1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5/1・吉村昭の生命力

2013-05-01 | 文学
5月1日は、国際的な労働者の日、メーデー。この日は、作家、吉村昭の誕生日でもある。吉村昭は、記録文学『戦艦武蔵』などが有名だけれど、それより前に書かれた『少女架刑』を読んで、自分はとても感心した。少女が亡くなり、遺体解剖にまわされるのたけれど、その少女の意識はずっと遺体といっしょにあって、自分が病院に運ばれ、解剖されていき、火葬場に移され、ついに焼かれて骨になってもなお意識があり、そういう少女が自分のからだが刻々と変化していく状況を淡々と語っていくという、不気味な、しかしとても静かな、落ち着いた感じの小説だった。

吉村昭は、1927年5月1日、東京に、紡績工場の経営物を父親として生まれた。17歳のとき母親が没。18歳のとき、父親も没した。
21歳のとき、彼は結核をわずらい、手術を受けた。後で聞くと、医者の見立てでは、あと2、3カ月の命だろう、とのことだったという。手術後、吉村昭は文学を志すようになった。
学習院大学に入学したが、学費滞納により、除籍。
紡績会社、繊維関係の団体事務所などに務めながら創作を続け、31歳のとき、小説家としてデビュー。はじめ純文学作家としてスタートし、やがて独特の記録文学を切り開いた。徹底的に取材、調査をし、厳密な事実の上に小説を構築した。作品に、
『星への旅』(太宰治賞)
『戦艦武蔵』『陸奥爆沈』『関東大震災』(菊池寛賞)
『ふぉん・しいほるとの娘』(吉川英治文学賞)
『破獄』(読売文学賞)など。

吉村昭は、学習院の高等科に通っていた21歳のとき、結核で肺の摘出手術を受けた。そのときの様子を、吉村自身が語っているのを、テレビで見たことがある。
手術は、肋骨(ろっこつ)を5本切り取って、それから肺をひとつ切除するというものだった。当時、その手術は局所麻酔でおこなわれていた。吉村は、手術中、ずっと意識があった(後に全身麻酔の手術になった)。
肋骨を切り取るのは、すごく痛かったらしい。
「痛いの痛くないの」
いちおう麻酔がかかっているのだけれど、神経が切断されるためだろう、ものすごい激痛なのだそうで、手術を受ける患者たちはたいてい、泣きわめいて、「やめろ」「殺してくれ」と叫ぶそうだ。
吉村の場合、5本切り取るので、都合、10回、肋骨をはさみで切っていく。それが、切るたびに、
「パチンッ」
と音がした。
そのとき、吉村昭は「時間」というものを考えたと言っていた。
「こうしているあいだにも、時間は確実に流れている。時間がたって、いつかは、この手術も終わり、痛みから解放される」
そう思うことが、手術中の唯一の救いだった、と。それが、
「人間は生まれ落ちた瞬間から、時間ごとに刻々と死に向かって歩きはじめている」
という死生観にもつながっていた、とも。
『少女架刑』の、あの静かな死の感覚は、そういう体験が下地になっていたのだなぁ、と、自分は見ていて思った。

力のある作家だと思う。
からだの細い、きゃしゃな感じの人である。でも、声に力がある。筆に力がある。
一度、結核で死にぞこなった。そこから立ち上がって、ものすごい力強い作品を作っていった人で、その軌跡をながめると、人間の生命力の不思議さを、あらためて感じさせられる気がする。
(2013年5月1日)



●おすすめの電子書籍!

『5月生まれについて』(ぱぴろう)
吉村昭、中島敦、西東三鬼、美空ひばり、フロイト、クリシュナムルティ、ロバート・オーウェン、ホー・チ・ミン、バルザック、サハロフ、ドイル、エマーソンなど、5月生まれ31人の人物論。ブログの元になった、より長く深いオリジナル原稿版。


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