チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー『悲愴交響曲』2箇所の"ffff"その2: 第3楽章」

2009年03月08日 18時09分57秒 | 悲愴中毒(おreたちdニasはない
[Two-"ffff" in Tchaikovsky's 6th symphony/The latter, and Schubert's Erlkoenig]

今年はデトロイト・タイガーズのタイ・カッブが
アメリカン・リーグの三冠王になって100年にあたる。
まだユニフォーム・ナンバーがなかった時代である。その
三冠のうち、本塁打はたったの9本。しかも、
すべてが「インサイド-ザ-パーク・ホウムラン」、つまり、
和製英語でいうところの「ランニング・ホームラン」である。
2年前のサン・フランスィスコウでのオールスター・ゲイムで
イチローは「ランニング・ホームラン」を打ったが、それは
MBL史上、オールスター・ゲイムではいまのところ
「唯一」の「ランニング・ホームラン」である。ときに、
1909年、デトロイトはア・リーグのチャンピオンにはなったものの、
ワールド・スィリーズではピッツバーグに負けてしまった。
パイリッツが勝った、ということは、100年後の今年は、
カリビアンな国がWBCを勝つ、ということ
だっちゅうのだろうか。ここ20年で増えた
カリビアンなメイジャー・リーガーの、あのセンスのない
打撃フォームが嫌いな私は、カリビアンな国以外だったら、
優勝するのは、「奇矯」に聞こえるかもしれないが、
たとえ「トラジ」な韓国でもいいとさえ思ってる。さて、
トラジックではダメ、パセティックだとブラヴォーと言った、
などと弟のウソで伝えられるチャイコフスキーの「悲愴交響曲」で、
"ffff"と指定された2箇所のうち、あとのほうは、
第3楽章第312小節乃至315小節である。そのうち、
前半の2小節の管弦楽配置は以下のとおりである。

(G dur=ト長調)
1) [ピッコロ・フルート2管・クラリネット2管・弦楽4部]:
 ***♪レ>ド・>ソ<ド・・<レ>ド・>♭ラ<ド│
   <レ>ド・>(N)ラ<ド゛・・<レ>ド・>♭ラ<ド♪
2) [1番オーボエ・1番トランペット]:
 ***♪ソー・<ドドド・・>♭ラー・<ドドド|
   >(N)ラー・<ドドド・・>♭ラー・<ドドド♪
3) [2番オーボエ・2番トランペット]:
 ***♪ミー・>ドドド・・<♭ミー・>ドドド|
   <レー・>ドドド・・<♭ミー・>ドドド♪
4) [1番ホルン・1番トロンボーン]:
 ***♪ソー・ーソ・・<♭ラー・ー♭ラ|
   <(N)ラー・ーラ・・>♭ラー・ー♭ラ♪
5) [2,4番ホルン・ティンパニ]:
 ***♪ド♪の通奏
6) [ファゴット2管・3番トロンボーン・チューバ・コントラバス]:
 ***♪ソー・ーソ・・>♯ファー・ー♯ファ|
   >(N)ファー・ーファ・・<♯ファー・ー♯ファ♪
7) [3番ホルン・2番トロンボーン]:
 ***♪ミー・ーミ・・>♭ミ(♯レ)ー・ー♭ミ(♯レ)|
   >(N)レー・ーレ・・<♭ミー・ー♭ミ♪

以上、大別して7つの小群に分けれるが、それらは、
(1) (2) (4) =(a)
(3) (7) =(b)
(5) =(c)
(6) =(d)
と4つの大群にまとめれる。つまり、
a): ♪ソー・ーー・・<♭ラー・ーー|<(N)ラー・ーー・・>♭ラー・ーー♪
b): ♪ミー・ーー・・>♭ミー・ーー|>レー・ーー・・<♭ミー・ーー♪
c): ♪ドー・ーー・・ーー・ーー|ーー・ーー・・ーー・ーー♪
d): ♪ソー・ーー・・>♯ファー・ーー|>(N)ファー・ーー・・<♯ファー・ーー♪
である。すなわち、
1小節めの1拍乃至2拍はト長調の主和音、
同小節めの3拍乃至4拍と2小節めの3拍乃至4拍は
変ロ長調=ト短調の増56の和音あるいは
変イ長調=の属7という借用和音、
2小節めの1拍乃至2拍はト長調の二の副7、
ということである。が、
この「4小節にわたるffff」の中で、
もっとも重要なのは、
大太鼓が1発打ち鳴らされる2小節め第1拍、つまり、
[ド(<)レ(<)ファ(<)ラ]という二の副7の箇所である。

ところで、このチャイコフスキーの「悲愴」の第3楽章は、
アッレーグロ・モルト・ヴィヴァーチェという速度標語とともに、
メトロノームによるテンポが記されてる。すなわち、
「四分音符=152」である。そして、4/4拍子。が、
(12/8)拍子と括弧書きもされてる。そして、
「3連符」によるタランテッラで始まるのである。いっぽう、
フランツ・ペーター・シューバート18歳のときのリート
「(邦題)魔王」は4/4拍子。そして、
速度標語はドイツ語で"Schnell"……速く、である。
シューバートは自筆譜にはこれだけしか
指定しなかったようだが、出版譜には
[Schnell(四分音符=152)]と、
メトロノーム速度が併記されてるのである。そして、
ト短調、ピアノの「3連符」で始まる。それに導かれた
歌は「語りべ(エヴァンジェリスト)」のナレイトに始まり、
「親父」「倅」「魔王」という「三者」が順に
「連歌を詠い合っ」て、最後にまた
「語り部(エヴァンジェリスト)」のナレイトで締めくくられる。
この「語り部」にに挟まれた主部は、あたかも
「父」と「子」と「精霊」という「三位一体」となって、
頻繁に転調をしならがら一つの歌を繋いでく、という
大文豪ゲーテの「不信心ぶり」のなせるわざである。
それはともかく、主部の最後は、
「倅」の悲痛な末期の叫びである。
"Mein Vater, mein Vater, jetzt fasst er mich an!
(マイン・ファーテル、マイン・ファーテル、イェッツト・ファスト・エール・ミッヒ・アン!)
「おとうさまぁ~~~、おとうさまぁ~、
 とうとうボクつかまっちゃったよぉ~!」
Erlkoenig hat mir ein Leids getan!"
(エールケーニヒ・ハット・ミール・アイン・ライツ・ゲタン!)
「魔王に殺されちゃうぅ~~~~!」
この「子の末期の叫び」の前半(Mein Vater ……)は
実質変ロ短調で、
**♪ミー|<ファー・ーー・・ファー・ーファ|
    ファ>ミ・ミー・・●●・ミー|
   <ファー・ーー・・ファー・ーファ|
   >ミー・ーー・・●●・●●♪
である。が、この変ロ短調のミ(ヘ=f)をソと置き換えて
ト短調に一転し、後半(Erlkoenig hat ……)は
**♪ソー・ーー・・<♯ソー・ー♯ソ|
 <ラー・ーー・・>ファー・ーファ|
 >ミー・ーー・・ーー・ミー|>ラー♪
となり、息を引き取るのである。ときに、
この最期の♪ミー|>ラー♪であるが、歌詞は
"ge-tan"……getanというドイツ語は、
動詞tunの過去分詞である。
英語のdoに対するdone、である。つまり、
「エールケーニヒ・ハット・ミール・アイン・ライツ・ゲタン!」というドイツ語の
「魔王はボクに危害を加えてしまった」なる直訳は、
「ボクは魔王に殺されちゃう」と意訳できるが、むしろ、
「魔王はボクに危害を加える=殺すという一線を越してしまった」
ということである。つまり、それは、
香油を塗った女の行為に対して、
【私の埋葬への備え】をしてるのだ、
と弟子たちに解説した「マシュー・パッション」における
イエスの言葉と重なるのである。
"Dass sie dies Wasser hat auf meinen Leib gegossen,
hat sie getan, dass man mich begraben wird."
(ダス・ズィー・ディーズ・ヴァッセル・ハット・アオフ・マイネン・ライプ・ゲゴッセン、
 ハット・ズィー・ゲタン、ダス・マン・ハット・ミッヒ・ベグラーベン・ヴィルト)
(拙大意)彼女が私の体にこの香油をヴァッサーと注いだのは、
    私が埋葬される準備をした、ということなのだ。
ここで、私は「本歌取り名人」のゲーテが、
getanという「行為を表す動詞の過去分詞」を共通として、
Leib(ライプ=体)→Leids(ライツ=危害)というダジャレを放った、
と考える。ちなみに、ドイツ語のgetanの意味は
基本的なものしか知らないが、英語のdoneには
「死ぬことになる」「命取りの」という
形容詞的な用法があることも意味深い。
「きっちり始末をつける」ことを"done business"と言うが、
対中国ビジネスで利権を得んとする、
♪訪中、ニーッポン、ハジさらしにまぁいぃてぇ~♪
嘘ツキの訪中時横丁の媚中派政治家らへのフシマツな献金のことは
ニシマツともニジマスとも言わないらしい。ともあれ、
歌曲「魔王」で「倅」の末期の叫び、
"Erlkoenig hat mir ein Leids getan!"が歌われる、
**♪ソー・ーー・・<♯ソー・ー♯ソ|<ラー・ーー・・>ファー・ーファ|
 >ミー・ーー・・ーー・ミー|>ラー♪
を思い起こすと、私はチャイコフスキーの「悲愴」の
第3楽章の"ffff"の箇所、
***♪ソー・ーソ・・<♭ラー・ー♭ラ|<(N)ラー・ーラ・・>♭ラー・ー♭ラ♪
を連想してしまうのである。もっとも、
クールポコの小野まじめと小川直也の顔、
最近の竹内結子女史と小柳ルミ子女史の顔、
田中正造といかりや長介の顔、などの区別もできない、
「キイハンター」と「紀伊半島」を聞き分けれずに
丹波や千葉市や川口市が和歌山にあると思いこんでたような、
高コレステロール・中トロ好き・低学歴な、拙脳なる私が感じることである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「シューベルトのリート『魔... | トップ | 「ツルゲーネフ『貴族の巣』(... »

コメントを投稿

悲愴中毒(おreたちdニasはない」カテゴリの最新記事