日曜の日経といえば、一番最後の紙面の「漢字学」が楽しみだ。
今朝の記事は、寿司屋でよく見る魚編の漢字がほとんど国字であること。そしてその理由を説明している。
なるほど。
古来、中国人は内陸に住み、一生のうちに海を見ない人がほとんどであった。そのため、魚の種類を表す単独の漢字がなかった。
そういうことらしい。
例として「鰯」を上げているが、これは日本で作った漢字で、中国語には固有の字はなく、英語の sardine から逆成した「沙丁」という字があてられている。
面白いね。
*****
さて、文化欄には作家で僧侶の玄侑宗久さんが書かれている。
長々と書かれているが、結局こういうことを言いたいらしい。[ ]内は、これを読んだ若い人達の反応を私が勝手に忖度したもの。
1.今、宗教に人が集まらなくなっている。(で?)
2. 悲しい。(へー)
3. その原因はネットだ。(えっ?ザワザワ)
4. ネット社会といえばキノコを憶いだす。(また唐突に)
5. キノコは大地に根ざしている。(ま、そだねー)
6. 大地は素晴らしい。(うーん。どこに持って行こうとしてるの?)
7. キノコの菌糸は、大地で無限大のネットワークを築いている。(そういう見方もあるね。)
8. ネットは空中を飛び通う。(結構、大地の中を飛び通っている部分もあるけど。)
9. ネットが繁栄する一方で、大地の連携は常にないがしろにされ、寸断されてきた。(???)
10. 結論(この部分は、原文のまま):『「キノコたちよ、立ち上がれ」。巨大なキノコキャラを被った私が必死に叫ぶ。もはや、ネット社会に対抗できるのは大地、いや菌糸のネットだけだと、思い詰める私の最近の夢である。』(おじさん。お薬出しましょうか?)
菌糸のネットワークは、むしろネット社会を連想させるけど。この人、あまりネットの実態を知らないのでは?
この投稿は、出だしからネット社会に対する悪意がむきだした。
これも原文のままで引用すると:
『裏社会、というと、普通はやくざやマフィアの世界を想うことだろう。しかしここで私が言いたいのは「ネット社会のことである。』
後は読まなくても分かると思った。しかし一応芥川賞作家でもあるし、少し読んでみるかと思ったら、上のような作文だった。
カトリックのスキャンダルも露見して宗教はいよいよその歴史的価値を無くし、権威を失いはじめているが、こんな作文では芥川賞の権威まで傷つくのでは、と思いました。
さて仕事、仕事。
*****
内田樹先生が渾身の力を振り絞って大阪万博に反対しているね。
こちらのブログ記事。
とにかく反対できる理由があれば、何でもいい。という感じ。
その最後の結論部分をそのまま転記します。
『国際博覧会は会場面積や会期にばらつきはあるが、ほぼ隔年で開催されている。21世紀に入ってからの開催都市は、ハールレマミーア(オランダ)、ロストック(ドイツ)、チェンマイ(タイ)、サラゴサ(スペイン)、上海、麗水(韓国)、フェンロー(オランダ)、ミラノ、アスタナ(カザフスタン)である。そのうちメディアが詳細に報道したのは、参加国が万博史上最多、敷地面積最大だった上海万博(2010年)くらいで、あとは記憶にないという方が多いだろうと思う(私もほとんど知らない)。去年の万博の開催地を訊かれて「カザフスタン」と正解できる日本人はきわめて少ないはずである。だが、カザフスタンのアスタナは「一帯一路」プロジェクトの要路にあり、今世界中の投資家が注目している都市である。今回の誘致合戦で大阪と競合しているバクーは「第二のドバイ」として世界最高のタワーや人工島の建設で賑わっている。参考までに言えば、再来年の万博開催地は中東の金融センター、ドバイである。
そのような勢いのある都市が万博に手を挙げてくる。それはそれらの都市の人々が自分たちの街から今「何か新しいもの」が生まれつつあるという手応えを感じているからである。だから、それを世界に向けてアピールしたいのである。「私たちの街を見に来てくれ。きっと肝をつぶすぞ」と思って、気分が前のめりになっているのである。たしかに1970年の大阪にはそのような勢いがあった。21世紀の上海やアスタナやドバイに匹敵するような野生的な生命力が当時の大阪には漲っていた。それはリアルタイムでその時代を生きた人間にはよくわかる。そういう街でかつて万博が開かれたことを私はなつかしく回想する。けれども、同じことが同じ場所でもう一度起こるだろうという予測には与することができない。』
団塊の世代の全共闘シンパの方達は、いつまで自分達が日本の主人公だと思っているのだろう。
『それはリアルタイムでその時代を生きた人間にはよくわかる。そういう街でかつて万博が開かれたことを私はなつかしく回想する。けれども、同じことが同じ場所でもう一度起こるだろうという予測には与することができない。』と言うけど、今の日本の若者にとって、大阪万博など過去の出来事で「なつかしく回想」などできない。
『それはリアルタイムでその時代を生きた人間にはよくわかる。』というのも、日本の若者には嫌みでしかないと思うが、いかが?
あと、上海万博をそれとなく持ち上げたり、おそらくぽしゃると思われる「一帯一路」に触れたりしていて、先生の立ち位置がよく分かるブログでした。
今朝の記事は、寿司屋でよく見る魚編の漢字がほとんど国字であること。そしてその理由を説明している。
なるほど。
古来、中国人は内陸に住み、一生のうちに海を見ない人がほとんどであった。そのため、魚の種類を表す単独の漢字がなかった。
そういうことらしい。
例として「鰯」を上げているが、これは日本で作った漢字で、中国語には固有の字はなく、英語の sardine から逆成した「沙丁」という字があてられている。
面白いね。
*****
さて、文化欄には作家で僧侶の玄侑宗久さんが書かれている。
長々と書かれているが、結局こういうことを言いたいらしい。[ ]内は、これを読んだ若い人達の反応を私が勝手に忖度したもの。
1.今、宗教に人が集まらなくなっている。(で?)
2. 悲しい。(へー)
3. その原因はネットだ。(えっ?ザワザワ)
4. ネット社会といえばキノコを憶いだす。(また唐突に)
5. キノコは大地に根ざしている。(ま、そだねー)
6. 大地は素晴らしい。(うーん。どこに持って行こうとしてるの?)
7. キノコの菌糸は、大地で無限大のネットワークを築いている。(そういう見方もあるね。)
8. ネットは空中を飛び通う。(結構、大地の中を飛び通っている部分もあるけど。)
9. ネットが繁栄する一方で、大地の連携は常にないがしろにされ、寸断されてきた。(???)
10. 結論(この部分は、原文のまま):『「キノコたちよ、立ち上がれ」。巨大なキノコキャラを被った私が必死に叫ぶ。もはや、ネット社会に対抗できるのは大地、いや菌糸のネットだけだと、思い詰める私の最近の夢である。』(おじさん。お薬出しましょうか?)
菌糸のネットワークは、むしろネット社会を連想させるけど。この人、あまりネットの実態を知らないのでは?
この投稿は、出だしからネット社会に対する悪意がむきだした。
これも原文のままで引用すると:
『裏社会、というと、普通はやくざやマフィアの世界を想うことだろう。しかしここで私が言いたいのは「ネット社会のことである。』
後は読まなくても分かると思った。しかし一応芥川賞作家でもあるし、少し読んでみるかと思ったら、上のような作文だった。
カトリックのスキャンダルも露見して宗教はいよいよその歴史的価値を無くし、権威を失いはじめているが、こんな作文では芥川賞の権威まで傷つくのでは、と思いました。
さて仕事、仕事。
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内田樹先生が渾身の力を振り絞って大阪万博に反対しているね。
こちらのブログ記事。
とにかく反対できる理由があれば、何でもいい。という感じ。
その最後の結論部分をそのまま転記します。
『国際博覧会は会場面積や会期にばらつきはあるが、ほぼ隔年で開催されている。21世紀に入ってからの開催都市は、ハールレマミーア(オランダ)、ロストック(ドイツ)、チェンマイ(タイ)、サラゴサ(スペイン)、上海、麗水(韓国)、フェンロー(オランダ)、ミラノ、アスタナ(カザフスタン)である。そのうちメディアが詳細に報道したのは、参加国が万博史上最多、敷地面積最大だった上海万博(2010年)くらいで、あとは記憶にないという方が多いだろうと思う(私もほとんど知らない)。去年の万博の開催地を訊かれて「カザフスタン」と正解できる日本人はきわめて少ないはずである。だが、カザフスタンのアスタナは「一帯一路」プロジェクトの要路にあり、今世界中の投資家が注目している都市である。今回の誘致合戦で大阪と競合しているバクーは「第二のドバイ」として世界最高のタワーや人工島の建設で賑わっている。参考までに言えば、再来年の万博開催地は中東の金融センター、ドバイである。
そのような勢いのある都市が万博に手を挙げてくる。それはそれらの都市の人々が自分たちの街から今「何か新しいもの」が生まれつつあるという手応えを感じているからである。だから、それを世界に向けてアピールしたいのである。「私たちの街を見に来てくれ。きっと肝をつぶすぞ」と思って、気分が前のめりになっているのである。たしかに1970年の大阪にはそのような勢いがあった。21世紀の上海やアスタナやドバイに匹敵するような野生的な生命力が当時の大阪には漲っていた。それはリアルタイムでその時代を生きた人間にはよくわかる。そういう街でかつて万博が開かれたことを私はなつかしく回想する。けれども、同じことが同じ場所でもう一度起こるだろうという予測には与することができない。』
団塊の世代の全共闘シンパの方達は、いつまで自分達が日本の主人公だと思っているのだろう。
『それはリアルタイムでその時代を生きた人間にはよくわかる。そういう街でかつて万博が開かれたことを私はなつかしく回想する。けれども、同じことが同じ場所でもう一度起こるだろうという予測には与することができない。』と言うけど、今の日本の若者にとって、大阪万博など過去の出来事で「なつかしく回想」などできない。
『それはリアルタイムでその時代を生きた人間にはよくわかる。』というのも、日本の若者には嫌みでしかないと思うが、いかが?
あと、上海万博をそれとなく持ち上げたり、おそらくぽしゃると思われる「一帯一路」に触れたりしていて、先生の立ち位置がよく分かるブログでした。