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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5/28・イアン・フレミングの生きる流儀

2013-05-28 | 文学
5月28日は、「また逢う日まで」「木綿のハンカチーフ」「ギンギラギンにさりげなく」の作曲家、筒美京平が生まれた日(1940年)だが、英国の作家、イアン・フレミングの誕生日でもある。007号の作者である。
自分は、小学6年のとき『ドクター・ノオ』を読んで以来の愛読者で、007シリーズは翻訳版と英語版の両方を全巻そろえ、日本語訳がないフレミングの英書も何冊かもっている。

イアン・フレミングは、1908年、英国ロンドンで生まれた。彼の祖父、ロバート・フレミングは、ロバート・フレミング銀行を創立者で、孫のイアンは、客室が25室、使用人が70人いる大邸宅で育った。イアンの父親は、第一次世界大戦中、西部戦線で戦死している。
名門出のイアンは、8歳から寄宿学校に入り、名門イートン校卒、士官学校を中退して、ロイター通信社の記者となった。記者として外国を渡り歩いた後、金融会社に入社。第二次世界大戦中は海軍の情報局に所属し、スパイ活動にたずさわり、37歳で終戦を迎えた後は「サンデー・タイムズ」紙の外信部長を務めた。
44歳のときに結婚。それまで優雅なプレイボーイ生活を謳歌してきたフレミングは、結婚を機に、本の執筆を決意。休暇を利用してジャマイカの別荘にこもり、毎年一作ずつ本を書き上げた。それが英国諜報部員のジェイムズ・ボンドが活躍するスパイ小説だった。『カジノ・ロワイヤル』『死ぬのは奴らだ』『ロシアから愛をこめて』『女王陛下の007号』『007号は二度死ぬ』など、「007号シリーズ」は世界的ベストセラーとなった。フレミングは、007号シリーズのほか、童話『チキチキバンバン』などを書いた後、1964年8月、心臓麻痺で没した。56歳だった。

イアン・フレングは、文章の名手として有名で、本国では『宝島』を書いたスティーブンソンの再来と言われた。洗練された、切れ味がいい文章を書く人だと思う。
007号シリーズは、傑作ぞろいでどれもおすすめだけれど、強いて選ぶのなら、長編では『ロシアから愛をこめて』『女王陛下の007号』『007号は二度死ぬ』を自分はおすすめしたい。拙著『名作英語の名文句2』でも取り上げたが、いずれの作品も、映画とは異なる、知的で非情な、独特の味わいがあって、映画しか知らない人は、読むと驚かれるかもしれない。
短編には、『007号の冒険』中の一編で「ナッソーの夜(原題は『Quantum of Solace』で『慰めの分け前』の意)」という傑作がある。

フレミングは、そのエッセイのなかで、こう言っている。
「ものを書くということは、人を周囲の状況に対して生き生きと敏感にさせる。そして生きるということの主な要素は──多くの人たちの様子を見ていると、そうは思えないかもしれないが──生き生きとしているということにある以上、これは書くということのまさに骨折りがいのある副産物である」(井上一夫訳「エッセイ スリラー小説作法」『007号/ベルリン脱出』早川書房)
(Writing makes you more alive to your surroundings and, since the main ingredient of living, though you might not think so to look at most human beings, is to be alive, this is quite a worthwhile by-product of writing.)
このことばは、中学生のとき以来、自分の生きる指針になっていて、それはいまも変わらない。長く生きていると、惰性に流され、つい生まれたついでに生きているようになりがちだけれど、それでも、生き生きとしていることを思い出しては心がけている。自分は、イアン・フレミングという人の生きる流儀を、とても尊敬している。
(2013年5月28日)



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