チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「サン・スーシ宮殿(Sans Sushi)と(p/A)・a・(6/100)?...G a/フリードリヒ大王生誕300年」

2012年01月24日 16時57分44秒 | 暗号ノ米マデイッテテブチキラル

(p/A)・a・(6/100)? G a  フリードリヒ大王生誕300年


ダルヴッシュ・有のテクサス・レインジャーズへの入団が先日決まった。
二年連続でナションル・リーグにワールド・スィリーズで負けてる同球団にとって、
元豪速投手だった球団社長ノウラン・ライアンの必勝の意志が感じれる
ダーヴィッシュ獲りだった。が、
イランの核開発への欧米の締めつけが逼迫してきたおり、
同投手の血脈に対してバッシングが向かわなければいいが、などと、
要らん心配をしてしまう。ときに、
心配、といえば、
「心配ないさーーー!」という名の離宮を造ったのは、
フリードリヒ2世(Friedrich、1712-1786)である。
私の世代は高校の世界史で、
「啓蒙専制君主」フリードリヒ大王(Friedrich der Grose)はドイツの辺境、
ばると海沿岸のプロイセン王国を強大化させた王、
として必ず出題される人物だった。おなじく
「啓蒙専制君主」と称されるマリア・テレズィアの帝位を認めず、
オーストリア継承戦争を起こし、各地で戦争を繰り広げた。結果、
1世紀後には、ヴィルヘルム1世、ビスマークなどが
ドイツ帝国を打ち立てることに繋がった。もっとも、
そのへんの歴史のことは、プロイセンとプロテインの区別もつかない、
拙脳なる私にはよく解らないが、
「タンパクでもいい。逞しく育ってほしい」
というフリードリヒ2世の意志が受け継がれたものと解イセル。いっぽうで、
プロイセン版お犬様フリードリヒ2世は父親の芸術蔑視が逆効果だったのか、
相当な芸術愛好家であり、ことのほか、
フルート・オタクだった。演奏や作曲にもその腕を
振るうという熱の入れようだった。
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハを宮廷鍵盤楽器奏者として雇った。
その父である晩年の大バッハを招いて、自作のテーマを与えたとされる。
♪ラーーー・<ドーーー│<ミーーー・<ファーーー│
>♯ソーーー・●●<ミー│>♯レーーー・>Nレーーー│
>♯ドーーー・>Nドーーー│ーー>シー・>♭シー>ラー│
>♯ソー>♯ファ>ミ・<ラー<レー│>ドーーー・>シーーー│>ラー♪
これが大バッハ晩年の傑作と一般には解されてる
「音楽の捧げもの」となったらしい。このように、
軍政よりも道楽のほうが本来は向いてたようで、
ベルリーンから約25kmの小さな町ポツダムに夏の離宮を造ると宣言した。
それがいわゆるサン・スーシ宮殿、
"Schloss(シュロス=宮殿) Sans-Souci(ソン・スシ=懸念なく)"である。
ヴェルサイユ宮殿に倣い、当時のいわゆる
「ロココ様式」による内装に飾られた宮殿である。
ヴェルサイユに比べればこじんまりとしたものではある。いっぽう、
オツムダムと稼ぎが薄いながら食いしん坊な私は、好物の
「プロ井泉のトンカツ」と「鮨なし(Sans-Souci)」では生きてけない。

ちなみに、
Rococo(ロココ)様式とはハワイのロコモコとは無縁だが、わりと
ごちゃまぜ曖昧モコとしたものである。ロココは
Baroque(バロック)様式の次代の美術・建築様式なのだそうであるが、
そのバロックは「いびつな真珠」
(ドイツ文学者の池内紀だけは「歪んだ卵」と主張する)
を意味し、ゴチック様式よりも曲線を多用するようになった、
と定義されてる。いっぽう、ロココは
「貝殻宝石細工」を意味するらしい。で、
こちらも「曲線を多用」するのだそうだから、
「フリードリヒ2世」と「フリードリンクにせい!」とを聞き分けれない
拙脳なる私にはさっぱり解らない。いずれにせよ、
ロココ様式の特徴として、その造作物が
「左右非対称」である、ということは確からしい。
サン・スースィ宮殿も実際、一見左右対称な建造物や庭園も、
何かしらそれを阻む物が加えられてたり、
軸がずらされてたり、向きが斜めにされたりして、
絶妙に左右非対称なのである。
男色だったといわれてる王の、自分の遺体は
大嫌いな父などと一緒のベルリーン大聖堂の地下室ではなく、
サンスシ宮殿庭園の東端にある愛犬11匹の墓に、という
遺志はやっと1991年の命日に叶った。そして、
その平たい矩形の墓石の上には常に、
フリードリヒ2世墓参の供物であるじゃがいもが置かれてる。

ときに、
フリードリヒ2世はこの宮殿に、フランスの
「啓蒙思想家」ということになってる
Voltaire(いわゆるヴォルテール、本名=フランスワ・マリ・アルエ、1694-1778)を
招いた。そのとき招待状には、

[(p/A)・a・(6/100)?]

と記されてたという。ヴォルテルからの返事は、

[G a!]

だった。実際には、
Gとaの大きさの比はもっと大きかった。この話は、
講談社ブルーバックスから昭和55年に発行された
一松信著「暗号の数理」に引用されてた。
これは暗号もどきの言葉遊びの応酬である。

フリードリヒ2世からヴォルテルへのものは、
[pの下にA。a。6の下に100?]
と読む。フランス語では、
[A sous p a cent sous six?]
(ア・ス・ペ・ア・ソン・ス・ス・シ?)
と読み下せる。
「A=アルファベの第1番め(大文字)。
sous=前置詞(~の下に)。
p=アルファベの16番め(小文字)。
cent=百。
six=六(発音はシズたはシ)」
これをさらに発音のダジャレで換言すれば、
[As souper a Sanssouci?]
(ア・スペ・ア・ソンスシ?)
となる。逐語拙大意は、
「as=動詞avoir(英語のhave=持つ)の二人親称単数直説法現在形。
souper=動詞souper(英語のsupper=午餐を摂る)の不定詞。
a=前置詞(アクサン・グラヴは省略。英語のat=~で)。
Sanssouci(sans=前置詞(英語のwithout=なしに)。
      souci=憂い、心配事、悩みの種。
      Sanssouciでサンスシ宮殿)」
である。

いっぽう、
ヴォルテルからフリードリヒ2世への返事は、
[大文字の大きいG。小文字の小さいa!]
これをフランス語で発音すると、
[G(ジェ) grand(グロン), a(ア) petit(プチ)!]
となる。この
(ジェ・グロン・ア・プチ!)
をフランス語のおシュウジで書き換えると、
[J'ai grand appetit!]
となるのである。逐語拙大意は、
「J'ai=je(ジュ=私は)+ai(エ=動詞avoirの一人称単数直説法現在形)
grand(形容詞=大きい、大いなる)
appetit(アペチ。eのアクサン・テギュは省略。名詞=食欲)」
なのである。

王からの手紙だけに「6」とか「100」とかはあるが、
ヴォルテルからの返信には数字はない。つまり、
「sans(無しで) 数詞」に参りますという
ヴォルテルなりのオヤジギャグなのである(*)。冗談はともあれ、

[往]フリードリヒ2世→ヴォルテル:「食事しにサンスーシに来ない?」
[復]ヴォルテル→フリードリヒ2世:「ちょうど腹ぺこですわ。もち、伺いまっせ!]

往復書簡を江戸の商家の看板の判じ絵と同じ
遊び心(洒落)で交わした、ということなのである。
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「RSA(公開鍵暗号)の素数と鍵の非対称性(閉める鍵と開ける鍵が別)」

2012年01月19日 18時49分10秒 | 暗号ノ米マデイッテテブチキラル

RSA(公開鍵暗号) 素数


世の中に、たとえば、
「ヒラカタ」
という地名があるとして、ただそれそれだけで、
「枚方」だか「平潟」は判別できない。が、そこに
「アンゴウ」という「キー」を与えれば、たちどころに、
TSUTAYAのレジのバーcodeということが判る。いっぽう、
「ヒラカタ」が「キラカタ」となれば、吉良方の斬られ役のうち、
落命したのは16人である。が、その30年前の
浄瑠璃坂の仇討ちでは敵方の死者が
16人だったのである。かつて、
米映画の復讐モノで一世を風靡した
チャールズ・ブロンスンふうに言えばこうなる。
「うーん、ランダム!」
それはともあれ、
吉良方で斬られて落命したのは、上野介役を加えて
17人ということになる。ちなみに、
17は素数である。百人一首で17番は
在原業平朝臣である。百人秀歌で17番は
河原左大臣(源融)である。ともに、
女性にモテモテの色男である。が、
彼らのようなスケコマシがいるいっぽうで、私のような、
いかなる女性からも好かれない醜男がいる。そういう
モノにとっては女性への想いは一方的である。が、
たとえば愛情のかけらもない、原始的な色欲の世界だったら、
この私でも通用する場所があるのが
世の中のおもしろいところである。昨今は、
「セフレ」と言うらしい。世間体を気にする見栄っぱりな私は、
「セフレタリ」などと秘所かに呼んでる類である。たとえば、
亭主持ちの婦人と情交を営むときなどは、
周囲に知られないような通信が必要になる。そこで、
たとえば「あいうえお……」をみもじずつずらして、
「あすひとよんまるまるにいつものらふほにて」を
「うたほぬるうめわめわのおなよふれまむのに」と
換字することで感じさせてしまおうと短慮する。
やはりスケコマシのモテモテ男だったカエサルの名を冠した、いわゆる
「シーザー暗号」というものである。が、
ご亭主がそこそこの知能の持ち主ならこんな
「みもじ」という鍵はいとも容易く破って
解読してしまうことだろう。そうなったらすみやかに
変エザルをえなくなる。ともあれ、
ここで大事なのはこの「みもじずらす」という「鍵」を、
平文を暗号化するときにも使い、また、
暗号文を復号化(または解読)して平文に戻すときにも使う、
「対称性」を有してるということである。すると、
その「鍵」を正規にしろ不正にしろ持ってるモノはみな、
平文を得ることもできるし、逆に、暗号文を発信できる、
ということである。が、それでは
暗号の意味がない。

ところが、
1970年代に、米国で研究してた3人の数学者、
リヴェスト、シャミール、エイデルマンによって開発された暗号は、
いわば掛ける鍵と開ける鍵が別、という画期的なものだった。
その3人のサーネイムの頭文字をとって
「RSA暗号」と呼ばれる。これは、
ごくごく簡単に言えば、
「ある程度大きい素数に
別のある程度大きい素数を掛けあわせた数(三百数十桁)」
というものを素因数分解することが実は容易ならないこと、
という性質を利用したものである。
日本のスパコンで計算しても数億年かかる、
というレヴェルなのである。そんな大きい数でなくてもたとえば、
19582176857というたった11桁の数を
紙と鉛筆だけで素因数分解するのは、
とんでもない労力が要るはずである。もっとも、
レンホウ女史のようなのに邪魔されないで開発が進めば、
三百数十桁でも破られる日が近いかもしれないが。ともあれ、
19582176857は二つの素数32582657と601を掛けたものである。
それはひとまずおいといて、
「RSA暗号」は、(数値化して2桁ずつに分けた)平文を、
選んだ二つの素数を掛け合わせた数と互いに素な、
その二つの素数からそれぞれ1を引いた数を
掛け合わせた数未満の整数乗したものを、
選んだ二つの素数を掛け合わせた数で割った余り、
が「暗号文」になる。つまり、
「選んだ二つの素数を掛け合わせた数」と、
「その二つの素数を掛け合わせた数以下の整数」が、
「公開鍵」となるのである。ここで初歩的なことだが、
「掛け合わせる前の二つの素数そのもの」をバラしては
元も子もなくなる。知れていいのはあくまでも、
「掛け合わせた数」である。ともあれ、
その「暗号文」を元に戻すには、
二つの素数からそれぞれ1を引いた数を
掛け合わせた数を整数倍したものに1を加えた数を
整数乗した数で割った数乗した数を
二つの素数を掛け合わせた数で割った余り、である。つまり、
[mod]=モジュールという関数を使う。これは、
剰余計算であるが、アナログの時計を想起すれば解りやすい。
24時間制で19時は、12という数字で割って余る7を使って
午後7時というのと同じである。

これでは何のことなのかさっぱり解らないと思うので、
以下はもっと簡単にするために、たとえば、
二つの素数に「2」と「5」を使うことにする。
2×5=【10】
である。暗号を作るときの冪乗数は、
(2-1)×(5-1)=4
未満でそれと互いに素な整数だから、
【3】のみである。ここで、平文を
「あいしてる」として、それを数値におきかえたものが
「01 02 03 04 05」であると仮にする。まず、
「01」を暗号化してみる。
1^3=1→これを10で割った余り→1
次に「02」。
2^3=8→これを10で割った余り→8
同様に、
3^3=27→これを10で割った余り→7
4^3=64→これを10で割った余り→4
5^3=125→これを10で割った余り→5
したがって、暗号文は、
「01 08 07 04 05」
となる。"解く鍵"は、
4n+1を3で割った整数である。n=2のときが最小で
「2」となるのでこの「3」で試してみる。
1^3=1→これを10で割った余り→1
8^3=512→これを10で割った余り→2
7^3=343→これを10で割った余り→3
4^3=64→これを10で割った余り→4
5^3=125→これを10で割った余り→5
ここではたまたま鍵を掛けるときの数と
開けるときの数がおなじく「3」となるが、これは
例にした数が小さいからである。さて、
これでもまだ何がなんだか解らないと思うので、
表にしてみる。

  1乗 2乗 3乗 4乗 5乗 6乗 7乗 8乗 9乗 10乗 11乗 ...
01 01 01 01 01 01 01 01 01 01 01  01  ...
02 02 04 08 06 02 04 08 06 02 04  08  ...
03 03 09 07 01 03 09 07 01 03 09  07  ...
04 04 06 04 06 04 06 04 06 04 06  04  ...
05 05 05 05 05 05 05 05 05 05 05  05  ...
06 06 06 06 06 06 06 06 06 06 06  06  ...
07 07 09 03 01 07 09 03 01 07 09  03  ...
08 08 04 02 06 08 04 02 06 08 04  02  ...
09 09 01 09 01 09 01 09 01 09 01  09  ...
10 00 00 00 00 00 00 00 00 00 00  00  ...
11 01 01 01 01 01 01 01 01 01 01  01  ...

この表の最左縦列の数字は平文の数字である。この
最左縦列の数字と9乗したときの縦列の数字が
同じになる。つまり、
平文を3乗して暗号化し、それをさらに3乗して、
つごう9乗すると元に戻る、のである。以上は先日、
あんこう鍋を囲んだ席で、隣のグループの
ロレックスをしてる人に教えてもらった話である。当然、
鮟鱇と餡子の味の違いが判らない拙脳なる私には
ちんぷんかんぷんな話である。
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「俊成・定家父子と式子内親王の素数関係/百人一首の数学と魔方陣cipher(その6)」

2012年01月13日 00時32分51秒 | 暗号ノ米マデイッテテブチキラル

俊成・定家父子 式子内親王 素数関係 百人一首


今年は、藤原定家(およそ西暦1162-1241)の生誕850年にあたる。
生年は判ってるが、誕生日は不詳らしい。
私がまだ17歳だったとき、
いわゆる"クリーム色"のカヴァーの講談社新書から、
「西行と定家」が発行された。著者は、
安田章生(やすだ・あやお、1917-1979)という"歌人"らしく、
その父安田喜一郎(青風、1895-1983)も"歌人"だったという。
レヴェルはともあれ、俊成・定家父子と同じ、である。それはどうでも、
最近のソフィー・マルソー女史と十朱幸代女史の顔を判別できない
拙脳なる私の37年前の心許ない記憶では、この「西行と定家」には、
<菅笠を、着たる男の、馬に乗り、川の向かひを、通るなりけり>
が、定家が10歳にもならないときに詠った歌だと記述されてた
……と思う。どう考えても、いくら幼いにしても
「定家の作」というにはあまりにも"不自然""不出来"な歌である。
この「西行と定家」という本は、10代の頃に土日を過ごした
横浜の家にずっと置いたままだった。子供の頃の本は
父が死んで一昨年その家をたたんだときに
東京の母のマンションの私の部屋に一括して運んできた。が、
まだ荷解きをしてないのでどこにあるのかわからない。ので、
書いてあったことを手元で確認できない。出典が
どう書かれてたかも思い出せない。いっぽう、
確かな記録としては、定家(数え)17歳のときの、
治承2年3月15日の、現在の上賀茂神社の神主賀茂重保主催の
「三題各三十番歌合」が定家の"デビュタント"とされてる。

[神山の、春の霞や。ひとしらに、あはれをかくる、しるしなるらん]●
[桜花。また立ちならぶ、物ぞなき。誰まがへけん、峰のしら雲]△
[ふかからぬ、汀にあとを、かきとめて、御手洗河を、たのむばかりぞ]●

2敗1分け、という「ほろ苦い」結果である。ちなみに、
判者は父俊成だった。定家は、異母兄弟や養子を除けば、
俊成の次男である。長兄成家(なりいえ)とは9歳離れてる。
俊成(数え)49歳のときの子である。
俊成(およそ西暦1114-1204)は(数え)91歳まで生きた長寿人である。
アラフィフでもファイザー製薬要らずだったのである。現在なら、
昨日1月11日に満91歳を迎えたバレエの谷桃子女史のように
「90越え」はざらにいる。定家も(数え)80歳まで生きたので、
長寿遺伝子を備えてたのだろう。が、さすがに
「俊成は100歳、定家も100歳。ダスキンギン!」
というCMまでは作れなかった。ときに、
「かるた取り」としての「百人一首」が人気、
などと正月のTV番組でやってた。その真偽はともかく、
定家といえば「小倉百人一首の撰者」という側面も持ってる。

定家は(数え)18歳のときに俊成から「古今伝授」された、という。
そのことと、のちの「百人一首」、それに続いて編まれたと推定されてる
「百人秀歌」の「魔方陣性」を、太田明という人物が研究してる。
米TVドラマ"Bones"のドクター・カミーユ・サローヤン役のタマラ・テイラー女史と
故マイクル・ジャクスンの顔の違いを瞬時には判別できない拙脳なる私も、
それなりに考察してる。そのひとつが、
「百人一首の素数番歌の共通性」である。ここでは、
「1から100までの整数の中の素数」のうち、その最後の3つ、
「83、89、97」に限定して注視してみる。すると、

#083=皇太后宮大夫俊成(藤原俊成)→(百人秀歌では)#087
[世の中よ、道こそなけれ。思ひ入る、山の奥にも、鹿ぞ鳴くなる]
#089=式子内親王(後白河天皇の第3皇女)→(百人秀歌では)#092
[玉の緒よ、絶えなば絶えね。ながらへば、忍ぶることの、よわりもぞする]
#097=権中納言定家(藤原定家)→(百人秀歌では)#100
[こぬ人を、まつほの浦の、夕なぎに、焼くやもしほの、身もこがれつつ]     

#083の俊成と#097の定家は父と子、という「親子関係」である。いっぽう、
#089の式子内親王は俊成に歌を習ってたとされる。とすれば、
いわゆる「師弟関係」である。が、
13歳年上の式子内親王と若いツバメの定家は
「男女の仲」だった、というのが研究者の間でも
「一般的な認識」なのである。そして、定家が
この3人の歌として撰んだものはすべて、現世のつらさ、てか、
「憂き世」を詠ったものなのである。ちなみに、
太田明による、藤原定家が残した「10次魔方陣」では、
これら3首はすべて魔方陣の外枠に配置されてる。
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「sengoku 38の『38』という奇妙な数字」

2010年11月08日 00時01分53秒 | 暗号ノ米マデイッテテブチキラル
♪宮古の西北、尖閣諸島。聳ゆる旗は、われらが母国旗♪

あの動画の情報源となったのは、
海保が沖縄地検に開示するために
44分に編集したものらしい。なぜそう推定されたのかといえば、
中国船に乗り込んで公務を執行しようとした
海保官2人を銛で海に突き落とした場面が
その映像にもYouTubeにアップされた映像にも、ともに
外されてたからだという。

さて、
その投稿者HNである。
さまざまな媒体によれば、以下のように推定されてる。
・sengokuはすでに登録されてて、そのあとに
 数字を附したものも37まであった説
・サハ=左派(旧社会党)
・朝鮮半島の38度線説
・台湾→中国で人をののしる時に使われる表現(バカ、アホウの比にならない)
・ワルサーP38説(ヒトラーの携帯短銃。それで自殺したとされる)
・~さんパー説
・嘘=サンパチ説(ヒトがウソをつくとき、無意識に3と8を使うという説)
・旧帝国陸軍で採用されてた小銃三八式歩兵銃(明治38年に仮採用)説。
 これが昭和20年の終戦まで使われてた。
 故横井庄一さんが日本に生還したとき、
 「天皇陛下よりお預かりした三八式小銃はちゃんと持って参りました」
 と言ったという。が、原料を中国産の鉄鉱石で工面してた。
・日本国憲法第38条説。
 第3章 国民の権利及び義務
 第38条「自白の証拠能力等」
 1.何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
 2.強制、拷問若しくは脅迫による自白又は
  不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、
  これを証拠とすることができない。
 3.何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、
  有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
・刑法第38条説。
 「故意」
 1.罪を犯す意思がない行為は、罰しない。
  ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
 2.重い罪に当たるべき行為をしたのに、
  行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、
  その重い罪によって処断することはできない。
 3.法律を知らなかったとしても、そのことによって、
  罪を犯す意思がなかったとすることはできない。
  ただし、情状により、その刑を減軽することができる。

このさまざまな憶測の対象となってる輩は、
ドンペリ・ピンクが大好きらしい。権力嫌いも、
自分が権力を行使することと
ドンペリという権威には弱いとみえる。さて、
武田真治と郷ひろみの顔の違いさえ判別できない
拙脳なる私にはその真意は推し量るべくもないが、
三つだけ、可能性を挙げてみる。

1)仙石久尚
 俗に「仙石伯耆守(センゴク・ホウキノカミ)」は元禄から享保年間の幕臣(旗本)である。
 父の遺領6000石のうち、5000石を兄が、近江国浅井郡の
 「1000石」をこの仙石伯耆守が継いだ。赤穂事件当時、
 大目付役だった。吉田忠左衛門と冨森助右衛門が自訴の使いにいった先である。
 この人物自体にネガティヴな意味はないが、その
 ホウキノカミという受領名が「抛棄守」「法規を抛棄」という
 語呂合わせに使われた可能性がある。ともあれ、
 この仙石邸に自訴した吉田忠左衛門の家来で、
 討ち入り後に行方知らずになったとされてる
 寺坂吉右衛門は、この事件当時38歳だった。

2)国際司法裁判所規程第38条
 1.裁判所は、付託される紛争を国際法に従って
  裁判することを任務とし、次のものを適用する。
  a.一般又は特別の国際条約で
   係争国が明らかに認めた規則を確立しているもの
  b.法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習
  c.文明国が認めた法の一般原則
  d.法則決定の補助手段としての裁判上の判決及び
   諸国の最も優秀な国際法学者の学説。
   但し、第59条の規定*に従うことを条件とする。
    (*裁判所の裁判は、当事者間において
     且つその特定の事件に関してのみ拘束力を有する)
 2.この規定は、当事者の合意があるときは、
  裁判所が衡平及び善に基いて裁判をする権限を害するものではない。
(STATUTE OF THE INTERNATIONAL COURT OF JUSTICE…… Article 38
1. The Court, whose function is to decide in accordance
  with international law such disputes as are submitted to it,
  shall apply:
 a. international conventions, whether general or particular,
   establishing rules expressly recognized by the contesting states;
 b. international custom, as evidence of a general practice accepted as law;
 c. the general principles of law recognized by civilized nations;
 d. subject to the provisions of Article 59, judicial decisions
   and the teachings of the most highly qualified publicists
   of the various nations, as subsidiary means
   for the determination of rules of law.
2. This provision shall not prejudice the power of the Court
  to decide a case ex aequo et bono, if the parties agree thereto.)
現在の国際司法裁判所(オランダのハーグ)の所長は、"日本人"ながらなぜか
日本の政治家に土下座外交をさせつづけるバリバリの親中派だそうである。

3)JIS漢字code
 日本語の文字デイタをコンピュータ上で処理する場合、
 16進数の"21-7E"までを使った94^2=8836の領域に、
 漢字、英数字、記号など6879文字を割り当てて表すことになってる。
 いっぽう、3×8=24である。
 で、JIS漢字codeの"3824"にあたるのが漢字の
 「犬」である。つまり、
 38は数同士をかけ合わせた24を伴って3824、これから
 「犬」を表す意味で使われた可能性がある。
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「百人一首の数学と魔方陣cipher/その5・【わが】」

2010年08月26日 02時02分25秒 | 暗号ノ米マデイッテテブチキラル
昨年末、大掃除をして昔の本、
「百人一首の魔方陣(太田明著/徳間書店刊)」
を見つけて、それに触発されて、この
「百人一首の数学と魔方陣cipher」スィリーズを
書き始めた。が、同著者は、この4月に、
「百人一首の暗号(太田明著/学研パブリッシング刊)」
として、新たに書き直したものを上梓してた。ともあれ、
同人による、藤原定家が残した「10次魔方陣」なるものは、

008 007 095 096 004 003 099 100 084 009

010 019 081 080 022 023 077 076 026 091

011 074 028 029 071 070 032 033 067 090

089 066 036 037 063 062 040 041 059 012

088 043 057 056 046 047 053 052 050 013

087 051 049 048 054 055 045 044 058 014

086 042 060 061 039 038 064 065 035 015

016 034 068 069 031 030 072 073 027 085

018 075 025 024 078 079 021 020 082 083

092 094 006 005 097 098 002 001 017 093

だという。
どの横行を足しても505、どの縦列を足しても505、
対角ふたつの和もそれぞれ505、
となるのである。

ところで、
この百首の中で、
【わが】という語が入ってるものは、

[初句]
008=わがいほは
092=わがそでは
[二句]
041=わがなはまだき
[三句]
040=わがこひは
[四句]
001=わがころもでは
009=わがみよにふる
015=わがころもでに
023=わがみひとつの
086=わがなみだかな
095=わがたつそまに
[五句]
096=わがみなりけり

と、計【11】首ある。ちなみに、この
【11】という数字は、
「百人一首」と「百人秀歌」とで、
歌番が変わらないワカの数である。それはともかく、
上記「10次魔方陣」にその11首の歌番を
[を附してみた。

[08 007 [95 [96 004 003 099 100 084 [09

010 019 081 080 022 [23 077 076 026 091

011 074 028 029 071 070 032 033 067 090

089 066 036 037 063 062 [40 [41 059 012

088 043 057 056 046 047 053 052 050 013

087 051 049 048 054 055 045 044 058 014

[86 042 060 061 039 038 064 065 035 [15

016 034 068 069 031 030 072 073 027 085

018 075 025 024 078 079 021 020 082 083

[92 094 006 005 097 098 002 [01 017 093

「魔方陣」の「4隅」のうち、3つまでもが、
【わが】という語が入ったワカである。ただ一首、
10行10列の093のワカだけが、【わが】という語を含まない。

#093=鎌倉右大臣(=源実朝)
[世の中は、常にもがもな。渚漕ぐ、あまの小舟の、綱手かなしも]

実朝の歌には【わが】が入ってるものがないわけではない。たとえば、

[わが恋は、百島めぐり、浜千鳥。ゆくへもしらぬ、かたに鳴くなり]
[わが心、いかにせよとか。山吹の、うつろふ花に、嵐たつらむ]

とくに、後者は定家の父俊成(方陣では実朝のすぐ上083)の、
[わが心、いかにせよとて、ほととぎす、雲間の月の、影に鳴くらむ]
を本歌としてるものである。なぜ、
実朝の【わが】が入った歌を採らなかったのか、
井川遥女史と堀内敬子女史の顔を判別できない程度の
拙脳なる私にはワカるはずもない。が、
この歌を採ってないということは、
「実朝は093でかつ10行10列であることが必要ではあるが、
【わが】が入った歌ではいけない」
ということは確からしい。
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