1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5/23・マーガレット・フラーの先進性

2013-05-23 | 歴史と人生
5月23日は、「ちいさい秋みつけた」の詩人、サトウハチローが生まれた日(1903年)だが、米国の女性運動の先駆、マーガレット・フラーの誕生日でもある。
マーガレット・フラーは、米国初の女性編集者である。
自分は米国のコミュニティー史が専門で、その延長で彼女のことを知った。彼女は、彼女が生きた時代よりずっと先を走っていた女性だった。

サラ・マーガレット・フラーは、1810年、マサチューセッツ州ケンブリッジポートで生まれた。父親は後に国会議員になった人で、娘にきびしく、みずから教育をほどこした。彼女が5歳のころから英語とラテン語、さらにギリシャ語、古代ローマ史などを教えた。きびしい家庭学習のストレスで、彼女は悪夢にうなされ、眠ったまま歩きまわったという。
9歳のころから、彼女は学校へ通ったが、16歳のとき、学校をやめ、家で独学しだした。
26歳のころから学校教師をした後、30歳のときに、詩人のラルフ・エマーソンが出していた、トランセンダリスト(超越主義者)の雑誌「ダイヤル」の編集者になった。
35歳のときに著書『一九世紀の女性』出版。
「自分の真実のありったけをこれに注ぎ込んだ。わたしは足跡を地面に残したと思う」
と彼女自身が語ったこの書は、米国の民主主義のなかで女性が果たしてきた役割について述べ、今後の改善を提案したものだった。この書は、世界のフェミニズム(男女同権主義)の最先端をゆく米国で出た、最初のフェミニズムの本とされている。
彼女は34歳のとき、ニューヨークへ出て「ニューヨーク・トリビューン」紙の編集者になり、彼女はそこで文芸批評を担当した。
36歳のとき、フラーは、トリビューン社史上最初の女性海外特派員として、ヨーロッパに派遣された。ヨーロッパで彼女は、イタリア人の革命家と知り合い、恋に落ちた。彼女は38歳で男の子を産んだ。
1950年5月、彼女ら夫妻は、まだ2歳にならない息子を連れ、米国行きの船に乗った。その船がニューヨークの沖合にさしかかったとき、座礁した。ニューヨークのロング・アイランドの大西洋側にファイヤー・アイランドという細長い土地がある。そのファイヤー・アイランドから百メートルも行かない、目と鼻の先で起きた海難事故だった。
乗客や乗組員の一部は、船を捨て、泳いで岸にたどりついた。が、フラーたちは船に残っていた。そこへ大波が襲い、彼女ら家族三人は船上から消えた。1850年6月、フラーが40歳のときのことだった。

マーガレット・フラーが生きた南北戦争前夜の時代の一般的な風潮は、
「女に学校教育は必要なく、家事と子育てをしていればいい。女に投票権など論外」
というものだった。そんななか、フラーは、女性にも教育が必要で、参政権が必要だし、もっと女性が社会進出するべきだと訴え続けた。彼女は言っている。
「女性にどんな仕事ができるのかと問われたなら、わたしは答えます、なんでもと……船長だって。女性がその仕事を立派にこなすことを、わたしはまったく疑いません」

日本はフェミニズムについては、先進国のなかでも、ひじょうに遅れている。となりの韓国では、女性大統領が誕生しているというのに、日本の男性政治家連中の頭のなかは、
「女は風俗で働いて、外国人兵士の息抜きとなればいい」
というレベルでとどまっているようだ。
一部日本人男性のフェミニズムに関する意識は、ひょっとすると、南北戦争ごろの米国人一般のレベルより、さらに遅れているのかもしれない。
(2013年5月23日)


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