阪急交通社のバスツアー「天空の城・竹田城跡と天橋立・3つの絶景遊覧紀行3日間」の2日目の2014年9月12日(金)、竹田城跡見学(その2)。
国史跡・竹田城跡:標高353.7mの山頂に位置する竹田城跡は、嘉吉3年(1443)に但馬の守護大名由名宗全が基礎を築いたとされ、太田垣氏が7代にわたって城主となりましたが、織田信長の命による秀吉の但馬征伐で天正8年(1580)に落城。最後の城主・赤松広秀が豪壮な石積みの城郭を整備したと言われます。 また、竹田城跡周辺では、秋から冬にかけてのよく晴れた早朝に朝霧が発生し、但馬地方の風物詩となっています。雲海に包まれた竹田城跡は、まさに天空に浮かぶ城を思わせ、この幻想的な風景を一目見ようとたくさんの人々が訪れます。
縄張り(平面構成):縄張りの規模は南北400m、東西100mに及び、完存する石垣遺構としては全国屈指のもので、平成18年には日本城郭協会により「日本100名城」に選定されました。自然石を巧みに配置した穴太(あのう)積みの石垣は、400年を経た今でも当時の威容を誇っています。
ボランティアガイドに案内されて「大手門口」から入場です。そこからすぐ右側に曲がった所にある「北千畳」の上で竹田城の歴史などの話を聞きました。
(上と下)大手門を上った所にある石垣。「大手虎口」と呼ばれている所。この辺りの石垣に「ナツヅタ」が茂っていました。
虎口・小口(こぐち):城壁・陣営の門に枡形を造り、曲って出入りするようにした要所の出入口。[岩波書店発行「広辞苑」(第5版)より]
(下)北千畳から見た南千畳。この一本の松の木がシンボルツリーになっているようです。
(上)穴太(あのう)積みの石垣:竹田城の石垣は、安土城や姫路城と同じ「穴太(あのう)積み」で築かれています。穴太積みとは、大津市坂本町穴太に住む「穴太衆」という人々が持つ石積み技法をいいます。
(上)算木積み:算木積みとは、石垣の出角部分において、長方体の石の長辺と短辺を交互に重ねて積んでいく技法です。これにより、石垣の強度が増し、崩れにくくなります。竹田城では、天守、本丸、北千畳など多くの場所で算木積みを確認することができます。
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