1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5/18・「天性の教師」バートランド・ラッセル

2013-05-18 | 思想
5月18日は、琵琶湖の環境を研究した学者兼政治家の嘉田由紀子が生まれた日(1950年)だが、英国の哲学者、バートランド・ラッセルの誕生日でもある。
自分は、バートランド・ラッセルの本は、若いころからときどき読んできた。『幸福論』『西洋哲学史』『怠惰への讃歌』といった、一般人向けの本ばかりだけれど、とても共感するところが多かった。この極東の島国の片田舎に生まれた自分が、大英帝国の貴族の哲学者と意見が合うというのは、不思議な気がするけれど。

バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセルは、1872年、英国ウェールズのモンマスシア州で生まれた。3人きょうだいの末っ子で、彼が誕生したとき、祖父は伯爵、父親は子爵だった。
バートランドが4歳のころまでに、父母が相次いで亡くなり、彼は父方の祖父母に引き取られ、育てられた。この祖父が、元英国首相のジョン・ラッセル伯爵である。
ケンブリッジ大学を卒業し、フェローとなった彼は、そのまま大学で教鞭をとった。
38歳のとき、ホワイトヘッドとの共著『プリンキピア・マテマティカ(数学原理)』の出版開始。この本は、ことばの論理を記号化して、数学のような計算によって処理しようとする記号論理学を画期的に発展させた記念碑的作品である。
第一次世界大戦がはじまると、平和運動に力を入れ、国防法違反の有罪判決を受け、大学をクビになり、46歳のときには、反戦の演説をおこなって6カ月間投獄された。
1950年、78歳のとき、ノーベル文学賞受賞。受賞理由は、人道的理想や思想の自由を尊重する著作に対してだった。
83歳のとき、核兵器廃絶を訴える「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表。
89歳のとき、英国の核政策への抗議行動をおこない、生涯で2度目の投獄を経験した。
94歳のときには、ベトナムでの米国の戦争犯罪を裁く国際法廷を呼びかけ、いわゆる「ラッセル法廷」が開かれた。そうして、亡くなる3日前にも、イスラエル軍のエジプト侵攻を非難するなど、最後まで国際平和への積極的な発言を続け、1970年2月、インフルエンザで、ウェールズのメリオネスシア州の自宅で没。98歳だった。

ザ・ビートルズが人気絶頂だった1964年前後に、ポール・マッカートニーが、バートランド・ラッセル卿に会いに行ったという話がある。ポールは、ラッセルをテレビで見かけ、その著書を読んで感銘を受けた。ラッセルの電話番号を手に入れたポールは、
「もしもし、ビートルズのポール・マッカートニーですが、すこしお話を……」
と、いきなり電話をかけたのだった。
訪問の意向は承諾され、ポールはラッセルの自宅に出向いていった。そうして、当時92歳のラッセルは、70歳年下のポールに、ベトナム戦争は帝国主義的な戦争で、これに反対すべきだと語ったという。ポールは帰って、聞いてきた話をジョン・レノンに話した。ジョンがその後、反戦映画を撮り、反戦運動に力を入れだしたのは、その影響だという。
会う人ごとに自説を説き、世界の人々に向けて平和を訴えつづたラッセルという人は「天性の教師」であり、「人類の教師」だったと思う。
(2013年5月18日)


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