ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】はじめての一眼レフ

2008年09月17日 22時00分45秒 | 読書記録2008
はじめての一眼レフ, 大西みつぐ, 講談社現代新書 1364, 1997年
・一眼レフカメラの入門書。カメラの機械的な取扱いだけではなく、著者の写真に対する考えを綴った読み物的要素の強い内容です。今ではカメラと言えばすっかりデジカメですが、この頃はまだ出初めで、全編フィルムカメラについての説明です。デジカメについては巻末の一節で軽く触れられるのみ。
・「なんどか原稿をストップさせ、カメラを持って町に飛び出し、行方不明になってしまおうかとも考えたが、講談社の堀沢加奈さんの熱い激励によりなんとかそれは回避できた。」p.7
・「このように、「被写体の動きを写真の上でどのように表したいのか」というようなことを考えることが、写真表現の面白さを体験するはじめの一歩だといえるだろう。」p.42
・「数値が大きくなるほど絞りは閉じられていく。これは2の等比数列の関係にあり、絞りを一つ絞る(「一段絞る」などという)と光量は二分の一に落ちる。」p.45
・「いずれにせよ、ファインダーの真ん中だけしか見ていないというのはもったいない。カメラは隅々も写してくれるはずだ。」p.61
・「一眼レフの内蔵露出計は反射光を測っていると書いた。さらに詳しくいえば、測った被写体が18パーセントの反射率になるよう演算して値を出してしまう。この18パーセントとは、完全に反射する被写体(100パーセント)と黒い被写体(3パーセント)の近似値ということで、中庸な濃度として再現される反射率である。つまり内蔵の露出計は白いワンピースを「白いもの」としてみなすのではなく、「明るいもの」として計算を行なうわけだ。」p.76
・「人間の目がふつうに見える角度をもとにしたものが「標準レンズ」といわれるもので、だいたい46度前後。おおまかに区別すると、それより広い角度のものが「広角レンズ」。また狭い角度のものが「望遠レンズ」と呼ばれている。」p.85
・「パースペクティブを強調できる広角レンズには「歪み」が、また望遠レンズには、ダイナミックに遠近感を圧縮させるが「被写界深度の浅さ」がつきまとう。しかしこれらをうまくコントロールしていくことで、個性的な表現への糸口は見えてくるものだ。」p.89
・「広角レンズを使い、近景から遠景までピントが合うように写すことを「パンフォーカス撮影」という。」p.93
・「アマチュアカメラマンのみなさんの作品検討会に出席させていただくと、必ず「構図」のことを聞かれる。それほど構図とは重要なものなのだろうか。はたして、「よい構図=よい写真」なのだろうか。」p.110
・「しかし、写真と絵画は違う。構図というある形式をなぞってさえいればよい写真が生まれるというものではない。光線状態、レンズ、露出など、いままで語ってきたいくつかの写真の要素が微妙に絡み合い、その質をも決定していくし、さらに撮影者の内的イメージや、撮影現場での身体感覚も加わるという多層的な構造を持つ表現方法であるはずだ。構図もある程度は重要だが、それだけに規定されるものではないだろう。むしろ構図に縛られてしまうこと自体が、よい写真への足かせになってしまうこともあるように思える。」p.111
・「私の個人的な考えで恐縮だが、ある持続した時間の流れと空間の変化に、写真を撮ろうという人がどういった生かし、身体的に反応していったのかというプロセス全体をシャッターチャンスとよんでみてもよいのではないだろうか。だからシャッターチャンスは無限なのだ。」p.120
・「シャッター・チャンスは、事物や現象をとおして対象するはずの真実を、カメラを向けて模索する過程に発見される瞬間の把握にほかならないと考える。(重森弘庵『写真芸術論』)」p.120
・「ベタ焼きを繰り返し眺めながら、撮影現場での自分の「動き」を振り返る。続けてシャッターが押されているだろうか。また「露出」や「ピント」のチェックなど技術的な側面はどうかなどという細かいところを子細に検証していく。少し胃の痛くなるような作業だが、ここで自問自答をしていくことが、次の作業である引き伸ばしなどに色濃く反映されるし、さらには再び撮影する際に大きなヒントとなるのである。」p.122
・「写真は撮影現場ですべてが終わるのではない。こうした後からの大事な作業があることを忘れてはならない。それらが面倒ではなく、楽しいと思いはじめたら、すでにあなたはワンステップ階段を上がっていることになろう。」p.123
・「技術も経験も資金もたっぷりあり(それに体力も必要だ)、いつでも好きなときに動けるというなら、ある程度は「絵葉書のような写真」を手に入れることもできようが、ふつうは予定や仕事をうまくやりくりして、わざわざ撮影に行くのだろうから、そろそろ「絵葉書」そっくりの写真を追い求めるのはあきらめてみたらどうだろうか。風景写真は絵葉書写真がすべてだと思わないでほしいのだ。「風景」はもっと目の前に豊かに広がっているし、いつでも私たちに生き生きとした感動を与えてくれるはずだ。それを自由に選択しカメラに収めてみよう。そこにはわたしの風景、あなたの風景が必ずある。」p.154
・「「観光」とは文字通り「光を観る」ということだ。旅先の豊かな光を意識的に写真に記録することで、私たちもまた「寅さん」のように素敵な旅をたくさんトランクにストックできるかもしれない。」p.159
・「本来日本人は、たとえば桜色のような中間色を好んでいたはずだ。どうもこれは温帯圏の光線量によるらしい。」p.162
・「以上のように、新写真システムAPSは、どちらかといえば、撮影そのものを楽しむ人たちというよりは、まず、記念写真を中心に「同時プリント」の写真を楽しむ人たちにアピールするところからはじまっている。またデジタル情報を意識することで、次世代に「写真」のメディアとしての可能性をつなげようという意図が、そこにうかがえる。」p.187
・「「マビカ」という、フラッとで双眼鏡のような形をした「電子スチルカメラ」が登場したのは1981年だった。このカメラは2インチのフロッピーディスクが記録媒体だった。ただしこれは、信号の変化を周波数の変化に変換していくFM変調によるアナログ記録方式だった。」p.188
・「21世紀には、こうしたデジタル機器などのよりいっそうの「進化」を横目で見ながら、従来の写真術は伝統芸のように暗室の中で黙々と制作され続け、その表現としての奥深さを語るという構図ができるのではないだろうか。デジタルの「0と1の組合せ」もよいが、1プラス1が決して2にはならないのが表現の世界であることを、頭の片隅に入れておきたいものだ。」p.196
・「時間と金をかけて遠くにいかなくとも写真は撮れる! 「近所」もまた写真撮影の現場として面白いし、刺激に満ちた空間なのだ。」p.197
・「不思議なもので、カメラを持っていれば、なにかを「見よう」という意志が積極的に働く。実際はなにかを探して「撮ろう」とするわけだが、まず、自分の肉眼に頼らざるを得ない。特別に面白いものや珍しいものがなくとも、「よく見る」ことで、「意識的に見る」ことで「見えてくるモノや世界」がきっとある。そのことを素朴に面白いと感じることができるなら、そこから「表現」というはてしない旅もはじまるのである。」p.200
・「このスナップショットという言葉は、もともと「急に射落とす」という意味の狩猟用語であったが、しだいにすばやく撮影することを指すようになっていった。(中略)しかし本来、スナップショットとは、方法というよりも、ひとつの身体的な行為だ。いかに自由な尺度で、世界の断片や日常を意識的にすくいとれるかという試みであると思っている。」p.201
・「私たちの日常はとりとめもなく、しかし確実に過ぎていく、シャッターを押しながら過去をとどめ、同時に未来に向かおうとする意志をそこに認める。そうした一連の「想い」を自覚的にとらえようとすることが写真の魅力のひとつでもあるだろう。」p.203
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