お天気にも恵まれた一日。
先生は講座が続いていて、御忙しさは加速しておいででしたが、お元気そうなご様子に一安心。
沢山の参加者にお越しいただけました。
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(お話)
ここにきて、技の進展が今までに経験ない程に進んでいる。
やることが山の様にあり、中々稽古もままならないが、数分やると(気付くことが)必ずある。
体力的には衰えたが、若い頃の私がせめて、今から10年くらい前の私(の技のレベル)であったらどれほどよかったか。
なんで時間も熱意もあった40年前に気付かなくて、「今」なのか。
若い頃は徹夜で木刀を振って見当はずれのことをやっていた。
それは、やればやるほど「ヘタ」の癖をつけるようなことをやっていた、ということが今、わかった。
学ぶ中において、自分の中の自己肯定感を持った方が良いのか否か?
(知友で精神科医の)名越先生は、教育分析は、自分を含めて全宇宙を呪い殺したくなる程の自己嫌悪まで、そこまで自分を追い込んで、そこから浮かんでこないと、使い物にならない、と言っている。
でも、それだけではないものもあるのでは?
小林正観は「ありがとうを25000回言うと人生が変わる」と言っていた。
とある産業医だった医師はカウンセリングだけで治療していた。
プラシーボ効果というものはある。
心のありようで、全てが変わる。
(自分自身は)1月9日に凄く不思議なことがあり、2月18日に袈裟斬りが下手なのを意識し、それから変化した。
芸事、技芸、というのは身体を通して何かをやっている。
(これを追求する人は)「業が深い」
芸術とは何か?
明確なようで、明確ではない。
その人の主観による。
そこに「絶対」を持ち込むと問題が起きる。
人間(全般)がそもそも業が深い。
どう感じるか、感じ方があるだけ。
妙好人(浄土真宗の篤信者)はただ「南無阿弥陀仏」。
人に意地悪されても気にならない。
(修行が前提の)禅と(浄土真宗の)他力本願とは正反対で対極にあるようだが、とてもよく似ている。
「我が身に起きたことは全て必然」と受け止めている。
「無住真剣術 」はただ上げて落とすだけ。
三代真理谷円四郎 は典型的な例。1000度の不敗だったが、「絶対」を持ち込み弟子に敗れ、その後この流派はゴタゴタして滅んだ。
若い頃まなんでいて、どうということないと思っていたのが、それが宝の山だった。
「正しい剣道」等、よく言われているが、(そうではなく)何が正しいかわからないままなのは有難い事。
長州の生き神と呼ばれた治療家・松下松蔵など、人間ってどれ程不思議な存在かと思う。
心が変わると自分がどういう価値観を持つか、その願いの基もとは何だろうとなってくる。
身体を使ってやっていると使わないよりもヒントがあって良い。
楽器演奏であれば音の違い(がヒントとなる)
もう一人の自分と話しながらやっていく。
この音楽家講座が始まってからもう22年だが、こんなことを話すのは初めて。
今年、来年と、大きく変わる年でもあるようで、(今のところ)表面上は変わらなくとも、いつ何が起きるかはわからない。
(こうした中)一番の準備は自分が生きているということに「問」を持ち、それを考えられる人になっていること。
幸せも不幸もただそれを感じる心があるだけ。
日常の中でそれを感じられるか否か。
固定はしないでいて、それに柔軟に対応できるようになっていることが大切。
(そうなってくれば)楽器演奏であれば、自分の内側を掘っていけるようになる。
「自分なりの音」
自分が納得がいくかどうかを よりはっきりさせておく。
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(個別指導)
1.ギター弾き語り
ギターは1年前に始めたばかりで、弾き語りの意識が定まっていない。
どちらを意識すればよいのか?
頭に丸紐で、歌とギターが調和し、一体感が。
声の響きもより飛ぶように。
(先生)「『あう』が大事。自分が生きている流れに『あう』」
2.オペラ歌手・バリトン
より良い姿勢、声を求めたい。
胸紐(今回初の巻き方・肩から下げることで脇下によりゆるく捲ける)で響きが増す。
3.一般
自転車事故で左肩甲骨を骨折してから歩き方に違和感があるのをなんとかしたい。
(先生)昔の日本人は歩く時も膝を延さなかった。前に身体が倒れていくようにし、それに足がついてく感じにするとよい。
四方襷でも少し変化があったが、その後の両手の指紐で大きく変化。
歩幅が広がり、足音もソフトに。
4.カーヌーン(トルコの琴)
緊張してしまうのをなんとかしたい。
トレモロが難しいので、なんとかしたい。
指紐で、音の粒立ち、響きが増し、トレモロもクリアに。
5.うた
声がこもりがちなのをなんとかしたい。
胸紐を肩から下げる方式で響きが増す。
6.ヴィオラ
指導者から上半身しか使えていないという指摘を受けている。より楽器と一体化した音を出したい。
足指に紐で響きが増大。そのままソックスを履いて、靴を履いても効果は変わらずあった。
7.フルート
吹いていると窮屈になってくる。
最初からキーを持つのではなく、肩関節の捻じれに沿った持ち方で移動させた後にキーに指を置くやり方で、大きく変化。特に右側の抜けがよくな
8.フラメンコギター
左右の足の位置を変えてみたがどうか?
(先生)弾きやすければ、そちらで良い。
指紐で響きが変化。
9.俳優
歌専門ではないのに、5月の公演で歌うことになってしまった。なんとかしたい。
祓い太刀で響きが変化。
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今回最も感じたのは、受講された方々のビフォーアフターの差の大きいことでした。ただ技術が上達し、響きが増したというだけではなく、所謂「品格」が増したという表現が最も適切かもしれません。
先生の進展がそのまま、音楽家講座参加者にシンクロしてくる、というのは過去にも経験していますが、今回は、それがより顕著に表れたのではないかと思いました。
今回の音楽家講座に関して、先生が後日ポスト(ツイート)されていたので、ここにも掲載しておきます。
(引用開始)
昨日、17日の鶴見の音楽家講座では、最近私の中で考えている技の上達法に関することを、ちょっと今まで行なったことのない視点から述べて、その後、具体的な質問を私にされる方への個別対応を行なったが、私自身の感覚でも、今までとは明らかに違った感触があった。 そして、この日気付いた、今までほとんど自覚してこなかった発見は、この音楽家講座に参加されている方の多くに見られる「楽器の演奏を上達させたい」と思われている方も、私のように武術の技の研究検討を行なって、より上達を目指している者も、共に「業が深いなあ」という事である。 もっとも、様々にテクノロジーを発達させ、便利な世の中と引き換えに環境を破壊し、多くの他の生き物を絶滅させてきた人間の行為も「業が深い」ことは確かだが、一見環境破壊とはまるで異っている技芸の上達へかける思いが「業が深いなあ」と思った事に、そう思った私自身、一瞬戸惑ったが、その戸惑いと納得が同時に私の心の内に起こり、不思議な気持ちになった。 そして、その思いが、より技の上達を促進させる事が確信できるので「これは自戒しなければならない」と強く思った。 この不思議な心境については、どれほど文字を費やして説明しようとしても、これ以上は上手く伝わるとは思えませんので、このぐらいにします。(引用終わり)
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カーヌーンは音楽家講座初登場の珍しい楽器でしたが、心身が引き込まれる魅力的な響きでした。ちょと砂原さんが弾く64鍵ミニピアノと通じると感じたのは単弦だから?
そして受講された方のフルートを携えられた先生の姿をパチリ。
とても調和していて美しく、一体感があり、まさに「フルート体」。
・・・今にも一曲奏でられそうなご様子・・
開催前に、楽屋でピピのトイレの世話で少しだけ痛めた右膝に関して相談したところ「感謝することですね」と先生。
「え!?誰にですか??」
「膝にです。」
とびっくりでしたが、今回のお話をうかがい納得しました。
祓い太刀などもしていただき、24日の本番に向けて万全のコンディション。
懇親会も和気あいあいの楽しいひと時で、この日のお話の影響かもしれませんが、思わず「いやあ、本当に幸せだなあ・・」と呟いてしまったくらいでした。
参加された皆様、会場スタッフの皆様、スタッフのAさん、そして甲野先生、本当にありがとうございました!
5月はお休みで次回は6月12日となります。
その後7月、8月は夏休みとなり、6月12日以降は、しばらく鶴見での開催予定はありませんがご容赦くださいませ。
どうぞよろしくお願いいたします!