池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

出会い頃、別れ頃(3)

2024-05-26 13:11:10 | 日記

 N氏と私が働いていたのは、このK市のすぐ近くにある工場である。工場とはいっても製造ラインがあるわけではない。純粋な設計工場であった。千人以上の技術者がここでソフトウェアとハードウェアの設計を行い、マシンで検証しているのだ。郊外で周囲に商業施設は皆無なので、工場内の設備は充実していた。大食堂とカフェテリア、売店、薬局があり、医者は常駐。仕事場に隣接したクラブハウスもあり、研修や宴会に使われていた。目の前には野球場、奥にはサッカーやラグビーの試合にも使える四百メートルトラック。ウェイトトレーニング室や武道場もあった。

 ここまで言えばおわかりだろうが、この会社は日本人なら誰でも知っているような大手メーカー。N氏はその社員であり、私が所属していたのはその百パーセント子会社である。子会社とはいえ、私のように技術的バックグラウンドがない人間がどうしてこんな会社に潜り込めたのか、不思議に思う人もいるだろうから。簡単に私がサラリーマンになった経緯を話しておこうと思う。

 一言でいうなら、結婚のための偽装就職である。私はパリに住んでいて、お金がなくなるとアルジェリアに仕事へ出かけ、またパリに舞い戻るという生活をしていた。そんな中、パリである女性と出会い、彼女と結婚したいと思った。しかし、彼女の実家はかなり厳しく、このままでは結婚を許してもらえないだろう思われたので、二人で帰国し、私は中途入社ながらサラリーマンになり、少しでもお堅い身分になって彼女の家族をだまそうという魂胆だった。

 就職はすぐに決まった。実に運がよかった。大量の新卒技術者と一緒に、語学に通じたテクニカルライターを少数募集していた。特にフランス語についてはエキスパートが不在であった。通常、私の履歴でこんな企業グループに拾われることはないのだろうが、私のスペックは相手の需要にぴったりだったようだ。

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