1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5/8・澁澤龍彦の夢遊感

2013-05-08 | 文学
5月8日は、赤十字の創始者、アンリ・デュナンが生まれた日(1828年)だが、日本の文学者、澁澤龍彦の誕生日でもある。
自分は澁澤龍彦をいちど見かけたことがある。東京、神田の三省堂書店でサイン会を開いていて、彼はテーブルにつき、並んだお客が差しだす自分の本にサインをしていた。黒いコートを着たまますわっていて、コートのなかに埋もれ、首にマフラーを巻いた、小さい、桜色の顔をした人だった。いかにも頭で仕事をしているインテリ風で、からだはひ弱そうに見えた。
「これがあの膨大な作品群を書いた人なんだ」
自分は感慨深かった。おそらく、彼が亡くなる前の年だったのではないかと思う。

澁澤龍彦は、1928年、東京で生まれた。父親は銀行員だった。
彼の家は、帝国ホテルや東京証券取引所などを創業させた、あの渋沢栄一の遠縁にあたり、龍彦は渋沢栄一に抱っこしてもらったこともあるという。
龍彦は、戦後、東大の文学部仏文科に進んだ。卒論は「サドの現代性」だった。
マスコミ志望だったが、結核にかかったこともあって就職に失敗した彼は、フランス文学の翻訳や、小説を書いて生計を立てる生活に入った。
マルキ・ド・サド作品のほか、ジャン・コクトー、ジョルジュ・バタイユの作品を翻訳し、そのほか、フランスの文学や文化を紹介する評論を多く書いた。
33歳のころには、翻訳出版したサドの『悪徳の栄え』が、わいせつ文書とされ、検察との長い法廷闘争を戦った。
1987年8月、喉頭ガンの療養中に頚動脈瘤の破裂により没。59歳だった。
小説に『エピクロスの肋骨』『唐草物語』『ねむり姫』『うつろ舟』『高丘親王航海記』などがある。

幻想、オカルト、猟奇を好むロマンの人、澁澤龍彦は、日本でも特異な地位を占める文学者で、自分は学生のころから好きで、彼の書いたものをずっと読んできた。彼の本はたくさん持っているが、翻訳ではとくにバタイユの『エロティシズム』、コクトーの『大胯びらき』に感心した。『エロティシズム』は、以前にほかの仏文の大学教授が訳したものを読んだことがあったけれど、そちらはおそらく訳者が原文の意味がわからぬまま、ただ対応しそうな日本語を並べてみたのだろう、というひどい出来で、澁澤龍彦訳が出て、はじめて意味の通じる日本語になったと思う。『大胯びらき』のほうは、もう何度読み返したか知れない。
小説では、泉鏡花賞を受賞した『唐草物語』や、読売文学賞受賞作の『高丘親王航海記』など、澁澤龍彦以外には書けない独特の妙味があって、すばらしいと思う。たとえば『唐草物語』の「空飛ぶ大納言」は、平安時代の蹴鞠の達人の話なのだけれど、「ひとたび蹴りはじめると、妖魔にでも取り憑かれたかのごとく病みつきに」なるという蹴鞠に、読んでいるうち、いつの間にか自分も魅了され、のめりこんでしまう。そして、つい、うっとりとなって、自分も鞠といっしょに舞い上がっていくかのような浮遊感を感じる。現実からふわりと飛び立ち、異次元へ迷い込んで、美しくも妖しい夢を見させてくれる、そんな「夢遊感」が彼の作品にはある。澁澤龍彦は、あの、およそ頑丈そうでない華奢なからだで、幻想の一大帝国を築き上げた、知力の巨人だったと思う。
(2013年5月8日)



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『5月生まれについて』(ぱぴろう)
澁澤龍彦、中島敦、吉村昭、西東三鬼、美空ひばり、マキャヴェリ、フロイト、クリシュナムルティ、ロバート・オーウェン、ホー・チ・ミン、バルザック、ドイルなど、5月生まれ31人の人物論。ブログの元になった、より長く深いオリジナル原稿版。


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