ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】私の好きな世界の街

2011年09月16日 19時04分54秒 | 読書記録
私の好きな世界の街, 兼高かおる, 新潮文庫 か-30-2, 2000年
・私が物心ついた頃には既に、日曜の朝といえば『兼高かおる世界の旅』がいつも家のテレビで流れていました。父親のお気に入りの番組だったようで、一緒になっていつも見ていたものの、その内容についてはさっぱり覚えていませんが、同著者の独特の語り口だけは耳にこびりついています。子供の頃は海外旅行にさほど興味はありませんでしたが、ここ数年でちょこちょこと外を出歩くようになったのでふと興味を持ち、手に取ってみました。本書で紹介されているのは、著者オススメの世界各国の20都市。しかし、著者の旅行歴を考えると、20という数では世界を網羅するにはとても足りないようです。自身、パリ以外は全て行ったことの無い場所についての記述なので興味津々の内容。特に興味をひかれたのはロンドン(イギリス)、サマルカンド(ウズベキスタン)、デリー(インド)。この先どれだけ世界を巡ることができるか分かりませんが、本書より様々な国の様子を想像するだけでワクワクしてきます。
・「余談ですが、いえ、重要なインフォメイションですが、サンフランシスコで中華料理を食べるなら、中華風エキゾティック・ムードに飾りたてていないダウンタウンの新しいビルにできたレストランが、断然美味しくて安いのです。」p.10
・「「最も」という言葉を滅多に言わない私ですが、ヴェネツィアは「世界で最も」という形容詞が堂々とつけられる、最もユニークな都市です。華麗な歴史を持つ美しい都市づくりのみならず、美術の宝庫であり、都市そのものが美術館なのです。」p.22
・「マルコ・ポーロはイタリアにスパゲッティをもたらしたといいますが、北イタリアのここでは海産物と米料理が美味しいのです。ただし観光客相手の店が多いから、どこで食べても満足というわけにはいきません。私なら、混んだレストランで、客がイタリア語で話し、常連のようだったら試してみます。」p.28
・「西オーストラリアの州都パースについて、私は重大な責任を感じています。1969年に初めて訪れて取材し、放映した番組の中で「パースはリタイア後に住むお薦めの地」として紹介したのです。」p.36
・「かつてオーストラリアは州ごとに鉄道の軌道幅が異なっていて、すんなりと横断できませんでしたが、イ・パ号は専用のレールを走るから速く(?)横断できるようになったのです。」p.38
・「フランスでは四代遡って外国人の血が入っていない人は、六人に一人の割合だそうですが、元々紀元前からギリシャ、ローマ、そしてゲルマン、ノルマンと多くの異人種が入って来ているのですから、人種についてさほど関心がないのが当たり前かもしれません。大体、「どこの国籍?」「お父さんは何ジン?」なんて興味を示すのは日本人が多いのです。インド人もすぐききたがりますが。」p.51
・「大スターの演ずる激しい恋物語は、世界に強烈な印象を残したのですから。ハリウッド映画とは、実にすごい力をもった情報産業です。かく申す私も、モロッコの名を覚えたのは映画『モロッコ』のように思います。」p.67
・「かけひきでは、買いたくてもその素振りは微塵だに見せてはなりません。商人に見抜かれたら、こちらの負けです。真剣勝負なのです。私は買いたいものは不思議に見破られるので、彼らの眼力は偉大なものと思っていましたら、後日、買い物をしている私を映したフィルムを見て愕然としてしまいました。子供が見ても明白なほど全身硬直し、欲しくてたまらない真剣な顔つきでパン入れの前に立っていたのです。」p.72
・「ブラジルのインフレは、いつ行っても並大抵ではありませんでした。1961年に、ホテルの玄関前に立っていた闇ドル氏の言い値は、私がホテルのランチに戻ってきた食前より、食後に出てきたときには30パーセントもドル高だったのです。」p.83
・「歴史ある都には、「花のパリ」「ドナウの女王ブダペスト」などとそれぞれ冠がつきますが、ロンドンには「偉大な王」という冠を捧げたいと思います。この30数年ほど、ほとんど毎年ロンドンに行きましたが、いつ行っても抱擁される思いのする、私にとって父のような都なのです。」p.91
・「ほっとした気分で機内に入り、まずシャンパン、そしてディナーとリラックス。この気分が何とも言えないのです。31年間のテレビ海外取材をしていた頃も、日本を出る機内のこの一時が天国でした。」p.117
・「当時のアジアは、マニラにはスペインの情熱、サイゴンにはパリの優雅さ、マカオには静かなポルトガルがあったのです。どの土地も、本国にはないアジアとのミックスの雰囲気があって、エキゾティックそのものでした。」p.154
・「アメリカ料理はまずい、というのが定説であった1960年代、ニューヨークの高級レストラン「'21クラブ」に、川端康成氏、伊藤整氏と食べに行ったことがあります。お二人ともきれいに召し上がり、 「美味しいですね」  とおっしゃり、」p.172
・「だから、もう母をだまさないことにして、"ミュンヘンではビールを" と、堂々と飲ませてみたのです。そのお陰で、一生に一度だけの歌を聴かせてもらったのが、ミュンヘンの空港の思い出となりました。」p.182
・「国が負けても、王朝が滅びても、後世の人を感銘させる技と美を残すほうが、文化度が高い人間、と私は思うのです。今のように、新兵器を造っては破壊ということを繰り返しているほうがずっと異常で狂気ではないでしょうか。」p.184
・「ドイツ人はよく学び、よく遊ぶという、理想的な人間らしい人たちです。」p.189
・「建造物においては「西のローマ、東のサマルカンド」、または「サマルカンドは東方のローマ」と言われるほど、素晴らしい技術と美を残しました。サマルカンドは中央アジアの宝石とも言われたのです。」p.195
・「街の景観はその地の支配者の文化度を示すといえます。」p.196
・「私は旧ソ連に敬意を表したいことが二つだけあります。一つは音楽家やバレリーナを育てたことであり、もう一つは歴史的建造物の手間ひまかかる修理を行ったことです。」p.198
・「オランダの正式国名はネーデルランド(低地)王国です。」p.213
・「サイババとは救世者というような意味で、ヒンドゥ教の大神のひとつ、ヴィシュヌ神の生まれかわりと思われている人のことだそうです。(中略)私はまさか、と思ってことあるごとに今のサイババの写真を見せてきいて歩いたのですが、知らない人が多いのにびっくりしてしまいました。言いかえればインドは広いのです。多人種で言語的多様国家で情報がいきわたらない実情がこんなところでもみられました。」p.260
・「面積は日本の九倍、人口は九億人、人種は公的には約七人種といい、言語は約800種類。嘘八百ではありません、日本外務省の資料引用です。」p.261
・「女の美といえば最近、日本女性の間で話題になっているアーユルヴェーダなるものを試してみました。」p.267
・「私からの強いお願いは諸国の教会、モスク、寺、神社等々を訪れたら、現地の人より謙虚な態度で接してください。現地の人にも好感を与えるかもしれませんが、自分自身も気持ちがすがすがしくなるものです。」p.276

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