シェマー、イスラエル

2012-11-01 23:38:09 | インポート
こんばんは~、マリーで~す。今日はねえ、うちのおばはんは昨日からのパソコンのリカバリーやセットのやり直しでほとんど一日潰しちゃったの。だってさあ、あの人ったら、バックアップとったはずなのに、とってなかったり、もういつものことだけど、ドジなことばっかりしてるんだもの、あれじゃ、明日もまだ仕事が残っちゃってるわよ。

それでも今日は先週から決まっていた聖書の集いの司会を始めてやってみることになっていた日だったから、夕方には切り上げて早めに信濃町の真生会館に行ったのね。うちのおばはんも初めての役だから相当心配だったみたいだけど、あの人に、司会をさせることにした世話役の方も心配だったのか早く来てくれて、わからないところをもう一度教えてくれてたの。

今日はちょうど司教様がご用事でおいでにならないのがわかっていたから、うちのおばはんもやってみる気になったのよ。あの人、緊張するとしどろもどろになっちゃったりするから、司教様がいない日のほうがやりやすいと思ったわけね。思ったとおり、今日あたりだったら、顔見知りばかりで人数もまあまあだし、初めてでも隣に世話役の方が座って教わりながら、何とかかんとか無事にやりとげたわよ。ほんでもって、あんまり間をおかずに、忘れないように近いうちにまたもう一度おなじようにやってみるんですって。

それで今日の聖書の箇所が今度の日曜日の福音で、神様が人間に与えた二つの掟のところだったの。イスラエルよ、聞け(シェマー、イスラエル)で始まる掟よ。それで、あの人は、この間からアメリカの猫先生がツイッターや、はてなブログで書いている現代のユダヤの人たちのことも思い出したのね。シェマー、イスラエルという言葉は今の時代にもキリスト教の世界にもユダヤの人たちの中にも連綿と受け継がれてきているのよね。だけど、その精神は福音書の時代も現代も、もしかするとおなじようにわかっちゃいるけどやめられない状態なのかもね。神の国から遠くはないんだけど、そんなに近くもないとかさ。

なんかあの人も今日はくたびれちゃってるみたいで、やたらしち難しい話になっちゃうから今日はこの辺で終わりにしておくわね。ほんじゃまたね。


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