「アビダンマッタ・サンガハ」の奥付で、アヌルッダ師はムーラソーマ僧院でこの手引きを書いたと述べており、従来すべての聖典解釈学ではこの場所をスリランカとしている。この事実と、「第一義解明」の終わりにある詩句で彼はカーンチプラで生まれたと述べていることとを考え合わせると、いくつかの仮説が成り立つ。1つは、彼は南インド人の家系であり、スリランカに渡って「サンガハ」を書いたというものである。もう1つは、G.P.マララセーケーラが主張しているもので、彼はスリランカ生まれであるがカーンチプラに住んでいたというものだ(しかし、これは、カーンチプラ生まれであるという彼の記述を無視することになる)第3の仮説をA.P. ブッダッタ・マハテーラ長老が提案しており、それによると、アヌルッダという僧侶は2人おり、1人はスリランカにいて「アビダンマッタ・サンガハ」を書いた人物であり、もう1人はカーンチプラで「第一義解明」を書いた人物である。[13]