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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

4月25日・坂東玉三郎の感性

2024-04-25 | ビジネス
4月25日は、清教徒革命の立役者、オリバー・クロムウェルが生まれた日(1599年)だが、歌舞伎の五代目・坂東玉三郎(ばんどうたまさぶろう)の誕生日でもある。

五代目・坂東玉三郎こと、本名・守田伸一(もりたしんいち)は1950年、東京に生まれた。実家は料亭だった。
伸一は小さいころ、小児麻痺を患い、その後遺症のリハビリにと、日本舞踊を習いだした。すると、伸一少年はこれが気に入った。夢中になった。
6歳のころ、踊りの稽古に通った縁で、歌舞伎役者の十四代目・守田勘弥の部屋子となった。部屋子とは、役者と同じ楽屋を使う子どものことである。ほかにも歌舞伎の舞台に出演する子どもたちの楽屋があるなか、あえて部屋子として迎え、同じ楽屋で歌舞伎役者の立ち居振る舞いを学ぶ機会を与える、つまり、才能ありと認められたのである。
伸一は7歳のとき「菅原伝授手習鑑・寺子屋」で初舞台を踏んだ。そして、14歳で守田勘弥の芸養子として迎えられ、五代目坂東玉三郎を襲名し「心中刃は氷の朔日」に出演した。
以後、「椿説弓張月」や「鳴神」といった作品にお姫様役で出演し、女形(おやま)として絶大な人気を得た。
24歳のときには、守田勘弥と正式に養子縁組し、戸籍上の親子となった。
以後、「与話情浮名横櫛」のお富さん、「義経千本桜」の静御前、「番町皿屋敷」のお菊などをはじめとする、歌舞伎の女役を演じ、変わったところでは、シェイクスピア劇の「マクベス」のマクベス夫人を演じた。
また、29歳のとき、泉鏡花原作の映画「夜叉ヶ池」に出演し、人間の娘・百合と、池に棲む魔物・白雪姫のヒロイン二役を一人で演じた。
36歳のとき、舞台「ロミオとジュリエット」の演出を担当し、41歳で泉鏡花原作の映画「外科室」を監督し、映画監督デビューを果たした。
歌舞伎俳優として活躍するかたわら、海外の舞台関係者や映像作家たちとのコラボレーションも多く、62歳のときに人間国宝となった。歌舞伎の世界にとどまらず、偉大な舞台芸術家として世界的に評価の高い、絶大な人気を誇る演技者である。

ずっと昔、玉三郎がテレビ番組の取材を受けて、こんなコメントをしていた。
「疲れたときは、某(という長唄)を聴いて癒されます」
それが自分のまったく知らない歌で、(ああ、この人は、自分とはまったく異なった感性の持ち主なのだ。上品で、繊細で、自分のようながさつな者とは住む世界がちがうのだ)と理解した。
でも、自分は泉鏡花ファンであり、玉三郎は泉鏡花作品を演じる、鏡花のよき理解者であり、無縁なはずの両者はそこでかろうじてつながっている。
玉三郎は鏡花作品の、みずから演じる作品については、すごくくわしく知っていて、多くを教えられた。そして、玉三郎でも、わからないこともあるのだと共感できた。次の玉三郎の意見に同感である。
「『高野聖』なんかでも、鏡花先生って、こういうふうに読んできたらこういうふうになるんだってわかるんだけど、一瞬こう、ある部分だけがものすごく飛躍してて、そこがもう摩訶不思議な言葉で埋めつくされちゃってて、もう訳わからない」(坂東玉三郎、郡司正勝「対談・鏡花劇をめぐって」『国文学 鏡花幻想文学誌』学灯社)
(2024年4月25日)



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