1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

3月11日・コラムは263歳

2014-03-11 | 歴史と人生
3月11日は、2011年のこの日、東日本大震災があった日だが、この日は「メディア王」ルパート・マードックが生まれた日(1931年)でもあり、コラムの誕生日でもある。
「コラム」は人名ではなくて、新聞や雑誌の囲み記事のこと。1751年のこの日、イギリスの新聞「ロンドン・アドバイザー リテラリー・ガゼット」紙が、世界ではじめてコラムの連載をはじめた。「ガゼット」は英語で「新聞」の意味。
1751年といえば、享保の改革をおこなった江戸幕府の8代将軍、徳川吉宗が亡くなった年で、コラムは2014年の3月11日で、263歳になる。けっこうご高齢である。

自分は新聞を一紙だけとっている。ほんとうはもっとたくさん講読して読み比べたいのだけれど、お金がないし、それだけ読み込む時間もないしで、一紙だけ。それでも、全部ていねいに目を通さず、拾い読み、読みとばしている。
インターネットが発達した現代では新聞をとっていない学生も多いだろうけれど、自分が大学生だったころは、みんな貧乏なくせになぜか新聞だけはとっていた。
インターネットでは、自分が求めた情報と、画面に見えている情報だけで、それ以上に情報を追おうとしないのに対して、新聞は習慣的にどうしてもいちおうめくっていくので、求めていない情報がいろいろと目に入ってくるところがおもしろいと思う。そして、新聞には、報道記事のほかに、コラムがあるのも魅力だと思う。

これは本にも書いたことがあるけれど、その昔、中学校の国語教師をしている年輩の先生と話していて、ときどき
「ここの新聞のコラムは文章がいいんですよ」
とおっしゃることがあった。そうして「天声人語」をはじめとする全国紙や地方紙の第一面のコラムをあれこれと批評して、自分に聞かせてくれたりした。先生は、ふだんから全国の新聞に広く目を通していて、これぞという文章を見つけると、それを生徒たちに読ませたり、そこから文章を引っ張って問題を作って生徒たちにやらせたりしていた。そうやって、中学生たちに、いきのいい、良質な文章に触れさせようと努めているのだった。
あるとき、その先生はこんなことをおっしゃった。
「コラムというのは、スペースが限られているから、一字たりともおろそかにできない、そういうぎりぎりのところで書く文章ですよね。だから『だが』とか『だから』とかも、できれば省略したい。ということは、そういう接続詞なしでも、うまく文意が流れているのがいいコラムということになる。逆に、接続詞がよくでてくるようなコラムは、書き手の力量がないということになります」(金原義明『出版の日本語幻想』明鏡舎)
接続詞の節約。なるほどなあ、と思った。自分はそれから、そういう意識をもってコラムの文章を見るようになった。

これと逆に、出版業界には、やたらと「そして」「しかし」「すると」などといった接続詞を書き込みたがる編集者がうようよしている。著者が書いてきた原稿は洗練されたすっきりとした文章で「うまく文意が流れている」のに、担当編集者が、その流れている文意を読む能力がないものだから、いちいち接続詞を付け加えて、文章をぎくしゃくしたものにしてしまい、それが本になって書店に並べられたりする。

わが身をかえりみれば、自分の文章もだいぶぎくしゃくしているかもしれない。「コラム」というと、そんなことどもを思いだす。
(2014年3月11日)



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