厳かなるメリハリっ子

モラハラ妻から逃れて20年。70歳に向けて厳かな人生を送る年金受給者のブログです

74 87-146 9175 アマゾンが10年以内にぽしゃるか?

2018-11-22 07:26:31 | 日記
そんな記事がネットに出ていた。

筆者はどうやら米国の小売コンサルタントだ。

彼の根拠と、それに対する日本人閲覧者のコメントを読んだ。

結論として、このコンサルタントの予測は外れると思った。

今から外出なので、帰宅して時間があれば、自分の考えをまとめようかな。

*****

外出中に水道の不通が直ったという連絡を受けた。

今、帰宅して確認した。

やれやれ。

このあたりは地震や水害は皆無なので、停電はたまにあっても、断水はない。

水がないとどんなに困るかということが分かった。

いつ来るかも知れない地震のいい演習になった。

結局、業者が立水栓を交換するときに、やはりメインの配管を切って、それを復旧していなかった。

本人も「思い込んでました」とメールの報告に書いている。

そう。自分で思い込むと、自分ではなかなかそこをほじくり返さない。最近、私の仕事は家事でよくあるパターン。

ただ、この業者の担当者はまだ若いのだから、ぼけ老人のような思い込みは直して欲しい。これは一種の癖でもあるから。

さて、水がないと困ること。今回痛感した。災害に遭われている方は、今更なにをと思われるだろうが、何分私は始めてなので、備忘を兼ねて、箇条書きする。

1. トイレが流せない。

2. シャワーも浴びれない。

3. 料理は勿論だめ。

4. 洗い物もだめ。コンビニで買ったラーメンを食べることはできるが、使った箸は洗えない。

5. 勿論、コーヒーカップも洗えない。本当に、まった洗えないので、呆れてしまった。

6. 防災用に大きなポリタンク2個に水を溜めていた。

  これが大きすぎる。

  そして重すぎる。

  トイレは1階に2箇所、2階に1箇所ある。1階のは水道直結で水を流すタイプなので、今回は全く使えなかった。2階は、断水に備えて、水タンクを備えたタイプなので、手動でこのタンクに水を入れれば、問題なく使える。

  しかし使う度に、当然ながら水を補充しなければならない。

  この大きなポリタンクは余りに大きすぎて、まず、1階から2階に持ち上げるのに苦労した。自分の腕の力、手の力が衰えていることに愕然とした。考えてみれば、この水を用意したのはもう10年以上前。まだ私が体力的に元気だったころだ。

  それが還暦を過ぎて、物を持ち上げる力が情けないほど衰えている。

  もっと大変なのは、トイレの水タンクに水を入れる時、と分かった。

  水タンクの頂上というかダムでいう天端部分は思ったより高い位置にあるので、そこから更に水が来るようにポリタンクを持ち上げる必要がある。

  これが、トイレの形状のせいもあり、身体にとって不自然な姿勢を強要する。

  階段を上る時は、だらんとポリタンクを下げた状態で、全ての重心が身体本来の重心に揃うようにできる。従って、腰を痛める要素はあまりない。

  しかし、トイレの後ろにある水タンクにポリタンクを持ち上げて、かつタンクから出たプラスチックの注ぎ用の突起を、トイレの水タンクの中に収めるよう「支える」のは、身体、特に腰にとって大変な脅威になることが分かった。

  よって、明日にでもホームセンターに行って、5リットルとか、もっと容積の小さいポリタンクを買うことにした。

  これを数多く備え、運ぶ頻度は増えても、水を注ぎ込む時の腰への負担を軽くする。

  これがとても大事な戦略だと分かった。ちなみに、2階には、東北大震災の直後に、2リットルのペットボトルに水を入れたものが数十本備蓄してあったので、昨日と今朝は、これをかなり使った。おかげてポリタンクは一回の出動で済んだ。

7. 一滴も水が出ないので、薬も飲めない。無慈悲だ。

8. 朝、顔も洗えない。もちろん歯磨きは論外。ただ、昨日、あわててサントリーの天然水(2リットル)を箱買いしたので、そのうちの1本を洗面器にぶちあけて顔だけは洗った。

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完全断水でも息子は泰然として、文句もなにも言わなかった。これは助かった。

もしおばあちゃんがいたら、結構大変なことになっていただろう。老人ホームに入って本当によかった。

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昼は、隣々町の「かつや」で定番のかつ丼(並)と豚汁をいただいた。

至福の一時だ。

ここ数日、テレビと新聞はゴーンさんのことばかり。実態が明らかにつれて、ネット上の反応も「なぜそこまで強欲に」という呆れたね、というコメント、意見が多い。

ま、まともな日本人ならそう思うね。

彼は私とほぼ同年齢だが、100億を超える金を手にして、何に使うのだろう、と素朴に思う。

私などは泡沫小市民なので、月1回かつやのかつ丼が食べられれば、十分幸せと思っているのだが。

「幸せ」という思いは主観的なものなので比較すべきものではない。しかし、ゴーンさんが新しい奥さんとのベルサイユ宮殿での結婚式で感じた(と思われる)「幸福感」よりは、この小市民である私が今日、昼に感じた「幸福感」は、圧倒的に留保のない、不安のない、純粋な幸福感だったと思う。(ま私の方が明らかに呆けているのがそのい理由かもしれないが)

そこでふと思った(朝日新聞文学を流用)。

今頃ゴーンさんも東京拘置所でかつ丼を食べているのかな?