驚いた、驚いた

2014-09-27 21:19:28 | Weblog
お昼過ぎごろに木曽の御嶽山の噴火のニュースをちょこっと書いて、別の用事をしてからtwitterを見ると、噴火のニュースはさらに重大事になっていた。

火山の噴火というだけなら鹿児島の町を覆いつくすような火山灰のニュースが頭に浮かぶくらいだが、今回はまさかの突発事で登山中の方たちも大勢巻き込まれたり、予想もしていないときに予想外の状況だ。まだはっきりしないが、どうも亡くなられた方も一人や二人ではすまないようだ。灰に埋まってしまっている方たち、果たしてどうなっているのか。

まさかのまさかだ。アメリカの知人の便りで、たしかに火山噴火の怖さに目が向いてはいたが、今現在の日本での今まで大人しかった火山がいきなり噴火するとは。まさにいつどこで突然に起こるかわからない火山噴火、自然災害の怖さを実際に見せられてしまってびっくり仰天だ。

そんなことはあるわけがないなどと頭から否定していると、どんな煮え湯をかぶることになるかもわからないという教訓かも。しかし、それでもいつか将来は必ずやってくるどうにも防ぎようのないような問題には、ちっぽけな一人一人はどう立ち向かえようか。

今日の噴火で火山灰の噴出がどのくらいの高さまでいったのか、ちょっと気になる。大きな噴火活動は地球の天候に影響していく。火山灰が地球上空を覆うとき、ひどいときは気温が上がらなくなりすぎて食料生産に影響する。江戸時代のたびたびの大飢饉の記録を見れば火山噴火と天候不順の関係、農作物の不作の関係がよくわかる。それが世界的になると大聖テレジアの時代のスペインのような事も起こったわけだ。でもその程度で済んでくれればまだいいのだが、人類史はさまざまな出来事があって今日まできたのだ。この先も何が起こっても不思議ではない。
 

木曽御嶽山で噴火

2014-09-27 13:17:16 | Weblog
知人からのニュースで火山や、地下火山の活動状況に関心が向いていたところだったから、NHKニュースに木曽御嶽山の噴火の話が出てきたのにはちょっと驚いた。日本は元来が火山の多い国だから数年に一度はどこかで大きな噴火も起きているわけだが、どうもよい気分はしない。


大自然の活動は人間の思い通りには行かない部分がたくさんあるのに、それには目を閉じてみないことにして、目先の利益を優先しているのが人間の弱さだろう。それについてとやかく言う資格などないが、でもいざというときのリスクの危険性くらいは一応心の片隅においてある。どうすることもできない以上一緒に責任を負うしかなかろう。


現世人類の文化と文明の歴史など、高々、十万年、二十万年といった年月しかないのに、プルトニウムの半減期までこの先どれだけの年月が必要なのかも考えられていない現実もおそろしいがどうしようもない。人類の古い古い神話や伝説の中に破滅と再生の繰り返しのテーマがいくつも出てくるのは意味のないことなのだろうか。今は亡き、アメリカのサイエンスファンタジーフィクションの作家(ミステリーのほうが知られているかも)、フレドリック・ブラウンの小品に「不死鳥への手紙」というのがあった。もしかしたら現実の人類の歴史も、シジフォスの神話のように高く高く積み上げては崩れて、そのたびに再びはじめから積み上げていく「不死鳥への手紙」のテーマさながらなのかもしれない。ただ、その周期は何十万年という年月があるから誰もかこのことなどわからないのだ。


60数万年前に超巨大噴火が起こって、周期から行くと、そろそろまた危険が近づいているのかも知れないという説があっても、なにぶん人類は個体一世代の寿命が非常に短いからまだまだ当分先のことだろうで済ましていられる。よいかわるいかはとにかく、心配しているだけの時間がないのだから。


同じ理由で自分に理解できないことは始めから心理学火遊びなどと茶化して受け入れない。最も受け入れたところで、何十万年、何百万年などという年月は誰も把握できはしないからなんということもないわけだ。わかることがあるとすれば、人間という存在のちっぽけさと、地球の歴史はもちろん、この大宇宙の歴史さえも超えたはるかなるお方、神様のとてつもない偉大さくらいだろう。









森山良子 ♪禁じられた恋

2014-09-27 12:46:21 | Weblog
最近はどうも怪しくなってきた記憶をたどると、この歌で、それまでの主に学生相手のフォークソングの世界からメジャーの音楽界に森山さんが参入した始まりがこの歌だったと思う。こういうのはこういうので好きだけど、まさか、アレアレアレの時代までくるとはおもってもみなかった。



森山良子 ♪禁じられた恋