『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

お別れ

2022-05-23 22:44:41 | 音楽・フルート
フルートの、そして人生の師でもある植村泰一先生(88最)が16日に誤嚥性肺炎のため、ご逝去された、との連絡を受けたのはレッスン帰りの電車の中でした。

頭が真っ白になって、途中の駅で降り、知らせてくれたIくんに電話。

コロナ禍の中、レッスンも中断され、ずっとお会いしていなかったけれど、コロナも以前よりは落ち着きつつあるし、良い季節になってきたので、そろそろまた伺いたいなと思っていた矢先でした。
その夜は、何人かの関係者に連絡したものの、実感はなく、ただただ茫然、といった感。

翌日は、朝からいつも通りに掃除洗濯などしている自分が不思議な感じがしました。

フルートの練習も、普段通り。

最近は、お声がけいただき来年春に予定されているオペラ歌手の方々とのガラコンサートのアンコールの候補曲・フォーレのコンクール用小品をさらっているのだけれど、この曲を吹くたびに、植村先生の圧巻の演奏と、ご指導いただいた様々な言葉を想い出していた。

「フォーレが書いていないことはやらない。」

「シンプルに。何も足さない。何も引かない。」

それは、シンプルでも伝わる説得力のある音と音楽性を持て、という教えであったことを最近ようやく理解し始めてきたところ。

「うっすらと何か足りない、と思うから余計なことをやりたくなっちゃうんだよ。」

とも。

まさにそのあたりをずっと叱ってくださっていたレッスンだった。

だからずっと

「もっと人間を磨け!」

と仰り続けてくださっていたのかと思う。

余計な企みが無用な演奏。
だからこそ人の魂にダイレクトに働きかけることができる。

それが植村先生の演奏だった。


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なにもかも普通通りなのに、時間が止まってしまったような感じのままの一週間でした。

本日、23日、お通夜に伺わせていただきました。

沢山のフルート関係者が次々と献花。

棺の中の先生と対面出来、ようやく現実なのか、と理解できました。

会場には先生が演奏されたバッハの無伴奏チェロ組曲第4番が、流れていて、こんな時なのに、そうか、ここはこうやって演奏されていたのか・・とついつい耳をそばだててしまう。

力強く芯のある、でも、とても暖かく優しい崇高なあの音色、響き、音楽が、もう実際には聞けないのだな、と思うと、悲しさ、無念さが改めてこみあげてきました。

最後にお会いしたのは、昨年の6月。

パラパラと小手調べ的に吹いてくださったフルートの音は、その後ずっと私にとっての「お手本」であり憧れの音となった。

お別れする時に、先生が求めてくださって、握手をしたのだけれど、

「ああ!こんなに温かい手なら大丈夫!」

と仰ってくださった。
コロナ禍の中、弟子の健康を気遣ってくださったのだろうか・・

そして

「楽しくて役に立つことをやっていこう!」

と仰った。

幾分、唐突な感じもして戸惑ったけれど、

師から直接聞くことが出来たの最後の言葉は最後の宿題となった。

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植村先生、22年間、ありがとうございました。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。


写真は先生が亡くなった日に咲いた庭の矢車草。



背中で語る

2022-05-17 00:16:40 | ピピ
昔、実家で飼っていたのはヨークシャーテリアとプードルのミックスで、自分のことを人間だと思っている犬でした。

人間の言葉も完全に理解していたのではないか?と思います。

里帰りし息子が生れた折、当然のことながら家族全員の関心は赤ちゃんに。

茶の間で集っている時に、ふと視線の先に居たのはこちらに背中を向けて座っているルゥちゃんの姿・・

「同じだねえ・・・」

とそんなことを思い出したピピの姿でした。

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夫がリビングでTVを観ている時、私は夫の部屋でパソコンで調べものや動画を観ることが多いのですが、ピピが私の居る夫の部屋にやってきて、扉の近くでこのポーズ。

「ピピ!?」

と呼びかけて、写真も撮っているのだから気付かないはずはないのに、頑なにその姿勢のまんま。








何度か呼びかけた後、振り向いたのですが、なんというか

「ふん!どうせ僕のことなんか・・」

といった不貞腐れた表情。
猫には表情筋がない、と言われているけれど、ピピにはある。



そして、また後ろを向いて座り続けていたのでした。






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もう一つは、リビングで。




急に「カカカカカ」と独特の変な声を出したので、また山鳩でも来たか?と見たら、視線の先にトカゲ。
写真の中ほど、コンクリートの上です。

ピピは気に入らないようですが、今年も無事に子孫が生き延びているのね、と、この時期トカゲをみかけるとほっとします。

雑草のジャングルとなっている庭がばれてしまいお恥ずかしいですが、こうしてトカゲや虫、ミミズ、と様々な生き物にとっての数少ないオアシスになっているのだよ、ということでお許しを。

着物

2022-05-14 22:24:12 | 着物
気持と時間に余裕がない時はやはり袖を通せないのですが、昨年末から、5回着物を着ることができました。
着物は自分の調子のバロメーターにもなるので、これからも着ていきたいなと思います。

そもそも、甲野先生とのご縁が繋がったのも、結果、今の奏法に辿り着けたのも、全ては「着物」のお陰。

母の逝去後、毎日、母の着物を着ることで寂しさも癒され、着物という新しい楽しみを知っただけでなく、フルートの音まで良くなっていることに気付いた。
さらには、「美しい着物」という雑誌で「着崩れないナンバ歩き」という記事があり、そこに甲野善紀先生の記事と写真が掲載されていたのがきっかけでした。

写真の先生は本当に素敵で、ふと、「この方がフルートを吹いたらどんな音がするのだろう?」なんてことを考えた。

当時はまだ息子が中学受験の真っ最中だったので、ゆとりがなかったのですが、翌年2003年2月に新宿の朝日カルチャーセンターの講習会にうかがったのが全ての始まりでした。

あれから19年も経ったなんて信じられない。
本当にあっという間。

ということで、着物をないがしろにしていては罰が当たるというものです。

年齢と気力体力を考えると、後、何回着られるのだろう・・?
なんてことも考えてしまいます。

組み合わせを考えるのも楽しいのですが、色々と忘れてしまって同じ組み合わせばかりになってしまうこともあるので、記録も兼ねて、昨年末から先日のものまでをまとめておくことに。

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昨年12月の急遽決まった音楽家講座の折に着たのは黒大島。
銀と朱で花唐草の模様が織り込まれています。
帯はなんにでも合う細かい幾何学模様のくすんだ黄土色の名古屋。
師走の「暮れぼろ」の雰囲気で渋めの取り合わせで。
いつも帰宅後は夫に写真を撮ってもらうのですが、この日はもう寝てしまっていたので、鏡に映して。
自撮りモードだと、顔が大きくなりすぎてあまりにもあんまりなので、これで。



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元旦に家族3人で中華街に出かけた時は亀甲の藍結城紬と黒の塩瀬の名古屋帯。コートはレッスンに行く道すがら偶然見つけたイタリア製のラグラン袖のものを20年前から愛用。熊のぬいぐるみみたいなモヘアの生地で、折り返し部分は艶のあるシルクタフタみたいでお洒落なのですが、実は全て化繊で、とても軽い。セールで確か8,000円くらいだった記憶が。
着物仲間からは、羨ましがられているコートです。

いつかは着物用のヌメッとした上等なカシミアの着物コートを・・
と思いつつ20年経ってしまいましたが、袖をひっかけることもなく、暖かいので、重宝している冬のコートです。
母のものはスワカラ&ミンクの襟で、今の時代にはちょっと・・
80歳くらいになっても元気だったら「だって寒いからね」としゃあしゃあと言って着たいので、保管。




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お正月休みに高校の同窓生の俳句の会で集ったのは六本木ヒルズにある会員制の個室レストラン。
日頃は六本木も会員制も全く縁はないけれど、社会見学気分で参加。
・・六本木ヒルズは外国みたいでした・・



隠し扉みたいな入口はほぼ本棚。でも飾ってあるのは本ではなくて木。



牛首紬の訪問着が既に掟破りなので、もういいや、とさらに掟破りで金糸の洒落名古屋を。訪問着とはいえ、紬に金糸は御法度ですが、こうした場所にはマッチするかな?と。艶がある紬なので、いいような気もするのですが、母が生きていたら、窘められたかもしれません。
でもこうして改めて写真で見ると、やはりちょっと違うかな?
掟には掟なりの美意識や理由があるのだなあ、と反省。
二重の掟破り、もうしません。この帯は江戸小紋に合わせることにしよう・・



この三番叟の刺繍の洒落名古屋は、母から受け継いだものの締める機会がなくて、今回初めて。硬くて締めにくかった。
母もずっと締めていなかったから、多分50年以上ぶりの登板。
着ていない着物や帯には、なんとなく申し訳ない思いもあるので、今回これで少し肩の荷が下りたような気分です。

留袖と色留袖、夫々に合わせた袋帯は機会がなくずっと箪笥で眠っています。息子が結婚する時には絶対!と思っているけれど、果たしていつになることやら・・

お正月だったこともあり俳句の中に、三番叟を詠んだものもあり、季節的にはぴったりでした。


肝心の俳句は絶不調だったので、掲載できず・・

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何月だったか・・
春の音楽家講座。春はやはりピンクが着たいので、ピンクの無地結城紬。
去年は小豆色の塩瀬の帯で引き締めたのを今年は紙布の名古屋であっさりめに。帯ひとつでガラっと雰囲気が変わるのも着物の面白いところで魅力。
(今年)

抱っこが苦手なピピも、着物の時は抱っこされる時間が長い。
猫も着物好き?
後の手入れが大変ではありますが、ついつい。



(去年)


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先日、5月の音楽家講座。
肌寒くなったので雨でしたが着物で。
(当時は)若手の作家の草木染、手織りの紬。
フレッシュな緑が5月にぴったりなので、「5月の着物」なのですが、ずっと5月はいつも暑くて、単衣にしてしまうことが多く、着そびれていましたが、久々に。確か以前着たのは甲野先生と出会って間もない2003年の4月だったと思う。水色の地に様々なパステル調色彩の相良刺繍の帯で。

19年ぶりの今回は半襟を薄い藤色にして、帯も紫の絞りの名古屋に。
本物の紫紺染めでないのが残念ですが、このなんちゃって紫紺染めも、素朴な風合いが気に入っています。

実はこの日は「嘘つきデビュー」。
着物好き以外には?ですが「嘘つき」というのは絹の襦袢ではなく、簡単な着物用肌着。薄い木綿に化繊の絽の襟と袖が付いているもので、初めて着用しましたが、その軽さにびっくり。袖が軽いのは暑い時には嬉しい。
5月は単衣の絹の襦袢をいつも着るのですが、やはり今の5月は単衣といえども、ちょっと暑い。夏用の麻の襦袢は着心地もよく涼しいのですが、アイロンがけが面倒で・・それに絹と麻というのもなんとなく違和感があり。
化繊の絽は、麻よりはしっとりとした感じもあって、思いの他、絹ともよく馴染みました。「嘘つき」は着物好きの生徒さんに教えていただきましたが、本当に優れものです。この「嘘つき」のお陰で5月の着物もより楽しめそうです。



水色の雨ゴートとの色合いもぴったり。
先生へのプレゼントを買った折、若い女性の店員さんが「癒されました!」と褒めてくださり、やはり、嬉しい。
着物を着ると、こうしたコミュニケーションが生まれるのも楽しいものです。
色の半襟は難しく、あまりやらないのですが、今回は、
薄紫、緑、水色と初夏の取り合わせが上手くいきました。
こうした色の組み合わせを考えるのも着物の愉しみの一つです。


変化

2022-05-14 02:28:52 | 気付き
やはり、音楽家講座の後は色々とモデルチェンジが進みます。

今回は、やはり「左手は煙、右手は水」の先生の教え。
私の解釈だけれど、もちろん、それが通っていくのは「腕先」。
こうした「思うだけ」というものが一つの技術に成り得るということが驚きで、それによって変化することへの戸惑いはまだあるものの、別世界に。


そして「火焔」。
今回、かなり詳しく解説していただけたお陰もあり、改めてこの手の内の大きな効用を認識。
というのも、私の気付きである「鯉口を切る」は、つまりは、この「火焔」だったのか!?ということに気付いたから。
特に陽紀先生に考えていただいた右手の鯉口を切る所作は、もう火焔そのものといっても良い。
左手もそうすればよかった・・
というか、もう最初から「火焔」でいいじゃないか!?という・・
もちろん、fにしたりpで保ったり、高音域を出したり、という時に、この「鯉口を切る」は演奏中も操作出来て、とても有効なのだけれど、一番最初は「火焔」を。身体全体の繋がりが全く違う。

「コモドドラゴン」の手の内をやる時、「バナナを潰すように」とやっていたけれど、それをバナナではなく「火焔」にするとより肩が下がる。

私の場合は「火焔」だけよりも、「火焔」で「コモドドラゴン」。

これで以前よりもより肩が下がり、喉の環境も変わった結果、タンギングの折の母音の感覚も変化。通常よく言われているtu,つまりuではなく、eとaが混ざった母音に。これにより、ここのところの課題だったwタンギングやスタッカートの音のクオリティがかなり向上。立ち上がりのアタックも同様に。
これは以前の肩の状態では不可能だったと思う。
肩が上がったままで、これをやろうとしても、よりツマルだけだ。
面白いのはuをeaにしよう、と思って吹いたのではなく、吹いてみると、そうなっていたというところ。tuとやっているつもりでも肩と鎖骨が下がって、喉が落ちると、eaっぽくなる。
韓流マイブームの効用でかなり顎が落ちたけれど、それがさらに、妙な言い方になるけれど「首が落ちた」(ちょっと違うか・・)という感じに。
声帯の場所が今までよりも下にというか剥がれたようになった様な感じ。
声も高い声がよりラクに出るように。
声質全般も変化。なんというか、無理に声を作らなくなってきた感じ。
これはそのままフルートにも通じているのだろう。


3月のコンサートの前、「コモドドラゴン」に気付いて、ずっとこれで吹いてきていたせいか、以前よりも普段の肩の位置も下がってきていたのだけれど、今回「火焔」が加わったことで、さらに下がる肩。首が伸びた感も。
ショルダーバッグは斜め掛けにしないとだめかも。
段々、鳥に近付いている感もある。

今回のモデルチェンジでは、かなり急激に身体のポジションが変わったので、演奏後の疲労感がかなりある。
以前はふと気づくと4時間?ということもあったのに、2時間でハ~~となってソファーに倒れ込む日々。
おそらくそれまで使われていないところが急に働き出しているのだろう。
でも嫌な感じはなく、心地よい疲れ方なので、しばらくはこれで。



第117回音楽家講座in鶴見 ~甲野善紀先生を迎えて~ 5月9日(火)

2022-05-12 02:30:24 | 音楽家講座・甲野善紀先生を迎えて
昨日の暑さから一転、肌寒い荒れ模様のお天気となりましたが、こういうお天気の方が、この音楽家講座にはしっくりくるような気もします。

今回は、前回からあまり間隔が空いていなかったこと、連休明けだったことなどもあり、お申し込みが少なかった。

想定はしていたけれど、流石に心配に。

でも、間際になるとお申し込みも増え、一安心。
今回は、私も個別指導を受けることができました。

・・・・・・

(お話)
自分の表の意識を消し飛ばしてやると同時に、完全に飛ばすのではなく、表の意識がありながら弱くなる。

『剣の精神誌』は自分にとっての代表作だが、「無住心剣術」のことを鈴木大拙が注目していた。

江戸時代に生まれ、数代しか続かず、絶えてしまった。

幕末に白井亨はこの「無住心剣術」に深く憧れていた。

「赤子の所作と心に学べ」は老子の教えだが、(このように)余計なことを考えない。

5月2日に田島さん(空気投げ研究者)がこの感覚に触発され突然強くなった。

腹にどっしりとしたものがあって、全てに無理がなく、下腹と手が繋がって、ただ自然にやっているだけ。

こんなことも起きるのだ、と興味深く思い、それでは「弱い自分のままいってみよう」と
疑いを知らない子供が、ただ無邪気に行くような感じでやると田島さんが崩れる。

「(天下)水より柔弱なるは莫し。」(老子)

防がれる感じが何もなくなる。

多くの技・・・自分で自分をどう意識しているか、無意識の色々な働きもあるし、自分の中でどういうことが起きているか?

手の上げ下げ、紐のかけ方も左右で(その効果が)違う。

手順・・ある形の中で影響している。

無意識の内に身体が持っている働きを、どういう風に技の中にいかすかが大事。

手の右と左の違い。(利き手というのではなく、人間に元々備わっている違い)

どの手順でやるのか?

親指がどこにあるのか?でも大きく違う。

左右の手の重なり方でも違う。

スランプの時は途中の手順を点検してみるのがよい。

(現代のものはそうではないが)古い柔術では、左右の働きが違うというのは普通に認識されていた。

違う世界が見えてくる。

「かいな先」を使う。(上腕骨内側上顆)
ぶつけるとジーンとするところ。
これをリーダーにして使うと身体のアソビの取れ方が全く違う。

もう片方の腕を手の甲で寄せる。
(掌で寄せるとただ身体が傾くだけとなる)

スポーツの「勝ちに行く」とは違う。
こうした出来を占う気持ちは迷い。
出来る出来ないが気にならないで、「ただやる」

鷹取の手の内で、怖さがなくなる。

「誰にも100%効く薬」というのは麻酔と毒薬くらいで、普通の薬は人によって効果も反応も差があるが、(こうした手の内による)身体の状況は誰にも100%効く。

身体のことというのは、判っては来ても(むしろ)謎は深まるばかり。

今くらいの知識で30年、40年前に戻れたら・・・

人間の身体の不思議さは、微妙な意識も一緒に働いているので、「客観的・科学的」にというのが、そもそも無理。

心理状態がどう結びつくか。

人が人として自分を自覚して。

「自分が気持ちよく機嫌よく」を絶えず求めている。

科学の網にかからないことを求めている。

・・・・

(個別指導)
1.日常生活での靴の選び方について

靴に関してはサポートするタイプが良いというのと、そうではない方が良い、という2つの意見があるけれど、どちらも良くない。裸足が一番。

(裸足で歩くことにより、)地面と争わなくなった足裏は犬猫の肉球のように柔らかくなる。

外で裸足が難しいのであれば、家の中に「みちのく山道」など各所に置いて、その上を裸足で歩くようにする。

そうした環境の中に居ることで身体が変わる。

足を覆うのも良くない。
マンサンダル、下駄、草履などが良い。
でもやはり裸足がベスト。

地下足袋の底を抜いて、という手も。(職質を避けるため)

一本歯の下駄で歩くと、バランスが整い、荷物が軽くなる。

蓬莱下駄もよい。

その状況に自分を置いて対応する。

木刀で返し(燕返し)をやって、

「返すかもしれない」というくらいのぼんやりとした感覚でやっている。
踏ん張っていない。自分で認識していない。

ユジャ・ワンもおそらくそうだと思うが、自分がやっている感じがなく、何かに委ねている感じ。

何かに自分がそこに居る、やっている自分を認識しているけれど「普通」ではない。
「出来ないかもしれない」という自分を自覚せずに。

「プラス思考」ではない。これは無理に思っているところがあるから。

そのあたりの自分の中の迷いのなさをどう引き出していくか。

自分の口を貸して他の何かに言ってもらう。

そこに居る自分をまた認識する。

委ねるものが進化させることになる。

そのレベルをどうやって上げていくかを検討中。

「正しい」「良い」はあり得ない。

「基本の大切さ」はそう簡単にわかるものではない。

バリの影絵・・・才能のある無しが判るのに20年かかる。

自分の中でネイティブな言語のように会得していく。

その段取りをどうやって試行錯誤することが上達する上で大切。

心理的なことは目に見えることとは違う。

「力み」は部分的。

溝に落ちた車を持ち上げようとしたとき、圧倒的などうしようもなさで、
新品の鼻緒が切れた。

耐える間もなく身体が脅威を感じる。

人間は圧倒的な重さの差を(触れる前、触れた瞬間)感じることが出来る。
「とてもムリ!」と。


この辺から子供になっていく・・(と体術)

セドリック効果

想えばそうなる。(他者をまきこむ思念)

そのへんの紙きれを「切符」と信じて車掌に見せて無賃乗車というユダヤ系ポーランド人の話。

自分の身体と対話できるようになる。

手ごたえを感じられる人生は生きるに値する人生。

絶えず研究し、様々なことに出会った時、どう対応していくか。

生きていくこと・・意味があると思える。

様々なことを工夫することに手ごたえと喜びを感じる。

自分にとって心地よく納得いくように。

しょっている業もあるので、簡単ではないが。

21歳の時に気付いた「人間の運命は決まっていると同時に自由」



2.慢性の肩の痛み
   払い太刀

3.裏の意識を発動させるには?(ダンサー)
 
両指を前方でまわしてから向かい合わせる稽古法。

グーパー

どちらでもなく、なんとなく全体を把握する。

自分を全部捨てる。

3通りの技
・構造的に強くする
・何かにやってもらう
・幼児になりきる

自分がどの位置にいてどういう風にしていくか。
「助手」のレベルを上げるというのも袋小路に行ってしまうようで。

(「幼児になりきる」での技は)自分の心もきれいになる気がする。

意識はあるけれど疑わない自分が居る。

疑わない自分が居る、は難しいが、音楽家には親和性があるのでは?

ただ子供が楽しんでやっているように。

得のある人がやるとヘタでも涙が出る。
曹洞宗のお坊さんの刑務所での話。(第116回参照)
人は色んな生き方があっていい。

どんな行為であってもより納得できるところの場の雰囲気で伝わるものがある。
昔、ボクサーの長谷川穂積に「これ程気配がないものは初めて」と驚かれたが、今は当時よりももっと気配がなくなっている。



4.特に低音が聞こえにくい、という難聴の相談

難聴は頸椎の4番が関係している。
楽器演奏の姿勢、そして固定化しない身体の使い方が大事。
祓い太刀


5.山登りのために「虎拉ぎ」と「火焔」の手の内を詳しく知りたいという相談

「虎拉ぎ」・・丸太を持っているようにして手を内旋、肘は外旋。
腕全体が雑巾が絞られるように。

「火焔」・・掌でこねるように。頭脳線で折れる感じ。

詳しい動画はこちらに。
https://www.youtube.com/watch?v=H2j2cEH_ltg

登山、階段だけでなく、高い声も出しやすくなる、と発声も。



6.フルート(白川)
 ゆっくりの曲に比べてテクニカルなものは楽器を安定させるために、固定化してしまって、響きの差が気になる、という相談。
シランクスとドンジョンの小品をそれぞれ数小節演奏。
やはり音楽家講座での演奏はまだまだ緊張してしまう。

左手は煙がすっと昇るように、右手は水が落ちていくように、とのご助言。
そういう感じで、指を動かすという・

不思議なことに、この言葉を聞いた瞬間に身体が変化。
というか心への影響がとても大きかった。
身体の感覚としては、新たな繋がりの経路が自覚出来た。
真ん中ではなくやや左の身体の正面よりの内側にスーっと繋がる何かしら。
妄想?だとしても、実際、その後の演奏の変化はおそらく過去最高。

「左右の働きを変えることで固定化されず、循環していくようになります」と帰途うかがう。それまでは、例えれば桒形虫の角的な左右だった。


7,最後に時間が過ぎていたのだけれど、ダンサーの方からの質問で、虎拉ぎを使わないで、遠くから段差のあるステージに昇る、という試みを先生が。

いわば、手の内を使うやり方は「構造的に強くする、繋げる」というもので、
そうではなく「何かにやってもらう」「幼児になる」のやり方で初めて先生も試みられた。

虎拉ぎや、火焔よりもさらに遠い距離なのに、まるで普通の出来事のようにスーっと上っている。全く力感もなく、不思議な情景。

こうした瞬間に立ち会えることが出来、感動。

「何かクレーンのようなもので掴まれて運ばれるような感じ」と先生。

さらには、景色が全く違って見えるのだそう。

会場からステージまでのの木目の幅がギューっと縮まって見えるのだそう。

ご参加くださった皆様、お手伝いくださった皆様、そして甲野先生、

ありがとうございました!

写真は「火焔」を説明されている先生の手。


・・・・
追記
ご教授いただいた新たな感覚を色々と試しました。
難しかった箇所が、まるで昔から出来ていたような感じで、スルっと吹けて、もちろん響きも変化。・・不思議です・・


次回は6月22日(水)同会場同時刻です。
どうぞお越しくださいませ!