・使える・・!!
本でも動画でもまだ紹介していない最新のもの。
実際、その夜試しましたが、より晴々とする響きとなりました。
背中と首が伸び、尻尾まで生えてきたような不思議な感覚です。

そして司会を交代しながらの対談。
講師同士の信頼と連帯感溢れる気持ちの良い場となりました。

小磯さんは、ほぼ同時期に甲野先生と出会った方なので、やはり「小磯さん!」と呼びたいので、先生と書きませんでしたが、内容はもちろん「小磯先生!」。
一番近い世代とはいっても年齢は一回りは下?

陽紀先生は音楽家講座にお父様の代打で登壇された時から「陽紀先生」と呼ぶことにしましたが、それまでは「はるくん」。
最初にお会いした時は18才だった。

今もつい、うっかり「はるくん」と呼びそうになるのですが、ここはけじめということで。

美彌先生も、陽紀先生も、私にとっては子供にあたる世代です。

でも、こうして3人の講師の方々の考え方や思いを知ると、改めて、精神年齢、いや、魂の年齢は余程上だなあ、と感じた次第です。

色々な憂いや心の澱が溶けていき、心身が整うのが心地よかったです。

1時半~5時近くまでの開催でしたが、あっという間の4時間でした。

あと、受付はなんとNHKEテレで講師をされた林さん!
マスクをしていたのと、まさか受付に、とは思わず最初は全く気付かず、失礼してしまいましたが、20年近くぶりにご挨拶。

そういえば、以前、陽紀先生が企画した甲野先生の講座の受付は美彌先生だった!

陽紀先生企画は油断がなりません。
カテゴリーは陽紀先生企画なので、「甲野陽紀先生の個別講座」に。

甲野陽紀先生の個別講座 7回目

2022-08-28 20:09:59 | 甲野陽紀先生の個別講座
7月はWAYAZ合宿などもあり、都合がつかなかったので、2カ月ぶり。

今回は、先日の美彌先生の時に感じた「ありがたい」と、常日頃の自分との乖離、距離を埋めるための相談。

あと、先日のもそうだけれど、何故、いつも音楽家講座で演奏すると、あんなにダメダメになるか?ということで、もちろん原因は甲野先生に良いとこみせたい、という邪念というのはわかっているのだけれど・・
ちなみに、流石に実際のコンサートでは、それどころではないので、そんなこともないのだけれど、やはり素のままの自分は、まだまだ。

このあたりが、いつでも、とにかくフルートを手にしたら、シュっとフルート奏者の心身になりたいなあ、というのが今回の悩み相談でした。

いつもそうなのですが、陽紀先生のお話は、いつもよどみなく、「あ、そうだ。これこれ・・」とまるでドラえもんのポケットのように、次から次に、必要な道具ならぬ教えが出て来る。

例によって「言葉」によるご指導なので、ここに書くことはできないけれど、自分にとっての大きなヒントをいただいたので、キーワードだけ記録。

・指先・空間・他者、  自分・間・他者 、 自分・間・フルート
 フルート体(自分とフルート)・音・他者(観客)

実際に短い棒を掴んで、3通りの意識の置き方を体験したのだけれど、こちらの身体の環境がガラっと変わってしまうことに驚いた。

陽紀先生の研究テーマの一つでもある「間」。
これをどのように捉えることが出来るかで、大きく変わる心身。

「他者が居るからこそ、間は生まれるんですよ。」という言葉にはっとする。

これは仏教の「縁起」にも通じる。

それに何より、ハイデガーの「存在と時間」にも通じると思った。
「存在していること」
自分、道具、他者・・もろもろ。

また、この「間」ハタオの思想にもあてはまる?
「空」だからこそ、というのは「間」といってよいのではないか?と思い至った。

ハイデガーも老子も、最初に植村先生から読むように、と本を差し出されたのだけれど、家の本棚には両方ともあるし、読んだこともある、と言ったら、驚かれたような顔で、喜んでいらしたっけ・・


また先生が持っていない本を私が持っていたのをお貸ししたら、羨ましがられたので、一生懸命神田の古本屋で捜してプレゼントしたこともあったっけ・・

『音楽のたのしみ』ロラン・マニュエル 吉田秀和訳 白水社)全4巻

フランスのFM放送の記録で、イベールやプーランク、モイーズがゲストで実際にその番組で語っているという貴重な記録の本を何故か、父が持っていた。

フルートを始める前、小学生の頃になんとなく読んでいて、なんとなくこの雰囲気が素敵だなあ、と思っていた本。中身もゲストもどんな人かよくわからないままに、芸術家たちの洒脱な雰囲気に憧れていた。

音楽を聴くよりも、本を読む方が好きな子供だったので、勉強するふりをして、父の書棚の本は、ざっくりとではあるけれど、こうしたものからハヤカワのSFマガジンまで目を通していた。

とはいえ、やはり、難しく、どちらかというと、そういう知的な言葉の雰囲気にうっとりとして味わっていただけ、というザツな読み方だったけれど。

と急に色々思い出しました。

20年前に植村先生が読め、と仰ったこの2冊の本と、今日のご指導がシンクロするとは・・

何故、植村先生が、この2冊を読めと仰ったのか、ずっと良く分かっていなかったのだけれど、本日ようやく・・・

それはある意味、フルート演奏法の秘伝になるのではなかろうか。

どちらも、「間」に意識を置くことを暗示しているように思える。

帰宅後、早速、音出ししましたが、息の通りが全く違う。
短い棒を持って実験した時と同じことがフルートでも。

なんというか偏らない身体と心?
甲野先生に良いとこ見せよう、というのは意識が他者に置かれ過ぎて釣り合いが崩れるから、というのも納得。

また音楽家講座で受講チャンスがあったら・・今度こそ!?


以下、学びの記録

1回目・・「フルート体」・末端から動く
2回目・・足 、「ヒトデとウニ」(これは私のイメージ)
3回目・・下駄・目・置く
4回目・・足先・呼吸(間の呼吸)
5回目・・「感じる」と「生じる」の違い・「自分を失くす」・ショートカット
6回目・・「間」、「目的」の取り扱い方。手首、肘裏、歩行、蹲踞 
7回目・・フルート体・音・他者(観客)

甲野陽紀先生の個別講座 6回目

2022-06-24 22:44:53 | 甲野陽紀先生の個別講座
先月は日程が合わず、お休み。
久々の個別指導となりました。

本日の一番の相談は・・
来年3月3日(金)の渋谷・伝承ホールでの演奏に関して。

毎月音楽家講座で使用していて、ここでのコンサートも何度も開催(おそらくもう10回以上はやっているのでは?)している鶴見区民文化C.サルビアH.3階音楽ホールは、100名キャパで、響きもとても良い。

もちろん、アンサンブルなどでは、立ち位置など色々な工夫も必要で、使いこなすのは難しい会場ではあるけれど、フルートにとっては最適な広さ。

王子ホールは315席。
コンサートに特化している素晴らしい会場なので、その響きは国内外の折り紙付きで
一流ホールの一つ。
演奏した2019年当時は今程、私もロットも響いてもいなかったけれど、良いステマネと共演者、そしてこのホールの響きのお陰でバランスの良い本番となった。


でも、伝承ホールは345名のキャパで、鶴見の3倍。
そして依頼されたコンサートなので、演奏という意味では常に同列ではあっても、やはりその責任は重くなる。

おまけに一度も、ここでは演奏したことはなく、人様のコンサートを数回聴きにいったという程度で、殆ど馴染みもない。

伝承ホール、という名前が示す通り、能・狂言なども上演される多目的ホール。
昔の芝居小屋の様な雰囲気もあり中々味わい深いし、もちろん反響板も設置するのだけれど、やはりフルート1本にとってはそれなりの響きを持っていないと厳しい会場だろうな、と思う。

聴き手も、音楽家や生演奏に馴染みのある愛好家であれば、ある意味、自分の耳をその会場に応じて調整、編集するようなところもあるので、それほどは気にはならないかもしれないにしても、やはり諸条件が整った一流ホールと同じという訳にはいかない。

さらには、出演者も観客も殆どがオペラ歌手やその卵・・
ゴージャスにビンビンと、それこそ「響き渡る」声の持ち主ばかりだ。
音量のレンジがフルートとは桁違いな種族だ。

果たして、そのような中で、ロットと私は、皆さまに満足し喜んでいただける演奏が出来るのか?と急に諸々心配になってきている。

鶴見の音楽ホールは100名キャパで、ようやく「会場中に響き渡った」と評していただくことができたけれど、そうなるまでに植村先生、甲野先生と出会ってから約20年かかった。フルートを吹き始めてからはざっと半世紀が過ぎている。

なんとか蛇に怖じずで。あまり深く考えずに進んできたのだけれど、ここに来て、欲が生れた分、怖さも味わっている、という次第です。

つまり「失敗したくない。失敗出来ない。」という気持ちが付きまとうようになってしまった訳で。

過去にもそういう依頼のお仕事はもちろん多々経験してきたけれど、不思議なことに、
そんなことを考えたことは一度もなかった。出来ると思うから引き受ける訳で。

それが、前回のコンサートの評判があまりに良く、「ザ・フルート」のレビューだけでなく、様々な笛吹き関係者からも褒めていただき、コンサートを聴いていない笛吹きからも質問されたり、レッスンや共演の依頼なども受け、音楽家講座のお問い合わせも増え・・

実際、来年のコンサートも、この本番を聴いて感動してくださったからこその依頼。

こうしたプチお祭り状態が今もダラっと続いているので、「もっと」という欲とそれと同時に「次で失敗できない」という恐れが生れた、という次第です。

一番良くないのは。「あわよくば、もっと褒められたい」というもの。

吹き過ぎず、同じ様にやれば大丈夫、というのはわかってはいるものの、いざその場に立ってみなければ、自身の状態はわからない。

少なくとも、今の様な、迷いや不安や欲のある状態で、ゾーンになど入れるはずもなく、良い演奏など出来るはずない、というのはわかる。

そんな煩悩だらけの心への対処方法をうかがってきました。

色々とあるのですが、
これくらいは書いても良いかな・・
陽紀先生の言葉としてリアルに紡ぎ出されるものと、ここで私が記したものでは、そのクオリティは似て非なるものくらいに変わると思うので。

いわば、この記録は出汁殻的なものですが、自身のためにも覚書。

「やらなければならないという具体的な目標があるのは良いことですね。来年に345席の会場の本番がある、と思うのではなく、2年先に1000人規模の会場で演奏する、と思ってやりましょう!」

「自分と他者が直接対決するのではなく、その間の『間』を意識して。その間をどう攻めるか・」

「対峙する他者と価値観のグレードを変える。住む(棲む?)世界を変える」

「自分の方向と空間」

「目的をまず具体的に明確化する。でもその目的をかなえようとすると、大概ダメになる」


さらには、昨日気付いたばかりの左手の問題に関連してもみていただく。

その中で、楽器の保持の問題浮上。

まだまだ手首に難がある、ということは、甲野先生や陽紀先にフルートを構えていただく時にいつも感じていた。

なんて、フルートが居心地良さそうなんだろう?と。
絶対に、私に持たれている時よりもご機嫌は良いと思う。

そして、の解消方法は・・
陽紀さんのオリジナルの稽古法での木刀の持ち方。メウロコだった。

また、手首をなんとかしたい時に手首ばかりに働きかけるのは、まさに冒頭の「目的をかなえようとすると、大概ダメになる」である。

そうではなく・・・
前脚の力みを抜くには、後ろ脚。
こちらを変化させれば、前脚、手首も結果として変化。

腕先にもおそらく連動する肘裏。


以下、学びの記録

1回目・・「フルート体」・末端から動く
2回目・・足 、「ヒトデとウニ」(これは私のイメージ)
3回目・・下駄・目・置く
4回目・・足先・呼吸(間の呼吸)
5回目・・「感じる」と「生じる」の違い・「自分を失くす」・ショートカット
6回目・・「間」、「目的」の取り扱い方。手首、肘裏、歩行、蹲踞


次回がまた楽しみです。



甲野陽紀先生の個別講座  5回目

2022-04-22 21:06:29 | 甲野陽紀先生の個別講座
今回は、3月26日のコンサートのご報告。
こちらにも記した、本番での生まれて初めての体験や変化をお話しました。

最近、銀の5代目ロットも新たな響きとなってきて面白いので、こちらを持参。

「・・・いつもの初代とは違う笛なのですが・・」

と前置きしてからシランクスを吹きました。

陽紀先生からも、

「仰っていたことがよくわかりました。本当に大きく変化されましたね。特に下半身が安定してきました。」

との言葉をいただく。

今後の悩みとしては、やはり、新たな「欲」との葛藤。

「我ならざる我」をいつも発動できるようにしたい。
毎回ゾーンに入れる演奏ができるようになりたい。

これに尽きる。

これは道元が説いている「自分をなくす」にも通じているのかもしれないけれど、自分をなくしたら、じゃあ私は誰?何故私は私として生まれてきたの?

という素朴な問いにも繋がり、これもまた長年の悩みにも通じる。

何故フルートか?何故音楽か?

まあ、面白くてやりたいからやっているのだけれど、それもまた「私」であって、という堂々巡り。

昔、師匠から「ハイデガーの『存在と時間』を読みなさい。」と言われたけれど、ようやく、その領域の話が一番の課題となってきた感もある。

最初から年齢は関係ない、と思ってはいるものの、自身の子供世代に近い陽紀先生の深い見識をうかがえたのは、良かった。

巡り巡れば、自分の為なのかもしれないけれど、それが、その自他の境界がなくなり全部のためになる、という発想は私には皆無だった。

これは「心即理」という陽明学の教えにも通じている。

・・ああ、私は還暦越えても私欲まみれ・・
私と他者との境界線は、線というよりも壁に近いかも。

このあたりを乗り越えるためにフルートで修行しなさい、と何者かに言われてやっているのかもしれないなあ、とぼんやりと思う。

そして感覚という曖昧な言葉に関しての知見。
前回は「呼吸に関して研究しているんですよ~。」
ということで、「間の呼吸」をお教えいただき、これがお守りの様に、本番の時に役立った。

そして今回は「最近は『感じる』ということを研究しているんですよ~。」
ということで、お教えいただいたのは「感じることと生じることの違い」

これは、「自分を失くす」にも通じて来るもので・・・

やはり陽紀先生の教えは一言でポンと通じる人には通じるものなので、詳細は書けないけれど、これもまた日々のフルートとの付き合い方、稽古の仕方の大きな柱になる教えとなった。

そして「我ならざる我の発動」「自分はアシスタントに徹する」ための準備として、今、私はざっくり数えても

・コモドドラゴンの手の内
・羊座りの立ち方
・首
・四肢の圧
・間の呼吸
・目の呼吸
・抜刀の構え
・鯉口の手の内
・浮き構え
・手と反対側の足指操作
・より下にあてる

・・・などなどの確認をしてからようやく一音出す、というのをやっていて、少しずつそれが「普通」の身体にはなりつつあるけれど、ここが雑だとやはり「主役」は来てくれない。

でも、状況によっては、ここまで丁寧に出来ないこともあるし、おそらくこの「準備」の要素はこれからも増え続けていく・・・

なんていう話をしたら、

「ショートカットメニューを作ればよいのでは?」

なるほど。

これだけは外せない、というものに絞り込む。

これは、また今後の進展に伴って変化していくものではあるけれど、以下の3つに絞りました。

「1.コモドドラゴン、2.四肢の圧、3.手と反対側の足指操作」

これを忘れなければ、他のことは付随してくるような気もする。

羊座りや目の呼吸、間の呼吸は、もちろん大事だけれど、意識しなくてもやるようになってきているので。

以下、学びの記録

1回目・・「フルート体」・末端から動く
2回目・・足 、「ヒトデとウニ」(これは私のイメージ)
3回目・・下駄・目・置く
4回目・・足先・呼吸(間の呼吸)
5回目・・「感じる」と「生じる」の違い・「自分を失くす」・ショートカット