チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「フェリーニ『道』のチャイコフスキー『スペードの女王』性/ニーノ・ロータ生誕100年」

2011年12月03日 21時45分00秒 | 倒錯の世界(嗜好の微調節と微ヒョウセツ
週半ばに煎餅の新規注文が入った。
不況なこのご時世で、俸給と頭髪が薄く、
いただける仕事はなんでも引き受ける
煎餅焼き界のジョスカン・デフレと言われる私に
仕事が回ってきたのである。私個人としては
ありがたいことではあるが、
高給でクォリティが高い煎餅屋さんに
どんどん仕事が持ち込まれる世の中であるほうが、
社会全体としては面白い。

ところで、
中央競馬は関東は先週までの東京から中山に移った。
ステイヤーズ・ステークスは三浦騎手のマイネルキッツ号が1着だった。今週も、
8歳馬ながら天皇賞馬が勝ったのである。競走馬といえば、
映画「ザ・ゴッドファーザー」では、
声が出なくなって落ち目になったフランク・スィナトラが
映画「ここより永遠に」の脇役マッジョの役柄に惚れ込んで
その役を狙ったもののなかなか思うようにならなかった、
という実話をもとにした、
ドン、コルレオーネをおちょくった映画プロデューサーが寝てる間に
ベッドにその愛馬の首を入れといて脅威を与えた、
というエピソウドがあったが、その映画での
馬の首は本物の生首だったという。今なら、
動物愛護保護団体から強烈な反対運動が起こることだろう。
恐竜が滅び哺乳類がこんにちこれだけ繁栄できた
最大の功労者である植物は平気で食うくせに、
動物を食うことには異様に目くじらを立てる輩どもである。

その「ザ・ゴッドファーザー」の音楽を担当した
Nino Rota(ニーノ・ロータ、1911-1979)は、
百年前の1911年12月3日に生まれた。Ninoといっても、
愛馬ではなく相葉雅紀がいる嵐のメンバーでも
和也という名でもないが、
秀でた映画音楽作曲者である。本職は
クラスィカルだと言ってたそうだが、
20世紀後半以降に調性音楽の
"新たな創造物"が生まれるはずもない。ともあれ、
父を襲撃した敵を撃ち殺したほとぼりをさましに
シチリアに逃げてたミケーレ(マイクルのイタリア語)が用心棒ふたりと
父の故郷を散策してたときにアポッローニャを見初めるスィーンでも
さかんに流される「愛のテーマ」
♪ミ・<ラ<ド│>シ>ラ・<ド>ラ・・<シ>ラ・>ファ<ソ│
 >ミー・ーー・・ー♪
は、チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」第4曲の、
♪ミーッ●●│<ラーッ●●・<ド<レ>ド<レ>ド・・>シーッ●●・>ラーッ●●│
 <シーッ●●・>ソーッ●●・・>ミーーー・ーー♪
にかなり似てる。この音楽は、
クラーラとフリッツの叔父ドロッセルマイアーが登場する場面である。
マイケルとアポッローニャの結婚式でアッポローニャがコンフェットを客に配るスィーンでは
ヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」の乾杯のヴァルスが奏でられてるが、
ドロッセルマイアーはクラーラとフリッツの「名附け親」、つまり、
「ゴッドファーザー」なのである。

いわゆるアラン・ドロンが主演した
"Plein Soleil(プロン・ソレイユ=邦題「太陽がいっぱい」"(1960)では、
監督ルネ・クレモンの横暴な態度に怒り心頭、
フランス人作曲家サン・ソンスのパロディ音楽「動物の謝肉祭」第7曲、
♪ミー・>♯レー・・<ミー・>♯レー│<ミー・>ラー・・ーー・ーー♪
"Aquarium(水族館)"を
♪ミ│<ミー>♯レ・<ミー>ド│>ラー>♯ソ・<ラー<シ│
 <ドー<レ・<ミー(<ソ>)ファ│>ミーー・ーー♪
という節回しに仕立てた。それは、
モリス・ロネの遺体がアクア・マリンの海から引き上げられるのと対照的に
青いロウブのアラン・ドロンが水色のパラソルのもと青い海の眼前で
ブランデーを飲んでるエンティングでも効果的に流される。音楽が
「リプレー(≠replay、=Ripleyリプリー)」されつつ画面は、
スタビライザーあるいはfin(水かき)のないヨットが映し出され、
警察がドロンを逮捕しにくるところで"Fin"となる。

ロータの映画音楽で「ゴッドファーザー」の次に著名なのは、
♪ラ<『ド>シ│>ミーー』、ミ<ソ>ミ│<ラーー♪
スィナトラ一家のディーン・マーティンの倅と最初の結婚をする
オリヴィア・ハッスィーが主演した「ローミオウとジュリエット」である。
「玉木ヒロメオシと上野ジュリエット」ではない。ともあれ、
この『ド>シ>ミ』という動機は、その14年前の
フェッリーニ映画"La Strada(タ・ストラーダ=道)"ですでに使われてた。
♪ドーー>シ<『ド>シ│>ミーーーー』│<ラーー>ソ<ラ>ソ│>ドーーーー♪
これは、スィベーリウスの「交響曲第2番」第1楽章、
♪ドーーーーー・ーーーーーー│ーーーーーー・>シ<ド>シ<ド>シ<ド│
 >ラー>レーーー・ーーーー●●♪
同第2楽章、
♪ラーーー・ー、ラ>♯ソ>ミ│<ラ>レーー♪
と同じニオイがする。ところで、
この「道」という映画は、
三島由紀夫とアンソニー・クインの顔が瞬時には判別できない
拙脳なる私には難解である。
大道芸人のザンパノによっていいように使われるジェルソミーナ。
そのジェルソミーナをザンパノは遺棄する。年月を経て、
ザンパノは海辺の町でかつてジェルソミーナが
しょっちゅう歌ってた歌の節を聞く。
数年前にそこで死んだ娘が歌ってたのだと知る。
ザンパノはそのときはじめてジェルソミーナのありがたさを思い知り、
孤独な自分を哀れみ、自堕落に泣き崩れるのだった。
エンディング・スィーンは、ザンパノが夜の熱海の海岸で
慚愧に堪えずうっぷして泣き崩れ、画面に
"Fine"が出てくる、というものである。

これは、
賭けに負けたことを知ったゲルマンが後悔で感極まり、
ひどい仕打ちをしたリーザの優しさを思いながら
自らを刺して死ぬという
チャイコフスキーの「スペイドの女王」のエンディングと重なる。
ロータはそれを敏に感じ取ったのだろう。
ゲルマンの死を悼む男声合唱の最後の音である
変ニ長調の主和音にオケが加わる箇所、すなわち、
ファゴット2管、バストロンボーン+チューバ、ティンパニ、コントラバスが
主音を通奏するうえを、
クラリネット2管、ホルン2管、トランペット2管、トロンボーン2管のそれぞれ
1番奏者が主音ドの2分音符を、次の2拍をシのフラットを吹き、
それぞれの2番奏者がミの全音符を吹くところに
弦楽4部がユニゾンで
♪●●♯ファー・<ソー<ラー・・【ラー】ー>ソ・ソーーー♪
という「愛の主題」の亜型を弾く。すると、【】の箇所が
【ラ(<)ド(<)ミ(<)ソ(<)♭シ】という9の和音になる。
これがまた哀切きわまりない響きを醸し出すのである。
「道」のテーマ"Gelsomina(ジェルソミーナ)"の3小節め、
♪ドーー>シ<ド>シ│>ミーーーーー│
 <【ラーー】>ソ<【ラ】>ソ│>ドーーーー♪
にロータは同じ和音を膳立てたのである。
ヴァンクーヴァー・オリンピックで男子フィギュア・スケイティングの
高橋大輔選手がフリー演技で、
万感胸に込み上げる感情を表現できる和音が配された
この曲を使用し、銅メダルを獲得した。

英語でstreet、イタリア語で「道」を表す
"strada(ストラーダ)"という語は、ラテン語の
"strata(ストラータ=舗装路)"、ひいてはラテン語の
動詞"sternere(ステルネレ=敷く、散らす、拡げる)"
に由来する。その"sternere"の
一人称単数現在形は"sterno(ステルノ)"である。
[ザンパノはこう言った。「ジェルソミーナを道にうち"すてるの"だ」]
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