チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー『悲愴交響曲』第1楽章の中のバッハとベートーヴェンとモーツァルト」

2009年02月08日 22時33分56秒 | 悲愴中毒(おreたちdニasはない
[Matthew Passion(Bach), Grande Sonate Pathetique(Beethoven) and Requiem(mozart) in Symphony No.6(Tchaikovsky)]

昨日は父の遺品をひっさげて母の家に行き、
泊まった。夜、母はテレ東の
「アド街」を懐かしそうに観てる。
「京橋」だからである。母の親友のひとりは
映画女優だった。で、映画人がよく集ってた
京橋の寿司屋に、母もよく行ってたらしい。
鶴田浩二や越路吹雪などといっしょに収まった写真が
4枚あったが、それももってきてあげてた。ところで、
日本は4枚のプレイトの上に乗っかってるゆえ、
大地震が多い。が、震源が浅い地震には、
中低層建造物の固有周期に近い周期の、つまり、
そういった建物が共振して倒壊する恐れが大きい、
地殻内を反射しながら遠方まで到達する性質の
Lg波と呼ばれる波が生じる場合がある。ときに、
L&Gの波会長が逮捕されたそうである。当日、私は
所用で護国寺方面に向って外苑東通りを走らせてたら、
牛込保健センターの交差点前で赤信号で止まった。すると、
その両脇にびっしりと報道陣がまだ張ってた。
ここが奴のヤサか、と思った。よく、
「どうしたら世の中がよくなるか」
と不毛なことを言うむきがいる。簡単である。
こういう輩が消えればいいのである。が、
現状はそう単純ではない、ということは
小学生にだってわかる。が、偽善家はそうでない。
人はなにで動くかといえば、ほとんどの場合が金である。
広告塔になった芸能人はもちろん、
ひっかかった”会員”も。「欲が張った」結果である。
スマイリーキクチのブログが誹謗中傷の書き込みで
炎上してたらしい。書きこんだ輩が
書類送検されたそうだが、
実名写真附きでは報道されないようである。私もかつて、
"fricca1115"という不届き者によって、
「ハッカーだ」「ウィルスメイルを送りつけられた」
など、事実無根の誹謗中傷を書き込まれたことがある。私は
ニッキもシナモンもハッカも嫌いだが、他にも被害者がいて、これは
「フリッ禍事件」と名づけられて、
司直の手が入らなかった事案としては、
結構有名らしい。当時私は、
yahoo掲示板しか見てなかったが、
この触法オバハンは、私に気づかれないように
私が見てない2ちゃんねるに書きこんでた、という
悪質度の高いものだった。
自分が知ってるとこで書かれたのならまだ、
「ワタシニデンワシテクダサイ。ドウゾ、ヨロシク」
と、スタイリー・クチキキとかいう芸名でも名乗って、
「微笑みの応じ」で対処することもできたかもしれない。
知らないとこで誹謗中傷を進行させるというのは、
このオバハンの卑怯さと性根の悪さを如実に表してる。が、
この触法オバハンも憐れな生き物だったが、
その虚言・無礼を攻撃した者までも、
私がハッカーだというその虚言だけは信じた、
という愚かで悪意に満ちた点でまた、
同じ穴の狢であり、憐むべき存在だった。ともあれ、
こんなのと同様なのが世の中にはウジャウジャ生息してる、
ということなのである。正直者がバカをみるのが
世の中であるのは、リービッヒの最小律を持ち出すまでもない。

♪菜のはぁ~~な、ばたけぇ~に、リービッヒ、薄れぇ~~~♪
父の家の自室の整理をしてたら、子供の頃によく聴いてた
「唱歌・童謡」のレコードが出てきた。
高野辰之が作った歌詞は一般に、”古き良き”日本の風景、
という感じで捉えられてる。その是非はともかく、
"ノスタルジー"という感情は人間のもっとも高等な感情のひとつである。
持ち合わせてない者が「教習」できるという類ものではない。
遠くにありて思う……のが、時であるか場所なのか……
時間と空間、そしてその関係は不思議な概念である。いずれにせよ、
生物は時間と空間をマタイで、あるいはk点越えをして、
ライフツィヒに到る生命を繋いでく本能を担わされてるのである。

***♪[ラーー・ー<シ<ド・・>[[シ]ーー・ー<♯ド<レ│>♯ド]]♪
このバッハの「マタイ・パッション」の緒曲の[3度上がって2度下がる]動機が、
ベートーヴェンが自らフランス語で命名したpfソナータの第1楽章の序奏の
****♪[ラーーーーーー・ーーーラ<シーー<ド・・ドーーーーーーー>・シーーー]●●●●│
  <[[レーーーーーー・ーーーレ<ミーー<ファ・・ファーーーーーーー>・ミーーー]]●●●●♪
という動機に引用された。上記のバッハの節は、
磯山雅著「マタイ受難曲」(東京書籍刊……p139)によれば、
マレにみるヴィオールトゥオーゾだったかどうかは知らないが、
ルイ14世おかかえのヴィオーラ・ダ・ガンバ奏者
Marin Marais (1656-1728)の「ヴィオール曲集第1巻」中の
「ムッシュ・メリトンのトンボ(墓碑)」という「哀悼曲」から採ったそうである。
チャイコフスキーはそれらの「故事につけて」、
***♪[ラ<シ│<ドー・>・シー・・ーー]、<[シ<ド│<レー・>・ドー・・ーー]♪
と、「悲愴交響曲」の冒頭を構成した。
バッハのマタイは「ホ短調」=1♯である。ドイツ語で♯は「十字架」を表す
「クロイツ」であるから、バッハはこの調性を採ったらしい。いっぽう、
ベートーヴェンの「ハ短調」は3♭という「三位一体」かつ
「救済者christ」の頭文字cである。他方、
チャイコフスキーの「悲愴交響曲」の冒頭は2♯ながら、
実質「ホ短調」である。そして、
空虚5度という開始はベートーヴェンの第九の開始の引用であり、
弦の伴奏に乗ってファゴットが節を吹き始めるという開始は
モツ・レクの引用である。ちなみに、モツレクのその節、
***♪●●・{ラー・・ーー・>♯ソー│<ラー・<シー・・<ドー・ーー}♪
は、ベートーヴェンの「英雄交響曲」の第1楽章の「展開されない主題」、
***♪{ラー・・>♯ソー│<ラー・ー<シ・・<ドー}│>シー、<ミー・>♯レー│<ミー♪
および、第2楽章「葬送」行進曲の主要主題の動機、
****♪ミーーミ│ミーーーーーーー・{ラー->♯ソ<ラーー<シ│<ドーーーーーーーー}・
  >ラーーー●●●●│<ミーーーーーーー♪
と引用された。これはチャイコフスキーの「悲愴」には直接引かれてないが、
第1楽章第1主題提示部の推移期間の50小節めからvnが刻む、
実質嬰ハ短調、そして、実質嬰ト短調の
****♪ラララ・ラ<ド>♯ソ<ラ│>ミ<ファ>ミ>レ・>{ド>シ>ラ>♯ソ・・>ラー}♪
が、{逆順(in reverse order)}になってるのである。ときに、
この推移期間に入るときのブリッジには、
2管のホルンがオクターヴ・ユニゾンで****♪ソソ・ソーソー│>ミーーー・ーーーー♪と吹くが、
ベートーヴェンの「運命交響曲」第1楽章展開部冒頭の
クラリネット2管とホルン2管による完全ユニゾン
(そして4つめの音にはファゴット2管が重ねられる)の、
****♪ソー・ソーソー│>ミーーー・ーーーー│ーーーー・ーーーー│ーーーー・ーーーー(F)♪
を引いたものである。さて、話が逸れたが「マタイ」に戻すと、その
第4曲は「イエスの頭に香油をぶっかける女」の逸話である。
 布教活動中のイエスは、重い皮膚病患者の家を訪れ食事をした。
 病気=罪、という認識の社会である。とくに、
 皮膚病は蔑まれたという。そこに入ってくイエスは、
 いかにも新興宗教の教祖、というように、
 常人には奇異に映る。が、そこにまた、
 わけのわからない女がイエスに擦り寄ってきて、
 香油を頭に注いだのである。お笑い芸人の罰ではない。
 その香油は相当に高価なものだったらしい。
 周りの弟子たちは、その無駄使いをなじった。そんな
 高価なものは、売って貧乏人の施しにまわしたほうがよほど
 効果的である、と。が、イエスは、
 この女は「いいこと」をしたのだ。
 貧しい人にはお前らがいるが、私はもうすぐいなくなる。
 この女が私の体に香油を注いでくれたのは、
 【私の埋葬への備え】である。コウユうことなのだ、と諭した。
この部分が「マタイ受難曲」の第4曲eである。
【私の埋葬への備え】云々は、
[hat sie getan, dass man mich begraben wird
(ハット・ズィー・ゲタン、ダス・マン・ミッヒ・ベグラーベン・ヴィルト)]で、実質ニ短調、
****♪ソ・<レ<ミ│<ファー>ミー・●●
  >ミ>レ・>ドー>ラー・<♭シー>♯ソ<ラ│ラー>ミー♪
(c^g^a^b_a-a_g_f_d^es_cis^d-d_a)
という節回しで表されてる。この中の
"begraben(埋葬する)"という動詞にあてられてるのは、
♪ラー・<♭シー>♯ソ<ラ♪であり、これは
「十字架音型」であり、また、[♭シ]の箇所は
[ナーポリの6]の和音に裏打ちされてるのである。いっぽう、
チャイコフスキーの「悲愴交響曲」第1楽章の展開部の
189小節第4拍から準備された和声の上に、
♪bー・ーー・・>aー・>gー│>faー・ーー・・esー・ーー│
 esー・ーー・・>dー・>cー│>cesー・ーー・・>bー・ーー♪
が吹奏される。これは、「第2主題」後半部分
♪ソー・>ファ>ミ│ミー・>レー・・<ファー・>ミ>レ│レー・>ドー♪
の変型ともみなせるが、
この最初の第189小節第4拍に用意されてるのは、
[g(<)b(<)es]という、
ニ短調におけるナーポリ6と同じ和音なのである。また、
オーボエ、ファゴット、トランペット各2=6管によって吹奏される上記の節は、
「マタイ・パッション」におけるイエスの言葉の
[-tan, dass man mich begraben]
の箇所の節回しとも、ほぼ合致するのである。これはまた、
ベートーヴェンの「第九」第1楽章第1主題提示部の中に出てくる。
第24小節乃至第27小節(ニ短調)、
***♪ファー・ーー│ーー・ー>ミ│>レ>ド・>♭シ>ラ│>♯ソ♪
  (b_a_g_f_es_d_cis)
この[es]の箇所も、ベートーヴェンが愛用した
[ナーポリの6]の和音の、非転回形が敷かれてるのである。さて、
チャイコフスキーは上記の「fff」の吹奏が終わると、
チェロとコントラバスに急速鎮静化させて、
3連符による切分な「嘆息音型」を下敷きに、
実質「ニ短調」をお膳立てし、
***♪ラー│ーー・ーー・・>ソー・ーー│<ラー・ーー・・<ドー・ーー│
  >シー・ーー・・>ラー・ーー│>ミー・ーー・・ーー・ーー♪
というロシア正教の聖歌
「主よ、埋葬されし汝の僕の魂に安らぎを与え給え」
をトロンボーンに吹かせるのである。バッハの「マタイ」と、
「埋葬」という共通のキーワードで繋げてるのである。続いて、
管群に呼応する弦楽3部による「嘆息音型」が
「3回」擦られ、展開部は収束に向かうのである。
チャイコフスキーは「悲愴交響曲」を古今の音楽の
集大成にしようとしたのだろう。このように、
奥深い配慮が鏤められてるのである。そして、
それが単なる高度なパズルというだけでなく、
大きな感動という共振を、
その固有振動数が合致する者に与えるのである。ゆえに、
私はチャイコフスキーの音楽に共振的なのである。

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