1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

3月30日・エリック・クラプトンのミューズ

2014-03-30 | 音楽
3月30日は、炎の画家、ゴッホが生まれた日(1853年)だが、ロック・ギタリストのエリック・クラプトンの誕生日でもある。
自分はクラプトンの「レイラ」、とくに後半のピアノの部分が大好きだが、サザンオールスターズの原由子さんは学生時代、桑田佳祐らメンバーの前でこの後半部分を弾いて見せて、それでバンドに加わることになったらしい。以前、テレビで原さんがそう語りながら「レイラ」弾くのを見て、自分もあんな風に弾きたいと思った。それで練習を重ね、ようやく弾けるようになった(テキトーだけれど)。

エリック・パトリック・クラプトンは、1945年、英国イングランドのリプリーで生まれた。母親は未婚の16歳で彼を産んだ。父親は25歳のカナダの軍人で、エリックが誕生する前にカナダへ帰ってしまっていた。ティーンエイジャーの母親は、息子を母親(エリックの祖母)に預け、べつのカナダ軍人と結婚してドイツへ行ってしまった。残されたエリックは、祖母と祖母の再婚相手である義理の祖父に育てられた。
13歳の誕生日にアコースティックギターを買ってもらったエリックは、それを15歳のころから猛烈に練習しだし、とくにブルース・ギターに熱中した。
クラプトンは16歳でアート・カレッジに入学。しかし、学業はそっちのけで、音楽に入れ込んだ。17歳であちこちの路上で演奏するようになり、「ルースターズ」というリズム・アンド・ブルースのバンドに入った。
18歳のとき「ヤードバーズ」というロック・バンドに加入。「フォー・ユア・ラブ」をヒットさせ、クラプトンはその卓越したギター演奏により「スロー・ハンド」「ギターの神様」と呼ばれるようになった。
20歳のとき、バンドのメンバーと意見が対立し、ヤードバーズを脱退。
その後「クリーム」「ブラインド・フェイス」などのバンドをへて、25歳のとき「デレク・アンド・ザ・ドミノス」を結成。「レイラ」「アイ・ショット・ザ・シェリフ」などの大ヒットを放った。クラプトンはザ・ビートルズのほか、さまざまなミュージシャンたちとセッションをし、ソロとしても多くのヒット・シングルやアルバムを発表している。

ビートルズの名曲「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」の印象的なリードギターを弾いているのは、エリック・クラプトンである。
当時、ビートルズのジョージ・ハリスンは、パティ・ボイドと結婚していて、パティといっしょだったころ、ジョージは「サムシング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」などの名曲を書いた。クラブトンは、友人ジョージの妻パティに恋をし、その思いをこめて名曲「レイラ」を書いた。
パティは、ロン・ウッド(当時フェイセズ所属)との浮気が発覚し、ジョージと別居。その後、今度はリンゴ・スターの妻モーリンとジョージの不倫が発覚し、パティとジョージは離婚。34歳のとき、エリック・クラプトンは、独身となったパティと晴れて結婚した。しかし結婚後、クラプトンはあちこちで愛人や子どもを作り、結局、クラプトンが43歳のとき二人は離婚した。
すると、パティこそ「ミューズ(芸術の女神)」だったという気がする。

「ギターの神様」クラプトンの風貌はとても誠実そうで、ステージの演奏ぶりも真摯な感じだけれど、彼の生涯は痴情事件のオンパレードで、ロックンロールだなあと感心する。クラプトンが46歳のとき、彼がイタリア人モデルとのあいだにもうけた4歳の息子が、ニューヨーク・マンハッタンの53階の窓から転落死した。クラプトンは息子の死を悼み「ティアーズ・イン・ヘヴン」という曲を書いた。パティとの離婚の直接の引き金になったのは、この事故死した息子の誕生だった。
クラプトンのギター演奏は、何度聴いても艶があって、うっとりする。それは、父親の顔も知らずに生まれ育ったギターの「オイディプス王」の奏でる宿命の響きだから、といったら言い過ぎだろうか。
(2014年3月30日)


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ゴッホ、アンドリュー・ジャクソン、ミケランジェロ、ラヴェル、スティーブ・マックイーン、ジョン・アーヴィング、横光利一、高村光太郎、芥川龍之介、黒澤明、周恩来など3月誕生の31人の人物論。人気ブログの元となった、より詳しく深いオリジナル原稿版。3月生まれの秘密に迫る。

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