ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

体罰容認していた橋下市長に罪はないのか?

2013-01-20 00:22:57 | Weblog
大阪桜宮高校の体罰事件、機を見て騒ぎ立てる橋下市長の相変わらずの言動に頭を抱える。

そもそもこの事件の背景には橋下氏の影響力ある言動が、体罰を進めてしまったのではないのか?

彼は長年、体罰は必要との持論をぶちまけてきてた。
その言葉にあの体罰顧問は安心して行動してきたのではないのか?
あの学校はそう進めてきたのではないのか?
それは意図を超えた行き過ぎだっただろうけれど、それを許す風潮を彼の言動が作っていなかったのか?

周りもそれがあるから妙に容認してきた、そういった意識を広げた張本人ではないのか?

亡くなった生徒の親御さんに泣いて詫びたとか
体罰容認は間違っていた・・とインタヴューにアケスケと答える様にはぞっとした。
生徒の命を絶たせることになった大きな罪が橋下市長にはある。

反省しておとなしくなるどころか、生徒の自殺を利用して教育批判にこの事件を使う。
入試を中止しなければ予算執行しないとか騒いでいる。

見るに聞くに耐えない。

こうやって自分の責任をすっかりすり替えるなんてお手の物、ということだろう。

次々と、マスコミや大衆が興味を持ちそうなネタに突っ込み、騒ぎ立てることで持論を通そうとする。

原発にしろ、注目浴びそうなことを言っただけで、いざとなるとスルッと方向転換。

こんなやり方が通ってしまう理由がマスコミが注目するからだ。
見物として面白いから喜ぶ視聴者もいる。だからだとマスコミは言う。
結局は国民も国民ということなんだけど

何でもかんでも彼の言動を取材しようとするのを止めてみたらどうだろう?
あれほど取り上げなければ、彼の力はそれほどでも無くなってしまうだろうに。

彼はいかにマスコミを賑わすか?ということを考えて、あれやこれやに飛びついては使い捨てて行っている。

まさにそれが彼の生命線なのだ。

コメント
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