(p/A)・a・(6/100)? G a フリードリヒ大王生誕300年
ダルヴッシュ・有のテクサス・レインジャーズへの入団が先日決まった。
二年連続でナションル・リーグにワールド・スィリーズで負けてる同球団にとって、
元豪速投手だった球団社長ノウラン・ライアンの必勝の意志が感じれる
ダーヴィッシュ獲りだった。が、
イランの核開発への欧米の締めつけが逼迫してきたおり、
同投手の血脈に対してバッシングが向かわなければいいが、などと、
要らん心配をしてしまう。ときに、
心配、といえば、
「心配ないさーーー!」という名の離宮を造ったのは、
フリードリヒ2世(Friedrich、1712-1786)である。
私の世代は高校の世界史で、
「啓蒙専制君主」フリードリヒ大王(Friedrich der Grose)はドイツの辺境、
ばると海沿岸のプロイセン王国を強大化させた王、
として必ず出題される人物だった。おなじく
「啓蒙専制君主」と称されるマリア・テレズィアの帝位を認めず、
オーストリア継承戦争を起こし、各地で戦争を繰り広げた。結果、
1世紀後には、ヴィルヘルム1世、ビスマークなどが
ドイツ帝国を打ち立てることに繋がった。もっとも、
そのへんの歴史のことは、プロイセンとプロテインの区別もつかない、
拙脳なる私にはよく解らないが、
「タンパクでもいい。逞しく育ってほしい」
というフリードリヒ2世の意志が受け継がれたものと解イセル。いっぽうで、
プロイセン版お犬様フリードリヒ2世は父親の芸術蔑視が逆効果だったのか、
相当な芸術愛好家であり、ことのほか、
フルート・オタクだった。演奏や作曲にもその腕を
振るうという熱の入れようだった。
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハを宮廷鍵盤楽器奏者として雇った。
その父である晩年の大バッハを招いて、自作のテーマを与えたとされる。
♪ラーーー・<ドーーー│<ミーーー・<ファーーー│
>♯ソーーー・●●<ミー│>♯レーーー・>Nレーーー│
>♯ドーーー・>Nドーーー│ーー>シー・>♭シー>ラー│
>♯ソー>♯ファ>ミ・<ラー<レー│>ドーーー・>シーーー│>ラー♪
これが大バッハ晩年の傑作と一般には解されてる
「音楽の捧げもの」となったらしい。このように、
軍政よりも道楽のほうが本来は向いてたようで、
ベルリーンから約25kmの小さな町ポツダムに夏の離宮を造ると宣言した。
それがいわゆるサン・スーシ宮殿、
"Schloss(シュロス=宮殿) Sans-Souci(ソン・スシ=懸念なく)"である。
ヴェルサイユ宮殿に倣い、当時のいわゆる
「ロココ様式」による内装に飾られた宮殿である。
ヴェルサイユに比べればこじんまりとしたものではある。いっぽう、
オツムダムと稼ぎが薄いながら食いしん坊な私は、好物の
「プロ井泉のトンカツ」と「鮨なし(Sans-Souci)」では生きてけない。
ちなみに、
Rococo(ロココ)様式とはハワイのロコモコとは無縁だが、わりと
ごちゃまぜ曖昧モコとしたものである。ロココは
Baroque(バロック)様式の次代の美術・建築様式なのだそうであるが、
そのバロックは「いびつな真珠」
(ドイツ文学者の池内紀だけは「歪んだ卵」と主張する)
を意味し、ゴチック様式よりも曲線を多用するようになった、
と定義されてる。いっぽう、ロココは
「貝殻宝石細工」を意味するらしい。で、
こちらも「曲線を多用」するのだそうだから、
「フリードリヒ2世」と「フリードリンクにせい!」とを聞き分けれない
拙脳なる私にはさっぱり解らない。いずれにせよ、
ロココ様式の特徴として、その造作物が
「左右非対称」である、ということは確からしい。
サン・スースィ宮殿も実際、一見左右対称な建造物や庭園も、
何かしらそれを阻む物が加えられてたり、
軸がずらされてたり、向きが斜めにされたりして、
絶妙に左右非対称なのである。
男色だったといわれてる王の、自分の遺体は
大嫌いな父などと一緒のベルリーン大聖堂の地下室ではなく、
サンスシ宮殿庭園の東端にある愛犬11匹の墓に、という
遺志はやっと1991年の命日に叶った。そして、
その平たい矩形の墓石の上には常に、
フリードリヒ2世墓参の供物であるじゃがいもが置かれてる。
ときに、
フリードリヒ2世はこの宮殿に、フランスの
「啓蒙思想家」ということになってる
Voltaire(いわゆるヴォルテール、本名=フランスワ・マリ・アルエ、1694-1778)を
招いた。そのとき招待状には、
[(p/A)・a・(6/100)?]
と記されてたという。ヴォルテルからの返事は、
[G a!]
だった。実際には、
Gとaの大きさの比はもっと大きかった。この話は、
講談社ブルーバックスから昭和55年に発行された
一松信著「暗号の数理」に引用されてた。
これは暗号もどきの言葉遊びの応酬である。
フリードリヒ2世からヴォルテルへのものは、
[pの下にA。a。6の下に100?]
と読む。フランス語では、
[A sous p a cent sous six?]
(ア・ス・ペ・ア・ソン・ス・ス・シ?)
と読み下せる。
「A=アルファベの第1番め(大文字)。
sous=前置詞(~の下に)。
p=アルファベの16番め(小文字)。
cent=百。
six=六(発音はシズたはシ)」
これをさらに発音のダジャレで換言すれば、
[As souper a Sanssouci?]
(ア・スペ・ア・ソンスシ?)
となる。逐語拙大意は、
「as=動詞avoir(英語のhave=持つ)の二人親称単数直説法現在形。
souper=動詞souper(英語のsupper=午餐を摂る)の不定詞。
a=前置詞(アクサン・グラヴは省略。英語のat=~で)。
Sanssouci(sans=前置詞(英語のwithout=なしに)。
souci=憂い、心配事、悩みの種。
Sanssouciでサンスシ宮殿)」
である。
いっぽう、
ヴォルテルからフリードリヒ2世への返事は、
[大文字の大きいG。小文字の小さいa!]
これをフランス語で発音すると、
[G(ジェ) grand(グロン), a(ア) petit(プチ)!]
となる。この
(ジェ・グロン・ア・プチ!)
をフランス語のおシュウジで書き換えると、
[J'ai grand appetit!]
となるのである。逐語拙大意は、
「J'ai=je(ジュ=私は)+ai(エ=動詞avoirの一人称単数直説法現在形)
grand(形容詞=大きい、大いなる)
appetit(アペチ。eのアクサン・テギュは省略。名詞=食欲)」
なのである。
王からの手紙だけに「6」とか「100」とかはあるが、
ヴォルテルからの返信には数字はない。つまり、
「sans(無しで) 数詞」に参りますという
ヴォルテルなりのオヤジギャグなのである(*)。冗談はともあれ、
[往]フリードリヒ2世→ヴォルテル:「食事しにサンスーシに来ない?」
[復]ヴォルテル→フリードリヒ2世:「ちょうど腹ぺこですわ。もち、伺いまっせ!]
往復書簡を江戸の商家の看板の判じ絵と同じ
遊び心(洒落)で交わした、ということなのである。