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デジカメでいろいろ撮ってます 腕が悪いくせにカメラのせいにして買ったカメラが150台超えました

中央公園ヒストリー

2020年10月20日 | Canon
昨日の続き、今日は新宿中央公園内に残る史跡を見ながらその歴史をご紹介。まずは室町時代にこの一帯で財を成した中野長者鈴木九郎が建立した、公園に隣接する熊野神社の写真から。当時は社が12あったことからその前の通りは今でも十二社通りと呼ばれています。



続いて公園の熊野神社側にある「久遠の像」。関東を平定し、江戸城を築城した太田道灌が、鷹狩りの際に不意の雨に蓑を借りに立ち寄ったと伝えられるところです。



その道灌の頼みに村の娘が「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」の歌で返した、いわゆる山吹伝説。今でこそ華やかな新宿も当時は蓑も用意できないほどの貧村でした。そんなところに博学な娘がいたもので、その娘は後に道灌に江戸城に呼ばれ重用されたとのことです。貧しくとも勉学はしておくものですね。

これがヤマブキ かな?



江戸時代、この辺りは前述の熊野神社を中心に日帰りで行ける観光地でした。武士は鷹狩りのときの休憩所、庶民にはちょっと遠出の憩いの場でした。そして明治時代になると麹町の小西屋六兵衛店が・・・。



昭和38年までこの地にあったんですね


ときは同じく明治時代、一帯の広大な土地を利用して、上水道整備のための淀橋浄水場が建設されました。今でも残るのは公園の一角にある淀橋給水場とこの六角堂だけ。





ここから富士が見えたそうです



長く都民の喉を潤してきた淀橋浄水場も昭和40年、その役目を終えました。そして43年にここ中央公園ができ、50年代になると新宿新都心と呼ばれ、高層ビルが立ち並んだのはご周知のとおりです。そんな高層ビル建設ラッシュの最中、浄水場だった名残を残そうと昭和57年に造られたのが「新宿ナイアガラの滝」。



昨日のセントラルパークに続いて、今度はナイアガラの滝とは、少し気触れは否めませんが、まあスケールダウン版と言うことで受け入れましょうか。



江戸庶民憩いの場は現代も憩いの場



おまけに新しくなって驚いたトイレの話。その名も「日本のキレイ&TOKYO リンレイトイレ」、区の公衆トイレにもネーミングライツってあるんですね。知らなかった。



もうひとつ驚いたのはトイレの壁紙が鳥獣戯画、多摩美の学生さんが描いたそうです。絵は楽しいのですが、なんか室町時代から始まった話の最後が鎌倉時代とは、いやはやなんとも。