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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8月2日・中坊公平の正義

2017-08-02 | 歴史と人生
8月2日は、作家の中上健次が生まれた日(1946年)だが、弁護士、中坊公平(なかぼうこうへい)の誕生日でもある。

中坊公平は、1929年、京都で生まれた。父親は小学校教師をへて苦学して弁護士になった人物だった。
24歳で京都大学法学部を卒業した公平は、司法試験に合格し、弁護士となった。父親の弁護士事務所をへて、30歳の年に独立して自分の事務所を構えた。
裁判で勝訴を続け「勝てる弁護士」として顧問弁護士を務める企業も増えて、すっかり裕福になっていた43歳のとき、森永ヒ素ミルク中毒事件の弁護団の団長になってくれないか、という依頼を彼は受けた。この事件は、森永の乳児用ミルクにヒ素が混入していて、それを飲んだ多くの赤ちゃんが中毒になり、からだに重篤な障害が起きた事件で、森永側は自分たちに非はないと主張し、厚生省側はみんな治っていて後遺症もないと説明していた。
最初、中坊はこの依頼を断ろうと思ったという。せっかく顧客も増えて生活が安定してきたところに、森永のような大企業を敵にまわす裁判にかかわっては、お客さんを逃すことになる。そんな左翼系の弁護士たちの仲間になるのは損だ、と。
中坊は、左翼嫌いの弁護士として通っている父親のところへ相談に行った。きっと父親も自分の意見に賛成してくれるだろう、と。すると、父親はこう言った。
「情けないことを言うな。お父ちゃんは公平をそんな人間に育てた覚えはないぞ。この事件の被害者は誰や。赤ちゃんやないか。赤ちゃんに対する犯罪に右も左もない。お前は確かに一人で飯を食えるようになった。しかし、今まで人の役に立つことを何かやったか。出来が悪かったお前みたいな者でも、人様の役に立つなら喜んでやらしてもらえ」(中坊公平『中坊公平・私の事件簿』集英社新書)
父親のことばに打たれた中坊は、弁護を引き受けた。そして、被害の事態調査からやり直し、「森永ミルク中毒の子供を守る会」と弁護団のあいだにはさまれて苦しみ、病気になり、自殺を考えた瞬間もあるという苛酷な裁判だったが、彼はこれをみごとやりぬいた。前掲の書に収録されている、この事件の裁判の冒頭陳述の原稿は、感動なしには読めない名文である。

中坊はその後も、豊田商事事件などむずかしい大型訴訟を手がけた後、67歳のとき、住専(住宅金融専門会社)事件の責任者となり、再建回収に奔走した。
住専処理事件は、バブル崩壊に端を発した不良債権問題で、そのツケは最後には税金にまわされるという、いわば被害者が国民という事件だった。
中坊は住専の住管機構と整理回収機構の社長を引き受け、一円の報酬も受けとらず奮闘した。そうして、目標額に近いお金を回収することに成功した。彼はこう書いている。
「何千億も回収できるなんて奇跡だと言う人もいますが、人間、退路を断って懸命にやれば、世の中は動くものなのです。」(同前)
中坊は、2013年5月、心不全により京都で没した。83歳だった。

森永ミルク事件の被害者と会ったことがある。赤ちゃんのとき被害にあい、すでに高齢の女性となっていたが、事件の痛々しさ、深刻さをあらためて感じた。
「公平」という名前がすばらしい。
(2017年8月2日)



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