チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「童は見たり、野中のばら。チュンチュン/近藤朔風没後100年」

2015年01月14日 16時38分13秒 | toneナリノ曲ハヨク歌曲ウ歌謡曲ダ
本日は、西洋歌曲の訳詞家、
近藤朔風(こんどう・さくふう、本名=逸五郎、1880-1915)の
没後100年にあたる日である。
朔風の実父は、出石藩仙石家の儒官の家に生まれ、
維新後には明治政府官僚となって
現在の気象庁の設立に関わった人物である。
そのためか、逸五郎は
冬場の天気予報によく出てくるタームである
北風を筆名に用いた。

「なじかは知らねど心わびて」
「泉に沿いて茂る菩提樹」
(「シューベルト『Der Lindenbaum(菩提樹)』歌詞篇/フィッシャー=ディースカウの死にあたって(2-1)」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/24729c8924e04025f98f68e8164ecd35 )
「わらべは見たり野中の薔薇」
など、そうした「訳詞」の歌が
音楽の教科書に載ってた時代に育った
私のようなものには海馬に刻まれてる。
それが、ときおり、昭和の懐かしさとともに
呼び覚まされる。

ギョエテの詩"Heidenröslein(ハイデンレースライン)"の
訳詞「野ばら」は以下のようなものである。

"Sah ein Knab' ein Röslein stehn,
Röslein auf der Heiden,
War so jung und morgenschön,
Lief er schnell, es nah zu sehn,
Sah's mit vielen Freuden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.

Knabe sprach: ich breche dich,
Röslein auf der Heiden!
Röslein sprach: ich steche dich,
Dass du ewig denkst an mich,
Und ich will's nicht leiden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.

Und der wilde Knabe brach
's Röslein auf der Heiden;
Röslein wehrte sich und stach,
Half ihm doch kein Weh und Ach,
Musst' es eben leiden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden."
(Knab'=Knabe、Sah's=sah es、will's=will es,
Musst'=Musst es、's=das)

[童は見たり、野中のばら。
清らに咲ける、その色愛でつ、
あかずながむ。紅におう、野中のばら。

手折りて行かん、野中のばら。 
手折らば手折れ、思い出草に、
君を刺さん。紅におう、野中のばら。

童は折りぬ、野中のばら。
手折りてあわれ、清らの色香、
永遠にあせぬ。紅におう、野中のばら。]

きよらかに咲いてるかわいらしい野ばらを
愛でてたと思ったら、この
わらべはなんと、
「摘んじゃおうかなぁ……」
とか言って。そしたら、
野ばらも負けじと、
「折ってもいいけど、そのかわり棘刺しちゃうわよ!」
とやりかえす。
欽ちゃんでなくとも、
「どこまでやるの!?」
と訝ってしまう。が、
わらべは野ばらを手折ったのである。
男のエクスキューズとして、
そのまま野に咲いてても、
美しいのは何日かで、
やがて色褪せ、枯れてしまう。
だからいちばん美しい今、
その姿のまま摘んだのさ、
という女たらしゲーテらしいものである。
それを朔風はオブラートにつつんで
うまくまとめたのである。

そのペンネイムどおり、
北風がぴいぷう言う時期に34歳の若さで死んだ。

(シューバートではなく、やはり同時代に同じような年齢で死んだ
Heinrich Werner(ハインリヒ・ヴェルナー、1800-1833)の
「野ばら」を混声4声のアカペラにアレンジしたものを
https://soundcloud.com/kamomenoiwao_15/werner-heidenroslein-without-words-arr-for-choir-kamomeno-iwao
にアップしました)
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「So in Love(ソー・イン・ラヴ)/コール・ポーター没後50年」

2014年10月15日 15時45分33秒 | toneナリノ曲ハヨク歌曲ウ歌謡曲ダ

コール・ポーター没後50年 So in Love


今期の米大リーグ(MLB)アメリカン・リーグのリーグ・チャンピオンシップ決定戦は、
カンザススィティ・ロイアルズとボーティモー・オウリオウルズとの対戦となった
(ワイルドカードあがりのロイアルズが現在王手をかけてるが)。
ボルティモアといえばベイブ・ルースの出身地である。
私はウィーヴァー監督時代のO'sファンだった。
メモーリアル・ステイディアムが懐かしい。それはともあれ、"ボルチモア"は
1948年にNY・ブロードウェイで初演されたミューズィカル、
"Kiss me, Kate(キス・ミー、ケイト)"の"舞台"となった町でもある。
本日は、このミューズィカルの音楽を担当したポピュラー・ソング・ライターの
Cole Porter(コウル・ポーター、1891-1964)
の没後50年にあたる日である。

ポーターはインディアナ州の裕福な家に生まれた。とくに、
母の実家はとてつもない金持ちだった。その家の
一人息子として、母方の祖父から大きな期待をかけられた。だから、
マサチューセッツの名門私立校へ入れられ、イェイル大に進学した。そして、
弁護士となるべく、ハーヴァードのロー・スクールに進んだが、
性分にあわずにすぐに中退した。
音楽の才能があったので、その道に進みたかったのである。が、
当初はことごとくウケず、興行や上演はポシャった。
その傷心を癒すために、金持ちのボンボンなので、パリで暮らした。
そこで知り合ったのが、やはり米国上流階級出の、
結婚歴のある年上の女性、リンダ・リーだった。

そこらへんのことは、ポーターの半生を描いた2004年の映画、
"De-Lovely(ディ・ラヴリー、邦題=五線譜のラブレター)"
の序盤に描かれてる。原題は、
de-(外に引き出す)という接頭辞からなる
delightful、delicious、delectable、deluxe、
といった形容詞を並べた歌詞に語呂合わせとして
de-lovelyという造語を加えた歌である。

この映画は作品としては(とくに構成が)駄作だが、
リンダ役のアシュリー・ジャッド女史はじつに"de-lovely"だった。
ポーターはゲイだったが、リンダは特別な存在だった。
結婚し、リンダの"内助の功"でポーターはポップス作曲家として成功し、
名声を勝ち得た。ポーターの(男への)浮気が原因で、
夫婦仲は危うくなった。が、結局は
リンダはポーターを許す。ウォルドルフ・アストリアの一室で
ポーターがリンダを傍らにピアノを弾き語るスィーンで映画は閉じられる。
同ホテルは実際にリンダが死んだ場所である。

こうした二人の関係は、
「キス・ミー、ケイト」の中の歌、
"So in Love(ソウ・イン・ラヴ)"(作詞作曲=ポーター)の
歌詞そのものである。この歌詞は
女性が一人称として書かれてる。つまり、
ポーターがリンダの立場で描いてるのである。
万感胸に迫る錯綜した愛情を感傷に浸って表現した、
ポーター一世一代のポップス・ソングである。
(以下に、音源をもとに私が耳で聴いた歌詞を
文字に起こしたものを連ねてみる。
簡易な単語ばかりなので、拙カタカナ読みは省略する)

"Strange dear, but true dear,
When I'm close to you, dear,
The stars fill the sky,
So in love with you am I.
Even without you,
My arms fold about you,
You know darling why,
So in love with you am I.
In love with the night mysterious,
The night when you first were there,
In love with my joy delirious,
When I knew that you could care,
So taunt me, and hurt me,
Deceive me, desert me,
I'm yours, till I die,
So in love with you, my love am I"

(以下、拙大意)
ねえあなた、不思議だけど、本当なのよ。
あなたのそばにいると、
空一面に星が満ちてくるの。
あなたに夢中なの、私。
あなたがそばにいないときでも、
あなたの背に手をまわしてハグしているの。
どうしてだか判るでしょ、あなた?
それだけあなたのとりこになってしまってるっていうことなのよ。
あの神秘的な夜に恋におちたの、
あなたが初めて私の目の前に現れた夜のことよ。
恋に落ちて無我夢中にときめいてたわ、
あなたももしかして私に好意をよせてくれるんじゃないかって思ったから。
だからたとえ冷たい言葉を浴びせられても、心を傷つけられても、
裏切られても、去っていかれても、
私は死ぬまであなたの意のまま。
あなたに夢中なの、大切なあなたに、私は。
(*)助動詞could=canの過去形。可能性の推量。~することがあるかもしれない。
  動詞care=関心を持つ。好意を寄せる。
  形容詞delirious(ダリリアス)=錯乱した、無我夢中の。
  動詞taunt(トーント)=冷ややかな言葉を浴びせる。

上戸彩女史と潮田玲子女史の声を百発百中には
聞き分けれない拙脳なる私の耳で聴いた歌詞を
文字にしたので、原作とは違ってる箇所が
多々あるかもしれない。また、
この「キス・ミー、ケイト」というミューズィカルは、
沙翁の"The Taming of the Shrew(ダ・テイミング・オヴ・ダ・シュリュー
=じゃじゃ馬ならし)"を下敷きにしたものである。つまり、
カテリーナが、
"Asses are made to bear, and so are you."
(アスィーズ・アー・メイド・トゥ・ベア、アンド・ソウ・アー・ユー。)
「(拙大意)ロバは荷物を運ぶようにできてるのよ、あなたもだけど」
と言えば、ペトルーキオが、
"Women are made to bear, and so are you."
(ウィミン・アー・メイド・トゥ・ベア、アンド・ソウ・アー・ユー。)
「(拙大意)女は子を産むようにできてるんだよ、おまえもな」
(動詞bearの「子を産む」という意味から派生した
「荷を背負う(て運ぶ)」という意味を対比させた
ダジャレ・セリフがあるくらいなドタバタ・コメディなので、
そのタイトル(女性を調教する、馴致する、飼い慣らす)も含めて、
現在の"男女同権""男女共同参画社会"派の連中からは
女性蔑視と目の敵にされそうな内容の舞台なのである。ちなみに、
劇中、イタリア女のカテリーナという名を英語のキャサリンのニックネイム形
Kate(ケイト)と呼んでるのだが、ポーターの母の名も
キャサリン(ニックネイムはケイト)だった。

ついでに言えば、
シェイクスピアの原作の「じゃじゃ馬ならし」の中で、
ペトルーキオがケイトに対して、
"Kiss me, Kate"
というセリフを言う場面が、
2幕1場、5幕1場、5幕2場(幕切れ近く)、と
3度ある。ここから、
ミューズィカルはタイトルを採ったのである。

が、ともあれ、
"So in Love"は、
腹話術の人形、あるいは、デン助のメイクをした大宮敏充、
とコウル・ポーターの顔を瞬時には判別できないこともある
拙脳なる私には、上記、原作と絡めたミューズィカルでの
リリーとグレアムとの心情の機微は推し量れないが、それでも、
歌詞だけでも聴いてて涙があふれてしまう傑作である。のちに、
日本の玉置浩二がこの曲に感化されて、
「ワインレッドの心」
を今以上に抱いてしまった。
♪ミ<ファファ>ミ│ミ<シシ>ラ……ソ>ファ>ミ>レレ♪
踊ろう赤い靴ぅ~♪ミ<ファファ>ミ│ミ<ドド>シシー♪……ではない。
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「東京ブギウギと大阪の町風俗/笠置シヅ子生誕100年」

2014年08月25日 18時18分07秒 | toneナリノ曲ハヨク歌曲ウ歌謡曲ダ

笠置シヅ子 生誕100年 東京ブギウギ


昨日、たまの日曜サンデーと言うのに
何が因果と言うものか、大ヒット映画(邦題)「大脱走」の脇役
"ビッグX"(バートレット大佐)、というよりも、その20年後、
アカデミー監督賞も獲得した「ガンジー」の監督、
として知られてる
Richard Attenborough(リチャード・アッテンボロ、1923-2014)
が死んだ。90歳という高齢だが死因は、
大脱走の頃のアッテンッボロと冠次郎の顔の区別がまったくつかない
拙脳なる私には、皆目検討がつかない。

今日が生誕100年の日にあたる
笠置シヅ子(かさぎ・しずこ、1914-1985)女史は、
私がガキの頃、現代劇・時代劇を問わず
TVドラマのおばちゃん役ゲストでよく出てきた。
「昔は有名な歌手だったのよ」
と母が言った。
歌番組で過去のVを流してるのも観た。
「ブギの女王」と呼ばれてた30代の頃は、
いわゆるブスなのだが、(いやでない)色気というか、
妙に魅力ある顔をしてる。そして、その声自体も
艶のあるトランペット(現在の柔らかい音ではなく)という趣である。
美空ひばり女史や江利チエミ女史にとっても
憧れの存在だったようである。

同女史は香川県の生まれで大阪の薪炭米穀店に養子に出された。
大阪はもともと語中のガ行鼻濁音圏である。が、
非鼻濁音圏の四国・中国・九州地方から上ってきた人々によって、
ガ行鼻濁音・非鼻濁音混在圏となった。
現在生きてれば100歳の笠置女史は、
歌唱の際に語中ガ行を鼻濁音と非鼻濁音の中間で発音してる。
10代から歌手としてプロになったので、
東京でヴォイ・トレを受けて非鼻濁音を直された経験がないから、
おそらく養家の親の発音のままに育ち、それが
歌唱にももたらされたものと思われる。

同女史の代表的な歌といえば、
「買物ブギー」も捨てがたいが、やはり、
「東京ブギウギ」(昭和22年=1947年、作曲=服部良一)ははずせない。
♪東京ブギウギ、リズムウキウキ、心ズキズキ、ワクワク♪
という鈴木勝の歌詞もまた語呂がいい。
節は、
♪●●●・ソーー・・<ラーッ●・<ドーッ●│
<ミー>ド・>ラー>ソ・・●●ソ・<ラー<ド│
<ミー>ド・>ラー>ソ・・●●ソ・<ラー<ド│
<ミー>レ・>ドー>ラ・・>ソー<ラ・<ドーミ│
ーーー・ーーー・・ーーー♪
というようなものである。
笠置の歌は米兵にもウケたという。後年、
米国公演も行ったがアメリカ人にも好評だったらしい。ともあれ、
笠置女史の歌いっぷりは、当時の
ミスター・タイガー藤村富美男が笠置のステイジに刺激されて
"物干し竿"を振りまくり、
「ダイナマイト打線」の中軸を担ったという。

作曲の服部良一も大阪生まれ大阪育ちである。
出っ歯が非日本人でない大阪人の特徴でもあるが、
服部もその例に漏れてない。
大阪は古来から渡来人が多く、
旧モンゴロイドと新モンゴロイドの混血が他地域より進んだ。
骨格の違う種が混血するとたとえば顎にその
異種性が顕れる。すなわち、
小さい下顎に大きい上歯だと、
歯並びが悪くなるか、または、
上歯が出っ歯にならざるをえないのでる。

そうした生粋大阪人の服部や笠置女史が
「東京ブギウギ」や「銀座のカンカン娘」(笠置女史は映画中だけ)などを
ヒットさせたのだから、皮肉といえば皮肉であるが、
わてほんまによぅ言わんわ、である。

(「東京ブギウギ」をアレンジしたものをアップしました。
https://soundcloud.com/kamomenoiwao01/hattori-ryouichi-tokyo-boogie-woogie-arr-kamomeno-iwao )
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「きのサギにて(架空請求の神様)/歌謡曲『愛と死をみつめて』発売から50年」

2014年07月05日 21時53分05秒 | toneナリノ曲ハヨク歌曲ウ歌謡曲ダ
今日は、
昭和39年に青山和子女史が歌った歌謡曲
「愛と死をみつめて」が
レコード発売(日本コロムビア)されてから50年である。ちなみに、
サン=サーンスがサラサーテのために作曲した
「序奏とロンド・カプリッチョーゾ」が初演されて今年は
150年の年にあたる。それはともあれ、
歌謡曲「愛と死をみつめて」は
阪大病院で知り合ったマコ(男)とミコ(女)との
"純愛"と片方の死を巡る実話に基づいて相次いで放送された
ラジオドラマ、TVドラマにヒントを得てポップス音楽プロデューサーの
酒井政利が初めてプロデュースした歌謡曲である。
♪マコ、甘えてばかりで、ゴメンね。
ミコはほんとうに幸せ、なの♪
(作詞=大矢弘子女史、作曲=土田啓四郎)

ミコは兵庫県西脇市出身だった。いっぽう、
元兵庫県川西市職員で兵庫県県議会議員になった
野々村竜太郎の政務費不正疑惑(交通費架空請求)会見での、
ウソ泣きとされてる日本人離れした狂乱ぶりが
さかんに放送されてるようである。たしかに、
記者の質問を聞くときのあの目つきはまさに
ウソツキのものである。
申請した行き先は、
城崎・佐用(以上県内)・博多・東京、
である。日本の国語をフランス語にしろなどとぬかした
あのドアホウ作家の小説のタイトルにもなった
城崎にいたはずの日に大阪や神戸などの金券ショップで
必ず3万円を超えない金額の切手を購入してるのだという。
県議と嫌疑の漢字の使い分けができない
拙脳なる私には、それがどういうことを意味するのか、
かいもく検討もつかない次第である。
金券ショップで切手を買って格安チケットを買ったことにする、
なんて知能は私にはない。ちなみに、
東京-大阪も神戸-博多も新幹線往復代は割引だとだいたい
3万円弱なのである。ともかく、
こういうのとか塩村とかが県議や都議に受かってしまう
選挙制度というもの自体が恐ろしい。
選挙は民主主義政治の根幹なんだそうである。

(サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリッチョーゾ」冒頭と、
歌謡曲「愛と死をみつめて」冒頭を繋げてみました。
https://soundcloud.com/kamomenoiwao01/saint-saens-introduction-et-rondo-capriccioso-en-la-mineur-beginningand )
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「蘇州夜曲(西條八十作詞/服部良一作曲)/前田利長没後400年・霧島昇誕生から100年」

2014年06月27日 18時42分41秒 | toneナリノ曲ハヨク歌曲ウ歌謡曲ダ

蘇州夜曲


覚醒剤所持容疑で逮捕された
AskaのCDが回収されたらしい。
非道な者のプロダクツだからこそ
ごく真っ当な生きかたをしてる一般人・凡人には
ありがたみがあるのに、である。
品行方正なイクメンオヤジ、ゴミ出しお父さんが作った
歌謡曲など、心に触れるものがあるはずもない。ともあれ、
今日6月27日は、往年の流行歌謡歌手の
霧島昇(きりしま・のぼる、本名=坂本栄吾、1914-1984)
が生まれてちょうど100年の日にあたる。
同人は夫人のミス・コロムビア、松原操女史とともに
ヒロポン(覚醒剤)中毒だったことが広く世間に知られてる。が、
「旅の夜風」「一杯のコーヒーから」「愛染夜曲」
「誰か故郷を想わざる」「目ン無い千鳥」「三百六十五夜」
など、両人のナツメロのCDが回収されたという咄は
とんと聞いたことがない。
ばかりでなく、誕生から100年を記念して
"生誕100年記念 霧島昇と松原操(ミス・コロムビア)大全集
~旅の夜風・三百六十五夜~"
なるCDが一万円プラス消費税で新発売されたのである。
Askaもうらやむかもしれない待遇である。

現在は、覚醒剤のような麻薬中毒者に
HIV・梅毒などの性行為感染症患者が多いらしい。
やっぱりキメセクの威力はすごいのである。いっぽう、
戦国武将のひとりでもあった
前田利長(まえだ・としなが、西暦およそ1562-同1614)
は、蒲生氏郷・浅野幸長などとならんで、
梅毒がもとで死んだ武将としても知られてる。

家康が前田へのジャブに出たとき
(おそらく本気で潰そうとは考えてなかった)、
利長は応戦するつもりだった。が、
母のまつ(芳春院)に制され、後世、
"弱腰チキン野郎"として歴女らに蔑まれてる。
まつ(芳春院)は自らすすんで人質となって江戸へ行った。
それから15年、金沢をはじめとする百万石を超える
前田領に戻ることは許されなかった。
倅利長は母のため、大身となって抱えてる大家臣団のため、
また、梅毒による自らの病苦のため、
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだのである。
まつ(芳春院)が"解放"されたのは、
利長が死んでからだった。
利長の死は現在の暦に換算すると今日からちょうど
400年前にあたる慶長19年5月20日である。
53歳だった。

いずれにせよ、
家康は利家の死を見届けてから関ヶ原、
利長の死を待って大阪の陣、
と、前田には細心の注意を払ってたのである。
まつ(芳春院)は金沢へ帰る途中、倅が死んだ高岡に立ち寄った。
その倅の死から3年後、まつ(芳春院)は
金沢において波乱に満ちた71年の生涯を閉じたのである。

いつの日君帰る、といえば、
李香蘭(り・こうらん=山口淑子女史の中国人名芸名)女史である。
今週24日に天理教前真柱の中山善衞が81歳で死んだが、
山口淑子女史は94歳で健在である。
皇紀2600年(昭和15年、西暦1940年)、
上海を舞台にした映画「支那の夜」が制作された。
渡辺はま子女史が唄った同名の流行歌が
大ヒットしたことで成立した映画である。
この映画の中で李香蘭はさらに
「蘇州夜曲(西條八十作詞/服部良一作曲)を唄った。
♪ソーーー・・<ラー・<ミー│>レ>ド・ー<レ・・>ラー・ーー│
●>ソ・>ミ<ソ・・<ラ<ド・>シ>ソ│<ラー・ーー・・ーー・ーー♪
(君がみ胸に 抱かれて聞くは
夢の舟唄 鳥の歌(カザルス翁は無関係)
水の蘇州の 花散る春を
惜しむか 柳がすすり泣く)

レコード発売の際の歌い手は
作曲者の所属レコード会社の歌手でなければならなかったので、
コロムビアの渡辺はま子女史と霧島昇とが唄った。
歌詞の1、3番を女史が、2番を霧島が、
というように、デュエットではない。

後年、
近隣悪徳国の反日の動きの中でもこの歌は愛唱され、
在日コリアン系歌手や外国人も含め、
数えきれないほどの歌手がヴォウカルおよびインストルメンツでカヴァーしてる。
Askaもそのひとりである。が、
特に若い世代の者が語中・語尾のガ行音を汚い非鼻濁音で発音する。
き~~~み~、ガ゛゛~!……と。
Askaもそのひとりである。が、古い世代なので九州出身でも
その度合いはまだしもましなほうである。
冒頭の箇所でささやくような歌唱をする
「ごちそうさん」のSG高畑充希女史や平原綾香女史も聞き苦しい。
ミューズィカル女優の新妻聖子女史は声がよく歌唱が巧いだけに、
ガ行非鼻濁音(一部、鼻濁音混じり)のバルバロイさが惜しい。ちなみに、
「蘇州夜曲」とは関係ないが、歌謡曲全般について、
昨今の流行歌手の中でもっとも聞き苦しいのは、現在、
やはり薄気味悪い声で美輪明宏がナレイションをしてる
HNKの連ドラ「花子とアンと7人のコピットたち」の主題歌を歌ってる
絢香女史である。歌や音楽はなにも
必ずしも美しくなければならないことはないし、
醜いことも表現すべきものではあるが、これほど
汚い発音と粗野な歌唱をする者はいない。もちろん、
語中・語尾のガ行音をこのうえなく汚く歌ってる。
日本の日本人の文化を穢す不届き者である。とはいえ、
これは、黒木華女史と中村梅雀の顔の判別が
瞬時にはできないこともある程度の
拙脳なる私が感じてるだけのことにすぎない。

それはともあれ、
やはり私は渡辺はま子女史ではなく、映画の中での
李香蘭女史の歌唱がもっと好きである。
満州生まれの李香蘭女史は佐賀と福岡という
語中・語尾ガ行非鼻濁音地域出身の両親を持つものの、
戦前の歌手なので鼻濁音で唄ってる。いずれにしても、
あの独特の声質と歌唱は心動かされる。

(*追記)この記事を投稿した72日後の2014年9月7日に
山口淑子女史は千代田区一番町の自宅マンションにおいて94歳で亡くなった。
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