チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「フィレンツェの思い出/終章」

2005年05月31日 16時39分53秒 | 弦六大地震(花のお江戸の中心グラ
この章の形式は、「チャイ流ソナータ形式」の一典型である。
「(芸のないガチガチの)ソナータ形式」であれば、展開部のあとに
きっちりとシテ主題・ワキ主題が順番どおり再現される。ところが、これは、
展開部のあとに再現されるばずの正規のシテ主題(いわゆる第1主題)が、
「省略される」という「再現不良性ソナータ形式」なのである。が、
それは別段ほかの作曲家にも数々あることである(ドヴォ(大提琴)コン)。
いっぽう、この章のように、
「ワキ主題(いわゆる第2主題)群」を呈示時より「2度上の調」で再現する、
というのは、「チャイコフスキー式実用新案ソナータ」である。たとえば、
幻想序曲「ロメーオとジュリエッタ」、
「1番pf協奏曲(ソナータ章=主章)」、
「5番交響曲(ソナータ章=主章)」
をあたってみるがいい。
アッレーグロ・ヴィヴァーチェ、2/4、1♭。
2番vnの「主音」と1番ヴィオーラの「属音」による「3連符」と、
2番ヴィオーラによる「主音*属音」ダブルストップの「2連符」が、
「ズレ」を醸しだす。そのズレと第3音を欠く「空虚さ」が、
郷愁を喚起させる。まさに、ルネサンス期の音楽に特徴的な音調である。
レオナルド・ダ・ヴィンチが、チャーリー・チャップリンもしくは
ポール・マカートニーばりのリュートを爪弾きながら、
弟子らと自作曲の試奏に興じてる場面が想像できる。
♪ラ<シ<ド<レ<ミー>ラー|<レー<ファー>ミーーー♪
グウィネス・パルトロミウ=キャメロン・ディアスが美貌峰に到達し、
3歳時にできた腫瘍のために独眼流なセリフまわしの芸風なピーター・フォークが
プライム・サスペクト相手に、「うちのおおカミさんがねぇ、
『ダルマさんがコロンボだ! 遊び』しようってウルサくてねぇ」とボヤキながら、
サン・サルバドール・ダリ髭島を「発見」し、大航海時代が幕を開け、
やがて、ハゲタカ男フランシスコ・ピサロが外為法などヘでもなく
母国スペインに送銀し、騙し討ちでインカ帝国を滅ぼす、ころのお話である。
それらはともかく、チャイコフスキーは、
当時フィレンツェで隆盛を極めてたメーディチ家が芸術を支援したことと、
我が身の前に流星のように現れたフォン=メック未亡人が自分を経済援助してくれたこと、
とを重ね合わせて、懐古趣味にひたってるのである。
そこが理解できないむきに、チャイコフスキーは無理である。が、
そういうむきにかぎって、「フィレンツェの思い出」を
「ロシア的」「ロシア舞曲ふう」「ロシアの農民の歌のような」
などというデマカセのオオブロシキを広げてしまうのである。どこをどう聴けば、
「ロシアふう」なのであろう。そんな臭いはピロシキほどもしない。まぁ、
「ロシアものの研究者」というのには、「左翼偽善カルト思想」から
その道に進んだむきも「あった」らしいから、ものごとの分別、真偽の判断、
がつかなくても無理からぬ。本質というものがマルキシわからないのである。
それはそておき、「ロシア」はまだ、キプチャク蒙古ハン国屋の「番頭」だった
イヴァーン3世がそこからやっと「のれんわけ」したころである。
主従の関係から、「ホーミー」を唱えあう「友だち」という対等な立場に
やっとなれたかどうか、というころである。
♪ラー<シー<ドー<レー|<ミーミ>レ<ミーーー|
>レー<ミー>レー<ミー|<ミーミ>レ<ミーーー♪
この「フィレンツェの思い出/終章」シテ主題も「ロシアふう」なんだそうである。
どうやっても、リナシメント期のイターリア音楽にしか聴こえない。むしろ、
♪ミー<|ラーーー<シーーー|<ドー<ミー>♯ソーーー♪
という経過句がジョニー・マンデル大先生の「『いそしぎ』みたい」とか
肥後の「『五木の子守唄』ふう」というのなら、まだ話はわかる。
ときに、リズ主演の映画のタイトル「いそしぎ」とは、
「磯鴫」というトリのことである。原題の「サンドパイパー」は
「砂浜の笛吹き屋さん」という意味である。砂ハーメルンの笛吹男ではない。
ちなみに、私は、テイラー媼よりも、笛吹ならうすい雅子女史アナ、
パイパーならペラーボ嬢の顔のほうが、ベラーボーに好きである。
それらはともかく、その「経過句」からワキ主題になだれ込ませる、というのが
チャイコフスキーのプランである。
→無調号。
ここが、終楽章で改訂した箇所である。ワキ主題を書き換えた、
のである。「改訂前のワキ主題」は、
♪【ミーーー・ーーーー|>レーーー・ーーーー|>ドーーー・ーーーー|
ーーーー・<レェ<ミィ|<ファーーー・ーーーー】|>ミーーー・ーーーー|
>レーーー・ーーーー|ーーーー……♪
である。ショボい。というより、
ドゥヴォジャークの「ト長交(いわゆる8番交)」主章ツレ主題、
♪【ミーーー>レーーー|>ドーーー・ーー<レ<ミ|<ファァ・ファァ・ファァ】♪
に「似てしまってる」ことに気づいたから書き換えた、
のであろうと推察できる。そして、書き換えて大正解である。
この「書き換えられたあとのワキ主題」
♪ミーーー・ーー<ラー|>ソーーー・ーー、>シー|<ドーーー・ーーーー|
ーーーー、>シー>♭シー|>ラーーー<ファーーー|>レーーー>ドーーー|
>シーーー・ーーーー|ーーーー……♪(ハ長)は、
「白鳥湖」(2幕)#13-5や、
「エヴ・オネ」の各所で鏤められた主要動機である
♪ミ<ラ>ソ>ド♪の一ヴァリアションである。
それだけ、この「フフィレンツェの思い出」という作品が
重要である、ということである。さて、
ワキ主題が結ばれると、シテ主題断片を調理した展開部に入る。
ヘ短→嬰ヘ短→ホ短→ニ短。
→1♭。
ここでfffのシテ主題が「再現」される、として、
ここからを「再現部」という「専門家」がいる。
たしかに、「そう捉えるのが人情」である。が、
ここから「シテ主題」を用いたフガートが展開される、のである。
それが「再現」であろうか。さて、シテ主題がかなりカノられてから、
ニ長を用意してなだれこむように、
→2♯。
ワキ主題の「再現」に入るのである。
型どおりの再現のあと、チャイコフスキーはそれに
「輪をかける」のである。2丁のヴィオーラが
16分音符のレガートなトレモロを弾くのに乗せて、
変ロ長のワキ主題を2丁のvnが「8度間隔ユニ」で強奏する。
ここは圧巻「バス」コムなみの手に汗握る場面である。
→ピウ・ヴィヴァーチェ。
6丁が「ffff」でベルリオーズ「幻想」終章終い突入ばりに、
♪ド<♭ラ>ソ>ファ|>ミ>レ>ド>シ♪
を繰り返し、クロマティック上昇ゼクヴェンツ。シテ主題の長化物、
♪ドー<レー<ミー<ファー|<ソーソ>ファ<ソッ>ッソ♪を最強奏して、
♪ソッ>>ソッ|<<ソッ>>ソッ|<<ソッ>>>ドッドッ|ドッ♪
激しく心を揺さぶられる音楽である。
チャイコフスキーの豪速パッションを芯で捉えることなど到底できないが、
その先端にでも触れンツェできるのは幸運としかいいようがない。
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「フィレンツェの思い出/舞踊章」

2005年05月24日 15時25分51秒 | 弦六大地震(花のお江戸の中心グラ
カンツォネッタ章につづいて、この章も、
「A(パン)→B(具)→A(パン)」というサンドウィッチ砂かけ婆形式。
(パン部)
アッレーグロ・モデラート、2/4、無調号。
冒頭2小節、(?)→(?)|→(?)→(?)の導入。
1番ヴィオラがシテ主題を奏でる。
♪ラー<ミー>レーレレ|>ドーーー>シーーー|
>ラー<ドー>ソーソソ|>ファーーー>ミーーー|
>レー<ミー>ラーララ|ラーーー<ドーーー|
<レー<ミー>ラーララ|ラーーーーーーー|♪
ルネサンス期のフィレンツェでは、こんな調べが奏でられてた、
のである。まったくロシアの臭いはしない。そのころのロシアは、
モンゴル人にホーミー唱法をどっぷりと喉に叩き込まれてた、
のである。1番vnが「同音程」でシテ主題を繰り返す。ついで、
♪ラー<シー<ドー>シ<ド|<レーーー<ミーーー|
>ドー<♯レー<ミー>♯レ<ミ|<♯ファーーー<ソーーー|
>ミー<♯ファー<ソー>♯ファ<ソ|<ラーーー<シーーー|
ーー<♯ド<レ<ミー>レ<ミ|<♯ファーーー・ーーーー……♪
イ短→ホ短→ロ短、である。そして、ロ短→ホ短→イ短、と戻る。
モノノホンには「イ短から平行長調に転調」などと書かれてるのであるが、
どこをどう探してもそんな転調は見つからない。まぁ、
哀川翔と浅香光代の顔が区別できない私であるから、見つけれないだけかもしれぬ。
もっとも、ジョニー大倉と志摩紫光の顔の区別くらいはつく。さて、
2丁のチェロが「ユニゾン」で、ついで、1番vnがシテ主題を奏でる。
ハ長の主和音を64分音符刻み。そして、
♪ドー>シー>ラーララ|ラーーー・ーーーー|
ラー>ソー>ファーファファ|ファーーー・ーーーー♪
イ短→変ロ長、ピッツィ。変ロ長→イ短。(パン部)が終わる。
(具部)
♪ド<レ<ミ・<ファ>ミ<ファ・>レ<ソ>ファ・>ミ>レ>ド♪
という3連符の「無窮動ふう」トリオから、
改訂時に全面的に書き換えられたのが、
→リステッソ・テンポ、3♯。
♪ソッ<ドドドッ>♯ファッ・<ソッ<♯ソッ<ラー>ミー|
<ソッ<ラララッ>ミッ・<ファッ<♯ファッ<ソッ>レ<♯レ|
♯レッ♯レ<ミミッ>♯ラ<シ・シッシ<ドドッ>♯ファ<ソ|
ソッ<ラー<シー<ドー・<レー<ミー<ファー<♯ファー♪
という「サルタンド(弾き弓奏法)」で繰り広げられるチャイコ流
「サルタレッロ」である。初稿から改訂までの間に、
チャイコフスキーは「メック夫人からの絶交通知」、
「妹の死」と「渡米」を体験したのである。アメリカでは、
ヴァンダービルトが敷いたJR東海岸の快速にも乗ったであろうし、
ナイアガラの「瀑布(salto)」のシブキも浴びたであろうし、
マンハッタン島からハドスン川を隔てた対岸のホウボウケンで、
オランダ人譲りのニッカーボッカーにソックスという独特のいでたちで、
イタリア移民のシナトラ一家vsアイヅランド移民のオハラ庄助一家が
野球の親善試合をしたあとでくりだすミンストレル・ショウで、
フィドルを擦らせながら歌い踊るのを聴いた、のかもしれない。
♪フィドルあほうにミールあほう。おなぁじあほなぁら、踊らにゃ、そんそん♪
ここで繰り返されるリズムが2番チェロで続けられる中、
(パン部)に回帰。→無調号。
2丁のvnが「オクターヴ・ユニ」でシテ主題を
「カンタービレ」再現。
ほぼ「型どおり」の再現がされて、
イ短主和音を「ff」でピッツィして、終了。
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「フィレンツェの思い出/カンツォネッタ章(具部、再パン部)」

2005年05月20日 16時56分27秒 | 弦六大地震(花のお江戸の中心グラ
外国人の納税額トップは、全体の第38位、ジャスジット・バタールでござ~る。
古手川祐子女史、伊藤英明青年といった俳優、そして、ほしのあき嬢や
サークルK-19サンクス小阪由佳嬢らが所属する「A-team」と交流試合をする
ロッテ・レーマン・ブラダーズ證券のアジア地区NEC、否、CEOである。
かつての英国貴族の所得はそんなもんではなかった、かどうかは知らないが、
爵位を嗣ぎ、エプソムの樫屋敷に居を構え、
エリザベス・ダグラス=ハミルトン嬢(第6代ハミルトン公爵の娘)
と結婚したエドワード・スミス=スタンリー(第12代ダービー伯爵)は、
1779年、「レイディ・オヴ・ディ・オウクス」と呼ばれた妻との結婚を記念して、
3歳牝馬のレースを創設した。それが、「ディ・オウクス」の始まりである。
我が国でも、それに倣って「優駿牝馬」競走を創設した。
5月22日(日曜)は、第66回「優駿牝馬」である。
当日の東京競馬場のゲストが工藤静香女史であるからといって、
4番14番で決まる、ということはない。同女史は今や歌手ではない。
二科展入選常連の「大画伯(peintre)」である。また、
シュミはサーフィンである。湘南の茅ヶ崎あたりの海岸が練習場であった。
といって、「ショウナンパントル号」が来るか、といえば、否村ヶ崎である。
今年は「日本におけるドイツ年」である。
5月22日は、リヒャルト・ガイアーの生誕日である。後妻である
コージマふとし厩舎の馬が同居した6枠11番、
エイシンテンダー号にでもぶっこんじゃおうか、と目論んでるのである。
当日の夜、BS朝日では、
「感動! ドイツ『食』発見紀行・ドイツ編」という番組を放送するそうである。
『食』といっても伝説の名馬『エクリプス号』が出走するわけがない。
「ドイツの『食』」といえば、ブラットヴアストである。
双子(ソーセージ)ジョッキー柴田大知・未崎兄弟が当日騎乗する枠には要注意。
が、この情報は売買しないので、もとより「樫担保責任」は発生しないが、当日の
「オンワード」所有馬の出走枠を見ても、そんな「目先」の簡単なことは
ヒントにならないはずである。ときに、「先っちょ」といえば、
6丁すべてが、弓の先っちょで8分音符を3分割したトレモロを擦るのが、
「フィレンツェの思い出/カンツォネッタ章(具部)」である。
→モデラート、1♭。
♪○○○シシシ<ドドド<レレレ<ミミミ>レレレ|
>ドドド>シシシ>ラララ<シシシ>ミー○|
○○○<ファファファ(>ミミミ)<♯ソ♯ソ♯ソ(>ミミミ)<ラララ|
(>ミミミ)<シシシ(>♯レ♯レ♯レ)<ミミミ|>ミー○♪
樫の葉が風にザワつくかの如くである。
♪○○○ミミミ<ファファファ<ソソソ<ラララ<シシシ|
<ドドド<レレレ<ミミミ<ファファファ<ソソソ>ファファファ|
>ミミミ>レレレ>ドドド>シシシ>ラララ>ソソソ|
>ファファファ>ミー○♪
我が思いだけがカラ回り。「喧噪の静寂」の中の孤独である。
そして、また、「真の静寂」。具部が終わる。
(再パン部)
→テンポ・プリーモ、2♯。
*初稿では、ここに(呈部)冒頭の(導部)11小節分がやはり置かれてた、
 のである。ただし、最初の1小節は(呈部)と違って、そこだけ
 「8分音符」に刻まれてた、のである。いずれにしても、
 (再部)には「ハズした」ほうがはるかにいい。
(呈部)では2番vnおよび両ヴィオラのピッツィ伴奏は「(4分音符の)3連符」
であったが、(再部)では「4連符=16分音符」に変わってるのである。
そして、今度はまず1番チェロがシテ主題を「歌い」はじめ、
1番vnが「応答」するのである。
ほぼ型どおりに再現されてくのであるが、
(呈部)では「嬰ヘ短、イ長」であったワキ主題は、
(再部)では「ロ短、ニ長」になってる、という「ソナタ形式もどき」である。
そして、「4度」あるいは「5度」変わったことで音域の違いがでるため、
その妙が効いてるのである。それにしても、この「ワキ主題」、
♪ミー<ラーーー、>ッソ|ソー>ドーーー|
ドー<ファーーー、>ッミ|ミー>ラーーー♪
は、まるで「イタリア・オペラ」でテノールが高音を大声を張り上げて
歌いあげるようではアーリアせんか。これのどこに、
「ロシアっぽい」とこがアルトいうのであろう。
曲はリタルダンドかつディミヌエンドし、
「pppp」で消え入るように閉じる。
この章は、ひどく胸をしめるけられる「歌唱章」である。
「温和ー度」も「お樫さ」もまったく見あたらない、悲しさの極みの音楽である。
じつにすばらしい。
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「フィレンツェの思い出/カンツォネッタ章(パン部)」

2005年05月17日 16時50分23秒 | 弦六大地震(花のお江戸の中心グラ
この章は「A(パン)B(具)A」という「サンドウィッチ形式」である。
アダージョ・カンタービレ・エ・コン・モート、3/4、2♯。
11小節の導部(終いの1小節は、フェルマータ附きの全休符)は、
副7(?)の和音が懐古情緒で響くとこから始まる。
上音1番vnの♪ファ>ミ>レ >ド  >シ>ラ>ソ♪の下降音階に反行して、
2丁のチェロが♪レ <ミ<ファ<♯ファ<ソ<ラ<シ♪と昇る。
3連のピッツィにのって、「ドルチェ・カンタービレ」発想指定の1番vnが、
シテ主題を歌い出す。
シテ主題(前半):♪【ソーーー】>♯ファー|<【ソーーー】<ミン>ド|
<【ソーーー】<ラー|<【ソーーー】・ソ<ド|ド>シラ>ソ・ソ<レ|
レ>ド>ラ>ソ・<ド<ミ|<ソーーー>ファー|>レーーーーー♪
シテ主題(前半):♪【【ファーーー】】>ミー|<【【ファーーー】】>レン<ミ|
<【【ファーーー】】(修飾音省略)<ソン>ファ|【【ファーーー】】>ミ>レ|
>ド<レ>ド>シ・<ド>シ|>ラ<シ>ラ>ソ・<ラ<♯ラ|
<シーーシーシ|シーー<ド<レ<♯レ|<ミー♪
前半は【ソ(a)の2分音符】を、後半は【【ファ(g)の2分音符】】を、
それぞれに「4度」ずつも繰りだすのである。なんという「くどさ」であろう。
感動してしまうのである。
1番チェロがシテ主題(前半)を再呈示。1番vnがオブる。
1番vnおよび1番チェロが奏でるのは、
せつなさで胸がつまりそうなほどのカンツォネッタである。
ピッツィ奏法の弦はさながらマンドリンの伴奏である。
1番ヴィオラがシテ主題後半の、
♪ファーーー>ミー|<ファーーー>レン<ミ|<ファーーー<ソン>ファ♪
音型を2度下げたふうな、
♪ミーーー>♯レー|<ミーーー>ドン<レ|<ミーーー<ファー♪
を繰り出し、一天にわかにかき曇らせるのである。
転調を繰り返し、ト短の♪ミーーー>♯レー|<ミーーー♪から、
嬰ハ短の石切的短命転調を経由して、イ短。
♪ラ<シ<ド<レ|<ミーーー>♯レー|
ミーーー(これを嬰ヘ短のソと置き換えて)ソン>ファ|>
【【【ミー<ラーー>ッソ|ソー>ドーーー|
ドー<ファーー>ッミ|ミー>ラーーー】】】♪
「fff」での慟哭に着地するのである。ときに、この【【【】】】箇所を、
音友社の「作曲家別名曲解説ライブラリー/チャイコフスキーの巻/
室内楽の章/弦楽六重奏曲の項」の担当執筆者の井上和男なるおかたは、
何をおっシャルカと思ったら、
「スメタナの『ヴィシェフラド』の主題と“酷似”してる」
とお書きになってるのである。ちなみに、その「ヴィシェフラド主題」は、
♪ソー<ドー○>シ|ソー○○○○|>ミー<ラー○>ソ|ミー○○○○♪
である。音型はおなじであるが、“酷似”してる、というのはいかがであろうか。
まぁ、キュイーの「オリエンタル」の「主題」が「チャイ5」に似てる、
などという感覚よりは、はるかにましではある。それはともかく、
「我が祖国」は「1879年」に「4手用pf譜」が出版されたそうであるから、
チャイコフスキーは「弾いて」たかもしれない。が、「弦六」の慟哭部は、
「ヴィシェフラド主題」というよりはむしろ、チャイコフスキー自身の
「エヴ・オネ」における「重要な動機」のひとつである
♪○ミ<ラ>ソ|>ド、<レ<ラ>ソ♪
への回顧ではなかろうか。「エヴ・オネ」は「大転換期」である「1877年」、
フォン=メック夫人から援助の手を差しのべられた年に作曲されてた作品である。
チェコの女神がおはした城が「ヴィシェフラド」(いまは墓地だそうである)なら、
チャイコの救いの女神とのセイクリド・ハートな思い出がつまった作品が
「フィレンツェの思い出」なのである。ところで、
在日チェコ大使館からほど近い「東京女学館」が、
広尾日赤が建設をもくろんでるマンション建設にイチャモンをつけてるそうである。
女子校ゆえ、ノゾかれる、からだそうである。それもそうである、
げた箱の上に置かれたままの、リボンシトロンのようなさわやかな
足裏のスエットを吸った上履きだって盗撮されやすいかもしれない。10年前は、
渋谷からの通学路にオウムの青山本部があって大変だったのに、
またさアンリまぁ受難をかけぇてお気の毒さまである。
同学小学部卒業生のあびる優も心配して、るかどうかは知らない。さて、
♪ラ<シ<ドー>シ<ド|>ソーー<ド<ファン>ミ|ミー>レーー<ミ|>ド♪
を繰り返し、やがて鎮静し、サンドイウィッチの「パンの片方」を終える。
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「フィレンツェの思い出/主章(展部、再部、結部)」

2005年05月13日 16時09分44秒 | 弦六大地震(花のお江戸の中心グラ
ガキの頃、よく「影」踏みというカネのかからない遊びを道端でやったものである。
馬上槍突きゲームは、馬や槍を買ってもらえるほど裕福でない家の子はできなかった。
ちなみに、鬼から逃げようとして歩道から「車道」にはみだすとファウルである。
それだけならまだしも、オート三輪に轢かれる危険大だったのである。
轢いてしまったほうも、償ったのち、また運転の教習を受けなければならない。
いずれにしても、いかにも郷愁をさそう「お題」である。ヒトトいうものは、
ノスタルジーにもノストラダムスの「アンリ2世(晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチを
囲ったフランスワ1世の倅)の死にかたについての予言」にも弱いものである。
継母の連れ子である幼い妹の世話を言いつけられてても、
背に負ンブラ・マイフしながら影踏みに興じたあの日。それからすぐにまた、親が離婚。
どっかに引っ越してってしまった血の繋がらない妹の面影……
こんなプロットで「秋の童話」ほどのKBSドラマのひとつも書けそうであるが……
コドモの人生にもショパンの事情があり、「別れの曲」は附きものである。
面影を3番エチュードの「ホチョウ」で踏むと、
日本中央競馬会がTVCMに挿入した誰だかの新曲になる。いっぽう、
鹿毛の半人半馬の尻尾を踏むと、毛色ンの変わった神曲になる、というのは、
まんざらアリギ得リないことでもない、どころか、射手座の起源である。
なつかしい昔噺である。
さて、フィレンツェのなつかしい思い出である。
(展開部)
→無調号。
コデッタのモチーフが「(実質)変ロ長+ト短」で奏され、
「(実質)ニ長+ロ短」で繰り返される。そして、
「スペードの女王」でゲルマンが伯爵夫人の寝所に忍び込んだときの
ドウキ音型が「調理」されてく。それが次第に盛り上がり、(実質「変ロ短」で)、
♪ラー<シー|<ドードー<♯ドー|<レーレー<ミー|<ファーファー<♯ファー|
<ソーーーーー|ーーソーソー|ソーーーーー|ーーソーソー|ソーーーーー|
ーーソーソー|ソーーーーー|ーー♪
同型反復。そこに、中低弦がシテ主題の第5、6ビットの音型
(♪ドー>ラー<ミー♪)をぶつける。そして、
ワキ主題、ついで、シテ主題、と「調理」がつづく。
そうして、(展開部)が終わりに近づく。
再現部前の9小節が、主章で唯一改訂された箇所である(改訂前のほうが「くどい」)。
→ポーコ・アッラルガンド。
♪ミッ|>レー>シー<ミッ|>レー>シー<ミッ|>レー>シー<ミッ|
>レ>シ>ミッ<♯ソッ<シッ<レッ|*♪
→テンポ・プリーモ、1♭。で、
(再現部)
になだれ込む。
♪*<ファーーー>ミー|>ラーーーー|>♯ソ<ラ>♯ソ>ミ<♯ファ<♯ソ♪
(呈示部)の冒頭では「f」(確保時には「ff」)だったのであるが、
(再現時)には「fff」、かつ、オクターヴ上である。そして、
オクターヴ下を2番vnや1番ヴィイラが「補強」。当然の処置である。
さて、(再現部)は「ほぼ」(呈示時)どおりに(再現)されていき、
(呈示時)「イ長」であったワキ主題の(再現時)「ニ長」、というのも、
ソナタ形式の常套である。そして、
(再現部)のコデッタ、につづいて、
コーダ(結尾部)。
→無調号。
シテ主題の弾頭部とワキ主題の前半部をシヨウしたアオフヒーベンが開陳される。
→1♭。
(♪ドー>ラー<ミー♪)音型が8分音符で刻まれた形でゼクヴェンツ。
ストリンジェンドがかけられる。
→ピウ・モッソ、ヴィヴァーチェ・アッサイ。
「スペード女王/ゲルマンの動悸動機」音型(♪ラ>♯ソ<ラッラッ♪)のゼクヴェンツ。
ストリンジェンドがかかる。
→プレスティッスィモ。
突如、♪【レー<ミー|>ラ】♪
「グッリェルモ・テル」序曲の静寂部のコルノ・イングレーゼ動機というよりは、
♪ジョウとぉ、逢うたら、断然イィ。
【恋ぃ~に憑か】れた、【おん~ながぁ】、ひとりぃ~~~♪
「指圧の心は母ごころ、押せば命のいずみたく。わぁーっはっはっはっ!」
と、故浪越徳治郎先生がダークダックスのヴォーカルに迎えられて歌った
故マリリン・モンロウ頌歌「女ひとり」のほうがまだ近い。が、
「ジョウ(ディ・マッジョ)を射んとすれば、まず1ポーモたじろがず射よ」である。
「リンゴを射ると、葉・茎から汁エットが出ませんか?」とは、グラナダTVで
故福田豊土が吹き替えたDr.ワトスンがハドスン夫人に訊く名ゼリフであったが、
「美女のうなじをかじると、歯茎から血が出ませんか?」というのは、
クリストファー・リーが百獣の王に伝達した言葉である。いっぽう、
「ローマではローマ人がするようにせよ、
フィレンツェでは荒馬とノーマ・ジーンがするようにせよ」
というイタリアの各町柄を表した諺もある。それらはともかくも、
10年ちょっとのちに同じく「ニ短」で書かれたシベリウスの「vn協」の
主要主題となるのがこの♪【レ<ミ>ラ】♪なのである。
♪○○レー<ミー|>ラー、レー<ミー|>ラー、レー<ミー|>ラー、レー<ミー|
>ラー、レー<ミー|>ラー、<ドー<ミー|<ラー、<ドー<ミー|<ラー○○○○|
>ラー○○○○|>>ラー○○○○♪
休符があるとはいえ、一寸の休息も与えぬ急速ジメである。心射る音楽である。
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