ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】人にはどれだけの物が必要か ミニマム生活のすすめ

2007年11月14日 22時14分04秒 | 読書記録2007
人にはどれだけの物が必要か ミニマム生活のすすめ, 鈴木孝夫, 中公文庫 す-20-1, 1999年
・著明な言語学者である著者の節約生活について。前半は書き下ろし、後半は講演録(三編)。書名は、トルストイによる寓話『人にはどれだけの土地が必要か』にヒントを得たもの。
・単なる『節約術の紹介・薦め』にとどまらず、含蓄のある言葉も多い。しかし、『トンデモ』の匂いが無きにしもあらず。一歩手前。
・近年、リサイクルショップが目立つようになってきましたが、これは喜ぶべき傾向か。
・『ミニマム』と聞くと『極小』、『ミニマム生活』と聞くと『生命を維持できる、死の一歩手前の生活』を思い浮かべてしまいます。これは理系的解釈ですね。文意としては『不自由なく暮らせる必要最小限の生活』なのですが。ちょっと言葉の使い方にひっかかりを感じました。
・「私は極めて平凡な事実を自分の目で観察し、算術的な単純さで自分の体験を積み重ねながら、物を考える一人の常識人にすぎない。だから物が良く見えるのである。」p.26
・「考えてみれば、木が板や柱として使えるようになるまでには、一般に五十年以上の長い年月が必要なのだから、木材を使った製品は少なくとも同じ年月だけ使わなければ、自然の帳尻が合なくなるわけだ。」p.29
・「さてこの二つの条件、つまり僅かな人手で多数を管理出来るタイプの動物であること、そしてそれが人間の食べる物を食べないこと、これら二つを満たすものとして、世界のどこでも食用としての家畜には、草食の群棲動物が選ばれる結果になったのである。(中略)ところが既に触れたように、豚はここに述べた食用家畜の二つの条件を満たさないにもかかわらず、家畜としての歴史は結構古いのである。」p.59
・「ところが大づかみに言って、動物の食べる餌と、その生産する肉(乳、卵)との比は十対一である。(中略)だからイワシやアジをそのまま人が食べれば十人の腹を満たせるのに、高級魚のハマチなら一人しか養えない。」p.63
・「ところがいまは違う。人類の長い文明の歴史を通して、これまで誰一人その正しさを疑うことがなく、それこそ万人の支持と賛同を得てきたいくつもの人間活動の分野で、人類はこのまま先に進んで良いのだろうかという、文明の基本的な方向や前提についての、根本的な不安と疑念が頭をもたげ始めているのだ。」p.67
・「私が外で食事をする際、食べ切れない物は可能な限り持ち帰ってクロにやる。勿論これだけで毎日の餌をまかなうことは出来ない。そこで一日二回の散歩の時、クロと一緒に食べ物探しをする。」p.74 [写真]
・「仮にすべての食品にいまの倍のお金を払うことになっても、あらゆる無駄を省いて消費を半分に抑えれば出費は同じことである。」p.80
・「さきに私が食物を無駄にするな、紙の浪費を止めるべきだといったことを詳しく述べたのも、それは全く金銭上の損得とは違う次元の、人間の生き方の問題なのだということを言いたかったからである。」p.81
・「この新しい考え方を私は「地球(救)原理」と呼ぶことにした。人間は自分たちのことだけでなく地球の全生態系に与える影響を、すべての活動に際して考慮すべきだということである。」p.84
・「だからこそ私たちは、ここで改めて自分たちの生き方を見直す必要があるのだ。私たちは果たしてこんなにもエネルギーを多用し、物や他の生物の命を、かくも無駄に浪費しなければ、本当に幸福になれないものかをである。」p.85
・「というわけで私はいまでも、大学の廊下や庭を歩いていて、無人照明教室を見つけると、よほどの事情がない限り、廻り道をしてでも電気を消しに行くことを心掛けている。  こんなことを長い間やっている内に、電気料や水道料といった公共料金は、もっと価格を上げるべきだという、人が聞いたら驚く「非常識」な結論に到達したのである。」p.93
・「だがこのまま進めば人間にとってもカタストロフィは確実に来る。しかしいつどのような形でそれが訪れるかはいまのところ誰にも分らないのである。」p.95
・「人がもし口だけでなく心から世界の人々の平等を望み、しかもこの美しい地球を損なわず子孫に伝えたいと思うなら、なすべきことは次の二つに絞られる。第一は先進国経済のレベルを下げ、人々がもっと少ないもので幸福に生きる道を真剣に、しかも大至急模索すること。第二は持てる国と持たざる国、富める国と貧しい国との間での、地球規模の資源エネルギー消費の再配分をどうやったら少ない摩擦と混乱で達成できるかを本気で考えることである。」p.98
・「だからビアフラで内戦のために何百万という人が死に、パレスチナやユーゴスラビアでは悲惨なテロや殺戮が、いつ終るとも知れずに続いていることを、私たちは知識として知ってはいても、一般の人がそのことと自分たちの恵まれた安全で快適な生活との関連など、深く考えもしないのは、別に冷酷でも何でもない。そうでなければ「身がもたない」のだ。」p.100
・「私は生来我儘で、子供の頃から何かを他人に強制されてすることが大嫌いで、自分の好きなことだけを、好きなようにやる生き方を通してきた。しかし人生にはどう足掻いても、気のむかないことをしなければならないことがある。そんな時私はいろいろ考えをめぐらして、何とか自分なりの意義づけが出来る理屈を見つけて、あたかもそこのとを私が自発的に進んでやるのだという風に、自分を納得させてから、むしろ積極的に立ち向かうことにしている。」p.103
・「もう一つ私が何十年と実行している、自主的で楽な生き方を貫く秘訣がある。それは広く世間に、私はこれこれのことは好きでないからやりませんと、機会あるごとに宣伝しておくことである。」p.105
・「要するに、嫌なこと気の進まないことは、何よりもはっきり断ること、そして自分の好き嫌い、好みと苦手をあらかじめ人々に分らせておくこと、私の場合この二つを実行しているため、人間関係の苦労が少なくて済んでいる。」p.107
・「糸川博士は、何かのテーマに十年打ち込んだら、次の十年は別のことに挑戦するという方法で、自分の可能性を次々と拡げる生き方をされている由だが、私もこれまでに何度か、今日からいままでの自分と縁を切って、別の生き方をしようと思い立ち、それを実行してきた。そのお蔭で、以前の自分なら全く考えられないような新しい物の見方、生き方を手に入れることが出来た。このような絶えざる自己破壊と自己再生、これが私の理想とする生き方である。」p.108
・「いつだったか学生たちにこの話をして、「僕は『何もしない会』の会長になれるぞ」と自慢したら、「でも会員は一人もいませんね」と返されて大笑いをした。」p.114
・「だからこそ私一人ぐらいなどと、自分の力を過小評価してはならない。自分を巨大な社会の片隅にいる無力でちっぽけな存在と思うことは、とんでもない間違いなのである。一人ひとりがすべての元なのだ。自分が変われば社会も変る、自分は社会に対して能動的に働きかける力があるのだと、自分の力に自身を持ってかまわないのだ。いや持つべきなのである。」p.126
・「人間は「三次元的な制約を持った生物である」と私は定義することにしています。第一の次元は歴史的・文化的な縦の軸、つまり時間的な制約です。(中略)第二の軸は、空間的な制約です。(中略)第三の軸が、自分の生き方が地球にとってプラスかマイナスかという座標軸です。」p.148
・「こういうことをいしていますと、「よく先生、時間がありますね」とか「大学の先生がごみ箱あさりをして、よく恥かしくないですね」と言われますが、「私の地球が喜んでいる」と思えば、人の目など全く気にならないものです。また、「乞食みたいで恰好悪いですね」と言われますが、恰好など気にしていたのでは地球は救えません。現にいましているネクタイも拾った物です。家で使用している電気器具もほとんど拾った物を私が修理して使っています。」p.153
・「私のいまの願いは、世界中のゴミを入れる大きな倉庫が欲しいということで、それはいつか必ず役に立つと真剣に考えています。」p.156
・「ところで人間には、欲望の基軸が二つあります。一つは、「昔はひどかった。いまは良くなった。来年はもっと良くしたい」という縦の時系列の発展の判断基準です。もう一つは、「隣の家よりも金を儲けた。あいつよりも着ている物がいい」という他者との水平軸の上での比較によって満足感を得るという相対比較の基準です。」p.163
・「いったいどうしてあれだけのたいして必要でもない液体を飲むために、こんなに地球を汚しながらカンを作り、そして、それをポイと捨ててしまうのか。どうしても飲まなければいけないのならば、せめて飲んだあとのカンを中に戻して、足で踏んでペタンと押すと、お金が返ってくる、という装置を開発したらどうだということで、二十年ぐらい前に提案したことがある。」p.165
・「「お蔭様で」、「勿体ない」、「すみません」という生き方。日本の現代の社会が先進国でありながら、凶悪犯罪が他の先進国に比べて二桁も少ないことにもそれが現れている。(中略)日本人の意識していない伝統的な生き方は、この公害時代にもっと自信をもって、外に輸出する必要がある。そのためには、自分たちの生き方の良さを客観的に知らなければならない。」p.168
・「誰でも、人間は欲張りです。もっと大きな家が欲しいし、もっと広い土地が欲しい。でも何でそんなちっぽけな欲なんだ。地球全部が自分のものだと思えば、もういいじゃないか。私は、その辺のきれいな人も、全部私のものだと思っている。家内一人で手が回らないから、他の変な男性に任せてあるんだと思えばいい。」p.171
・「どうせ洗ったって、雨が降れば汚れる。第一、外国で普通の人は車をこんなに洗いませんよ。」p.172
・「最後に結論を言います。科学はずいぶん進歩したようだけれども、私は社会科学から医学、動物学、植物学など、割合広くやって、この頃ハッキリ分った。人間には人間から遠いものほどよく分る。(中略)ところが、学問は人間に近づいてくるほどインチキです。人間自身に関する学問は一番発達していない。哲学、医学の大半は信頼できない。心理学、教育学もデタラメ。」p.177
・「このように日本は常に特定の外国文化を集中的に受容し、それを吸収消化するという非常に効率の高い方法で発展を続け、遂に世界の経済超大国の地位を獲得したわけである。」p.190
・「薪のストーヴの赤い火の前で本を読むなどと言うと、女子学生など「ワー素敵、ロマンチック!!」と歓声を上げるが、実際に冬の間(と言っても山の中では半年以上にもなるが)、自分で集めた薪だけで小屋を暖めるということが、こんなにも大変な重労働だということは、私も知らなかった。  手はヒビだらけ室内は灰だらけ、煙突掃除に薪の運び上げと一日中追いまくられ、しかもやっとのことでうず高く積み上げた薪の山は、あっと言う間になくなってしまう。」p.207

?しゅうしょう‐ろうばい【周章狼狽】 大いにうろたえ騒ぐこと。
コメント (2)
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