5月24日は、『犬神家の一族』の作家、横溝正史が生まれた日(1902年)だが、シンガーソングライター、ボブ・ディランの誕生日でもある。
自分がボブ・ディランを聴き出したのは、学生時代だった。大好きなデヴィッド・ボウイが「ボブ・ディランに捧げる歌」を歌い、ザ・ビートルズのジョン・レノンが「悲しみをぶっとばせ」でディランの歌い方をまねしているので、聴いてみた。すごかった。
ボブ・ディランは1941年、米国ミネソタ州、ダルースで生まれた。本名は、ロバート・アレン・ジマーマンで、祖父の代にロシアからやってきたユダヤ人移民の三世である。
ラジオでブルースやカントリー、ロックを聴いて育ったロバート(ボブ)は、高校生のころからバンドを組んでいた。
18歳でミネソタ大学に入学。このころ「ボブ・ディラン」と名乗るようになった。
19歳のとき、彼は大学をドロップアウトし、ニューヨークに出た。グレニッチヴィレッジのクラブに出演しだした。自作の曲を、フォークギターを弾き、フォルダーで支えたハーモニカを吹きながら、独特のだみ声で歌う。ディランの音楽スタイルは常識破りに斬新で、個性的だった。それまで、歌い手には「美声」が求められたが、ディランはそれを「ハートのこもった声」に置き換えた。これは音楽シーンの革命的事件で、ジミー・ヘンドリックスも、ディランの歌声に励まされて、歌うようになったと言っている。
20歳のとき、最初のアルバム「ボブ・ディラン」を発表。
22歳で発表したセカンド・アルバム「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」は歴史的な名盤となった。アルバム中の曲「風に吹かれて」は大ヒットし、公民権運動を象徴するプロテスト・ソングとなった。以後「時代は変る」「はげしい雨が降る」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「ガッタ・サーヴ・サムバディ」など、メッセージ性の強い名曲を発表しつづけ、2013年現在も曲を作り、コンサートツアーを続けている。現役で、かつ伝説的。生ける音楽の神さまである。
自分はディランが好きで、CDもたくさん持っている。ディランの歌は、やはり歌詞が秀逸だと思う。彼の書く歌詞は、シンプルか難解かの両極端で、聴き手に多面的な解釈を許し、強い共感を呼ぶ。そこが魅力だと思う。「自由の鐘」「アイ・シャル・ビー・リリースト」「コーヒーもう一杯」「ラヴ・シック」など、自分は好きである。
ディランの方法論、スタイルは画期的で、ビートルズやボウイ、吉田拓郎はもちろんのこと、現代のミュージシャンで、彼になんらかの影響を受けていない人はいない、それくらい影響力のあった人だと思う。近年はノーベル賞候補とささやかれている。
ザ・ビートルズの4人が、はじめてマリファナを吸ったのは、二回目の訪米の際、ボブ・ディランに会ったときだという。初対面のとき、ディランのほうでは、ビートルズの面々は、とうにマリファナなど経験ずみだろうと勘違いしていたそうで、なぜかというと、ビートルズの大ヒット曲「抱きしめたい」の歌詞のなかに「I get high, I get high(ぼくはハイになる、ハイになる)」という一節があるからだった。これについてジョン・レノンがディランに説明した。「いや、あそこは、I can't hide, I can't hide と言ってるんだよ」(Barry Miles, Paul McCartney: Many Years from Now, Henry Holt Company)
自分は、この話を聞いて愉快だった。そして、ふだんから英語を話している音楽の神さま、ディランの耳でさえ、聞きまちがいはあるんだぁ、と、なんとなくほっとした。
(2013年5月24日)
●ぱぴろうの電子書籍!
キャスリーン・キンケイド著、金原義明訳
『ツイン・オークス・コミュニティー建設記』
米国ヴァージニア州にあるコミュニティー「ツイン・オークス」の創成期を、創立者自身が語る苦闘と希望のドキュメント。
www.papirow.com
自分がボブ・ディランを聴き出したのは、学生時代だった。大好きなデヴィッド・ボウイが「ボブ・ディランに捧げる歌」を歌い、ザ・ビートルズのジョン・レノンが「悲しみをぶっとばせ」でディランの歌い方をまねしているので、聴いてみた。すごかった。
ボブ・ディランは1941年、米国ミネソタ州、ダルースで生まれた。本名は、ロバート・アレン・ジマーマンで、祖父の代にロシアからやってきたユダヤ人移民の三世である。
ラジオでブルースやカントリー、ロックを聴いて育ったロバート(ボブ)は、高校生のころからバンドを組んでいた。
18歳でミネソタ大学に入学。このころ「ボブ・ディラン」と名乗るようになった。
19歳のとき、彼は大学をドロップアウトし、ニューヨークに出た。グレニッチヴィレッジのクラブに出演しだした。自作の曲を、フォークギターを弾き、フォルダーで支えたハーモニカを吹きながら、独特のだみ声で歌う。ディランの音楽スタイルは常識破りに斬新で、個性的だった。それまで、歌い手には「美声」が求められたが、ディランはそれを「ハートのこもった声」に置き換えた。これは音楽シーンの革命的事件で、ジミー・ヘンドリックスも、ディランの歌声に励まされて、歌うようになったと言っている。
20歳のとき、最初のアルバム「ボブ・ディラン」を発表。
22歳で発表したセカンド・アルバム「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」は歴史的な名盤となった。アルバム中の曲「風に吹かれて」は大ヒットし、公民権運動を象徴するプロテスト・ソングとなった。以後「時代は変る」「はげしい雨が降る」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「ガッタ・サーヴ・サムバディ」など、メッセージ性の強い名曲を発表しつづけ、2013年現在も曲を作り、コンサートツアーを続けている。現役で、かつ伝説的。生ける音楽の神さまである。
自分はディランが好きで、CDもたくさん持っている。ディランの歌は、やはり歌詞が秀逸だと思う。彼の書く歌詞は、シンプルか難解かの両極端で、聴き手に多面的な解釈を許し、強い共感を呼ぶ。そこが魅力だと思う。「自由の鐘」「アイ・シャル・ビー・リリースト」「コーヒーもう一杯」「ラヴ・シック」など、自分は好きである。
ディランの方法論、スタイルは画期的で、ビートルズやボウイ、吉田拓郎はもちろんのこと、現代のミュージシャンで、彼になんらかの影響を受けていない人はいない、それくらい影響力のあった人だと思う。近年はノーベル賞候補とささやかれている。
ザ・ビートルズの4人が、はじめてマリファナを吸ったのは、二回目の訪米の際、ボブ・ディランに会ったときだという。初対面のとき、ディランのほうでは、ビートルズの面々は、とうにマリファナなど経験ずみだろうと勘違いしていたそうで、なぜかというと、ビートルズの大ヒット曲「抱きしめたい」の歌詞のなかに「I get high, I get high(ぼくはハイになる、ハイになる)」という一節があるからだった。これについてジョン・レノンがディランに説明した。「いや、あそこは、I can't hide, I can't hide と言ってるんだよ」(Barry Miles, Paul McCartney: Many Years from Now, Henry Holt Company)
自分は、この話を聞いて愉快だった。そして、ふだんから英語を話している音楽の神さま、ディランの耳でさえ、聞きまちがいはあるんだぁ、と、なんとなくほっとした。
(2013年5月24日)
●ぱぴろうの電子書籍!
キャスリーン・キンケイド著、金原義明訳
『ツイン・オークス・コミュニティー建設記』
米国ヴァージニア州にあるコミュニティー「ツイン・オークス」の創成期を、創立者自身が語る苦闘と希望のドキュメント。
www.papirow.com