チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「E.T.A・ホフマンの『クライスラー』とシューマンの『クライスレリアーナ』の一筆書き的回帰」

2011年02月21日 00時30分21秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般
私の現在の愛車は21世紀になってからのものながら
2007年以前のメルセデスなので、
ダイムラー・クライスラー社製ということになってる。
Fritz Kreisler(フリッツ・クライスラー=ヴァイオリニスト)と
Walter Chrysler(ウォルター・クライスラー)は別人ではあるが、ともに
1875年生まれである。いっぽう、
Johannes Kreisler(ヨハネス・クライスラー)といえば、
裁判官・作家・作曲家・画家の
E.T.A.Hoffmann(エー・テー・アー・ホフマン、1776-1822)が
その著作のいくつか、とくに、
"Lebensansichten des Kater Murr
(レーベンスアンズィヒテン・デス・カーテル・ムル=牡猫ムルの猫生観)"
に登場させた創作上のキャラクターである。
才人だったホフマンは自身でも自画像を描いてるが、
メンデルスゾーンの姉ファニーの夫になる、
Wilhelm Hensel(ヴィルヘルム・ヘンゼル、1794-1861)が1821年、つまり、
実際の飼い猫ムルが死んだ年であり、ホフマン自身の死の前年に描いた
スタイル画のホフマン像からは、気力が感じられない。

ともあれ、そんな
ホフマンの文学作品は、その幻想的な世界が
「コッペリア」「くるみ割り人形」といったバレエを生み出した。そして、
夏目漱石は上記「牡猫ムル」にインスパイアされて
「我が輩は猫である」を書いた。
曖昧だということらしい日本語をやめて
国語をフランス語にせよなどと言った愚か極まりない志賀直哉は、
ホフマンと漱石の親友正岡子規に死をもたらした
「脊椎カリエス」をヒントに、「城の崎にて」を創作した。
オペラ類ではヴァーグナーがホフマンに感化されてる。が、
ホフマンにもっとも影響を受けたのは、ローベルト・シューマンである。

"Kreisleriana(クライスレリアーナ=クライスラー楽長の世界)"は、
ローベルト・シューマンが1838年に作曲したピアノ曲集である。当時、
クラーラの父に梅毒男であるシューマンとの仲を猛反対され、
やがて係争になって勝訴、そして和解と、
チャイコフスキーが生まれる年まで長引ーク問題になるほどだった。ちなみに、
梅毒は三期になると感染しなくなる。だから、
クラーラにも移らなかったし、
松田聖子女史もユーちゃんからもらわずに済んだ。ともあれ、
そんな時期にシューマンは「クライスレリアーナ」を
"クラーラのため"に書くことを思いついた。

曲集は8曲から成る。そして、そのいずれもが音と和声と律動の
「ズラシ効果」で仕立てられてる。クラーラの父との「不和」と、
思うように運ばない苛立ちが「軋み」出るような、
などと説明されることもあるようである。
外れてはいないだろう。が、それよりも、
「速い」曲の中に現れる「3くくり」の音型が、あたかも、
スピンしながら軸を移動させてく独楽の動きのようである。そして、
とくに第8曲に組み込まれてる"シチリアーナ律動"……
「ターータター」……ベートーヴェンが「交響曲第7番」の第1楽章で駆使した、つまり、
「不滅の恋人」への讃歌……であり、シューマンといい仲になってた
16歳のクラーラが父からその恋路を阻まれた時期に作曲した
「音楽の夜会」第2曲「ノットゥルノ=夜想曲」の中間で発露した律動……が、
シューマンのクラーラへの思いがつまった「クライスレリアーナ」にも投影されてるのである。
[*Schnell und spielend、6/8拍子、2♭(ト短調)]
(*シュネル・ウント・シュピーレント=速く、そして、朝飯前に……
左手には[Die Baesse duerchaus leicht und frei.]
=ディ・ベッセ・デュルヒアオス・ライヒト・ウント・フライ
=バスはなんとしても軽く、そして、右手に束縛されずに
という指示が書かれてる)
***♪ミ(♯ソ)│<ラ●<シ・<ド●<レ│<ミ●<ラ・>ミ●>ド│
      >シ●<レ・>ド●>シ│>ラ●>ファ・>ミ●♪
ビゼーはこれにインスパイアされ、30数年後の「カルメン」の、
第2幕緒曲「シャンソン・ボエム=ジプシーの唄」……
カルメン、フランスキータ、メルセデスがトラーラーラーと歌う……に投げかけた。
[3/4拍子、1♯(ホ短調)]
***♪ミ│<ラ<シ・<ド<レ・<ミ<ラ│>ミー・ーー・●♪

フリートリヒ・ヴィークと和解が成立した直後の1841年、
ローベルトは交響曲の作曲に取りかかった。現在、
「交響曲第1番『春』」と呼ばれてるものである。その、
第4楽章「フィナーレ」(ソナータ形式)の第2主題は、ト短調。
2/4拍子に変えられてはいるが、「クライスレリアーナ」第8曲の主要主題が
回帰されてるのである。
"Fruehlingssinfonie(フリューリングスズィンフォニー=春交響曲)"という呼称は、
某詩人の詩にヒントを得てローベルト自身が命名したものだという。
フリートリヒに対して勝訴し、めでたくクラーラと結婚できる
「春」がやってきた、ということかもしれない。ちなみに、
シューマンからの影響を強く受けたというグリーグは、
「ペール・ギュント」の中で、「アニトラの踊り」で、この
[ミ<ラ(>♯ソ<ラ)<シ<ド<レ<ミ<ラ>ミ]音型を採ってる。

ところで、
Kapellmeister Kreisler(クライスラー楽長)が描かれてるホフマンの
「牡猫ムルの人生観(猫生観)」のMurr(ムル)という猫は、
ホフマンが実際に飼ッツェた猫の名である。
murren(ムレン)という動詞は「猫は群れん」という意味ではなく、
「不平を言う」「ブツブツ言う」という意味である。
英語のmurmurは同源だと思われる。ともあれ、
murrenの派生語であるmuerrisch(ミュリッシュ)は、
「不機嫌な」「気むずかし屋の」という意味の形容詞である。いっぽう、
Kreisler(クライスラー)という名はドイツ在のユダヤ人への
ドイツふうな名のひとつである。
(der )Kreis(クライス)は「円」「サークル」という意味の男性名詞である。
kreisen(クライゼン)は「旋回する」という意味の動詞である。
(der )Kreisel(クライゼル)は「独楽」という意味の男性名詞である。
Kreislerは、クルクルなチリチリ頭髪のユダヤ人が与えられた名かもしれない。
ともあれ、
スピンしながら軸を移動させてく独楽の動きのような「3くくり」音型で、
シューマンはこの"kreis-"という語幹を描写したものと私は強く感じる。

"Lebensansichten des Kater Murr"の中にこんな一節がある。

"In diesen Kreisen kreiselt sich der Kreisler,
und wohl mag es sein, das er oft,
ermudet von den Sprungen des St.-Veits-Tanzes……"
(イン・ディーゼン・クライゼン・クライゼルト・ズィヒ・デア・クライスラー、
ウント・ヴォール・マーク・エス・ザイン、ダス・エア・オフト、
エアミューデット・フォン・デン・シュプルンゲン・デス・サンクト・ファイツ・タンツェス……)
「この環の中で独楽は旋回してる。
そして、おそらくはこうである。何度も、
"聖ファイトの踊り"で飛びはねて疲れ果てて……中略……」
"……hinaussehnt ins Freie."
(……ヒナオスゼーント・インス・フライエ)
「……自由世界を期待するのである」

つまり、
楽長クライスラーは既成ずくめの中で奮闘するも、
そのタガが外れた自由の中で自己を主張したいと望んでるのである。
"St.-Veits-Tanzes"の「聖ファイン」とは、
ローマ帝国のディオクレティアヌス帝のキリスト教弾圧によって拷問を受けた
"Vitus(ウィトゥス)"のことである。ローマで受けた拷問が
「釜茹で」だったという伝説がある。つまり、
「釜」という「環」の中で「煮え立つ熱湯」にグルグルのたうちまわった、
というわけである。が、伝説では
"奇跡的に"無火傷だったということになってる。結局は、
故郷に戻されてそこで斬首されたのであるが、後年ドイツでは、
この聖ファイト(ドイツ語でウィトゥスのこと)像の前で踊った。
この聖人が受けた拷問のときの悶えを
「踊り」として神聖化したのである。さらに、
熱狂的に踊るさまが、神経性の「舞踏運動」に拡大定義され、
「聖ウィトゥスの踊り(ドイツ語で「聖ファイトの踊り」)と呼ばれるようになった。
それが"St.-Veit-Tanz"である。
千回もグルグル回るかどうかは、
ホワイト餃子とファイト餃子の違いも判らない拙脳なる私には想像もつかない
のだが、独楽というものは、やがて回転が止まってしまう。
困ってしまうかもしれないが、どうしようもない。
止まる前に環から外に出ることができるかどうかは、
それぞれの状況で異なってくるのである。
じつに虚しい事象である。

"Kreisleriana(クライスレリアーナ)"は、
クラーラではなくショパンに献呈された。が、
ショパンは「理解不能」とばかりに、
「表紙はきれいだ」とだけ言ったという。
その返しとして……ショパンは同時に
ピアノで世話になってるプレイエルに献呈する曲を
プレイエル自身に選ばせた。それは、
「24の前奏曲集(op.28)」だった。プレイエルが取らなかった
残りの「バラード第2番(op.38)」をシューマンに献呈した、という。
じつに虚しい事実である。

シューマンはショパンをこう評した。
"Chopins Werke sind unter Blumen eingesenkte Kanonen."
(ショパンス・ヴェアケ・ズィント・ウンター・ブルーメン・アインゲゼンクテ・カノーネン)
「ショパンの作品は花畑の下に埋められた大砲である」
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