花火の翌日は朝から夕方まで某所でレッスンし、その後、荻窪までコンサートを聴きに駆けつけました。
ギリギリでしたが間に合って良かった!
住宅街の一画にある、落ち着いた雰囲気の小さなサロンの客席は限定40名。
今回2回目となるこのコンサートは大好評で、告知してすぐに予約は満員御礼となるそうです。
クラリネットの兼氏さんがこの会場のオーナーで、ブレーメンから一時帰国しているオーボエの長岡さん、金沢アンサンブルを退団されたばかりの柳浦さんが中心になっていて、第一回目はトリオでのコンサートでしたが、今回はゲストにホルンの有馬さん、ピアノの水野さんを迎えてのピアノ五重奏。
国内外の名手揃いの極上のアンサンブルはとても聴きごたえがあり、久々に心地よい上質の響きに包まれ、幸せなひと時となりました。
ホールも小さいながら兼氏さんのこだわり満載で、天井が高く、上から響きが降り注いでくるようでしたし、名手揃いということもあるけれど、小さな会場でよくある、強い音が耳に刺さるようなことも一度もなく、とても良いバランスでした。
その上、スタインウェイのピアノもとても良いもの。会場に見事に調和した響きでした。
演奏家としては、とても尊敬しているので「さん」と書きましたが、アンサンブル・ローマンの3名は、皆、同時期ミュンヘンに居た音楽仲間。
当時と同様、打ち上げでは「〇〇くん!」と呼んでいた。
長岡くんが隣人だったこともあり、色々な人が彼の人柄を慕って遊びにやってきていて、私もその恩恵に浴していました。ワインとか・・
ミュンヘンで聴いていた彼等の音、音楽にも多くのことを教えてもらっていたんだなあ、と改めて感じながら聴いた本番でした。
打ち上げも初対面の方も多かったけれど、皆良い方ばかりで和気あいあいの素敵なひとときとなりました。
兼氏くんの奥さんはムジカフィオーレでご一緒していたCちゃん。
何もかもが愛らしいのは昔のまんま。
先月の佐伯隆夫先生のパーティーで久々に再開し、今回も会えて嬉しかったです。
「じゃあ、ミュンヘン仲間で写真を撮ろう!」との長岡くんの言葉で写してもらった時に急に思い出した・・
「あれ?ねえ、そういえば、この4人でベネツィア行かなかったっけ!?」
「そうだそうだ。御座敷列車みたいにして宴会しながら行ったよね」
会話を聞いていた若い方から
「楽しそう~。でもどうしてこの4人で?」
「本当は一人旅するはずだったの!隣人の長岡くんに、ベネツィア旅行で留守にするのでよろしく、と伝えたら、その数日後、この3人が『お供します!』と言って、結局ついてきちゃったの!」
と説明。
「ずっと行きたいと思ってたので、丁度良い機会と便乗させていただきました」とか言っていた。まあ心強いと言えばそうではあるけれど・・
『旅情』のキャサリン・ヘップバーンよろしくロマンチックなベネツィア一人旅のはずだったのが、すっかり、『やじきた珍道中』となってしまったけど、これはこれで良い想い出に。
「カーニバルでもない冬のベネツィアに行くなんてどうかしてる」とドイツ人の大家さんに言われた通り、雨ばかりだったけれど、それも風情になったのは、今と違って、オーバーツーリズムの真逆で、観光客が殆ど居なかったから。
そういう意味でも、良い体験となりました。
・・ベネツィアは2回行ったと思っていたけれど、この時の珍道中を含めると3回だったんだ・・
よく覚えていなかったのは、ベネツィアよりも彼等の様々な芸に抱腹絶倒していたからだったのかもしれません。
彼等の、「よくある外国映画に出てくる日本人観光客の真似」というコンセプトで、サンマルコ広場で前歯を出した変顔でカメラを構えている面白写真とか、イムジチのジャケット風に格好つけて、オペラ歌手風に、というのもあるのだけれど、勝手に掲載出来ず残念。
とりあえず、約40年前、その折の私のソロ写真を。
本当に人が居ません。
彼等とは、その後ベネツィアで別れて、ようやく一人になって、ミラノに一泊し、そして郊外のブレッシアにある、昔ホームステイしたコントラバス奏者のカルロくんとその家族を訪ねて、しばらく滞在させてもらいました。自然に囲まれたこの美しい街のことはよく覚えている。
今同様、言葉もろくに出来ないままだし、スマホもなかった時代だったのに、よく色々と連絡とって動き回れていたなあ、と不思議な気もします。
滅多に昔の写真など見なかったのに、最近、見返すことも多くなりました。
改めて思うのは、本当に色々な方に親切にしていただき、お世話になってきたのだなあということ。それは今もそうで。
ただただ感謝です。