チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「悲愴交響曲第4楽章提示部の主題交互奏/チャイコフスキー没後120年」

2013年11月06日 22時55分15秒 | 悲愴中毒(おreたちdニasはない
本日は、
チャイコフスキーが死んで120年の日にあたる。
50年とか100年とかではないので、その
"アニヴァーサリー度"は私の頭髪同様に薄いものだが、ともかく、
記念すべき日に違いはない。
1893年10月28日(現行暦)、チャイコフスキーはペテルブルクにおいて
「交響曲第6番」(いわゆる悲愴)を自ら指揮して初演した。
その4日後の11月1日、アレクサーンドル・オストロフスキーの戯曲
"Горячее сердце
(ガリャーチェエ・スェールツィエ=熱き心)"
観劇の帰りに立ち寄ったイタリアン・レストランで水を頼んだ。
コレラ流行中なので周りが止めるのもきかず、
「コレラなど恐れてない」
と言って飲んでしまった。そして、
翌日、体調不良をきたした、と伝えられてる。
自身の意識がしっかりしてるうちは、
医師を呼ぶことを拒んだともされてる。ともあれ、
チャイコフスキーは「悲愴」初演の9日後の午前3時に
秘密めいた死を遂げたのである。いちおう、
コレラは完治したもののそれによって衰弱した体に
腎不全をきたし、最終的には
肺水腫で死んだ、ということになってる。が、
これはかなりあやしげな発表なのである。

この年、
チャイコフスキーの友人・知人が相次いで死んでった。
コンスタンチーン・シローフスキー、コンスタンチーン・アーリブレフト(カール・アルブレヒト)(以上、6月)、
ヴラヂーミル・シローフスキー、アレクセイ・アプーフチン(以上、8月)、
ニコライ・ズヴェーレフ(9月)。ちなみに、年は明けるが、
チャイコフスキーの死の11月6日からわずか80日後の
1894年1月26日に、保養先のニースで
ナヂェージダ・フォン=メック女史も死ぬのである。さらに、
この1893年という最後の年には、チャイコフスキーは、
5月イッポリート、7月ニコライ、9月アナトーリーと、
普段一緒のモデスト以外の兄弟を訪ね歩いてるのである。
まるで、死ぬ前に一目会いに、みたいに。

悲愴の初演前後、チャイコフスキーは中下流貴族の師弟が学ぶ
帝立法律学校の同窓生で出版業者のベーッセリと
「オプリーチニク」の出版契約更改の件(著作権料)でもめてた。
生水を飲んだとされてるレストラン・レーイネルには、
チャイコフスキーの成功を妬むリームスキ=コールサコフ一味の大番頭である
アレクサンドル・グラズノーフもチャイコフスキーの動向を探るためか
同席してたのである。ちなみに、
チャイコフスキーの死によって帝立の劇場の仕事は
オペラがリームスキ=コールサコフ親方に、
バレエがアレクサンドル・グラズノーフ番頭に、
それぞれお鉢が回ってくることとなったのである。
五人組(バラキレフ以外)が"懇意"にしてた出版社はベーッセリだった。

さて、
チャイコフスキーはその最後となってしまった交響曲の
終楽章を、それまでの恒例の速いデンポで賑々しく終わるのではなく、
緩徐楽章として消え入るように終わらせる、
という、意表を突く工夫をこらした。さらに、
その主要主題の
♪ミーーー・>レー>ドー・>シーー>ラ│<シーーー・ーーーー・ーー●●♪
を、楽章開始(提示部)では、
当時は右左両翼に対向配置されてた
第2ヴァイオリン(それに伴うチェロ)と第1ヴァイオリン(それにともなうヴィオラ)に
1音ずつ交互に弾かせる、という
画期的なことをしたのである。

これは一般的に、
心理的効果をねらったもの、と考えられてる。たしかに、
そのとおりである。調性には意味はあるが、
オケそれぞれの調律の差異がある以上、
絶対的なピッチに依るものでないのと同じで、
あくまでもスィンボリックなものである。ただ、
チャイコフスキーはオペラ「チャロデイカ(いわゆる魔女)」以来、
晩年は指揮者もやってた。だから、
指揮台の上では左右からの音の切り替えがしかと判った。また、
コンサートホールのうしろのほうや端寄りの席の人たちはともかく、
中央の比較的前列の客席では、
左右からそれぞれにザッピングした音が
はっきりと聴きとれたのである。

死の2年前に書かれた最後のオペラ「イオランタ」では、
その第3曲中の「モデラート・アッサイ、2/4拍子、3♭(変ホ長調)」部分で、チャイコフスキーは
主人公イオランタ姫が眠りにつくときに
その友人ふたり(ブリギッタ=ソプラーノ、ラーウラ=メゾ・ソプラーノ)に
子守歌を歌わせる。これに、
ナーサリーのマールタ(アルト)が加わって、三重唱となってるのだが、
ブリギッタとラーウラの、
♪バーユー・バーユー、スピーーーーー♪
(ねんねんころりよねんねしな、みたいなロシア語の常套句)
の箇所を、旋律部分を1音ずつ交互に歌わせる、
という試みをしてる。音源方向撹乱効果である。
この舞台の場面では、眠りに入るイオランタにとって、
声が複数方向から聞こえてくることは、まさに
幸福を運んできてくれる天使たちがくまなく
自分を取り囲んでて見守ってくれてるような気分にさせ
安堵の眠りにつかせるのである。

いっぽう、
「悲愴」では、その第2楽章で、
17乃至23小節(反復をカウントすると、33乃至39小節)の
第1&第3ホルンと第2&第4ホルンに
イ音と1点イ音をそれぞれ交互に吹かせる、
ということもやってるのである。これによって、
アンサンブルが少なからず整わなくなるのだが、むしろ、
それが目的であると考えられる。

さて、
第4楽章の下降音階的な主題
♪【ミーーー・>レー>ドー・>シーー>ラ│<シーーー・ーーーー・ーー】●●│
<【ミーーー・>レー>ドー・>シーー>ラ│<ド>シーーー・ーーーー・ーー】●●♪
は、じつは、
「交響曲第4番」の第4楽章で引用したロシア民謡、
"Во поле берёза стояла
(ヴォー・ポーリェ・ビリョーザ・スタヤーラ=野に白樺は立てり)"
なのである。
♪【ミミ・ミミ・・>レー・>ドド│>シー・>ラー・・●●・●●│<シー・ー】<ド・・<レレ・>ドド│>シー・>ラー♪
が、この民謡は、ベートーヴェンの「英雄交響曲」の緩徐楽章
「葬送行進曲」の主題、
♪ミーーミ│ミーーーーーーー・<ラーー>♯ソ・<ラーー<シ│
<ドーーーーーーー・>ラーーー●●●●│
【ミーーーーーーー・>レ>ドーー>シ>ラーー│<ドーーーーーーー・>シーーー】●●♪
の一部でもあるのである。
下降音階的なものだから似て当然、とはいえる。だが、
「悲愴」第4楽章のこの主要主題の冒頭は、
[d-gis-h-fis]
と、「道を踏み外した恋」、それゆえ畢竟「破滅を免れえぬ恋」
を象徴する「トリスタン和音」にしてあるのである。

アントニーナ・ミリュコーヴァから熱烈な手紙をよこされたチャイコフスキーは、
その"山林"という資産に目がくらんだのである。
アホウな生徒に楽理を教えてる暇があったら
作曲やそのための肥やしになることに専念したい。
その山林が二束三文だと判るのは結婚後のことであり、
やたらめったら離婚できないロシア正教下での婚姻後には
あとの祭りだった。ところが、
自分に手を差し伸べてくれたもう一人の女性、
フォン=メック未亡人は真の支援者だったのである。
その有頂天の中でチャイコフスキーは「交響曲第4番」を産みだしたのである。
そしてそれは、
「我が最良の友」(フォン=メック夫人)に献呈されたのである。
つまり、
(カネヅルだと思って)アントニーナとイヤイヤ結婚したものの
実際は二束三文で役立たずだったいっぽうで、
本当の金持ちのナヂェージダとの"文通と援交"という
不倫が始まったのである。これは、
民謡「野に白樺は立てり」の歌詞に合致するのである。
自らの死が見えてきたチャイコフスキーは、
この「交響曲第4番」の「ヘ短調」と五度圏概念で対極をなす調性
「ロ短調」の「悲愴」の最終楽章の主要主題を創作するに際して、その
フォン=メック夫人との思い出の「野に立つ白樺」が蘇ったのである。
実際には夫人がチャイコフスキーのあとに死ぬのだが、
チャイコフスキーにとって夫人はすでに自分から去ってしまった人間だったのである。
自分の死を感じはじめたとき、それはあたかも、
まだ"非現実"な幻聴のように左右からともなく聞こえてくる。が、
死が現実味を帯びて迫ってきたときには、
幻聴はもはや幻聴でなくなり、一方向から聞こえてくるのである。
ヒトにとって時間の流れは不可逆である。
過去はどうあがいても戻ってはこない。
現実は悲しいものである。
"Tomorrow is not today."
(拙大意)今日は二度と戻ってこない。

(「悲愴」終楽章(第4楽章)の主要主題が提示されるときと
再現されるときのオーケストレイションの違いを並べてみたものを
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/tchaikovsky-symphony-6-4th-mov
にアップしておきました)
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「チャイコフスキー悲愴と母アレクサンドラのグラーティア/ほんとうのジョスカン・デ=プレ弐」

2012年04月21日 00時19分50秒 | 悲愴中毒(おreたちdニasはない

チャイコフスキー 悲愴


今週の土日も煎餅焼きの立ち会いで遊ぶ暇がない。
無信心の私に神のみ恵みがもたらされないのは承知してる。
売国政党の国賊チビっ子財務大臣が、
はたらくのめん「どくさいっつーか飢饉」にあえぐ
ナマケモノの私のために4兆8000億円を拠出してくれる、
などという話はいっこうに聞かない。とはいえ、
私はナポレオン3世に睨まれるような共和派ではないので、
ジャーズィー諸島に逃げなくてもいいし、
元祖ストーカーのアデルを娘に持ってるわけでもないので、
それらを以て幸せとしなければならない。
骨折って地道に勤労するのみである。

【ド>シ>ラ>ソ】
という【音階を4度下る音型】は、
チャイコフスキーの最重要作品である
「交響曲第4番」「同6番(悲愴)」の骨子である。これは、
「悲愴交響曲」の第2楽章に
【Allegro con grazia】
(アッレーグロ・コン・グラッツィア=速く、恩恵をもって→速く、慈愛に満ちて)
という標語を採ったチャイコフスキーが、
母アレクサーンドラを想起してちりばめたものである。そしてそれは、
「悲愴交響曲」の第4楽章の第2主題
【ドー│ドー・>シー・>ラー│>ソー・ーー】
となって最期を向かえる。チャイコフスキーは
それをオクターヴ・ユニゾンで擦り出すvnプリーモとヴィオーラに、
【con lenezza e devozione】
(コン・レネッツァ・エ・デヴォツィオーネ=慈悲と献身の心をもって)
と命じたのである。つまり、
【ド>シ>ラ>ソ】という【音型】は
聖母マリアの【恩恵】、すなわち、チャイコフスキーにとっては、
亡き母アレクサーンドラ像なのである。

ジョスカン・デ=プレの「アヴェ・マリア」は、
冒頭の"Ave Maria, gratia plena,"の
"Ave Maria"にあたる箇所が、
♪ソー・ーー・・<ドー・ーー│ーー・ーー・・ドー・ーー│
<レー・ーー・・<ミー・ーー│>ドー・ーー・・ーー・ーー♪
という音型で4声によってカノられ、続く
【gratia】
にあたる箇所が、
【ドー・ーー・・ーー・>シー│>ラー・ーー・・>ソー・ーー】
となってるのである。
チャイコフスキーはこの【音型】を、同人が
帝室法律学校(当時のロシア帝国の中下流貴族の師弟が学んだ、
官僚養成寄宿制学校。実際、チャイコフスキーも卒業と同時に
法務省の高級官僚となった。キャリア組である)生の14歳のときに、
コレラという苦痛に満ち汚物にまみれなければならない伝染病で
惨たらしく醜く死んでった、それまでは美しく優しく、
慈愛と献身の心に満ちてた母の象徴としたのだと、私は考える。
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「pppppp用にアルトゥル・二機種?/通りすがる開胸冬景色」

2010年12月17日 01時11分35秒 | 悲愴中毒(おreたちdニasはない
(♪小声そうなチャーィカ見つめ、鳴いていました♪)

※このエントリは、当ブログの
「チャイコフスキー『悲愴交響曲』にオケるバス・クラリネット使用の愚」(2009年01月09日)
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/5630eb5fb95e5465dff427524acc06e7
のコメントに対する回答です。

>通りすがりの演奏家さん、
通りすがりという捨てハンでのコメントというのは、
ネット上ではもっとも侮蔑的なものなのだそうですね。が、
私はどんな悪意があるかたに対しても
コメントを無視するような無礼な態度はとれない性分なので、
いちいち答えさせていただきます。
貴殿のことを「悪意ある」と言ってるわけではありません。
ただし、
まことに失礼ながら読解力に問題がないこともないと、
以下をご覧になれば気づいていただけるでしょうか。

<「さすがにプロは金のためだけ」という一節は、さすがに聞き捨てなりませんでした
……中略……一握りを除いて、音楽家はそんなに儲からないですよ>
▲【相当著名な「指揮者」「演奏者」がいますが、
チャイコフスキーやその音楽のことを何も知らない輩がほとんどです。
まあ、やつらは金や地位のために演奏してるのであって】
ここらへんをもう一度、読み直していただけますでしょうか。
私が言ってるのが、貴殿がおっしゃる"一握り"とほぼ同じであることが、
クラシック音楽に携われる程度の通常の知能のかたならご理解いただけると思うのですが。
また、コメントするにあたって引用する文は「そのまま引く」というのは、基本中の基本です。
"「さすがにプロは金のためだけ」という一節"、
などと勝手に改竄しないようにしましょう。
貴殿の見識はそこでもう疑われることになります。
それから、"金だけのためでない"、"芸術家"、などという高邁な矜持を誇示したいなら、
それこそ自分が勉強不足な作品や好きでない曲は
「できない」「やらない」と断るべきではありませんか?
それなのに恣意的な"芸術"を聴かせるなど、
金を払ってるはらってないに関わらず、
聴衆に対して著しく礼を失した行為です。

<指揮者が自分の芸術を前面に出すタイプなら>
▲私の認識では指揮者に"芸術"などとはおこがましい話です。
指揮者や演奏者はテクニシャン(技術屋さん)であるべきです。
"芸術"などという考えを入り込ませることが心得違いなのです。

<聞きに来られる方に、そのように思われているのは悲しいですし、
このような言葉を私のように見ることになる音楽家もいるのです>
▲先入観なしにもう一度、私の文章を読み直していただけますでしょうか。
私の文章すらきちんと読解できないいっぽうで、
"我々が楽譜に書いていない意図を見抜く"、などとおっしゃるのは痛すぎませんか?

<悲愴のように楽器を変更してしまう例は、他にもあります。
出ない音が書いてあるとか、楽器の都合上など、いろいろな理由ですが。
モーツァルトは、行く先々のオーケストラによって>
▲"悲愴のように"とおっしゃってるのに、
"もしかしたら他の楽器を意図していたかもしれないが、
都合により楽譜の方が改められた例"というように、
論旨をすりかえていらっしゃいます。よって、この場合、
モーツァルトの例が引き合いにならないのは自明です。それから、
いちいちことわらないと貴殿はとんでもない方向に曲解なさるかたのようなので、
ことさら申しあげますが、
チャイコフスキー当時の楽器でやれと言ってるわけではありません。さらに、
たとえば「バセットホルンをクラリネットに替えるな」とか、
「チェロでなくアルペッジョーネでやれ」とか、
「エラールやプレイエルでないピアノでショパンを弾くな」とかいう考えでもありません。
ppppppの箇所のファゴットをバス・クラリネットで代用するという行為が
根元的な誤りであることを悟れないかたには
何を申しあげても不毛でしょうけれど。

<この悲愴ですが、たとえばバスクラが用意できなかったとか、
オケにいなかったとか、何か初演時のファゴット奏者が最高に弱音が得意で、
使ってみたくなったとか…いろいろな可能性があります>
▲いえ。それらのような可能性はまったくありません。
寝る間を惜しんで、とおっしゃるわりには、僭越ながら、
職業音楽家としての相当なる勉強不足を指摘させていただきます。
音楽全般の基礎知識をきちんと身につけてのち、初めて
職業演奏者になるべきだと、私なら思います。

<しかし、ここから何を選ぶか、何を重要とするかは、
演奏家と指揮者が芸術家たる理由でもあるのです>
▲私の認識では、演奏家(指揮者も含めた)は芸術家ではありません。
医者や弁護士が芸術家でないのと同じです。
その道の専門家です。
医師は芸術で診断も施術もしません。検査結果と問診で判断します。
弁護士は芸術で立証はしません。証拠で立証します。

<仮にファゴットを用いるとして、それを可能な奏者が、
果たして世界に何人いるでしょう?>
▲逆に、100人いたらいいのですか? 50人ですか? 1人ですか?
0人なら貴殿の思う壺、ほらみろ、ですか?
そんな疑問は何の意味もありません。

<構造上、クラリネットのpppに、ファゴットが弱音で勝ることなど「あり得ない」>
▲それをチャイコフスキーが知らないバカだったと貴殿はお思いになってるのですか?
ちなみに、「クラリネットのppp」ではなく「ppppp」ではありませんか?
暗譜してないなら、せめて楽譜ぐらいあたってみましょう。

<もっと古典の作品を演奏するのにパート譜にあるfを信用して
みんながフォルテで演奏したら、音のデカい楽器の音と、
伸ばしの音ばかりが聞こえるはずです。それも、作曲家の意図ではありません>
▲異なる時代の話を比較しても不毛です。
強弱記号が大まかにしか手段も目的も持たなかった古い時代には、
個々の楽器に強弱記号は附されてません。
楽器間のバランスを調整することこそ、演奏者あるいは指揮者の技術、仕事です。また、
同時性の強弱の話をppppppのことに例えるのも論旨のすりかえにすぎません。
そもそも、この「ファゴットによるpppppp」をそういう別問題に置き換えても無意味です。

<我々が楽譜に書いていない意図を見抜かなくてはならない、とでもいいましょうか。
作曲家は音をイメージしながら筆を取りますが、紙にかける情報には限りもありますから>
▲楽譜には書き尽くされてない、という思いこみが、
一般的な演奏家のかたがたには常識のようにあるようですが、それがいけないのです。
このことが解らなければ、真っ当な演奏家たりえません。
「下手の考え、休むに似たり」ならまだいいのですが、余計なことをしてしまう。

<楽器を変える、というのは確かに特異で稀有な例ですが、
それも推測できうる作曲家の意図のうち、何を選ぶかでもあるのです>
▲チャイコフスキーのようなレヴェルの"作曲家"というものを、
近辺にいる「作曲家と称する」人らと同じ程度に認識してませんか?
"特異で稀有な例"どころではありません。
冒涜です。
チャイコフスキーを馬鹿にし無遠慮に凌辱しこきおろし踏みにじってる暴力措置です。

<ちょっと話が飛びますが、楽器で出るわけがない音をわざわざ書く作曲家がいます。
マーラー、リヒャルト・シュトラウスなど>
▲「この程度の作曲家ら」をチャイコフスキーの話の引き合いになさりたいのですか。

<ファゴットのppppppも、つきつめれば同じことです。「音の高さ」的には問題はなくとも、
音の大きさも、それは構造と相まって「不可能」なことなのです。>
▲おっしゃるとおり、"不可能"だと思います。しかし、これが大事なことなのです。
貴殿は"不可能"だからと拙速に他の手だてを考えようとしてしまう、
多くの誤った演奏家の仲間です。
第4楽章のホルンの低嬰ヘ音のffのブシェも「不可能」だから、
エイっ屁で代用しちまえ、というのと一緒です。
チャイコフスキーはなぜ"不可能"なことを要求してるのか、
という考えかたに向かうのが、真っ当な演奏家の姿だと私は考えてます。
"不可能"なことをチャイコフスキーは求めてるのだ! と心動かされないような"芸術家"なのですね。
チャイコフスキーが無理を要求してるというのに、それに応えようとしないのが、
どこが芸術家ですか。このことにこそ感動すべきでしょう。
この無理難題に感激しない者が、チャイコフスキーをやる意味があるのですか。

<ファゴットが失敗して音がかけたら、それこそ作曲家の書いた音がなくなったわけで、
そちらのほうが大問題ですし(笑)>
▲失敗して何が悪いのですか。失敗を嘲るような聴衆は所詮、
クラシック音楽の愛好家ではありません。気にすることなどまったくないのです。
プロの演奏者が失敗するほどの厳しさをチャイコフスキーが要求してることが解らない者は、
聴衆ではありません。見栄や成り行きで聴きに来てる、
ただの"通りすがり"にすぎません。

<哀しいかな、作曲家は「ホンモノ」を自分で残すことは出来ないのです>
▲これがすべてのプロの演奏家のかたの認識とは思いませんが、
私は"作曲家"が記した楽譜に残されてると認識してます。貴殿はつまり、
楽譜はすべて"書きかけ"だから補ってしかるべき、
とお考えのようですね。とんでもないことです。
貴殿が下記のように絵に喩えられたいようですのでそのようにしますが、
音楽は西洋絵画の絵とは違います。
ゴッホの絵の筆致が荒れたままなのでそれを削って原色でない色を塗る、
モネの絵の線描に絵の具を塗ってない箇所があるからそこに色を付け足す、
それが貴殿のおっしゃる"芸術"です。あえて絵の類に喩えるなら作曲家は
江戸時代の版画の場合の絵師です。
彫師は絵師の絵の線を違えて彫りますか?
刷師は絵師の色指定を無視した色使いをしますか?
20世紀の印刷屋のオペさんも、責了紙や校正紙の色合いを勝手に別のものにしましたか?
いいえ。そして、
彫師も刷師も版元も印刷屋さんも"芸術家"ではありません。
職人、商人です。その仕事が
舌を巻くような見事さでも、それは
芸術ではありません。職人芸です。
芸術家と呼べる者がその中にいるとすればそれは
絵師だけです。

<音楽が絵だとすれば>
▲音楽は絵とはまったく違います。が、まぁ、例え話として聞きましょう。

<書きかけの絵を、最後にフォーカスや明暗・色味を決めていくのが、
演奏という仕上げの作業なのです。つまり曲はホールで完成します>
▲この"描きかけ"という僭越な先入観を持つことが間違ってるのです。

<どの意図を汲み取るべきかは、最終決定者=指揮者と演奏者に委ねられます>
▲行為者の勝手だとは思います。それがどんなに荒唐無稽であろうとも、
支持し賞賛する者までいればなおさら。

<だから我々も芸術家なのです>
▲その傲慢さが考え違いだとは思わないようですね。

<問題の箇所をバスクラに変えることで、チャイコフスキーが
チャイコフスキーでなくなるとは思われません>
▲そうお思いになること自体は自由です。とめようとは思いません。
代用魚の回転寿司も「すし」と言いますし。
それから、そんなにバス・クラリネットがいいのなら、なぜ、
冒頭の序奏のファゴットもバス・クラリネットにしないのでしょう?
バス・クラリネットでやってるのを想像してみてください。あるいは、
実際にやってみたらどうでしょう。それでもなお、
チャイコフスキーの悲愴交響曲での低弱音ファゴットの起用の意図が見えてこなければ、
第4楽章でいわゆる第2主題が提示される前のファゴットの下降も、
どうぞ是非ともバス・クラリネットでやられたらいいのではないでしょうか。

<現に、「悲愴にバスクラを入れる」と、筆者様は表現されていますしね(笑)>
▲??? どこでそんなことを表現してますか?
いいかげんなことを書かないでください。
私がそんなことを書いてると誤解する人が出てきたらどうするのですか?
もしあるのなら、具体的にその箇所を指摘してください。
もし誤記してるか、あるいは、通常の認識能力があるかたにも
誤解される書きかたをしてるとすれば、
改めるにやぶさかではありません。是非、ご指摘ください。

<個人的な感想ですがバスクラのppppppも、名人が、
ここぞと音量を絞ったときの緊張感はなんともいえませんよ>
▲緊張感がいい、ということなのですか?
この箇所にそのような「巧く吹けるかふけないか」ということだけに
一喜一憂する低レヴェルの緊張感という嗜好をお持になるようでは、
僭越ながらチャイコフスキーはなじまないかと思います。が、
見た目が脂の乗りきった「ハマチ」やきれいな色をした「サーモン」などの
代用魚で満足な回転チャイコフスキー鮨愛好をこれからも貫くこともまた
有用かもしれませんね。
世の中には回転寿司が大好きな人がたくさんいるようですから、
そういうかたたちのためには、
一握りも"二握り"も供給してあげることも必要でしょう。
人の嗜好は本能に基づくもので、
あとからはどんなに啓蒙しても変えれませんので。

さて、
当該箇所をバス・クラリネットに吹かせるようにしたのは、
アルトゥル・ニキシュが始めたことだという説があるようです。
その真偽はともかく、ファゴットかバス・クラリネットか、などという木管
二機種の問題など、真っ当なチャイコフスキー好きには、
はじめから存在しないのです。
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「続・チャイコフスキー『悲愴』第1楽章のトリスタン和音」

2010年10月26日 01時11分20秒 | 悲愴中毒(おreたちdニasはない
1992年の10月26日は、ドジャーズの球団職員だった
アイク・生原が死んだ日である。ところで、
今スィーズンのMLBナションル・・リーグのチャンピオンは、
同じくカリフォーニアに本拠を置き、ともに
1958年にNYから移転してきた
SFジャイアンツに決まった。そのジャイアンツを
1985年から1992年まで指揮してたのが、
元右腕投手のRoger Craig(ロジャー・クレイグ)である。
現役のとき、エクスパンション(球団拡張政策)で誕生したNYメッツに
1962年、いわゆる「拡張ドラフト」で移籍させられた。つまり、
NYメッツ創立メンバーのひとりである。当初は皮肉にも、
SFに移ったジャイアンツがNY時代に使用してた
ザ・ポウロウ・グラウンズ(いわゆるポロ・グランド)が本拠地だった。
40勝120敗という最悪のティーム成績だった。
クレイグ個人の成績も、10勝24敗である。が、
このクレイグの持ち玉だったのが、のちに、
"SFF(split-finger fastball)"
=スプリットフィンガー・ファストボール
=人差し指と中指を開いた握りの速球、
と呼ばれるようになる変化球だった。
いわゆる「フォークボール」の回転数の倍な、
スピードが速い代わりに落差が少なめな変化球である。
これをクレイグはアストロウズのピッチング・コウチ時代に
Mike Scott(マイク・スコット)に教えた。同右腕は、
NYメッツとヒューストン・アストロウズで1979年から1991年まで投げた。

ところで、クラ音において
"sff"といえば、スフォルツァティッスィモもしくはスフォルツァンド・フォルテ、
であり、それまでよりさらに強く奏することを要求してる
強弱記号である。
チャイコフスキーの「交響曲第6番」の第1楽章315小節にも、この
"sff"が附されてる。
ビゼーの「カルメン」の中でドン・ホセが歌う、いわゆる
「花の歌」の後半の節を引用したといわれてる、
甘くせつない、胸の奥からこみ上げてくる感情を誘う、
第2主題が再現された箇所である(5♯=ロ長調)。
主題の後半が一度奏され、
属音からクロマティカルに上昇させられて
→[incalzando(インカルツァンド=急きたてて)]
****♪ソーーー・>ファーー>ミ│ミーーー・>レーーー、・・<ファーーー・>ミーー>レ│
→[ritenuto(リテヌート=急減速して)]レーーー>ドーーー、・・♪
ときたその次、である。
オッブリガートを吹奏するホルン4管以外の、
和声を受け持つ楽器群が、この小節で

第1拍&第2拍:[h-dis(ド-ミ)]→
第3拍&第4拍:【eis-h-dis-gis(♯ファ-ド-ミ-ラ)】

と進行する。そして、この
【】の和音を奏する楽器群にチャイコフスキーは、
それまでの"fff"という強さの中で、ことさら
"sff"という強弱記号を附したのである。いっぽう、
この【】の和音は、
【eis-増4度-h-長3度-dis-完全4度-gis】となってる
(根音からはそれぞれ「増四度」「増六度」「増九度」)。つまり、
【トリスタン和音/Tristan Chord】
なのである。ここで、この【トリスタン和音】は、
ヴァーグナーのいわゆる「トリスタン和声」のように、
グズグズといつまでもひっぱる類のものではない。
次小節ですぐに主和音に「解決」する。チャイコフスキーの場合、
この【トリスタン和音】を使う箇所での、その【トリスタン和音】の
強烈なせつない響きの効果を求めてるのである。
チャイコフスキーはここで【トリスタン和音】を打ち据え、さらにそこに、
****●●ミー>・レー>ドーッ│
  (>ソー>ミー・>ドー<ミー、・・<ラーーー・ーーー>ソ│ソーーー・ーーーー♪
と、[ミ>レ>ド]というこの主題の弾頭を重ね塗るのである。
万感胸に迫る音楽である。
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「チャイコフスキー『悲愴』第1楽章のトリスタン和音」

2010年10月14日 00時58分40秒 | 悲愴中毒(おreたちdニasはない
チャイコフスキーの「交響曲第6番」の第4楽章における
「トリスタン・コード」については、すでに、
「悲愴交響曲終章のトリスタン・コードと聖母」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/57e8964ef18d66c26758b7dd9d6744b7?st=1
で書いた。そして、
この交響曲が低弦のトリスタン・コードからロ短調の主和音に解決されて、
息絶えるように終わることも述べた。

第1楽章、ソナータの提示部の終い、
「ファゴット」がppppppで低音域の
[h=ラ(フェルマータ)>a=ソ(フェルマータ)>fis=ミ(フェルマータ)>d=ド(フェルマータ)]
を吹き終えた直後、
→[Allegro vivo]
間髪おかずに展開部へ突入する。全奏が、
[c-g-a-es]
という和音をffで打ち鳴らすのである。これは、
[a-es-g-c]を転回させたもの。つまり、
[a-増4度-es(=dis)-長3度-g-完全4度-c]
という[トリスタン・コード]である。
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