ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】ドルジェル伯の舞踏会

2008年09月05日 22時07分23秒 | 読書記録2008
ドルジェル伯の舞踏会, ラディゲ (訳)生島遼一, 新潮文庫 ラ-3-1(567), 1953年
(LE BAL DU COMTE D'ORGEL, Raymond Radiguet, 1924)

・二十歳で夭折したいわゆる "天才作家" の遺作。フランス貴族の社交界を舞台にした不倫の恋を題材にした小説。
・三島由紀夫の著作で紹介されていたのがきっかけで手にとった書。「これは本当に二十歳が書いた文章なのか!?」と唸ってしまいます。
・序(ジャン・コクトー)より「運命を非難してはいけない。無情だというのをやめよう。彼は年齢が終りまであまりにも迅速に展開してしまう厳粛な種族の一人だった。」p.3
・「つまりはこうではあるまいか――われわれの注意が、清浄なものは乱れたものよりおもしろくないという理由で、わきに逸れてしまうということでは?  しかし清浄な心のやる無意識の操作(はたらき)というものは、不行跡(ふしだら)な心のやるさまざまな工夫工面より、もっと奇異なものである。」p.12
・「お伽噺を実地に生きることはべつに人を驚かさない。ただその思い出のみがわれわれにこの世のものならぬ不思議を発見させるのだ。」p.24
・「彼は目前に、やさしい愛情でむすばれた一組の男女を見ていた。この結合は彼にはいい感じがした。彼はいつも習性になっているのとはまったく異なった気持ちを感じさせられた。彼の場合はいつも嫉妬が愛に先だつのである。今は彼の精神がいつものようにはたらかなかった。フランソワはこの夫婦のあいだに、そこへ自分がしのびこむ亀裂をもとめようとしなかった。彼はドルジェル婦人が夫と踊っているのを見て、自分が彼女と踊るのと同じ快さを感じていた。」p.37
・「フランソワの恋愛に対する考えはいわば既製品なのだった。しかし、その考えをつくりあげたのは彼自身だったから、出来合い品でなく、寸法をはかって作ったものだと信じていた。それを仕立てたとき、力のない感情だけをもとにして仕立てたことを彼は知らなかった。」p.73
・「人間は海のようなものだ。ある人びとでは不安が常の常態である。また他の人びとは地中海のように、一時は動揺して、またすぐ凪にかえってしまう。」p.88
・「彼女の顔はいじわるい表情になった。彼女はこんなことを強いたことで夫をうらみ、またセリューズには彼が笑ったことで腹をたてた。なぜなら、彼女は自分自身の笑った意味は知っていたが、フランソワの笑った意味は知らなかったからだ。」p.91
・「(この男の頭のはたらき方はへんだな! ロバンは人生をまるで小説のように判断している)と思った。」p.92
・「相手の狼狽ほどわれわれを大胆にするものはない。」p.112
・「(あのひとがなにかあたしたちにかくれてするように疑っていたんだけれど、あたしばかだった)と彼女は思った。」p.114
・「マオは、街路で見当違いをした男から耳にするのも恥かしいことをささやかれた女のように、どんどん足をはやめた。彼女の場合、そばに追いすがって言いよってくるのは、思い出なのであった。」p.116
・「遠く離れていると誰かれの区別(みわけ)がつかない。みんなよく似て見えるからだ。別離はへだてをつくるとはいうものの、それはまた別のへだてを除きもする。」p.118
・「こうした浮気から彼はそれほど大きな快楽を得てもいなかった。アンヌがマオを裏切ったのは、もしこういう言い方が強すぎなかったら、義務のためだといってよかろう。彼にとっては、そういことをするのも、彼の上流人の職業の一部なのだ。それによって、ただ虚栄心のよろこびを得ているだけであった。」p.121
・「言葉は大きい力をもっている。ドルジェル夫人は、自分のフランソワを好きな気持に、自分勝手な名をつけることができると信じていた。そこで、彼女は一つの感情に抵抗することにより、その感情に本当の名を与えることをよけいにおそれたのであった。  いままで義務と恋愛を平行してうまくさばいてきた彼女は、その純真さのうちに、禁じられている感情はこころよくないものだと考えることができたのだ。だから、自分がフランソワにいだいている感情を誤って判断していた。その感情は彼女にとって快いものだったからである。いまや、影のうちに孵化し、やしなわれ、大きくなったこの感情がはっきりその正体をあらわしてきた。  マオは、自分がフランソワを愛している、とみとめざるをえなかった。  彼女がいったんこの恐ろしい言葉を自分にいってきかせると、もういっさいははっきりして見えた。最近数ヶ月のあいまいなものが消散した。が、あまり長いあいだ薄明かりの中にいたあとで、この白昼のような明るさは彼女を盲にしてしまった。」p.134
・「マオは、別の世界に坐して、夫を眺めていた。伯爵は、自分の遊星にいて、起った変化にはまるで気がつかなかった。そして、熱狂的な女のかわりに今では一つの彫像に話しかけているのだった。」p.176
・訳者解説より「『ドルジェル伯の舞踏会』の読後印象を率直にいうと、日常意識の達しない深いところにしかれた将棋盤上で、象牙彫りの駒がふれあう音を聞くような感じである。作中人物の抵抗のある、硬い心理の図表が、幾何学の線のように、美しく跡づけられている。たしかに作者の二十歳という年齢を忘れさせるみごとさだ。」p.180

<チェック本> 大岡昇平『武蔵野夫人』
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