チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「バレエ『白鳥の湖』日本全幕初演に関わった人々/島田廣、松尾明美の死にあたって」

2013年08月09日 16時56分16秒 | 瓢湖不充分白鳥の湖舞イアーリンク泡沫事件
67年前、
バレエ「白鳥の湖」全幕が我が国では初めて上演された。
昭和21年8月9日金曜17時、帝劇で開演した。
この公演は25日日曜までの17日間行われる予定だったが、
好評のために5日間延長され、30日金曜まで続けられたという。
先月25日に93歳で死んだ島田廣がその相方服部智恵子女史とともに発案し、
東勇作、貝谷八百子女史などに話を持ちかけ、
蘆原英了のつてで舞台美術にその叔父藤田嗣治を頼み、
小牧正英を引き込み、東宝をスポンサーにつけ、終戦後わずか1年、
シーズンオフで空いてた帝劇での公演を可能にした。とはいえ、
群舞などには早慶上智の演劇部の学生というバレエのバの字も知らない
ドシロウトをエキストラに頼まなければならなかった。その中のひとりに、
当時慶大生だったフランキー堺がいたらしい。

この公演(に使われた音楽および踊り)が
ライジンガー・ベーギチェフ・ピョートル版(原典版)だったのか、
プティパ・イワノフ・モデスト版(蘇演版)だったのかは、
当時生まれてもなく、ワイノーネンと天野アキの違いもあやふやな
拙脳なる私には知る由もない。が、
昭和21年当時の日本には、いずれにしても、
「白鳥の湖」全曲のフルスコアはなかったらしい。
戦中に上海に渡って上海バレエ・リュス(上海ロシア・バレエ団)に入ってた
小牧正英が、同団で使われてた全曲のpf譜を日本に引き揚げるときに
持ち帰ったものを指揮の山田一雄がオケ用に編曲した、
ということである。おそらく、
カシキンのpf編曲譜だったのだろう。とすると、
曲としてはライジンガー・ベーギチェフ・ピョートル版(原典版)だった、
ということかもしれない。

ともあれ、
オデット姫(男爵令嬢オディールとの二役)と王子ジークフリートは、
貝谷八百子女史と島田廣、
松尾明美女史と東勇作、
というダブル・キャスト。
ロートバルト男爵(オディールの父)は、小牧正英。
王妃(ジークフリートの母)は、服部智恵子。
という主たる配役は、
現在の日本のバレエ界の隆盛の礎となった人物ばかりである。
今週月曜の5日に松尾明美女史が93歳で死んで、
主役級のメンバーはすべて故人となった。いっぽう、
ソリスト級で参加した松山樹子女史(清水哲太郎の母)は
90歳で健在である。また、92歳の
谷桃子女史はこの「白鳥の湖」の公演には参加してない。

公演は帝劇だったが、レッスンやリハーサルなどは、
現在の世田谷区松原2丁目、北沢税務署近くの
戦災を逃れた貝谷女史が運営してた
貝谷バレエ団(現・貝谷芸術専門学校)の稽古場で行われた。
現在そこには、
「貝谷八百子先生記念碑 バレエ白鳥の湖発祥之地」
という記念碑が建てられてる。
尋常小学校5年まで大牟田で育った貝谷八百子女史は、
大富豪令嬢だった。
父親の貝谷真孜は三井三池炭坑の社員から衆議院議員にまで、また、
深田村岩屋銅山の所有者として大富豪にまでなった人物である。
八百子女史は真孜が44歳のときに生まれた末っ子だった。
父親が昭和7年の衆議院議員選挙に立候補して当選し、
東京に事務所を構えることになったので、
八百子女史も東京に居を移した。それから5年あまり、
真孜が虫垂炎をこじらせて60歳で死んだときには、
八百子女史はまだ16歳だった。
自分が成人してなお父親が健在だったら、
娘がダンサーになることなどけっして許さなかったはずだと、
八百子女史は後年述懐してる。当時は、
いわゆる中流家庭でさえ、女子が人前で踊るなどという
職業に就くことは普通はなかった。
そのたった50年ほど前の、ドガが描いてた踊り子らは
実態はお妾さん・娼婦だったのである。
富豪で政治家の父の意外に早かった死と遺産が、
八百子女史の職業ダンサーへの道を可能にしたのである。
私がガキの頃でさえ、バレエに携わる人は少なかった。
チケットなどは団員がノルマを課せられ(一人20枚とか)、
多くを"買い上げ"ることができた者にいい役が回ったりもした。
現在、日本でこれほどバレエが一般に認知され、
教室に通う人口が増えたのは、この
「白鳥の湖」全幕日本初演に関わった人々と、
その中の一人の息子と相方となり、
ヴァルナで金賞を得ることになる森下洋子女史の功績である。

チャイコフスキーが1876年までに作曲したバレエ「白鳥の湖」は、
その死後に弟が台本を書き換えて
プティパといわゆるイワノフが新振り付けしたものが
現在は一般に「白鳥の湖」として認識されてる。だから、
オデットが白鳥の姿に"変えられた"のは
悪魔ロットバルトによるものであり、
ジークフリート王子がロットバルトと"戦った"りもしてしまう。
二人が死なずにめでたく結ばれるという
ハッピーエンドにもされたりしてる。
チャイコフスキー至上主義の私にとって、その死後に
別人が切り刻んだり改竄したりしたものに、
ほとんど興味がない。残念なことに、
チャイコフスキーが作曲したバレエ「白鳥の湖」は
当初に意図された形での資料が残されてないので、
再現することが不可能である。ただ、
導入曲を含めて30曲から成る全曲の総譜が
(おそらく)元の形のまま残されてるのが
まだしも救いである。

「白鳥の湖」という物語は
キリスト教の新旧対立、
単純には、カトリックのフランス対プロテスタントのドイツ、
という形に象徴されてるものであり、
その諍いの結果としての悲劇を描いたものである。が、
ジークフリートとオデットが死んでも、すぐにまた
湖には若い白鳥らが姿を現して泳いでる、
という終わりかたである。これは、
教皇派のモンターギュ家(ロミオ)と皇帝派のキャピュレット家(ジュリエット)
と置き換えたヴェローナの話とも通じてる。
カトリックの神父の浅知恵で二人が死んだあと、
対立してた両家は和解するらしい。
どれほど戦争や悲劇があろうと、生き残った者らが
綿々と命を繋いでくだけなのである。
チャイコフスキーが自作にそうした題材を多く採りあげ
(破棄したウンヂーナも眠れる森の美女もイヨランタも)、また、
ロ短調(h-moll=hell)からロ長調(H-dur=heaven)へという
ヴェクトルを用いてることなどにも、
充分留意しなければばらない。

チャイコフスキーは「白鳥の湖」において、
三位一体(正三角形)や十字架などに象徴される
キリスト教的な安定・美を意識させるために、
「左右対称」を配した。が、
キリスト教的価値観への不信と停滞からの脱却を
その対称性崩壊で暗示してみせた。

「白鳥湖のシンメトリ(予備素材追加)」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/ab1fc816ebf26ef4badcc34e02760e06 )
「バレエ音楽『白鳥湖』予備資料/移調楽器」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/7bbfb1687822b2297e1e4f1c91c67786 )
「白鳥の湖/森前半vs川内後半のおフ・クロウさん」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/ecbb461f4db7fbc79ea191ca1e6d19cb )
「チャイコフスキー『白鳥の湖』における『対称性の破れ』」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/29892e985540a2315fc908693ef9fdcf )

などを参照されたい。
19世紀後半に興った西洋絵画の革命は、
"非対称性"の大胆な構図である日本の版画絵に
衝撃を受けたことに始まる。
唯一の神が天井にいて世界を対称に創造した、
という絶対的価値観神話が崩壊したのである。
いろんな神様がいたっていいじゃないか。
それぞれに神がいるのが当然じゃないか。
物事は相対的に起こり、また理解される。
時間や空間は絶対的なものではなく相対的なのである。
たとえ光速度が不変で絶対的なものだとしても、それは
光速を変数ではなく定数と理解したただの方便なのである。

ともあれ、
なぜ多くの人は「幸福」「平和」を求めるのだろう。
生命が、子孫が、繋がってさえいけば、
個人は不幸だろうが、
世界のどこかの地域が騒乱状態だっていいのではないか。
実際、簡単な理屈で、
誰かが幸せならその他が不幸にならざるをえず、
誰かが富めばその他が貧するのは当然である。
もっとも悪いのは、
すべての人・国が平和・幸福であれなどという
偽善こそなのである。
「白鳥の湖」も、
ジークフリートとオデットが死ぬことによって
ジークフリートの家は血が途絶えるが、だからといって
国土がなくなるわけでもなく、
領民全員が殉じてしまうわけでもない。
オデットの生家のほうも継母の血統は続くかもしれないが、
だからといって、それが未来永劫栄える保証はない。
ジークフリートやオデットが死んでも、
生き残った者がまた日々の営みに戻るだけなのである。
富士の高嶺に降る雪も、
京都先斗町に降る雪も、
雪に変わりがあるじゃなし。
溶けて流れりゃ、皆同じ。
地球もやがてはなくなる。

(「白鳥の湖」第1幕終曲(#09)と
第2幕の最初と終いで使われる#10(=#14)を続けて
チャイコフスキーのオーケストレイションをほぼそのまま再現してみました
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/tchaikovsky-swan-lake-09-and )
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「ハイネ原詩歌曲『青い春の瞳』(1873年チャイコフスキー作曲)と『白鳥の湖』オデットの身の上話」

2013年04月19日 18時22分53秒 | 瓢湖不充分白鳥の湖舞イアーリンク泡沫事件
どこかの"国"のサムスン電子とかいう会社が、
台湾のHTCのスマホその他に関して、
ヤラセのバイトを雇ってネット上に
誹謗中傷を書き込ませてたことが発覚したという
ニュースが流れてる。日本で
風俗・遊技・水商売など日銭が入る商売の多くが
在日朝韓人らによって営まれてるのは
引き抜きや嫌がらせなどの妨害行為に
普通の日本人は"太刀打ちできない"からだと、
まともな在日の知り合いが言ってた。
電子機器メイカーの領域までもが、
そんな輩がやってるのだから、
一般的な企業はたまったものではない。
中国に散々虐げられてきた隠してしまいたい恥の過去を
無知と無恥で固めた虚構の歴史で糊塗し、
大恩ある日本に対しても狂信的な反日姿勢を示す、
救いようのない民族である。ときに、
この1週間ほども日本に来てたアウンサンスーチーもまた
偽善厚顔の下衆である。日本にお世話になっておきながら
手のひらをかえして英国に自国を売ったものの
騙されて独立できなかった哀れな父アウンサンと同様、
操られてミャンマー国民を欺く売国奴である。
こいつが気にしてるのは、ミャンマーのことではなく、
日本からいくら引き出せるかという、
ハゲタカとの呼吸をそろえた
阿吽算数値のことだけである。日本でも、
大学生の女が、朝韓が捏造した歴史問題で日本をなじったこいつを
「尊敬できる女性です」
などとほざいてるのを見ると、     
何とかにつける薬はないんだなと痛感する。
フローレンス・ナイティンゲイル女史が立派だというのならまだ
わからなでもないが。

1873年にチャイコフスキーが作曲した「2つの歌曲」の第2曲は、
"Глазки весны голубые
(グラースキ=おめめ、ヴィェースヌィ=春の、ガルーブィエ=青い)"
である。ロシアの翻訳家・詩人・政治活動家の
Михаил Ларионович Михайлов
(ミハイール・ラリオーナヴィチ・ミハーィロフ、1829-1865)が1857年に、
ドイツ・デュッセルドーフ生まれのユダヤ人詩人でパリに移住した
Heinrich Heine(ハインリヒ・ハイネ、1797–1856)の
"Die blauen Fruehlingsaugen
(ディ・ブラオエン・フリューリングスアオゲン(1831年作)"を
ロシア語にした翻訳詩にチャイコフスキーが少し手を加えたものらしい。
このハイネの原詩は、1856年に、いわゆる
アントン・ルビンシテインがドイツ語の
「6つのリート」を作曲してるが、そのうちの第2曲に採られてる。

(ドイツ語原詩)
Die blauen Fruhlingsaugen
Schau'n aus dem Gras hervor;
Das sind das lieben Veilchen,
Die ich zum Straus erkor.

Ich pflucke sie und denke,
Und die Gedanken all,
Die mir im Herzen seufzen,
Singt laut die Nachtigall.

Ja, was ich denke, singt sie
Lautschmetternd, das es schallt;
Mein zartliches Geheimnis
Weis schon der ganze Wald.

(ロシア語翻訳詩)
Глазки весны голубые
Кротко глядят из травы.
Любы вы милой, фиалки, ?
С полем расстанетесь вы.

Рву я цветы и мечтаю…
В роще поют соловьи…
Боже мой! кто рассказал им
Думы и грёзы мои?

Громко они разглашают
Всё, что я в сердце таю…
Целая роща узнала
Нежную тайну мою.

アウンサンスーチーと元読売巨人の新浦投手の顔の区別もままならない
拙脳なる私ゆえドイツ語もロシア語もできないので
読みも訳もできないが、おおすじは、
[春の青い瞳が草の隙間から草原を見渡してる。
その正体はつつましく咲く愛らしいスミレだ。
私はそれを摘んでブーケにした。そして、
いろいろな思いをめぐらせたのだ。
サヨナキドリ(いわゆるナイチンゲール)が通る声で鳴く。
そう、私の心のうちをこだまさせてくれるのだ。
そうして森じゅうが私の秘密を知ってしまった]
というようなものらしい。

ロシア語でсоловей(サラヴィェーィ)と称するナイチンゲールは、
ドイツでは春(おおむね5月)になると、
夕暮れ後や夜明け前にさかんに鳴く。
ドイツ語原詩での最後の行のweis(ヴァイス)は
動詞weisen(ヴァイゼン=知る)の三人称単数過去形である。が、
weis(ヴァイス))のアナグラムであるWies(ヴィース)もまた、
Wiesbaden(ヴィースバーデン=草原の中の温泉)という
地名からもわかるように、「草原」を意味する語なのである。

この詩で「春の青い瞳」は、
「ヴィオラ(ヴァイオレット、スミレ)」の比喩である。が、
チャイコフスキーはこの詩の中の「森」「知る」というキーワードから、
「フクロウ」を連想したと思われる。
フクロウは夜行性なので基本的に色素は薄い。だから、
雛の間でなくても青い目をしてる種も少なくない。
古代ギリシャ神話の女神の一であり、
全能の神ゼウスの娘である
アテーナー(いわゆるアテナ、アテネ)は、
「知恵」「芸術」「技術」「学問」「戦略」などを司り、
「森の賢者」と称される「知」の象徴である。
この女神は必ず手乗り文鳥のようにフクロウを供にさせてる。
ちなみに、
古代ギリシャ神話の神々を"Glaucus(グラウクス)と呼ぶが、
gl-という接頭辞は、コロイドのgel(ゲル、ジェル)もその派生語で、
「輝き」を表す。ゼリーは半透明で「光を通す」のであり、
目玉も光を通すレンズなのである。
glass(グラス、ガラス)も同源語であり、英語の
glanceの接頭辞も同源である。ロシア語訳詩にもあるが、
глаз(グラース=目、瞳。複数形主格はглаза(グラザー))も
もちろん同源である。ともあれ、
この「輝ける」意味が「ブルー」や「グリーン」を意味するようになった。
余談だが、
かつて米国でしわがれた声の歌手が
"Bette Davis Eyes(邦題=ベティ・デイヴィスの瞳)"という
流行歌をうたってたが(デイビス女史の瞳はブルーだった)、
一昨年に死んだ米女優のエリザベス・テイラーは、
「ヴァイオレット・アイズ」と呼ばれてたように、スミレ色の瞳をしてた。

チャイコフスキー「2つの歌」(1873)第2曲
[Allegro grazioso, ma non tanto(アッレーグロ・グラッツィオーゾ、マ・ノン・タント
=速く、優雅にただし過度にならず、2/4拍子、3♯(イ長調)]
♪【ソーーー・ソーーソ│<ドーーー・>シーーシ│>ラーーー・<シーーー│>ソーーー・ーーーー】│
 ソーーー・ソーーソ│<ドーーー・>シーー>ソ│<ドーーー・ーーーー│ーーーー・●●●●♪
チャイコフスキーにしてはかなり能天気な曲想である。が、それはともあれ、
この動機は、この歌の2年後から作曲が開始されたバレエ
「白鳥の湖」の第2幕(第11曲情景)でも使われてる。
♪【ソーーー・ソーーソ│<ドーーー・>シーーー│>ラーーー・<シーーー│>ソーーー】・<シーーー│
>ラーーー・<シーーー│>ソーーー・<シーーー│<ドーーー・ーー<レー│<ミーーー・<ファーーー│
<ソーーー・>ファーーー│>ミーーー・<ファーーー│……♪
オデットがズィークフリートに身の上話をする場面であるが、
この節が出てからやがて、「運命の動機」から成る
[目から光を放つ大フクロウが姿を現す]
というふうに繋がるのである。

「ドイツ人の中のフランス娘オデットとオディール/チャイコフスキーのバレエ『白鳥の湖』」
(http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/267c2f2bdc23187c469f73eaad3b7300)
その他でも折にふれ言及してるが、
チャイコフスキーが「白鳥の湖」を作曲するにあたって参考にした、
ラインラント出身のハイネの原作である「ジゼル」も、
他のドイツ語名の登場人物の中で
主人公ジゼルとその母親ベルトだけがフランス語名なのである。
ちなみに、
Heineというサーネイムはハインリヒ(英語ではヘンリー)というファーストネイムが元である。
「家長」を表し、それが「支配者」という意味になった。
フクロウは森を支配するのである。

上記、「春の青い瞳」(1873年作曲)の主題と
1875年から翌年にかけて作曲されたバレエ
「白鳥の湖」(第2幕)第11曲途中の「オデットの身の上話」(フクロウが出現する前)の
音楽とを並べてみたもの(歌の部分はオーボエに替えてあります)を
TwitSoundにアップしておきました。
(http://twitsound.jp/musics/tsR8y0U6A)
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「チャイコフスキー 白鳥の湖第13曲ヴァルスの調性変異/サヴァリッシュの死にあたって(弐)」

2013年03月03日 20時40分45秒 | 瓢湖不充分白鳥の湖舞イアーリンク泡沫事件
Wolfgang Sawallisch(ヴォルフガング・サヴァリッシュ、1923-2013)が、
ザルツブルクの西約50kmにある南ドイツ・バイエルン州Grassau(グラッサウ)の自宅で
去る2月22日に亡くなったそうである。
オペラ指揮者時代のヴァーグナーやリヒャルト・シュトラウス、
ベートーヴェン、シューバート、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス
などが主たるレパートリーだったようだが、なぜか
チャイコフスキーの「白鳥の湖」は好きだったようである。
フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督時代にも、その全曲を録音してる。

チャイコフスキーの「白鳥の湖」はその2幕を仕切る
第10曲と第14曲(じつはこのふたつは同一曲)の「白鳥のテーマ」
♪ミー・ーー・・>ラ<シ・<ド<レ│<ミー・ー>ド・・<ミー・ー>ド│
<ミー・ー>ラ・・>ド>ラ・>ファ<ド│>ラー・ーー・・ー♪
が、クラ音のクの字も知らないむきにも
知られてるほどポピュラーなものである。しかしながら、
バレエとチャイコフスキーの音楽の実体となると、
クラ音の専門家やバレエ関係者の誰一人分からない、という
ミステリアスなものなのである。
(cf;拙ブログ「瓢湖不充分白鳥の湖舞イアーリンク泡沫事件」カテゴリー)
バレエも音楽もズタズタに改竄されてしまったからである。
その災禍のひとつが「設定」「あらすじ」である。現在、
バレエを専門にやってる人でもその大多数が、
"オデットは悪魔によって白鳥の姿に変えられてしまった"
と本気で信じ込んでる。自国のウソの歴史を信じてる
どこぞの民族とおなじくらいに。結末も、
"「悪魔」ロートバルトに打ち勝ってめでたく結ばれる"
という認識である。

チャイコフスキーの生前、「白鳥の湖」全曲のフルスコアは出版されなかった。
モスクワ音楽院創設時からのチャイコフスキーの同僚教授である
Николай Дмитриевич Кашкин
(ニカラーィ・ドミータリィヴィチ・カーシキン、いわゆるニコライ・ドミトリエヴィッチ・カシキン、
1839-1920)がピアノ独奏用に編曲した全曲版のみが
初演の年1877年にユルゲンソンから出版された。フルスコアのほうは、
チャイコフスキーの死後のプティパ=イヴァーノフ&弟モデスト改竄版は出されず、
1895年にやはりユルゲンソンから"元の"総譜が出された。が、
2幕の第13曲(7枝番)中の枝番6のヴァルスが、そこでは、
チャイコフスキーのオリジナルでは「フラット記号4つの変イ長調」から
「シャープ3つのイ長調」に改竄されてるのである。だからか、
「白鳥の湖」の全曲録音を行ったもののうちの過半数が
このナンバーを「イ長調」で演奏してる。チャイコフスキーの作品において、
調性をむやみに変じることは、その作曲意図を
まったく考慮にいれてない所業である。そんな中で、
サヴァリッシュがフィラデルフィア管弦楽団と残した録音は、
正しく「変イ長調」である。サヴァリッシュは、
ズィークフリート王子の教育係と名が同じ
ヴォルフガングなので、そこらへんのことは
しっかりとわきまえてたのかもしれない(※)。

「白鳥の湖」2幕第13曲(7枝番)は、

a;3/4拍子テンポ・ディヴァルス(3♯=イ長調)→
b;6/8拍子モデラート・アッサイ(4♯=ホ長調)→
c;3/4拍子テンポ・ディヴァルス(3♯=イ長調)→
d;4/4拍子アッレーグロ・モデラート(3♯=嬰ヘ短調)→
e;4/4拍子アンダーンテ(無調号=嬰ヘ音から開始)
→6/8拍子アンダーンテ・ノン・トロッポ(6♭=変ホ短調/変ト長調)
→2/4拍子アッレーグロ(3♭=変ホ長調)→
f;3/4拍子テンポ・ディヴァルス(4♭=変イ長調)→
g;/8拍子アッレーグロ・ヴィーヴォ(4♯=ホ長調)

という成り立ちである。この中で、
枝番5の調性が"異質"であることを、
巷の指揮者といわれる者は気にしない。
破毀されたオペラ「ウンヂーナ」からの転用だから、
というエクスキューズをする者はいる。
まだ"まし"な程度である。ユルゲンソンですら、
チャイコフスキーの死後全曲を出版する際、
枝番6を「4♭=変イ長調」から他の枝番と
"調和"させるために「3♯=イ長調」に改竄してしまった。
その後の舞踊関係者やバレエ指揮者は何の疑いもなく、
[枝番6=3♯(イ長調)]
と鵜呑みにして、その前の枝番5の調性にも
立ち止まることはしない。
この枝番の主部は[6♭(変ホ短調/変ト長調)]という
奇天烈な調号の上で書かれてる。そして、
主部の中間では、この調号を維持したままで、
第1幕第5曲コーダの♪ソ<ド♪という動機を、
「ホ長調」そして「ロ長調」で刻むのである。
第13曲は、その側面においては、
第1幕で王子をとりまいてたシャープな調性が
フラットな調性の磁力にのみこまれてしまうさまが描かれてる、
のである。

ともかくも、[6♭(変ホ短調/変ト長調)]は、
この第2幕でオデットが登場したときのはじめの
「無調号(イ短調)」の対極にあたる調性(五度圏概念)である。
この枝番がどの登場人物によって踊られたかも
現在では不明であるが、おそらくは、
ズィーィフリート王子とオデット姫であろう。とすると、
第1幕第3曲で王子の母である王妃による
[王妃の(王子がしかるべき花嫁を迎えてほしい、という)希望]
の[無調号(ハ長調)]とも正反対な行為場面、
ということになる。オデットは本来は
[無調号]で王子に相応しいのだが、さまざまな障害で
その調性を維持できないさだめの娘だったのである。だから、
次ぐ枝番6がシャープ度がもっとも強い[3♯(イ長調)]ではおかしい、
と懐疑心をもたないようではチャイコフスキーをやるのは無理である。
次幕を支配するフラットな磁場におけるメイン・キーである
[4♭=変イ長調]という、[2♯(ニ長調/ロ短調]の対極調でなければ
意味をなさないのである。

♪ミ・ー・ー│>レ・<ミ・>レ│>ド・ー・ー│ー・ー、・ド│
<ファ・ー・ファ│>ミ・<ファ・<ソ│ソ・ー・>レ♪
(TwitSoundに、第13曲の1(イ長調)の冒頭8小節のあとに
第13曲の6の冒頭9小節を続けて繋げたものをアップしておきました。
http://twitsound.jp/musics/tsFPqYv20 )
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「名曲探偵『白鳥の湖』篇/藤井美菜女史のケイダイセイとケイキダイスキ性」

2010年12月20日 00時03分15秒 | 瓢湖不充分白鳥の湖舞イアーリンク泡沫事件
ちょっと前に録画しといたNHKの「名曲探偵アマデウス」の
「白鳥の湖」篇をやっとみることができた。
探偵事務所助手の響カノン(黒川芽衣女史)がスイーツ教室で知り合った
白鳥姫子(藤井美菜女史)がケーキ屋を開業したいが、
昨今はケーキがよろしくないので父親がなかなか許可してくれない、
どうしたらイインでしょうかしら、という相談者の設定である。
シラトリ・ファンドのファンド・マネージャーの娘でセレブお嬢様、
ということである。実際、藤井女史は
米国カリフォーニア州San Diego(サン・ディエイゴウ)生まれ、
慶應湘南に地域枠調整入試という、
慶應の附属高校としてはもっとも簡易な枠ながら入り、
現在は慶應義塾大学文学部に通う、
現役大学生という才色兼備な女優である。
鼻筋が通って顎がとんがって唇が小さく薄い、
秋田美人によくある顔である。
現在上映中の「武士の家計簿」では、
幕末の主人公の金沢藩士猪山直之の嫡子成之に嫁いで
海軍大佐猪山綱太郎の母となる、
金沢藩士の娘増田政を演じてる。ともあれ、
実際の父親はマネーファンドや財務分析というよりは、
レトロウィルスの解析に長けてるかもしれない。

ところで、
先日、「ドツキ漫才」という、男が女の頭をひっぱたいたり、
思いきりビンタを食らわしたり、跳び蹴りしたりした芸風で、
かつてTVにもよく出てた「正司敏江・玲児」の正司玲児が、
成人T細胞白血病のリンパ腫で死んだ。71歳だった。
故人は大分県の出身らしい。
成人T細胞白血病リンパ腫は、HTLV-1(ウィルス)によって引き起こされる。
ギャロの手柄にはなってるが、実際は、
京大から熊本大に派遣された学者らによって発見されたウィルスである。
といって、潜伏期間が40乃至60年なので、
発症しないまま別の死因で死ぬことがほとんどである。そして、
多くが母親からの垂直感染である。性行為による感染は、
男性の精液から女性に感染する。一般に、
レトロウィルスは性行為に関与することが多く、また、潜伏期間が長い。
有性生殖(行為)に関与して感染する、
という戦略はすなわち、潜伏期間を長くして
その感染機会を増やすことが有効だからである。

また、近年、
女性の子宮頸癌の発症も、男性から女性へのHPV=
ヒトパピローマ(パピローマはイボ)ウィルス感染によるものがほとんど、
ということがわかってきた(セイキの構造上、男性は癌化しにくい)。
このように、ウィルス由来の癌が知られるようになってきた昨今、
罪の多い民主党政権の功罪の中で数少ない功のひとつが、
「HTLV-1特命チーム」の立ち上げである。
あくまでも「立ち上げ」であるが、ATLが
白血病なのかリンパ腫なのか判らない拙脳なる私には、
その期待度が解るわけもない。ともあれ、
「正司敏江・玲児」は実際に夫婦だったが、離婚しても
漫才は続けてた。一生ツガイを解消しないハクチョウのように。

ときに、
HTLV-1と似たウィルスにHTLV-2がある。
HTLV-2はHTLV-1と同様に細胞を不死化させる。一般に、
細胞はデジタル録画のコピーに制限が掛けられてるように、
テロメアが短くなってってしまうので、分裂回数に限界がある。
ところが、不死化した細胞はテロメアが短くなっても
トカゲの尻尾のようにまた伸びてくるのである。簡単にいえば、
癌細胞とは不死化した細胞なので際限なく増殖すると考えていい。
HTLV-2は白血病は発症させない。だから、
このウィルスを研究すればHTLV-1による白血病発症のメカニズムはおろか、
再生医療発展の道が開ける可能性があるのである。

さて、
今回の「名曲探偵アマデウス」の「白鳥の湖」篇は、
前回のチャイコフスキーネタ「交響曲第4番」のように
大ウソをかましたものではなかった。が、
やはりほころびはいくつかあった。まず、
「白鳥のテーマ」の調性について、である。
[白鳥=2♯(ロ短調)←五度圏の対極→黒鳥=4♭(ヘ短調)]
は悪くはないのであるが、そこで言う「黒鳥のテーマ」が
ロートバルトがオディールの正体を明かす第24曲の場面では
実質ハ短調で出てくることは説明されてなかった。それはともかく、
[善=シャープ系の調性←→悪=フラット系の調性]
という紋切り型の説明は大きな間違いである。
チャイコフスキーの嬰変の振り分けは、単純に善悪だけではないのである。
このブログの、
「白鳥の湖/森前半vs川内後半のおフ・クロウさん」(2007年07月01日)
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/ecbb461f4db7fbc79ea191ca1e6d19cb
で取りあげたように、
4幕から成るバレエ「白鳥の湖」が、前半(1幕と2幕)と後半(3幕と4幕)で
縦に対称的に配され、また、1幕と3幕が王子の別邸や王宮であり、
2幕と4幕が白鳥が隠れてる湖、という横の対称を成してる、
いわゆるシンメトリー構造になってること、そして、
曲の調性自体ではなく、
クラリネットとコルネットという移調楽器が
前半ではA管(シャープ系)支配、後半ではB管(フラット系)支配、
と配されてることが肝腎なのである。

それから、
バレエ「白鳥の湖」のあらすじ、である。
これはハナからチャイコフスキーの死後である1895年に改変されたもの、
を「原典」としてることに誤りがある。
オデットはロートバルトによって昼間白鳥に姿を変えられたわけではない。
命と冠を狙う邪悪な継母から身を護るために
祖父が湖に匿ってくれて、昼間オデットらを白鳥に変えて
寛ぐ場を与えて空高く遊ばせたり、
雅に踊ったりさせてくれていたわってくれたのである。
その身の上話が2幕で踊られるのであるが、
それをなくしてしまっては、
♪ミ>(♯)レ<ファ>ミ♪=年長者(ここの場合は祖父)による加護、
の意味がない。のちに、師であり自分の守護であった
ニコライ・ルービンシテインの死に際して作ったpfトリオの主要主題の意図も
へったくれもないのである。
ともあれ、
改変にあたってチャイコフスキーの弟モデストは、
本来の筋では頭が行き届かない多くの聴衆には解りにくいので、
単純に悪によって姿を変えられてしまった、
ということにしたのだとは思う。が、
それをチャイコフスキーもとからのオリジナルのような伝えかたをするのは
よろしくない。

また、
終い、ズィークフリート王子とオデットが死んでも天国で結ばれる、
というのも憶測にすぎない。本当のオリジナルでは、
ズィークフリートはロートバルトと"戦っ"たりはしてない。なぜなら、
勝負はすでに3幕でついてるのである。
4幕はただ王子がオデットに後悔の念を伝え、
無理心中するだけである。このくだりは、
このバレエ完成後ちょうど10年後、
白鳥の騎士ローエングリンに魅せられ金をつぎ込んだ
バイアーン国王ルートヴィヒ2世が侍医とともにグッデンと転がった
水死体で見つかった事件を予想してたかのようである。
いずれにしても、
バレエ「白鳥の湖」の最後は、
[オデットが王子に道連れにされて溺死したあと、
嵐が静まり、雲の間から月の青白い光が射し、
湖面に白鳥の一群が姿を現す]
というものである。つまり、
オデットは死んでもまるで「はじめから何もなかった」かのように、
白鳥たちが湖面を泳ぐ。
"God's in His heaven
All's right with the world"
天国におましますのはGodだけであり、
人間などは到底到達できない。ただ、
世はすべて竪琴も竪ゴットもなし、という死生観なのである。
ちなみに、
我が国におけるオオハクチョウ飛来地として有名な人造湖瓢湖は、
新潟市の隣町、阿賀野市にある。
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「ドイツ人の中のフランス娘オデットとオディール/チャイコフスキーのバレエ『白鳥の湖』」

2010年08月29日 20時34分17秒 | 瓢湖不充分白鳥の湖舞イアーリンク泡沫事件

チャイコフスキー 白鳥の湖


[Sainte Odile et le Lac des cygnes]

Vin d'Alsace(ヴァン・ダルザス)、いわゆるアルザス・ワインを
知り合いからもらった。
はるな愛の走る顔とココリコ遠藤の顔の違いが判らない
拙脳なる私であるからして、味のよしあしが
判るはずもないが、白のリースリング・ワインである。
エチケットを見ると、なんと
Cave d'Obernai(カヴ・ドベルネ)の文字。
Obernai(オベルネ)はフランス語でStrasbourg(ストラスブル)の
南西約20kmにある小さなコミュヌ(町)である。現在は
ワイン産地としてやや知られてるが、その近郊の
Mont Sainte Odile(モン・サントディル=聖オディール山)の頂上に建つ
修道院とその聖オディールの逸話が歴史には刻まれてる。

聖オディール(662-720)は、アルザス公アダルリク(645-689)の
"第一子"としてオベルネに生まれた。父親は
跡継ぎたるべき男児を欲してた。そのうえ、
生まれた女児は目が見えなかった。我が家の恥だからと、
アダルリクは赤子を殺してしまえと命じた。が、
生みの母はひそかに南の地の修道院に我が子をかくまわせた。
この子が12歳のとき、レーゲンスブルクの聖エアハルトは
天使に導かれてその地に赴き,この子を洗礼を施した。
そのときに与えた洗礼名が、
Odile(オディル)だとされてる。ちなみに、この名は、
富や繁栄を意味するドイツ語名のOtto(オットー)からの派生語である。
ドイツ人女性名としては、Ottilia(オティーリア)、Ottilie(オティーリエ)、
などがある。いっぽう、フランス人女性名としては、
Odile(オディル)、Odette(オデット)などがある。つまり、
Odile(オディル)とOdette(オデット)は「同じ」なのである。が、
Odileのほうはidole(偶像)のアナグラムである。

ともあれ、
聖エアハルトの洗礼でアダルリクの盲目の長女は、
12歳にして洗礼を受け、同時に、奇跡的に
目も見えるようになったのである。そして、
五体満足になった以上、たとえ女であっても
父に許してもらえると思い、オディールは
故郷への帰還を果たそうとする。故郷ではすでに
弟が二人生まれてた。オディールは二番めの弟ユーグと連絡を取り、
帰還への計画を練る。そして、実行する。が、
ユーグは父の怒りをかい、殺されてしまう。お話では、
奇跡的にオディールはユーグを生き返らせ、
父はオディールの帰還を許したとされてる。ただし、
父は娘を政略結婚の遊具、否、道具に利用しようとした。
オディールはすでに神に人生を捧げた身である。
父の邪心を断るのである。そしてまた、
父から逃れる旅に出るのである。
ライン川を越え、フライブルクの山中の洞窟に追い詰められる。すると、
またもや奇跡的に岩が落下して、アダルリク一行の行く手を塞いだ。
父は娘を追うことを諦め、引き返す。やがて、
父は病の床に就き、娘は帰還して看病する。そして、
ようやく父は娘を受け入れ、現在オディール山と呼ばれてる
山の頂上の城を修道院にすることを許す。そこで、
オディールはキリスト者として余生を送る。

「奇跡の人」オディールの話は口づてに有名になり、
多くのキリスト教徒が修道院を訪れたという。とくに、
「見えない目が見えるようになった」
ことに、庶民は"神性"を感じるようである。あるとき、
山の麓から山頂の修道院までの間で老人が力尽きて倒れた。
それを聞きつけたオディールが下山してそこに向かうと、
老人は末期の水を授けられることを望んだ。が、
水を持ってなかったオディールは近くの岩を杖で叩いた。すると、
またしても奇跡的に岩間から水が噴き出したのである。
オディールは修道院で死に、遺体は修道院の礼拝堂に現在も安置されてる。
のちにオディールは聖人に列せられた。
聖オディールが生まれて死んだのは現在フランス領のアルザス。
地域的にも、また、鉄鉱石が採れることで資源的にも、
フランスとドイツが覇権を競ってきた紛争地である。現在も、
地域によってはアルマン語、アルザス語が話されてる。一部では
聖人のように認識されてるアルバート・シュヴァイツァーは、
このアルザス生まれのアルザス人である。ともあれ、
「親からの無愛情」「親から命を狙われる」
「親もとから逃れてる」「世継ぎ問題」「政略結婚」
など、チャイコフスキーのバレエ「白鳥の湖」、「眠れる森の美女」、
はたまた最後のオペラ「イヨランタ」と類似した話である。

ときに、
バレエ「白鳥の湖」の主要登場人物は、
とっても奇妙な関係である。なにしろ、
主人公Siegfried(ズィークフリート)王子やそのご学友
Benno(ベノ=Bernhardベアンハルト)・von(フォン)・Sommerstein(ゾマーシュタイン)、
家庭教師Wolfgang(ヴォルフガング)、
Baron(バロン)・von(フォン)・Rothbart(ロートバルト)、
Baron(バロン)・von(フォン)・Stein(シュタイン)、
Freiherr(フライヘル)・von(フォン)・Schwarzfels(シュヴァーツフェルス)、
など、すべてが「ドイツ語名」である。しかるに、
女性主人公のOdetteと、その似非的存在である
Odileの二人だけが、ドイツ語由来の「フランス語名」なのである。ことに、
Odileはドイツ語貴族名Baron von Rothbartの
「娘」という体である。ちなみに、
アダンが作曲したバレエ「ジゼル」の登場人物も、同様に
ドイツ人名の中にBerthe(ベルト)・Giselle(ジゼル)母娘だけが
フランス人名なのである。原作者は、
ライン川に近い、つまり、フランス国境に近いデュッセルドーフ出身で、
後半生をパリで暮らしたハインリヒ・ハイネである。また、
4歳から8歳という、ヒトの脳が作られる重要な年齢に
チャイコフスキーが教えを受けた家庭教師ファニー・デュルバッハの出身地も、
アルザス地方のもう少し南で、スイスやドイツとの国境に近い
モンベリヤールである。それから、チャイコフスキー自身、
母方の祖父はフランスとドイツとのハイブリッドで、
血統的にはロシア6/8、フランス1/8、ドイツ1/8なのである。
この聖女の話をピェーチャ少年はファニーから聞いてたかもしれない。

チャイコフスキーのもうひとつのバレエ音楽「くるみ割り人形」は、
ドイツ人の登場人物の中にフランス人はいない。が、原作は
ドイツ人ETAホフマンの「くるみ割り人形と二十日鼠の王」ではあるが、
台本のもとになってるのは、
そのフランス語版であるアレクサンドル・父・デュマの「ハシバミ割り人形」
なのである。
チャイコフスキーの作品に限らず、西洋のお話には、このように
キリスト教の新旧対立がベイスになってるものが多い。いずれにせよ、
聖オディールは目が見えるようになったことで父から、
家名の恥から政略結婚の道具という対象に変わった。が、
それを最後までつっぱねた修道女であるからして、結局、誰かの
「愛妻と(eyesight)」なることはなかった。
コメント (4)
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