チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー『悲愴』の主題/先人、前作から引き継がれたもの」

2010年02月28日 17時50分01秒 | 悲愴中毒(おreたちdニasはない
JRAの角田晃一騎手が今日で引退し、調教師に転身した。
モンキー乗りの中でも最も尻をあげた姿勢の
騎乗フォームが特徴だった。が、
世紀が変わった2001年、馬齢の変更の年の東京優駿を勝った
ダービー・ジョッキーというのが、他の騎手との大きな差異である。
ダービーのみならず、春の天皇賞も勝った、
真のジョッキーのひとりでもある。ちなみに、
「幻の三冠馬」と言われたフジキセキ号の世代の
1995年のダービーは、枠連7-7というゾロメだった。
馬は草食動物であるが、シャチは肉食動物である。
引きずりおろされただけで喰われなかっただけ、
溺死したフロリダの女"調教師"はまだましだったかもしれない。
猿回し芸は"動物好き"なむきに人気がある。が、
猿が芸をするのは楽しくてやってるわけでも、
ヒトとの友好なコミュニケイションの一環としてやってるわけでもない。
恐怖を植えつけられエサを与えられる上下関係を強いられたから、
やってるだけなのである。猿回しの芸を覚えさせる前に、
非常に残忍で惨い馴致が行われる。
首根っこをつかみ顔を床に押さえつけ、
鳴きわめく猿を、これでもかこれでもかと威嚇し屈服させる。
家庭で犬を飼う行為も、程度の差こそあれ、
根本は同じである。犬は動物である。
エサがなくては生きられぬ。苦労してエサを探さなくても
"猫かわいがり"してくれるうえに御馳走を与えてくれる
"飼い主""御主人様"であるニンゲンサマには、
愛想のひとつもふりまいて尻尾を振ってやるよ、
というものである。
「私のワンちゃんは私の心がわかるのよぉ~~~」
いっぽう、道端で哀れさをよそおった姿を晒す
野良猫を「かわいぃ~~~」などと抱き上げ、
頬ずりする命知らずの勇猛なむきもある。ゴキブリと同じくらい
病原菌類や塵をくっつけてるのにもかかわらず。
Viola: I pity you.
Olivia: That's a degree to love.
(拙大意)ヴァイオウラ: お嬢様のお気持ちお察しいたします。
    オリヴィア: 気持ちを察するってほとんど恋心と同じものよね。
これを、
A pity is akin to love? or,
A pity is skinship(和製英語) to love?
「可哀そうだたぁ、惚れたってことよ」
と吾輩は猫である漱石先生は「三四郎」で脚色した。もっとも、
リヒャルト・シュトラウスの"Der Rosenkavalier(薔薇の騎士)"の
ホフマンスタールの台本による噺が、
シェイクスピアの"Twelfth Night"の筋と、
どこが違うのか判らない拙脳なる私には、
動物への支配欲求を発揮するむきの本能など
解るべくもないが。

ところで、Violaといえば、
チャイコフスキーの「交響曲第6番」=「悲愴交響曲」の第1楽章主部の主要主題は、
それぞれにディヴィズィされたViolaとVioloncelloの
弦楽4部によって提示される。
[アッレーグロ・ノン・トロッポ(四分音符=126)、4/4拍子、2♯(ロ短調)]
****♪<ラーァッ<シーィッ│<ドーーー・>シー●●・・●●●●
   ・<ラ<レ>ド>ラ│<ドーーー・>シー●●・・●●●●
   ・<ミ>レレッレッ│<ファ>ミミッミッ・>ラ>♯ソ♯ソッ♯ソッ・・<シ>ララッラッ
   ・>ミ>レレッレッ│<ファ>ミ>レッ>ドッ・>シッ<ドッ>シッ>ラッ・・>♯ソー●●♪
この主題の主要な動機、『3度昇って2度下がる』♪『ラ<シ<ド>シ』♪が、
ベートーヴェンが自らフランス語でタイトルを附けたop13のpfソナータ
「グランド・ソナト・パテティク」の主要動機を引いたもの、つまり、
それは遡れば大バッハの「マタイ・パッション」の冒頭の動機である、
というのが私の持論である。が、チャイコフスキーは、
ブラームスや山田耕作や中田喜直のような、
意図も引用の意思もなく、ただ「他作が自作として出力されてしまう」ような
レヴェルの作曲家とはわけが違う。
安っぽい繊維ではなく、複雑で精巧なテクスチュアが織りなす
音楽の最高峰なのである。マタイ・パッション=悲愴ソナータを
そのまま引くだけではない。自身の伝統織と結びつけ、
さらなる高みに達したのである。この
「悲愴交響曲」第1楽章の主要主題は、
フルート2管+クラリネット2管の木管四重奏によって確保される。
****♪●【ミッ<♯ファッ<♯ソッ・
   <ラーァッ<シーィッ│<ドーーー・>シー】●●・・●●●●・
   <ラ<レ>ド>ラ│<ドーーー・>シー●●・・●●●●・
   <ミ>レレッレッ│<ファ>ミミッミッ・<ラ>ドドッドッ・・ド>シシッシッ・
   <ソ>シシッシッ│シ>ララッラッ・<ファ>ミ>レッ>ドッ・・>シッ>ラッ>ソッ>ファッ♪
冒頭に「ミッ<♯ファッ<♯ソッ」弾頭が取りつけられてるのである。
なぜか?
チャイコフスキーの音楽作品は、実際のDNAを伝えれない補償としての
音楽のDNAだからである。
チャイコフスキーの「交響曲第4番」第1楽章の対主題は、クラリネット1管が吹く。
[モデラート・アッサイ、クワーズィ・アンダーンテ、9/8拍子、4♭(が、実質変イ短調)]
*****♪●●●【ミ<♯ファーー、<♯ソ<ラーー、<シ│
   <ドーー、>シ】>ラーーー、>♯ソ<ラーーー・
   ーーー、>ファ<ラーーーーーーー・
   ーーー、>ミ<ラーーーーーーー│
   >♭ラ>ソ>♭ソ>ファ>ミーーーーーーー・
   ーーーー♪
そして、この主題は次楽章、
[アンダンティーノ・イン・モード・ディ・カンツォーナ、2/4拍子、5♭(変ロ短調)]
で、チェロが主題を確保するとき、クラリネット2管がオクターヴ・ユニゾンで吹く
***♪【ミー・<♯ファー│<♯ソー・<ラ<シ│<ドー・>シー│ー】●・●●♪
オッブリガートにも転用される。さらに、
チャイコフスキーの「交響曲第5番」第1楽章の対主題は、
[アッレーグロ・コン・アーニマ(付点四分音符=104)、6/8拍子、1♯(が、実質ロ短調)]
***♪【ミーー・ーー、<♯ファ│<♯ソーー、<ラー<シ│<ドーー・>シーー】│>ミーー・ーーー♪
と提示される。
♪【ミ<♯ファ<♯ソ<ラ<シ<ド>シ】♪
というこの「交響曲第4番」と「交響曲第5番」との
「共有」については、2000年にYAHOO掲示板で私が指摘したのが
おそらく文章になった史上初めてのものだと思う。その後、
2005年に発行された音楽之友社の「作曲家・人と作品シリーズ」の
「チャイコフスキー」(伊藤恵子著)で、著者は
共産主義イデオロギーとは相容れないチャイコフスキーを冷視しつつも、
チャイコフスキーの頭脳に感嘆し、この件について言及してた。が、
2005年当時はまだ私が発表してなかったこの
♪【ミ<♯ファ<♯ソ<『ラ<シ<ド>シ』】♪
「交響曲第6番」との「共有」についてはなぜか触れてない。ともあれ、
「悲愴」の主題は、代々繋がれた看板を引き継いだ
集大成のDNAなのである。
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