ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

普通の権利を与えるのを渋る感覚

2010-09-04 03:16:59 | Weblog
朝鮮学校の校長をされている在日コリアンの方の講演を聞くことができた。
直接的に話しを聞ける良い機会だった。

同じ日本社会で生活し、見た目も変わらない・・
そこで日本での社会偏見を恐れて、朝鮮学校に通えない通わないことを選択する人が多いとか。
日本の学校に本名を伏して通う。

同性愛者の立場に似てるなと思いながら聞いていた。

それぞれが自分を出せず、中途半端な立ち位置がより孤立を誘う
差別を避けたつもりでも、実際の差別や偏見はなくなっていないから結局降りかかる
そのときの対応方法を学ぶ機会や継承も受けられていない。

日本国籍が無いから日本の社会保障をまともに受けられない
税金は取られるのに帰ってはこない

求めれば日本人に帰化すればよいと言われる
嫌なら日本から出て行けばよいと言われる

自分たちもそうだ、同性愛者という自分を隠しておけば社会は受け入れる
隠してさえいれば、とりあえずの差別や偏見を受けることはないだろう?と

日本の社会の異質な他者へ「権利」を与えることを渋る感覚
この意識はいったいどこから来るのだろう?

あたり前の権利を求めても、排他的な動きで認めない
自分の権利は当然だが、自分より下と見た相手からの要求はなかなか認めない

余裕がない社会がそうさせる
その余裕の無さは、多くの日本人が自分自身を見つめてないことから出てくるのではないか?

立ち向かってこられた強い意志、アイデンティティーの積み上げから出てくる視点に共感するものがあった。

差別発言が表現の自由として認められてしまう、ビックリな日本社会
改めて気がつかさせてもらえることが多かった有難い機会だった。

コメント (1)
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