1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1/8・変容する芸術家、ボウイ

2013-01-08 | 音楽
1月8日は、ロック界のスーパースター、デヴィッド・ボウイの誕生日である。
本名、デヴィッド・ロバート・ジョーンズ。
英国の首都ロンドンで、1947年1月8日に生まれた。まさに団塊の世代のひとりである。
デヴィッドの父親、ヘイワード・ジョーンズは、親からもらった遺産を元手に、一時はクラブやバーを経営していたが、第二次大戦に従軍し、復員後、孤児院に勤めだした。そのころ、デヴィッドの母親であるマーガレットと知り合い、結婚した。
母マーガレットには、ジョーンズと結婚する際、ひとり、男の子の連れ子があった。
それが私生児のテリー・バーンズで、それまで母親が女手ひとつで育てていたのだった。
異父兄テリーは、デヴィッドより10歳年上で、少年のころデヴィッドはいつも兄にくっついて歩いていた。
デヴィッドにジャック・ケルアックのビートニク文学を紹介したのも、音楽への目を開かせたのもテリーである。
この兄、テリーはその後、精神を病み、病院に入退院を繰り返すようになった。
そうしてテリーは、1981年に精神科病棟から飛び降りて自殺をはかり、両手両足を骨折。
1985年に、鉄道レールの上にとびこんで自殺をはかり、列車にひかれ死亡している。
半分血のつながった兄の精神病は、デヴィッドにある強迫観念となってしみついているようで、彼が書いた歌詞にはときどき「狂気」「兄」「狂った人」といった単語が登場する。 「オール・ザ・マッドメン」というストレートな楽曲もある。

さて、デヴィッドは12歳でハイスクールに入学した。
そのころから、彼は音楽に興味をもちはじめ、サキソフォンを手に入れると、ジャズのサックス奏者のもとへ通って練習しだした。
16歳のとき、けんかをして殴られ、一時は両目とも失明する危険があったというが、そのうちに視力は回復してきた。ただし、左目の瞳孔が開きっぱなしになってしまった。
そして、デヴィッドはハイスクールを中退し、広告代理店に勤めながら、クラブで演奏するようになった。
代理店のほうは、半年後には退社し、音楽一本で活動するようになる。

17歳のとき、はじめてレコード会社と契約。さまざまな音楽仲間たちと、バンドを組んだり、別れたりしては、レコーディングとライブ活動をつづけた。
「マニッシュ・ボーイズ」「デヴィッド・ボウイとロウアー・サード」などの名前で活動する。
そうして、18歳のとき、デヴィッドは、米国のアイドル・グループ「ザ・モンキーズ」のデヴィッド・ジョーンズと同名なのを嫌い、「ボウイ・ナイフ」から名をとって、以後「デヴィッド・ボウイ」と名乗るようになった。
19歳でソロとなり、以後、パントマイムのリンゼイ・ケンプの一座に参加したり、映画にでたりしながら、音楽活動をつづけ、その音楽性は、フォーク・シンガーから、しだいにロック・シンガーへと変貌してゆく。
1971年から翌72年にかけて、英国ではグラム・ロックの一大ブームが起こり、その波に乗って、デヴィッド・ボウイは一気にスターダムに駆け上がった。
グラム・ロックとは、けばけばしい化粧をし、はでな衣裳を身にまとった魅惑的なロックンロールということだが、そのブームの真っただ中の1972年、25歳のとき、ボウイは公言した。
「ぼくはバイ・セクシュアルだ」
この発言は賛否両論を巻き起こした。同時期に、歴史的な傑作アルバム「ジギー・スターダスト」を発表。
この作品によってボウイは、ミュージック・シーンにおけるその位置を不動のものとし、以後さらに名作と呼ばれるアルバムを次々と発表していく。
レコーディングと演奏ツアーをこなしながら、数多くの映画にも出演した。
シンガー・ソング・ライターのロック・ミュージシャンでありながら、映画俳優としても高い評価を得ている。
また、彼はニューヨークのブロードウェイ・ミュージカルの舞台で「エレファントマン」の主役を演じたこともある。

自分はデヴィッド・ボウイのファンである。
ボウイの音楽とは、かれこれもう35年のおつきあいになる。

ボウイの音楽の特徴は、美しいメロディーを、わざと壊したようなところにあると思う。
すみからすみまで完璧に仕上げた美しい旋律も作れるのだが、それを作品としてそのまま見せるようなまねはしない。
繊細なガラス細工の工芸美術品を丹精こめて作り上げた後、一部をわざと割っておく、そんな感覚である。
髪の先から爪先まで、非の打ちどころのない完璧な美人よりも、どこかに一点、なにか欠けたものがあったほうが、かえって個性が引き立ち、インパクトがある、そういう心かもしれない。

ボウイは、ジョン・レノンのビートルズ時代の曲「アクロース・ザ・ユニヴァース」をカヴァーして、衝撃的なヴォーカルで歌っているが、ボウイはそれに関連して、こういう意味のことをいっている。
「自分は、ジョンのヴォーカルのなかにある、ある強さのようなものを、なんとかしてつかみたいと思っている」

かつて、どこかのオフィスで、あまり中身のなさそうな管理職のサラリーマンと話していて、なにかの拍子に話題がデヴィッド・ボウイのことに触れたことがあった。すると、その管理職の男は、訳知り顔でいった。
「でも、デヴィッド・ボウイって不思議ですよね。歌がうまいわけじゃないし、声がいいわけじゃないのに、あんなに人気があって」
自分は唖然とした。
世のなかには、なにもわかっていないで生きているのもいるのだ、と。ひとつ勉強になった。
(2013年1月8日)



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『デヴィッド・ボウイの生涯』(金原義明)
緊急出版。デヴィッド・ボウイ総論。至上のロックスター、デヴィッド・ボウイの人生、音楽、詞、方法論など、その全貌を明らかにする人物評論。遺作に込められたボウイのラストメッセージとは何か?

『デヴィッド・ボウイの思想』(金原義明)
デヴィッド・ボウイについての音楽評論。至上のロックッスター、ボウイの数多ある名曲のなかからとくに注目すべき曲をとりあげ、そこからボウイの方法論、創作の秘密、彼の思想に迫る。また、ボウイがわたしたちに贈った遺言、ラストメッセージを明らかにする。ボウイを真剣に理解したい方のために。


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http://www.meikyosha.jp


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