ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】宮大工千年の知恵

2011年06月01日 19時04分31秒 | 読書記録
宮大工千年の知恵 語りつぎたい、日本の心と技と美しさ, 松浦昭次, 祥伝社黄金文庫 Gま4-1, 2002年
・日本の貴重な古建築の修繕の第一線に携わってきた著者による、寺社などの古建築入門の書。「この道一筋」の職人から発せられる生の声は平易ながら重く、日本が世界へ誇る木造建築技術へよせる情熱がひしひしと伝わってくる。神社巡りを趣味とする者としては興味深い内容が詰まっており、非常に楽しめる本だった。あれもこれもと書き抜きたい記述が多すぎて苦労するほど。気になる点を挙げるとすれば、著者自身による書下ろしというわけではなく、インタビューや講演の内容を編集者(ゴーストライター)が読み易く一冊の本に仕立て上げたような節があるが、たとえそうだとしても本書の価値を落とすものではない。
・「伝統的な日本の寺社建築の美しさの根源は、端に近づくにしたがって緩やかに反っていく、華麗な「軒反り」にあります。そして、昔の大工の知恵と技術が一番詰まっているのも「軒反り」なんです。コンクリートや鉄骨であれば、どんな曲線を作るのも自由自在でしょうが、木を組んで美しい曲線、「軒の反り」を出すにはとても高度な技術が必要になります。」p.2
・「木の文化はよその国から輸入されたものではありません。建築様式は中国の影響も受けていますが、中国から技術が輸入されるよりもはるかに以前から、日本の風土に根ざした木の文化と、木を生かす知恵がありました。」p.3
・「大工の世界には、「雀と大工は軒で泣く」という言葉があります。雀は軒でさえずる、大工は軒で苦労する、という意味です。」p.10
・「たとえば、澄み切った秋空を背景に、すっと軒が伸びている姿はなんとも言えないほどいいものです。その無駄のない線。やさしくて、しかも力強さを秘めた反りの形。これこそ日本的な美だと思います。とくに社寺建築では軒は大事です。」p.10
・「私は日本の建物の強さと美しさが最高のところで調和していたのは中世だったと思います。数多くの中世建築をこの目で見て、また、実際に触れる中で、私はそう思うようになりました。その中世建築の素晴らしさを象徴するのが「軒反り」なのです。」p.14
・「中世建築のいいものは瀬戸内地域に多い。こう言うと、意外な感じを持つ人がいるかもしれませんが、確かに国宝になっている建物の数だけで比べれば、一番多いのは京都、滋賀、奈良を中心とする近畿地域です。(中略)しかし、中世と時代を区切った上で、どの地域にいいものがあるかというと、それは瀬戸内なのです。」p.15
・「ここで建築様式についてちょっと説明しておくと、中世の建築様式には三つのものがあります。天竺様(大仏様とも言います)、唐様(禅宗様とも言います)、折衷様の三つです。」p.16
・「中世の三つの建築様式の中で、もっとも日本的なのが折衷様なのです。この三つの様式で、折衷様が一番広まったのは、やはり、日本的「美」の最高の形がそこにあったからだと思います。」p.18
・「社寺建築は実用一点張りでは困ります。姿からして人の胸を打つようなものであってほしい。それには、人間の目に真っ先に飛び込んでくる軒の形が決め手になる。古の工人はそう考えたのです。  軒反りなどなくても実用上は別にどうということはありません。」p.20
・「中世の日本の建物は、技術から見ても、美的感覚から見ても、世界のどこの国にも負けない、世界最高水準の木造建築だと思います。」p.22
・「ヒノキは木造建築では最高の材料です。しかし、それが手に入らない。ヒノキは植林して育てればいいというものでもないのです。植林をして下草などを綺麗に取ってしまうとすくすく育つけど、そういうヒノキは目が粗いからあまり良くない。雑草や何かがある中で自然に育っていけば、生長は遅いが目のつまったいいヒノキができるのです。そういうヒノキが少なくなった。文化財を後の世に伝えようと思うなら、ヒノキも伝えていかなくてはならないのです。」p.27
・「木の建物は何十年、何百年もつと言っても、何もしないでいいわけではないのです。二百年とか、三百年に一度、しっかり手を入れないといけない。私がやってきた仕事もそれです。しかし、戦後から今日までで、中世建築の修復はあらかた終わりました。大がかりな修理の時期が次にやってくるのは、また百年後か二百年後になるでしょう。」p.28
・「木材をどう加工して、どう組み合わせていくか、それを計算するのが「規矩術」というものです。その規矩術が最高の水準に到達したのも中世でした。近世以降の規矩術はむしろ退化しています。」p.30
・「私が愛用しているのは尺や寸のメモリと、センチやミリのメモリが一緒に入っているステンレス製のサシガネですが、センチやミリの目盛りはあまり使いません。昔の建物はみんな尺や寸でできています。メートル法では仕事になりませんよ。」p.32
・「サシガネには寸法の目盛りの他に、文字の目盛りも入っています。これはサシガネに独特のものです。吉凶を占う目盛りです。」p.32
・「昔の大工さんが建てたものを、いったいどんな風に建てたのか、どんな材料を使っていたのかと詳しく調査しながら、建物を解体し、修理が必要なところは修理して、元の通りに組み立てる。それが私の仕事です。」p.43
・「解体調査の段階では、当然、屋根も解体しますから、そのままでは雨が吹き込んでしまう。そのため、素屋根をかけて、その下で作業を進めていくわけですが、素屋根を作るだけで二億円や三億円はかかります。東大寺の大仏殿を修理した時は、素屋根だけで15億とか20億円とか、かかったと聞いています。」p.44
・「宮大工の仕事は今の人が誉めてくれなくてもいいんです。百年、二百年たってから誉めてもらえればいい。昔の大工さんは、俺が建てたものは、俺が死んだ後も、ちゃんともってくれなくちゃ困る、何代ももたせるんだという気概を持って仕事をしていたんですよ。百年、二百年後の人を意識していた。だから、腕と知恵の限りを尽くして造った。中世の素晴らしい建物もそうしてできたものなのです。」p.48
・「土の上に直接柱が立っていると、どうしても柱が地面から水を吸い上げてしまうんですね。その欠点を克服するために使われるようになったのが礎石です。」p.55
・「現代の鉄筋、鉄骨造りの建物も、「貫」構造の強さには敵わないと、私は思います。たとえば地震にあうとしたら、鉄で造られていたら、ある程度の揺れまでは耐えられるでしょうが、揺れが強すぎる場合は、大きくくずれたり曲がったりして、大きなダメージを受けるでしょう。  ところが「貫」のような木組みで造ってあれば、揺れながらも揺れを吸収していく。イメージとしては葦のようなものでしょうか。」p.62
・「それから、釘の話ですけど、日本の古い建築は釘を一切使っていないとお思いの方もいるかと思いますが、そうではありません。釘はもちろん今の釘とは全然違いますが、和釘といって、使うところにはちゃんと使っています。(中略)古建築の強さの秘密は、釘を一切使っていないということではなくて、この「貫」構造のように、「木は木と組み合わせてこそ生きる」という基本的なことを、しっかりと守っているところにあるのです。」p.64
・「現代の建物を中世の大工に見せたら彼らは驚くでしょうが、驚くのは大きさだけで、その建て方を知ったら首を傾げると思いますね。「なんだ。たいした大きさだが、これでは百年ももたないだろう。腕は俺たちのほうが上だな」というのが彼らの感想になるはずです。」p.67
・「壁の強度の面で言えば、実は土壁が一番優れていると思います。」p.69
・「今の法律では木造建築には筋違を使いなさいということになっていますから、それを破るわけにはいきませんが、私は筋違いは必要ないと思っています。貫のほうがいい。」p.71
・「地震が来ようが台風が来ようが微動だにしない建物を造ろうなどと考えてはいけないと思いますね。地震が来たら揺れ、台風が来たら揺れる。それでいいんです。揺れるからこそ倒れないですむ。」p.72
・「軸部ができたところで、いよいよ屋根の部分を造ります。「斗(ます)」や「虹梁(こうりょう)」、「肘木(ひじき)」などの名前くらいは知っているという人もいらっしゃると思いますが、どれも軸部と屋根の部分の間にあって重要な役割を果たすものです。」p.73
・「その基礎になるのは一間(=六尺。約1メートル82センチ)という単位です。メートル法はありますが、畳も襖も、縦が一間、横が半間という単位で作られていますから、半端な数字では余計な手間がかかてしまう。」p.83
・「中世の大工はどんな発想で建物を考えたのでしょうか。はっきりした証拠があるわけではありませんが、私の考えを言えば、軒下に見える垂木の並びから出発してすべてを考えていくという発想だったと思います。」p.83
・「こういう基準は作る人の美意識によっても違ってきます。ある大工がこの間隔の垂木配置が美しいと思っても、別の大工は別の配置がいいと思うかもしれません。しかし、人によって違うからこそ、面白みも出てくるのです。  言われたとおりに建物を造るだけの大工では、こういうことはできません。」p.85
・「文化財の修理の仕事を長い間続けてきて、つくづく思うことは、理屈でものを見るな、ものそのものを見なくてはダメだということです。頭の中を無にして虚心に見るのです。そうすれば、自ずから、なぜ、そういう形をしているのかがわかる。」p.86
・「古建築を鑑賞する時は、お寺でも神社でも同じですが、まず正面の門や鳥居から入ったほうがいいと思います。近道だからと本堂の脇の駐車場に車を置いて、本堂のあたりだけちょこちょこと見て帰ってしまうようでは、ほんとうの良さはわからないでしょうね。建てた大工さんだって、正面から近づいていった時にもっとも美しく見えるようにしているはずです。」p.88
・「とくに幕末の安政の大地震では西日本を中心にマグニチュード8クラスの激震に襲われましたが、この地震に限らず、五重塔や三重塔が地震で倒れたという話は聞いたことがありません。どんなに強烈な揺れも吸収してしまったからです。」p.91
・「多宝塔とは上層(上重と言います)の塔身が円筒形で、下層(下重と言います)の塔身が四角形になっている塔のことです。  多宝塔を造るのはとても難しいんです。五重塔というのは、各層の作りがほとんど同じなので、そんなに難しくない。下の層から作って、その上に少し小さめに作った上の層を載せていくだけですから。  ところが多宝塔は、上層が円筒計になっているところが難しい。」p.95
・「どこかで多宝塔を見る機会があったら、垂木がどうなっているか、注意して見てみると面白いですよ。もし、扇垂木になっていたら、その多宝塔を建てた大工さんは腕がいいと思って間違いない。その腕のほどをじっくり味わってください。」p.98
・「上手にバランスをとるという意味で塔とよく似ているのが「鐘楼」です。あれだけの重さの鐘を吊り下げるのだから、それこそ頑丈にできているのだろうと思うでしょうが、実は鐘楼自体はそんなにがっちり造られていない。重い鐘を吊り下げて初めて安定するように最初から考えて造られているのです。」p.98
・「私は大工です。だからこの本も大工の話が中心になっている。しかし、大工がいれば建物ができるわけじゃない。いろいろな職人がいなくちゃ建物はできません。とくに古建築の世界ではそうです。」p.101
・「昔の釘なら五百年でも千年でも、もつ。その実例もたくさんある。それが「和釘」といわれる釘です。(中略)とくにいいのは、中世までの釘です。鎌倉・室町時代の釘なら、抜いたものをまた使える。錆もほとんどなくてしっかりしています。」p.102
・「人間の手の仕事には不思議な力があるのです。中世の大工の仕事の跡を見ていると、それがよくわかります。」p.105
・「大工なら「規矩術」は知っています。しかし、私たちが知っている規矩術と中世の規矩術は、根本のところで何かが違っているのではないか。私がそう思い始めたのは、国宝の海住山寺五重塔の修理工事がきっかけでした。」p.106
・「とくに中世の大工はこういうことに繊細でした。四角四面に計算してその通りに作っても、必ずしも心を落ち着かせるような建物ができるとは限らない。むしろ、微妙にバランスを崩したほうが、美しさと安らぎを感じさせるものができることもある。人間の目や意識の、そういう不思議さを熟知していたのでしょう。」p.116
・「どちらが正しいのかは、今は言えません。学者は学者としての根拠があり、大工は大工としての目で、それぞれものを言っているわけですから。そういう意味では学者と大工は、鉄と木のように相性が悪いと言えるかもしれません。鉄と木を組み合わせるのが正しいか間違っているかは、いずれ歴史が証明してくれるでしょう。」p.122
・「建物は水平、垂直だけではない。傾けたり、左右でわずかに寸法を違えてみたり、いろいろな作り方がある。それが中世の規矩術の根本にあった考え方だと思います。また、そのほうが文化としては豊かなのではないかという気がします。」p.124
・「日本に生まれてよかった。私は心からそう思っています。  日本は雨に恵まれて土地も肥えている。おかげで素晴らしい木の文化が生まれた。」p.132
・「中国の技術が輸入されるよりもはるかに古い時代から、日本には素晴らしい建築技術がありました。」p.133
・「こんなに大きな建物を造るためには、それだけの大きさの木がなければなりませんが、かつての日本には巨木が生い茂っていました。天平時代の752年に創建された東大寺の大仏殿には、直径は1メートルを超え、長さが30メートルにも達する巨大な柱が84本も使われていたということです。」p.134
・「法隆寺を始めとする古い建物が今も残っているのは、当時の大工の技術がすぐれていたからでもありますが材料がよかったというのも大きな理由です。とくにヒノキ(檜)は最高です。」p.134
・「木を伐って倒してから運搬にかかるまで、昔は一年ぐらいかけていました。いくらか枝を残したまま倒しておいたのです。そうすると、枝はもう根っこがないことなど知りませんから、生長しようとして樹液を吸う。だが、樹液はもう補充されませんから、ある程度吸ってしまえば樹液がなくなって枝は枯れてしまう。」p.137
・「この風潮は今も続いています。日本の昔からの建築技術もろくに知らないのに、木造建築はダメだと頭から思い込んでいる。そういう風潮です。」p.147
・「法律どおりに家を建てようとすると、昔の大工さんなら呆れるようなこともしなくてはならない。鉄のボルトで柱をつなぐとかね。木と鉄はまったく性質がちがうのですから、そんなことをしていいわけがないのですが、法律でそうしなさいということになっているからせざるをえない。  おかしなところはその他にもたくさんありますよ。」p.147
・「大工という仕事はちょっと損なところがありますね。うまくいっても当たり前で別に誉められるということもないけれど、しくじれば、たちまち、あの大工はダメだということになる。」p.155
・「鉄骨とコンクリート一辺倒になって、昔からの木造建築の素晴らしさが見向きもされなくなった上に、待遇はたいしたことはない。よその土地を旅しながら仕事をしなくてはいけないということでは、若い人が宮大工になるはずがない。そのため、一時、文化財の仕事に入ってくる若い人がすごく減りました。」p.173
・「国も文化財の修理工事にはお金を出しますが、実際に修理をする宮大工がちゃんと生活できるようなところまで面倒は見てくれない。そういうシステムになっていなのです。若い人が興味を持ってくれるのは嬉しいのですが、残念ながら、相当の覚悟がないと宮大工を一生の仕事にするのはちょっと難しいというのが現実だと思いますね。」p.174
・「日本の国は豊かになったし、文化財の保存にもそれなりのお金をかけています。しかし、お金のかけ方がどうもおかしい。そんな気がしてなりません。(中略)職人や木材にしわ寄せがいくようなシステムには誰も手をつけようとしない。」p.177
・「仕事の難しさということで言えば、お寺のほうが難しいものです。」p.196
・「現場の雰囲気を明るく盛り上げる人の力を借りながら、修理工事全体に目配りをして、要所要所を締めていく。腕のいい職人であることと、いい棟梁であることは、また別の脳力が必要なのかもしれません。  しかし、大工の棟梁は、腕前の良さと、仕事の差配のうまさの両方が要求される。」p.198
・「最近は大学を卒業した人が宮大工になりたいと言ってくることもありますが、大学で理屈は勉強していても、それで勉強が終わりだと思ってもらっちゃ困りますね。宮大工は一生、勉強ですよ。」p.207
・「別のお寺では、誰もいないはずなのに、足音のようなものを聞いたこともあります。一緒に仕事をしている人も白いものを着た人を見たという話をしていました。そういう話を聞くと、やはりいい気持ちはしないですね。」p.219
・「とくに職人の世界では頑固はよくても、わがままは絶対に通用しない。」p.225
・「瀬戸内のお寺に行く機会があったらぜひ、中世の大工が残していった建物を見てやってください。そこに世界最高の木造建築技術と日本の美があるのです。」p.226

《チェック本》
西和夫『図解 古建築入門』彰国社

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