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peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

仙台市博物館「しろ・まち講座」を聴く!(その1)2018年11月17日(土)

2018年11月19日 | 博物館/資料館

 

2018年11月17日(土)、仙台市博物館[仙台市青葉区川内26番地(仙台城三の丸跡)]主催の特別展「戊辰戦争150年」を 観に行ってきました。この特別展は、新潟県立博物館(長岡市)と福島県立博物館(会津若松市)と仙台市博物館(宮城県)の3館共同企画によるもので、戊辰戦争で使用された錦旗など素晴らしいものが沢山展示されていました。

 また、この日は「しろ・まち講座 3館共同企画『戦争150年』見どころを語る」(申込制・聴講無料、定員200名、博物館ホール、13:00~16:00)という講座が行われましたので、併せて聴講してきました。講師は田邊幹氏(新潟県立歴史博物館・主任研究員)、阿部綾子氏(福島県立博物館・学芸員)、水野沙織(仙台市博物館・学芸員)。

 最初の講義は、福島県立博物館・学芸員阿部綾子さんの「証言記録でたどる会津藩の戊辰戦争」。

1.会津藩の成り立ち~土津(はにつ)様の教え

 この3館共同企画「戊辰戦争150年」は、渋谷源蔵という会津藩士をナビゲーターとして起用しており、彼が残した詳細な記録と自伝をもとに、源蔵が伝えたかった想いを紹介しています。

 

 


仙台市博物館「戊辰戦争150年」を観る!2018年11月17日(土)

2018年11月19日 | 博物館/資料館

2018年11月17日(土)、仙台市博物館[仙台市青葉区川内26番地(仙台城三の丸跡)]主催の特別展「戊辰戦争150年」を 観に行ってきました。この特別展は、新潟県立博物館(長岡市)と福島県立博物館(会津若松市)と仙台市博物館(宮城県)の3館共同企画によるもので、戊辰戦争で使用された錦旗など素晴らしいものが沢山展示されていました。

 

 

 


一関市民俗資料館を観る!(その3)2018年11月4日(日)

2018年11月14日 | 博物館/資料館

2018年11月4日(日)一関市民俗資料館(一関市大東町渋民字小林25)が、平成30年11月1日に開館し、公開しているというので観に行ってきました。この建物は、平成24年度まで渋民小学校の校舎だった建物で、現在は1階渋民市民センター2階民俗資料館となっています。展示ホール、展示室、資料室1と2、学習室等があります。昭和30年代を中心とした人々の暮らしや生業の様子を伝える生活用具、農具などを展示して、一関地方のかつての暮らしの様子を紹介する施設です。

https://www.iwanichi.co.jp/2018/10/30/247789/ [民俗資料館が完成 旧渋民小を改修整備 来月1日にオープン 大東(一関):Iwanichi Online 岩手日日新聞社]

 2階の「展示室」に設けられた『農家の四季』というコーナーには、春夏秋冬にまとめて農機具などが展示されていました。

(下)馬耕(ばこう):馬や牛に引かせて田圃の土を掘り返す鋤。その馬や牛を誘引する「口取り」と呼ばれた仕事は、子供も担わされました。

 


一関市民俗資料館を観る!(その2)2018年11月4日(日)

2018年11月13日 | 博物館/資料館

2018年11月4日(日)一関市民俗資料館(一関市大東町渋民字小林25)が、平成30年11月1日に開館し、公開しているというので観に行ってきました。この建物は、平成24年度まで渋民小学校の校舎だった建物で、現在は1階渋民市民センター2階民俗資料館となっています。展示ホール、展示室、資料室1と2、学習室等があります。昭和30年代を中心とした人々の暮らしや生業の様子を伝える生活用具、農具などを展示して、一関地方のかつての暮らしの様子を紹介する施設です。

https://www.iwanichi.co.jp/2018/10/30/247789/ [民俗資料館が完成 旧渋民小を改修整備 来月1日にオープン 大東(一関):Iwanichi Online 岩手日日新聞社]

「展示室」には囲炉裏(いろり)が造られて「一日の暮らし」が紹介されていました。私が子供時代を過ごした福島県郡山市郊外の農村地帯にある農家の母の生家もほとんど同じでした。私は、父の勤務先の都合で昭和29年には福島市の郊外の村に引っ越したため、囲炉裏のある家とはおさらばしましたが、昭和40年代まではかなり残っていたように思います。

真ん中にあるのは自在鈎(じざいかぎ)と呼ばれていたもので、鍋(なべ)や鉄瓶などを吊して煮炊きしました。上の正面が「横座」と呼ばれていた主人が座る場所で、左側が「かか座」と呼ばれていた主婦などが座る場所でした。右側は子どもたちなどが座る場所で、客があるとそこに座らせました。囲炉裏の木灰の上には、熱い鉄瓶などを載せておく「五徳」と呼ばれていたものが置かれていました。細長い五徳の上で良く餅を焼いて食べたことを思い出しました。

(上)ご飯を炊いた後「くど」と呼んでいた炉から下した炊飯器(「羽釜」と呼んでいました)を載せて置く台。

電気が普及する前は、「石油ランプ」と呼んでいた灯油や菜種油を使った照明器具。芯を調整することで明るくしたり、少し暗くしたりしました。「ほや」と呼ばれた風防ガラスは、すぐ汚れてしまうので、それを磨くのは手の小さい子供の仕事でした。

日常生活の履物は、藁ぞうりや木製の下駄が普通でした。「草鞋(わらじ)」も残っていましたが、少なくなっていたように思います。昭和30年頃に高校生活を送った私は、通学の際、粋がって冬でも朴歯の高下駄を履いていました。雪が積もっている道を歩くときは、歯に雪が詰まってしまうので、時々電柱などに打ち付けて雪を落としながら歩いたものです。

(上(動物の毛皮を裏に使用した「袖なし」。普通は綿を入れたものが多かったと思います。

(上)「どんぶく」と呼ばれていた「寝巻」。夜寝る前などにもよく着ていました。

(上)竹(高)箒、座敷箒。高帚は木の葉などの掃除に今でも使いますね。

 


一関市民俗資料館を観る!(その1)2018年11月4日(日)

2018年11月13日 | 博物館/資料館

 

2018年11月4日(日)一関市民俗資料館(一関市大東町渋民字小林25)が、平成30年11月1日に開館し、公開しているというので観に行ってきました。この建物は、平成24年度まで渋民小学校の校舎だった建物で、現在は1階渋民市民センター2階民俗資料館となっています。展示ホール、展示室、資料室1と2、学習室等があります。昭和30年代を中心とした人々の暮らしや生業の様子を伝える生活用具、農具などを展示して、一関地方のかつての暮らしの様子を紹介する施設です。

https://www.iwanichi.co.jp/2018/10/30/247789/ [民俗資料館が完成 旧渋民小を改修整備 来月1日にオープン 大東(一関):Iwanichi Online 岩手日日新聞社]

磐井の暮らし~昭和30年代を中心に:人々は牛や馬で物を運び、田畑を耕していました。身の回りの物で道具を作り、住む家を作っていました。家族が助け合い、近所の人たちが力を合わせて暮らしていました。

 山と川、豊かな風土の中で営まれていた磐井の暮らしを再発見してください。

(下)養蚕関係の用具:私は5歳のとき、福島県郡山市郊外の農村地帯にある母の生家に疎開した(昭和19年)こともあって、母の生家で祖母や叔父、叔母などが営んでいた養蚕を見て育ちましたので、養蚕関係の用具等が特に懐かしく感じました。

養蚕農家は、「お蚕さま」と呼んで、蚕を大切に扱っていました。鼠が食うので、猫を飼い、天井板を張った部屋で、暖房などもしていました。

 用具だけ見ても当時の様子を想像することは出来ないと思いますので、もっと写真などで説明していただけたらと思いました。

(上)蚕を飼育する蚕座:蚕桑の葉を与えて、繭をつくる直前まで飼育する所です。蚕が桑の葉を食べなくなり(この状態を「よどむ」と云いました。)繭を作りたがっているのを察知して「まぶし」に移すのですが、間に合わずにここで(まゆ)を作られてしまうこともありました。 

(上)未だ幼齢の蚕には、柔らかな葉を刻んで与えたり、葉だけを摘んで与えたりしますが、終齢期頃には枝ごと与えなければ間に合わないほど食用旺盛になります。

 桑の葉は、屋敷の周りの桑畑で栽培しているものを、一枚ずつ手摘みしたり、最盛期には枝ごと切り取って与えますので、長年養蚕を続けていると、桑の木は瘤だらけの姿になり、葉の出方が悪くなるので、適宜更新するようです。囲炉裏(いろり)には、良く桑の根などがくべてありました。(イロリの熱灰の中にサツマイモを入れて、「焼き芋」がつくられました。とても美味しかったです。)

 桑の葉は、雨に濡れたものは与えない(特に幼齢の蚕には)ようにしなければなりませんので、常に新鮮な桑の葉の備蓄が必要でした。かさばるが、圧縮するわけにもいかないので、大きな竹で編んだ桑籠が使用されました。母の生家には、孟宗竹の屋敷林があり、叔父が鋸と短刀のようなものを使って、こうしたを作っていました。

母の生家でも、このような藁まぶし機を使って、まぶしを作っていました。

(上と下)回転まぶし:このような区画された中に「桑の葉を食べなくなった(終齢の)蚕」を入れ、(まゆ)を作らせます。たまに同じ区画に2匹が入ってしまい、くっついた繭をつくることもあります。