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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6月7日・プリンスの心

2024-06-07 | 音楽
6月7日は、画家のポール・ゴーギャンが生まれた日(1848年)だが、米国のミュージシャン、プリンスの誕生日でもある。

プリンス・ロジャーズ・ネルソンは、1958年、米国ミネソタ州のミネアポリスで生まれた。父親は作曲家でジャズピアニスト、母親はジャズシンガー。下にひとり妹がいた。
「プリンス」の名は、父親の芸名からとったもので、父親はこうコメントしている。
「わたしが息子をプリンスと名付けたのは、自分がやりたかったことをみんな、息子にやってほしいと思ったからさ。(I named my son Prince because I wanted him to do everything I wanted to do.)」
プリンスは7歳ではじめて曲を作った。彼が10歳のとき、両親が離婚すると、プリンスは、父親の家と、母親と母親の再婚相手の家とを行ったり来たりして生活した。
高校生のころ、友だちと共に、いとこのバンドに参加。本格的に音楽活動を開始した。
バンド活動のかたわら、作曲もしたプリンスは、17歳のとき、マネージャー契約を交わし、マネージャーは彼のデモテープをもってレコード会社をまわった。そうして、興味を示したレコード会社のなかのひとつ、ワーナー・ブラザーズと、プリンスは19歳のときに契約を交わした。創作活動を自分で管理できる好条件の契約だった。
作詞、作曲、編曲をこなし、楽器のマルチプレイヤーで、みずから歌うシンガーでもあるプリンスは、20歳のとき、ひとりでデビューアルバム「フォー・ユー」を作り上げた。以後「愛のペガサス(Prince)」「戦慄の貴公子(Controversy)」などを発表。
24歳で発表したアルバム「1999」で人気を高まりだし、26歳でみずから主演した同名映画のサウンドトラック「パープル・レイン」でその人気を決定的なものとした。
その後も「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」「サイン・オブ・ザ・タイムズ」「バットマン」「イマンシペイション」など名作を次々に発表。
36歳のころ、レコード会社と衝突し、一時期「以前プリンスと呼ばれていたアーティスト」を名乗って活動していた時期もあったが、43歳のとき「プリンス」にもどり、旺盛な創作意欲をもって音楽活動を再開した。
2016年4月、ミネアポリスにある自分のレコーディングスタジオ内のエレベーターで倒れた遺体となって発見された。57歳だった。死因は、モルヒネの100倍の鎮痛効果がある薬品フェンタニルの過剰摂取とされる。

プリンスはデビュー当時から注目していた。デビュー当時は「ゲイ・パワー」のシンボルとして紹介されていた。
よく聴くようになったのは「1999」からで、「パープル・レイン」「アラウンド・ザ・ワールド~」「サイン・オブ・ザ・タイムズ」などの愛聴盤はなんど聴いたかしれない。東京ドームへコンサートを観にいったこともある。訃報に接したときは絶句した。

プリンスの音楽の魅力は、平安のプレイボーイ、在原業平(ありわらのなりひら)に通じる。
『古今和歌集』の序文で紀貫之が、業平の和歌についてこう書いている。
「在原業平は、その心あまりて言葉たらず。しぼめる花の、色なくてにほひ残れるがごとし。」
プリンスは演奏し、歌い、踊って、全身全霊で表現するのだけれど、まだ思いが表しきれていない、伝わらないもどかしさに身悶えする、そんな「心あまりて」が魅力のアーティストだった。
(2024年6月7日)



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