『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

第116回音楽家講座in鶴見~甲野善紀先生を迎えて~ 4月26日(火)

2022-04-28 01:56:56 | 音楽家講座・甲野善紀先生を迎えて
家を出る時は、嵐のような横殴りの雨。
着物を中止にして、麻の90才のウクライナワンピースと長靴にして鶴見へと向かいました。会場についてからは長靴を深緑色の別珍の厚手の足袋に履き替えました。
足袋でワンピースというのもヘンな恰好だったかもしれませんが、機動力は抜群で、音もたてずに走り周れるので、快適。次回、普通の靴の時もこれにしようかな・・

今回は、かなり大勢の方にご参加いただきました。
参加者の7割が初参加。
時間の関係から個別指導のご希望に沿えないこともあるので、色々と案じていましたが、御配慮し遠慮してくださった方々もおいでで、そのお陰で順調に進めることができました。
今回、このことが最も心に残りました。

同じ料金なのだから、個別指導のご希望がある場合は、それは当然、受けられる方が嬉しいはず。最初に挙手いただいた時は11名か12名のご希望があったのに、休憩時間前のじゃんけん大会では7名になっていた。
果たして自分に置き換えてみると、そんなことが出来るかどうか?
私自身を顧みると、そんなことは思いもよらないと思います。
きっと甲野先生のご指導を楽しみにされていたことと思うのに申し訳ないことです。
本当にありがとうございました。
次回エントリーされる場合は個別指導ご希望の場合の順位を優先させていただきますので、ぜひ、お申し込みの折に、その旨、お知らせください。

そして、甲野先生。

「最早、疲れているのかいないのかもわからない状態です!」

と仰るほどの強行軍のスケジュールの中、開催してくださいました。
さらには、関西名古屋の旅で得た新たな気付きと技を披露。
前回感じた透明感と技のキレはさらに増しておいででした。

(お話)
2年半前にバリに行った折に、夢想剣にも通じる、影観法の気付きを得た。

フロー、ゾーンに入る、もう一人の自分がやる、ということ。

2017年、早川書房『超人の秘密』の帯を書いた。

自分が自分じゃない世界に入ること。

2019年、70歳と半年だったが、屋根からチェーンソーを持ったまま落ちた時に、チェーンソーを瞬時に持ち替えて枝を掴んで地面に落ちずに済んだ。これがまさに「我ならざる我」の発動。

今年も、2月の終わり、3月、4月と気付きが続き、先日4月23日の名古屋の稽古会ではシニア・73キロ級の柔道の日本チャンピオンとやっても技が効いた。

人は出来ると思わないことは思いつかない。

弱くて良い。強くなろうとしない。
逃げることだけ考える。
「わー、怖い、助けて!」という気持ちで、何者かに任せる。

村上和雄(分子生物学者)が言っていたが、何かしらの生命体が生まれてくる確立は1億円の宝くじが100回当たる確率よりも多いのだそう。

何かしら生命を生み出す、サムシンググレートの意図があるはず。

自分がやっているかんじがあるとだめ。

何かのためのアシスタントに徹する。

そのアシスタントの気が利けば利くほど、より良いサムシンググレートが発動する。

(杖の実演)
杖の動きの様に、いつとはなしに変わって行く流れ(を稽古する。)
如何に自分がそれをやらないか(が重要。)
身体に浮きがかかってくると両足が同時に動く。
それは体重が下にいっていないから。

自分自身がやっている感じがしないのが何よりも大事なこと。

(木刀での実演)
全身でやることが大事。
下段の構えからの動きでは、手は使わない。
足が同時に動いて腰が運ばれる結果としての動き。


頭は自分のやっていることを把握しようとするが、それを手放すことが難しい。
浄土宗や浄土真宗の他力本願に通じる。
浄土真宗などは『修行禁止』なのだそう。

弱い自分を認めて、自分を強くしようとは思わない。(ゆだねる)

カリスマセールスマンは初めての人を訪問するのに「初めて感」がない。
相手に「久しぶり!」と思わせる。
ドアを開けて顔を見た瞬間に相手がその雰囲気に入る。

(よく言われているところの)
「基本をしっかりと身につけよう」という「基本」はいわば「基本モドキ」

基本は大事である。
大事だけれど、それは何十年もかけて身に付くものであるし、その大切さが段々にわかってくるものである。

殆どが言って(言葉で説明されることで)頭を経由するからだめ。

まず基本なんて身に付けられるはずはない。

教え方として「まず基本を身に付けろ」というのはセンスがない。

「才能ある人」というのは、子供の頃から(周囲の手本となる人を)見ていて、言葉を通さずにダイレクトに伝わっている。
中国のピアニスト、ユジャ・ワンなどは、そうした天才の一人ではないかと思う。
完全に、委ねてしまって、我ならざる我ゾーンに入っている様子の演奏だ。

段取りさえ良ければ「何か」がやってくれる。

「上手くなる」「強くなる」をやめる。
なまじ強いと・・

「信じる心」が大事。

職人の世界では「段取り9割」と言われている。

自分が上達すると思うか、お世話を上手くするか。

場所を整えるのにもレベルが色々ある。
気が利けば利くほど、凄いサムシンググレートが発動する。

ひたすらお迎えする場を整えれば、後は自動的に。
人が生きている、ということはそういうこと。

山崎弁寧曰く
「如来も菩薩も親戚のおじさんくらい」

整え方は人夫々

「俺が俺が」の精神をやめる。
ただの助手であろうとする。

気が弱いままで良い。

(技でも)自分の意識のものは払われる。
弱くなればなる程、技が効く。

人は不思議。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(個別指導)
1.ニッケルハルパ奏者二人

スウェーデンの伝統楽器。
大きなヴァイオリンみたいなのに、左手はタンジェントで、という構造。



カンブリア紀に様々な形態の生物が爆発的に登場したけれど、その中のアノマロカリスをなんとなく連想。

こうした楽器も、16世紀、様々な試みが成された楽器のカンブリア紀に生まれてきたものの一つなのだろう。

その響きは北欧の爽やかな風を含んでいるようだった。


練習のし過ぎで手を痛められたという方には指紐。
2重奏でも、瞬時に変化した響きが聴こえる。




そして楽器の重さが首に来るのでなんとかしたいというご質問には、奏者の快諾を得て
実際に、先生に楽器を構えていただき、さらにミニレクチャー。
すぐに音が出て、驚くも、これも「浮き」がかかっているからこそなのだろう。





「ああ、これは実際に弾いたからこそわかりました。ヴァイオリンではここまではっきりとわからなかったですが、この楽器は音の違いで首にどう来るかが全く違います。だからそれに合わせて全身でやっている感じがあると良いです。絶えずダンス、踊っている感じで。ステップ踏んでる感じで。そうすれば首に負荷は全く来ないです。」

(これはフルート、そして他の全ての楽器にも大きな示唆、収穫となったと思う。)




2.緊張すると首が傾いてしまう、というご相談
  ジストニアの一種で交感神経が優位になると起きてしまうのだそう。
  先生の祓い太刀。「視界がクリアになった」との感想。
  


3.久しぶりに弾くというピアノ愛好家には指紐で、粒立ちと響きの変化が。


4.腰痛のご相談には・・

「腰痛に関しては、身体をどう使うかというのが世界の主流になってきている」
 
   自分でやろうとしないこと。そのための稽古としては、
   ひとりでに立つ稽古と人間毬を。
   
   人間毬はコツが要らない分、かえって難しいが、
   椅子からひとりでに立つ稽古では、新たなコツを。
   踵を少し浮かせるというもの。

5.オペラ歌手
やること、考えることが多すぎる。
  考えるとお客さんに伝わるものが減るのではないか?
  全部やめて何も考えずにやるには? 

 との質問に先生は
   
  「その中に居て、何かに委ねていければ」と脇紐。
   
   結果、元々とても声量のある歌声だったものが、質も変化し、
   天井から降ってくるような響きに。俗から聖に、という感じに変化。

  沢山息をとろうとすると固くなるのには、

   「余計なことをしないで任せて」

  信仰心はパフォーマンスに影響するか否か?

   「影響するでしょうね。『何か』に対する信仰心はあります。何故なら、
    こうして(技を行うたび)信仰が確かめられる。」

  高音が怖くていつも身構えてしまうのですが・・?

    「その時、『何か』に任せきる感じが出ると良いのでは」

  プロの演奏では感動出来ないのに、子供が声を合わせていると感動する。
  それは何故?感動するしないの原理は何?

  「慣れているところを辿ってやろうとすると、『感動』は難しい。
   曹洞宗のお坊さんの北野〇〇は刑務所で2時間の講和を頼まれた時、
   『皆さん、本来こんな処に居る人じゃない。浄土で会おう。』と20秒話して
   席を立った。その後2時間、皆すすり泣きが続いたそうだ。」

 
  オペラでは3時間200人と関わる。その中でどうすればよいか?

   「とある職人の集まりで、会場がざわついている中、ピタっと姿勢を決めて一言
    言ったら、パタパタパタと将棋倒しの様に静けさが広がったという話がある。」


  オーディションでの緊張には?

    平静でいられるための労宮のツボに働きかける手の内を紹介。


6.ジャズギター
  立ち方、姿勢に関しての質問に、鎖紐による四方襷。
  瞬時に姿勢と響きが変化。
 「スゲー」という思わず漏れた当人の感想。

 効果の一端として会場からくすぐったがりの人を選び実験。
 「くすぐったり屋さんは笑顔で見分けることができるんですよ。」と先生。
  実際そうだった。
 くすぐる真似をするだけでも、観をよじって笑ってしまうのに、鎖紐の四方襷をする
 と動じなくなった。


7・クラッシックギター
  足台に載せている左足太ももの違和感。段々と左足が張ってくる。とのこと、
  
    鎖紐の四方襷で、姿勢、響き共に変化。
  「ふ~~ん・・」と思わず漏れた当人の感想。
  

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
春の嵐の様な天候の中、お越し下さった皆様、お手伝いくださった皆様、
本当に、ありがとうございました。

次回は同時刻同会場にて5月9日(月)です。
どうぞよろしくお願いいたします。




甲野陽紀先生の個別講座  5回目

2022-04-22 21:06:29 | 甲野陽紀先生の個別講座
今回は、3月26日のコンサートのご報告。
こちらにも記した、本番での生まれて初めての体験や変化をお話しました。

最近、銀の5代目ロットも新たな響きとなってきて面白いので、こちらを持参。

「・・・いつもの初代とは違う笛なのですが・・」

と前置きしてからシランクスを吹きました。

陽紀先生からも、

「仰っていたことがよくわかりました。本当に大きく変化されましたね。特に下半身が安定してきました。」

との言葉をいただく。

今後の悩みとしては、やはり、新たな「欲」との葛藤。

「我ならざる我」をいつも発動できるようにしたい。
毎回ゾーンに入れる演奏ができるようになりたい。

これに尽きる。

これは道元が説いている「自分をなくす」にも通じているのかもしれないけれど、自分をなくしたら、じゃあ私は誰?何故私は私として生まれてきたの?

という素朴な問いにも繋がり、これもまた長年の悩みにも通じる。

何故フルートか?何故音楽か?

まあ、面白くてやりたいからやっているのだけれど、それもまた「私」であって、という堂々巡り。

昔、師匠から「ハイデガーの『存在と時間』を読みなさい。」と言われたけれど、ようやく、その領域の話が一番の課題となってきた感もある。

最初から年齢は関係ない、と思ってはいるものの、自身の子供世代に近い陽紀先生の深い見識をうかがえたのは、良かった。

巡り巡れば、自分の為なのかもしれないけれど、それが、その自他の境界がなくなり全部のためになる、という発想は私には皆無だった。

これは「心即理」という陽明学の教えにも通じている。

・・ああ、私は還暦越えても私欲まみれ・・
私と他者との境界線は、線というよりも壁に近いかも。

このあたりを乗り越えるためにフルートで修行しなさい、と何者かに言われてやっているのかもしれないなあ、とぼんやりと思う。

そして感覚という曖昧な言葉に関しての知見。
前回は「呼吸に関して研究しているんですよ~。」
ということで、「間の呼吸」をお教えいただき、これがお守りの様に、本番の時に役立った。

そして今回は「最近は『感じる』ということを研究しているんですよ~。」
ということで、お教えいただいたのは「感じることと生じることの違い」

これは、「自分を失くす」にも通じて来るもので・・・

やはり陽紀先生の教えは一言でポンと通じる人には通じるものなので、詳細は書けないけれど、これもまた日々のフルートとの付き合い方、稽古の仕方の大きな柱になる教えとなった。

そして「我ならざる我の発動」「自分はアシスタントに徹する」ための準備として、今、私はざっくり数えても

・コモドドラゴンの手の内
・羊座りの立ち方
・首
・四肢の圧
・間の呼吸
・目の呼吸
・抜刀の構え
・鯉口の手の内
・浮き構え
・手と反対側の足指操作
・より下にあてる

・・・などなどの確認をしてからようやく一音出す、というのをやっていて、少しずつそれが「普通」の身体にはなりつつあるけれど、ここが雑だとやはり「主役」は来てくれない。

でも、状況によっては、ここまで丁寧に出来ないこともあるし、おそらくこの「準備」の要素はこれからも増え続けていく・・・

なんていう話をしたら、

「ショートカットメニューを作ればよいのでは?」

なるほど。

これだけは外せない、というものに絞り込む。

これは、また今後の進展に伴って変化していくものではあるけれど、以下の3つに絞りました。

「1.コモドドラゴン、2.四肢の圧、3.手と反対側の足指操作」

これを忘れなければ、他のことは付随してくるような気もする。

羊座りや目の呼吸、間の呼吸は、もちろん大事だけれど、意識しなくてもやるようになってきているので。

以下、学びの記録

1回目・・「フルート体」・末端から動く
2回目・・足 、「ヒトデとウニ」(これは私のイメージ)
3回目・・下駄・目・置く
4回目・・足先・呼吸(間の呼吸)
5回目・・「感じる」と「生じる」の違い・「自分を失くす」・ショートカット


春爛漫

2022-04-21 11:10:21 | 日常
桜はもちろん毎年しみじみと美しく感慨深く、好きですが、まだ肌寒く、スギ花粉も飛んでいるので、どちらかと言えばペシミスティックな気分で愛でていることが多い花です。

その桜が散って、花水木が咲き始めるとようやく春爛漫といった晴々とした気分になります。

最近は、この花水木の街路樹も増えてきて、わざわざ遠回りをして歩いたりすることも。

白やピンクの花だけでなく、若葉の緑も一緒に楽しめるのも良い。



まだ寒暖差もあり不順な気候の4月ですが、火曜日はとてもよいお天気となりました。

久々に夫と、共通の知人であるWさんと3人で中華街にランチに行きました。


関内の駅を降りてすぐにある野球場横の公園のチューリップが満開で美しかったです。


その数の多さに圧倒。一体何株植えて育んだのだろう?とその手間暇に感謝し、思いを馳せる。

そして本当に様々な種類があることにびっくりです。

来年もこの季節に行きたいので、忘備録。







4月の設え

2022-04-19 01:42:32 | テーブルコーディネート
もう半ばすきてしまいましたが・・

取り替えてはいたのですが、外出が続いたり、気付きが続いたりで、アップする間がなかった・・

今回、最初はいつもの水色のテーブルクロスに、昔、コバーチ先生からいただいたハンガリーの刺繍のクロスをかけ、兎さん達大集合にしていたのですが・・



珍しく夫がお茶をドバっとこぼしてしまったので、すぐに洗濯。

この際だから、とガラっと替えて、今度は燕さんたち大集合に。



みな、2018年にポルトガルで買ってきたもの。

 ・・あの頃は、世界がこんな風になってしまうなんて、誰一人として思ってもみなかったよなあ・・

かつてない渋さの設えになりました。
レッスン前、生徒さん用お茶のセッティングもして。
・・おままごとの続きをしているような感じではありますが、こういうのが楽しい。



実は一番変化したのはソファーカバー。

先日のコンサートではドレスの評判も上々だった。

特に、後半の水色のシルクのものが。

その上、とても演奏しやすく、音の響きも断然こちらが上。

となると、すぐ色違いが欲しくなるのは悪い癖。

ネットで、手頃なシルク生地はないかしら?と検索。

この巻き付けただけのなんちゃってドレスは共布のストールがあればこそ、それなりに見栄えもするので、必要な長さは5メートル。

色艶ともに気に入ったものがなかったのですが、そんな中、インテリア用の厚地のタイシルク5メートル、というのと遭遇。色も質感も好み。値段も7000円弱。

え?1メートルだって、もっと薄いものでも、それくらいするじゃない?この暑さだったら、もっとかも?それが5メートル?と釘付けに。

流石に、ドレスは難しそうだけれど、ソファカバーが作れそう。
だめでも、クッションカバーとか、色々遊べそう・・と即決。

幸い、丁度良い長さと幅がありソファー2台分のカバーを作ることができました。



余ったのは15センチ分で、それはヘアバンドと山葡萄の籠につけるリボンに。

余すところなく使い切り大満足。

ミシンは手も縫い込みそうで怖いのと、音が苦手なので、昔は母が持っていたものはもう何十年も前に処分。

手縫いは、雑な手ではありますが、好きなので、チクチクと、食後の時間にやって、3日くらいで完成。
縫った長さは合計16メートルくらい。がんばりました。

昨年末から編み物ブームだったのが、手縫いブームにシフトした感じ。
こうした手作業は、何かしらメンタルにも良い気がします。

実は、コンサート当日も、コットンの糸で小さなストールを5段くらい編んでいた。

厚手のタイシルクは厚紙みたいに扱いやすいのに、針の通りはなめらかで、縫っていても楽しかった。終わってしまって残念。

テーブルランナーもシルクで、これはポルトガルのオビドスで買ったもの。

完成したソファカバーは
なんともいえないしっとりした手触りで、座り心地は最高。

結婚した時から使っているソファはマルニの地中海シリーズで、とても丈夫で、30年以上経つのにちゃんとしている。

とはいえ、流石にビロードのような緑の生地はへたってきていて、張替も出来るのだけれど、見積もってもらったら新たに購入するのと同じくらいの価格で、あっという間のウン十万。

ちょっとそこまではなあ、ということで、この十年くらいは、カバーリングでしのいできたのですが、なんちゃってではあるけれど、憧れのシルクのソファーに!?

それも、元のソファーと似ている好きなややくすんだ緑色。

ものとの出会い運も絶対あると思います・・

そして、ふと気が付くと、今度は色違いで厚地のシルクを探していたりして・・

長生きルスカスは最後の一本に。

色はやや黄色くなってきましたが、ちゃんと葉からは新たな芽が。
あと3か月で2年目を迎えます。



気付きが続く・・

2022-04-16 23:51:35 | 気付き
昨日はレッスンもお休みで、全くフルートも練習しませんでした。

雨で寒かったこともあり、一日、階段下の収納庫の片付けを。

・・まあ、片付いてはいるのだけれど、お風呂掃除ブラシのアダプターが何故か行方不明。

夫に悟られずに、探し出さねば、何と言われるか・と思うと、必死にもなる。

結局は、アダプターは見つからず、「実は・・・」と告白したところ、大いに笑われ、
じゃあ、アダプターだけ買えるか調べてみよう、ということになり説明書をみてハっとした。

:::黒・・?

ずっと白いアダプターを探していたのでした。
マッサージ器具のアダプターはみんな白いから白だと思い込んでいた。

お風呂掃除で、電動ブラシを使うのは月に一度くらいだし、夫が担当なので、記憶になかったのでした。

でも、その黒いのなら知っている。
電気関係は、ここにしまいましょう!と、電球や延長コードなどしまっている引き出しの中に入れたのでした。すっかり忘れてた。

良かった!

アダプタ一つでも、もう数日前からとてもストレスになっていたので、ほっとして、開放感。

その上、収納庫もよりスッキリときれいに整って、「やった!」という充実感も。

以前、甲野先生が話されていたことを思い出した。

普段は、ああ面倒だなあ、と思う食後の洗い物でも、断水となって、その後、水が流れるようになった時は、喜々として、洗い物も嬉しく感じる、というお話・

ちょっと、それに似ている。

・・・・・・・・・

そして本日はリモートレッスン。

ここでも、四肢の圧を揃えること、個々の指の圧を揃えることなどをご助言。

これにより、ずっと出来なかったというハーモニクスの稽古もスルルと出来た。

人の身体の不思議を様々な方のレッスンのたびに感じています。

そして、また自分自身でも聞き入っているようなあの感覚が降りてきて喋っていた。

「だから、最初から足と手の夫々全ての指の圧を揃えておくといいんですよ。そして、
骨盤底筋あたりとの繋がりを感じて。指の骨の先端を感じて。」

この「最初から」というのが、きっとピピや、四足歩行の生き物はきっと「常に」ではないのかと思う。

これが新たな自分の「普通」になれば・・?

レッスン終了後は、そのまま練習したのだけれど、この新たな「普通」を楽器に触れる前からやることで、びっくりするような音に。

・・これが初代ロットの音だったのか・・??

先日のコンサートで沢山の方に褒めていただき、自身でも、人生初のゾーンには入れた演奏で、喜んでいたのだけれど、「知らないとは恐ろしい・・」と愕然となった。

いや、「浅いよね、、これじゃあまだまだ」とは思ってはいた。
でも、そこそこのことは出来たよな、くらいには思ってた。

それが、もうなんというか、別次元の音と響きで、同じ曲(バッハチェロ組曲第4番)が全く別の作品に聴こえるほど。何を吹いても同様で。

この練習の時に思い出して、より丁寧に加えた技はもう一つ。

・・これが本当の「指先確認」・・なんちゃって・・

先日のリモート雑談会でお話していた圧の揃え方。


「まず力んでからリリースして丁度良い釣り合いを作る」

これが果たしてよいかどうか、はわからないけれど、今の自分のレベルでは、これが使い勝手が良い。


・・・いや、力むというよりも・・
ピピがいつも寝起きや、動き出す時にやっている、あの伸びみたいな動きに近いか・・
前脚と後脚を一回ずつ必ずやっている。

あれを指先レベルでやる。

あまりの響きの変化の大きさに、恐ろしくなってしまって、1時間くらいで練習を切り上げた。

こんな時凡人は、嬉しいというより気味悪い、となることを知った。
そして怖くなった。

いつもより少し丁寧に初代ロットを拭いてやり、謝りながら語りかける。

「・・ずっと、こういう音が出したかったんだね・・」

ロットの返事は聞こえなかったけれど

「まだまだ、こんなもんじゃないけどね」

というものだろう。多分。