1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月25日・カール・ベンツの丈夫

2016-11-25 | ビジネス
11月25日は、三島由紀夫が没した(1970年)憂国記だが、「ガソリン自動車の父」カール・ベンツの誕生日でもある。

カール・フリードリヒ・ベンツは、1844年、現在のドイツのカールスルーエで生まれた。父親は機関車の運転士。母親の名はジョゼフィーヌ・ファイラントだった。カールの両親は「できちゃった結婚」でなく「生まれちゃった結婚」で、生まれたときの彼の名はカール・フリードリッヒ・ミヒャエル・ファイラントだった。
カールが生まれてようやく結婚した父親は、彼が2歳のとき父が鉄道事故で没し、それからカールは死んだ父親の姓を継いでカール・フリードリッヒ・ベンツとなった。
貧しいながら、小さいときから神童と呼ばれるほどの頭脳優秀さを示したカールは、15歳で大学の機械工学科に入学し、機械工学や内燃機関について学んだ。
大学卒業後、ベンツは天秤ばかり工場の設計、建設会社勤務などをへて、27歳のとき、友人と共同で機械工作所を設立した。しかし、友人とはうまくいかず、結婚したベンツは、妻の持参金で友人の持ち株を買い取り、妻との共同経営で会社を運営しだした。
ベンツは、2サイクルエンジン、点火プラグ、キャブレター、クラッチ、ラジエターなどの特許をとったが、経営はうまくいかず、39歳のとき、その会社を手離した。
ベンツは新しい友人と産業機械を作るベンツ・アンド・カンパニーを創業し、ガスエンジンの製造をはじめた。そして3輪車に4サイクルエンジンを積んだ自力走行の自動車を作り、特許をとった。
44歳の年からベンツは自動車の生産を開始した。人類初の自動車産業だった。
ベンツ社は年間500台以上を生産する世界最大の自動車メーカーになり、振動を抑える水平対向エンジンを作った後、同時代にべつに自動車を開発していたダイムラー社と合併してダイムラー・ベンツ社となった。
ベンツは1929年4月、気管支炎のため、ラーデンブルクで没した。84歳だった。

ベンツの奥さんは、ベンツが作った4サイクルエンジンの自動車を勝手に持ちだして、子どもを乗せ、100キロメートル離れた母親の家まで運転した。このドライブで、ブレーキやギアの改良点が発見され、その改良をへてベンツ社は自動車生産にこぎつけた。

1970年代の昔、新しいもの好きの叔父がベンツを運転して家にきてこう言った。
「クルマに乗るならベンツに限るぞ。道路のまん中を走っていればいいんだから安全だ。対向車のほうがよけてくれる。もしもぶつかっても丈夫。ベンツの横っ腹に国産車が突っ込んできても、ベンツは平気で国産車のほうがくしゃくしゃになるんだからな」
ビートルズの面々が、ヨガの導師であるマハリシに、ヨーロッパ車を買いたいのだがどのクルマを買ったらいいかと相談されたとき、ポール・マッカートニーたちは、インドは道がよくないからじょうぶなのがいいとメルセデス・ベンツを勧めたそうだ。

ベンツは日本ではもちろんだが、米国でも高級車の代名詞として通っていて、ずっと前に従妹がアメリカみやげで買ってきてくれたナンバープレートカバーに、
「わたしのセカンドカーはメルセデスです」
とあった。
(2016年11月25日)



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