東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(2010)クロージング作品「波に流れて」は
強烈にノックアウトされた重厚な作品でした。
http://www.contracorrientelapelicula.com/index.php
7月に見て以来、感想を書けないままになってましたが、ちょっと振り返ってみます。
残念ですが、たぶん今後もなかなか見ることが出来る機会は無い映画だと思われますので、
ザザッとネタバレなストーリーを書かせてください。
■■■■■■■■■■■■
ひなびた漁村で、身重の妻と共にわが子の誕生を待つ漁師のミゲル。
しかし、ミゲルには、誰にも言えない秘密があった。
都会育ちの愛人、画家のサンティアゴの存在だ。
密会を繰り返す度に、彼への愛情が深まるミゲル。
でも、自分はゲイではないからとサンティアゴの想いにある以上応えられない。
妻や漁村の村人たちと築き上げた自分もある。
ミゲルを追いかけ村の外れに別荘を構えるサンティアゴ。
2重生活を続けるミゲルであったのだが・・
そんなある日、事件が起こる。
サンティアゴが波に流されてしまったのです。
海に沈み、成仏できないままのサンティアゴはミゲルの元に出てきます。
亡くなったことを知ったミゲルはショックながらも、自分だけに見え、
自分だけと話しが出来るサンティアゴとの状況が、村人や妻を気にせず一緒にいられることに
妙な安堵と幸せを感じてしまうのでした。
さまよっているサンティアゴの亡骸を内緒で捜し続けてたミゲル
とうとう発見してしまうのですが、このままが続いて欲しい・・との気持ちが
海から引き上げることを躊躇させるのでした・・
そんな時、留守となっていたサンティアゴの家が荒らされ
ミゲルと思われるヌード絵図が発見されて村中の噂となってしまう。
出産したばかりの妻にも知られ、妻も大変な苦しみとなってしまいます。
狭い田舎の漁村では、ミゲル一家への視線はそれは厳しいものに。
そして、サンティアゴの亡骸がとうとう網にかかり引き上げられてしまうのでした。
ゲイである息子を受け入れようとしないサンティアゴの母親にとっても
この村の別荘に残された息子の遺品は辛い物だらけ
サンティアゴの母親にすべてを話したミゲルは、
サンティアゴへの愛と、生まれた子供へ恥じない父親であるために、
サンティアゴの葬式を自分があげることを申し出るのだった・・
■■■■■■■■■■■■■■
魂を揺さぶられるドラマでした。
あの田舎の村でまっとうなオトコの漁師でいるためには女性と結婚せねばおれないでしょう。
自分の子供を作りたい、その思いも本当だったと思います。
その子供を作ってくれる妻のことも愛してはいたのだと思います。
すべてはうまく行ってたはずでした。
でも、本当の自分として、本当に愛していたのはサンティアゴでした。
二人はとても愛し合ってたのです。
ギリギリの中で、なんとか割り切りあって関係を続けていたのでした。
でも、あれもこれもと責任を負えることは出来ない・・。
サンティアゴを失って初めて気がついたのでした。
さまようサンティアゴの魂が、誰にも知られず自分のとなりにいてくれる
この妙な状態を、結構都合が良いのかも?と思ってしまうミゲル
街中を手をつないで歩く・・今までしたくても出来なかったことが、この状況では出来る・・
こんな状況の中でありながら幸せを感じてしまうミゲルの切なさ・・見てて堪りませんでした。
どうしても家庭を作りたい、子供が欲しい、ゲイである自分として生きられる訳がない・・
あらゆることを天秤にかけ、自分を抑えることがみなの幸せと考え、女性と結婚するゲイも多い。
そうしたゲイの多くは、ぐっと自分をこらえ、家族への責任を果たしているのだと思う。
頭がおかしくなりそうな、自分を抑え込んだ状況を
少しでもバランスとろうとすることが悪いこととは思えません。
ゲイとしての自分を出せる場を求め、家族には内緒の恋人と付き合ったり、県外で性欲だけを満たすなど、
何とか、何とかと、自分につじつまあわせながら家庭を守っているのだと思う。
自分はそのような人生を背負って生きることを選択しませんでした。
いま付き合っている彼氏くんとの人生、自分を納得できる人生を歩んで行く以外に
自分自身の存在や、出会う人、しいては家族への責任を負えないと思えたからでした。
それを自分勝手だという人もいるでしょう。
同性愛に無理解な社会で、自分を通して生きるということは大変なエネルギーがいることではあります。
そして、身近な家族・両親と向かい合わないわけにはおれません。
それを避け、周辺の幸せのためにと自分を押さえている人が多いのです。
これも、ある意味大変な決断と難題を背負うことを引き受けるという強さがいります。
こんな不幸がこれからも続いていかないように
ゲイである自分を、素直に受け入れることの出来る社会に変えていかねば!と思わずにはいられません。
人の死という、壮絶な状況を前にして、何にも変え難い魂の重さというものに
ミゲルも妻も家族も村人も、本気で向き合わざるをえない
そんな迫力をもって描ききった凄い作品でした。
ガッツーン!!
根性座ったこんな作品に出会えたことを感謝。
■第19回 東京国際レズビアン&ゲイ映画祭
http://tokyo-lgff.org/2010/
強烈にノックアウトされた重厚な作品でした。
http://www.contracorrientelapelicula.com/index.php
7月に見て以来、感想を書けないままになってましたが、ちょっと振り返ってみます。
残念ですが、たぶん今後もなかなか見ることが出来る機会は無い映画だと思われますので、
ザザッとネタバレなストーリーを書かせてください。
■■■■■■■■■■■■
ひなびた漁村で、身重の妻と共にわが子の誕生を待つ漁師のミゲル。
しかし、ミゲルには、誰にも言えない秘密があった。
都会育ちの愛人、画家のサンティアゴの存在だ。
密会を繰り返す度に、彼への愛情が深まるミゲル。
でも、自分はゲイではないからとサンティアゴの想いにある以上応えられない。
妻や漁村の村人たちと築き上げた自分もある。
ミゲルを追いかけ村の外れに別荘を構えるサンティアゴ。
2重生活を続けるミゲルであったのだが・・
そんなある日、事件が起こる。
サンティアゴが波に流されてしまったのです。
海に沈み、成仏できないままのサンティアゴはミゲルの元に出てきます。
亡くなったことを知ったミゲルはショックながらも、自分だけに見え、
自分だけと話しが出来るサンティアゴとの状況が、村人や妻を気にせず一緒にいられることに
妙な安堵と幸せを感じてしまうのでした。
さまよっているサンティアゴの亡骸を内緒で捜し続けてたミゲル
とうとう発見してしまうのですが、このままが続いて欲しい・・との気持ちが
海から引き上げることを躊躇させるのでした・・
そんな時、留守となっていたサンティアゴの家が荒らされ
ミゲルと思われるヌード絵図が発見されて村中の噂となってしまう。
出産したばかりの妻にも知られ、妻も大変な苦しみとなってしまいます。
狭い田舎の漁村では、ミゲル一家への視線はそれは厳しいものに。
そして、サンティアゴの亡骸がとうとう網にかかり引き上げられてしまうのでした。
ゲイである息子を受け入れようとしないサンティアゴの母親にとっても
この村の別荘に残された息子の遺品は辛い物だらけ
サンティアゴの母親にすべてを話したミゲルは、
サンティアゴへの愛と、生まれた子供へ恥じない父親であるために、
サンティアゴの葬式を自分があげることを申し出るのだった・・
■■■■■■■■■■■■■■
魂を揺さぶられるドラマでした。
あの田舎の村でまっとうなオトコの漁師でいるためには女性と結婚せねばおれないでしょう。
自分の子供を作りたい、その思いも本当だったと思います。
その子供を作ってくれる妻のことも愛してはいたのだと思います。
すべてはうまく行ってたはずでした。
でも、本当の自分として、本当に愛していたのはサンティアゴでした。
二人はとても愛し合ってたのです。
ギリギリの中で、なんとか割り切りあって関係を続けていたのでした。
でも、あれもこれもと責任を負えることは出来ない・・。
サンティアゴを失って初めて気がついたのでした。
さまようサンティアゴの魂が、誰にも知られず自分のとなりにいてくれる
この妙な状態を、結構都合が良いのかも?と思ってしまうミゲル
街中を手をつないで歩く・・今までしたくても出来なかったことが、この状況では出来る・・
こんな状況の中でありながら幸せを感じてしまうミゲルの切なさ・・見てて堪りませんでした。
どうしても家庭を作りたい、子供が欲しい、ゲイである自分として生きられる訳がない・・
あらゆることを天秤にかけ、自分を抑えることがみなの幸せと考え、女性と結婚するゲイも多い。
そうしたゲイの多くは、ぐっと自分をこらえ、家族への責任を果たしているのだと思う。
頭がおかしくなりそうな、自分を抑え込んだ状況を
少しでもバランスとろうとすることが悪いこととは思えません。
ゲイとしての自分を出せる場を求め、家族には内緒の恋人と付き合ったり、県外で性欲だけを満たすなど、
何とか、何とかと、自分につじつまあわせながら家庭を守っているのだと思う。
自分はそのような人生を背負って生きることを選択しませんでした。
いま付き合っている彼氏くんとの人生、自分を納得できる人生を歩んで行く以外に
自分自身の存在や、出会う人、しいては家族への責任を負えないと思えたからでした。
それを自分勝手だという人もいるでしょう。
同性愛に無理解な社会で、自分を通して生きるということは大変なエネルギーがいることではあります。
そして、身近な家族・両親と向かい合わないわけにはおれません。
それを避け、周辺の幸せのためにと自分を押さえている人が多いのです。
これも、ある意味大変な決断と難題を背負うことを引き受けるという強さがいります。
こんな不幸がこれからも続いていかないように
ゲイである自分を、素直に受け入れることの出来る社会に変えていかねば!と思わずにはいられません。
人の死という、壮絶な状況を前にして、何にも変え難い魂の重さというものに
ミゲルも妻も家族も村人も、本気で向き合わざるをえない
そんな迫力をもって描ききった凄い作品でした。
ガッツーン!!
根性座ったこんな作品に出会えたことを感謝。
■第19回 東京国際レズビアン&ゲイ映画祭
http://tokyo-lgff.org/2010/